1796年アメリカ合衆国大統領選挙
1796年アメリカ合衆国大統領選挙(1796ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1796)は、1796年11月4日から12月7日にかけて施行されたアメリカ合衆国の大統領および副大統領を選出する選挙(第3回)である。
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州別獲得選挙人分布図 アダムス ジェファーソン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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主な日程 編集
1796年 編集
1797年 編集
- 2月8日:大統領選挙人による投票を開票。大統領および副大統領当選者が正式決定。
概要 編集
アメリカ合衆国の大統領選挙としては3回目にして初めて競合があり、大統領と副大統領を対立する党派から選んだことでも最初のものとなったので、当初の選挙人選挙の仕組みの欠陥を曝すことになった。
現職の副大統領ジョン・アダムズが、トマス・ピンクニーを副大統領候補として連邦党から出馬した。アダムズが勝って大統領となったが、対立するトマス・ジェファーソンがピンクニーより多くの票を獲得して副大統領になった。
候補者 編集
連邦党 編集
- ジョン・アダムズ(マサチューセッツ州)、副大統領
- トマス・ピンクニー(サウスカロライナ州)、元駐フランス大使
- オリバー・エルスワース(コネチカット州)、合衆国最高裁判所主席判事
- ジョン・ジェイ(ニューヨーク州)、ニューヨーク州知事
- ジェイムズ・アイアデル(ノースカロライナ州)、合衆国最高裁判所陪席判事
- サミュエル・ジョンストン(ノースカロライナ州)、前上院議員
- チャールズ・コーツワース・ピンクニー(サウスカロライナ州)、駐フランス大使
民主共和党 編集
- トマス・ジェファーソン(バージニア州)、元国務長官
- アーロン・バー(ニューヨーク州)、上院議員
- サミュエル・アダムズ(マサチューセッツ州)、マサチューセッツ州知事
- ジョージ・クリントン(ニューヨーク州)、元ニューヨーク州知事
- ジョン・ヘンリー(メリーランド州)、上院議員
選出方法 編集
州別の選挙人定数と選出方法 編集
州 | 選挙人 定数 |
選出方法 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
州議会 間接選挙 |
一般投票 | |||
コネチカット州 | 9 | 9 | 0 | |
デラウェア州 | 3 | 3 | 0 | |
ニュージャージー州 | 7 | 7 | 0 | |
ニューヨーク州 | 12 | 12 | 0 | |
ロードアイランド州 | 4 | 4 | 0 | |
サウスカロライナ州 | 8 | 8 | 0 | |
バーモント州 | 4 | 4 | 0 | |
マサチューセッツ州 | 16 | 2 | 14 | 州議会から2名選出。 残りの選挙人を有権者の直接選挙で選出された上位2つの正副大統領の組み合わせから選択。 |
ニューハンプシャー州 | 6 | 0 | 6 | 絶対多数の正副大統領の組み合わせが無い場合は、上位2つの組み合わせから州議会が選出。 |
ケンタッキー州 | 4 | 0 | 4 | 選挙人定数にしたがって選挙区を設定。 |
メリーランド州 | 9 | 0 | 9 | |
ノースカロライナ州 | 12 | 0 | 12 | |
バージニア州 | 21 | 0 | 21 | |
テネシー州 | 3 | 0 | 3 | 選挙人定数にしたがって選挙区を設定。直接投票で選出した郡選挙人が選出。 |
ジョージア州 | 4 | 0 | 4 | 州全域で一選挙区。 |
ペンシルベニア州 | 15 | 0 | 15 | |
選挙人計 | 138 | 49 | 89 |
選挙運動 編集
現職の大統領ジョージ・ワシントンが3期目の出馬を拒んだので、現職の副大統領ジョン・アダムズが連邦党の大統領候補となり、知事の経験があるトマス・ピンクニーが次に人気のある連邦党員として副大統領候補となった。対抗馬は民主共和党のトマス・ジェファーソンであり、副大統領候補にはアーロン・バー上院議員を指名した。ただし、この時点では副大統領候補という制度が正式には無かったので、どの党から出てこようと各人が大統領候補であった。
それまでの2回の選挙が結果は既定の事実であったのとは異なり、情勢が伯仲していたので、民主共和党はジェファーソンを、連邦党はアダムズを一生懸命応援した。議論は辛辣なものとなり、連邦党は民主共和党をフランスの過激な革命派と結びつけ、民主共和党は連邦党を君主主義や貴族政治に賛成していると非難した。外交政策では、民主共和党がジェイ条約はあまりにイギリスの肩を持ちすぎていると言って連邦党を非難し、一方、フランス大使は選挙直前に公然と民主共和党を支援し、連邦党を攻撃することで民主共和党を当惑させた。
選挙結果 編集
当時の選挙の仕組みでは、選挙人が2票を持っており、どちらも大統領候補に投じられた。大統領選で2位になったものが副大統領に選ばれた(これはアメリカ合衆国憲法修正第12条が成立するまでの方法であり、憲法修正第12条では副大統領候補を指名する方法に変えた)。各党は、選挙人が1票を大統領候補と目される者に投じ、もう1票を副大統領候補と考えられる別の者に投じさせ、副大統領候補が大統領候補より少し少なく票を獲得するように工夫した。だが、この仕組みは幾つかの要因で複雑なものとなった。
- 全選挙人の投票は同じ日に行われた。当時、州間の連絡は時間が掛かっていたので、副大統領候補に少なく投票させる調整が難しかった。
- ジェファーソンに票を投じる南部の選挙人が、アレクサンダー・ハミルトンに強制されて2番目の票をピンクニーに投票し、アダムズの代わりにピンクニーを大統領に選ぶことを期待しているという噂があった。実際に、ピンクニーの出身州サウスカロライナ州の選挙人8人全員と少なくともペンシルベニア州の1人はジェファーソンとピンクニーに投票したことが分かった。
その結果、アダムズに票を投じた選挙人の多くが第2票をピンクニーに投票することなく、アダムズが大統領に選ばれたが、対抗馬のジェファーソンが副大統領に選ばれた。これは民主共和党がフランス革命を支持していたことも一部寄与したが、民主共和党の支持者がジェファーソンを副大統領に選ぶに足るほどの勢いがあったことによっていた。
候補者 | 選挙人投票 | 一般投票 | |||
---|---|---|---|---|---|
氏名 出身州 |
所属政党 | 得票数 | 得票率 | 得票数 | 得票率 |
ジョン・アダムズ マサチューセッツ州 |
連邦党 | 71 | 51.45 | 35,726 | 53.45 |
トーマス・ジェファーソン バージニア州 |
民主共和党 | 68 | 49.27 | 31,115 | 46.55 |
トマス・ピンクニー サウスカロライナ州 |
