1940年のライオン軍
1940年のライオン軍(1940ねんのライオンぐん)では、1940年シーズンのライオン軍の動向をまとめる。
1940年のライオン軍 | |
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成績 | |
日本野球連盟9位 | |
24勝76敗4分 勝率.240[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府 |
球場 | 特定球場なし |
球団組織 | |
オーナー | 田村駒治郎 |
経営母体 | 小林商店(現・ライオン)(スポンサー) |
監督 | 高田勝生 |
« 1939 1941 » |
この年のライオン軍は、高田勝生選手兼任監督の3年目(途中就任の1938年を含む)のシーズンである。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
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優勝 | 東京巨人軍 | 76 | 28 | 0 | .731 | - |
2位 | 阪神軍 | 64 | 37 | 3 | .634 | 10.5 |
3位 | 阪急軍 | 61 | 38 | 5 | .616 | 12.5 |
4位 | 翼軍 | 56 | 39 | 10 | .589 | 15.5 |
5位 | 名古屋軍 | 58 | 41 | 5 | .586 | 15.5 |
6位 | 黒鷲軍 | 46 | 54 | 4 | .460 | 28.0 |
7位 | 名古屋金鯱軍 | 34 | 63 | 7 | .351 | 38.5 |
8位 | 南海軍 | 28 | 71 | 6 | .283 | 45.5 |
9位 | ライオン軍 | 24 | 76 | 4 | .240 | 50.0 |
できごと
編集投手陣は依然厳しく、このシーズンも近藤久・菊矢吉男・福士勇の3人がそれぞれ300イニング近く投げざるを得ず、3人がそろってシーズン20敗以上を記録するというありさまで、球団も最下位であった。 そんな中、鬼頭数雄の首位打者獲得は明るいニュースであった。
選手・スタッフ
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1940年 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2018年9月11日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 151
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。