連邦党 | 59 | 42.75 | - | - |
アーロン・バー ニューヨーク州 |
民主共和党 | 30 | 21.74 | - | - |
サミュエル・アダムズ マサチューセッツ州 |
民主共和党 | 15 | 10.87 | - | - |
オリバー・エルスワース コネチカット州 |
連邦党 | 11 | 8.33 | - | - |
ジョージ・クリントン ニューヨーク州 |
民主共和党 | 7 | 5.07 | - | - |
ジョン・ジェイ ニューヨーク州 |
連邦党 | 5 | 3.62 | - | - |
ジェイムズ・アイアデル ノースカロライナ州 |
連邦党 | 3 | 2.17 | - | - |
ジョージ・ワシントン バージニア州 |
無所属 | 2 | 1.45 | - | - |
ジョン・ヘンリー メリーランド州 |
民主共和党 | 2 | 1.45 | - | - |
サミュエル・ジョンストン ノースカロライナ州 |
連邦党 | 2 | 1.45 | - | - |
チャールズ・コーツワース・ピンクニー サウスカロライナ州 |
連邦党 | 1 | 0.72 | - | - |
投票総数 | 138×2 | 100.00 | 66,841 | 100.00 | |
有権者(投票率) | 138×2 | 100.00 | 不明 | 不明 | |
出典:Electoral College Box Scores 1789–1996". |
一般投票結果 編集
選挙人出身党派 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|
連邦党 | 35,726 | 53.45 |
民主共和党 | 31,115 | 46.55 |
総計 | 66,841 | 100.00 |
U.S. President National Vote. Our Campaigns[1] |
各州別選挙人投票結果 編集
州 | ジョン・ アダムズ |
トーマス・ ジェファーソン |
トマス・ ピンクニー |
アーロン・ バー |
サミュエル・ アダムズ |
オリバー・ エルスワース |
ジョージ・ クリントン |
ジョン・ ジェイ |
ジェイムズ・ アイアデル |
ジョージ・ ワシントン |
ジョン・ ヘンリー |
サミュエル・ ジョンストン |
チャールズ・C・ ピンクニー |
総計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
コネチカット州 | 9 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 18 |
デラウェア州 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
ジョージア州 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
ケンタッキー州 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
メリーランド州 | 7 | 4 | 4 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 18 |
マサチューセッツ州 | 16 | 0 | 13 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 32 |
ニューハンプシャー州 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 |
ニュージャージー州 | 7 | 0 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 |
ニューヨーク州 | 12 | 0 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 |
ノースカロライナ州 | 1 | 11 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 24 |
ペンシルバニア州 | 1 | 14 | 2 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 30 |
ロードアイランド州 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
サウスカロライナ州 | 0 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 16 |
テネシー州 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
バーモント州 | 4 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 |
バージニア州 | 1 | 20 | 1 | 1 | 15 | 0 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 42 |
総計 | 71 | 68 | 59 | 30 | 15 | 11 | 7 | 5 | 3 | 2 | 2 | 2 | 1 | 276 |
出典:U.S.Electoral-College |
その後 編集
アメリカ合衆国の歴史の中で唯一、大統領と副大統領が反対党から選ばれた。ジェファーソンは副大統領職を梃子にしてアダムズの政策を攻撃し、次の選挙ではホワイトハウスに到達することができた。
この選挙はアメリカ合衆国憲法修正第12条の最初の動機付けになった。1797年1月6日、サウスカロライナ州選出の下院議員ウィリアム・L・スミスは大統領選挙人が誰を大統領に、誰を副大統領にと指名できる憲法修正案を下院に提出した[2]。しかし、その提案に対して有効な行動が取られず、1800年アメリカ合衆国大統領選挙では暗礁に乗り上げることになった。
脚注 編集
- ^ 選挙人を一般投票で選んだ州は、その州によって有権者の財産に関する幅広い制限を設けていた。
- ^ United States Congress (1797). Annals of Congress. 4th Congress, 2nd Session. pp. 1824 2006年6月26日閲覧。
関連項目 編集
参考文献 編集
- The North Carolina Electoral Vote: The People and the Process Behind the Vote. Raleigh, North Carolina: North Carolina Secretary of State. (1988)
- 一般選挙に関する出典:U.S. President National Vote. Our Campaigns. (2006年2月11日)
- 選挙人選挙に関する出典:Official website of the National Archives(2005年7月30日)