USアヴェッリーノ1912
イタリアのサッカークラブ
ウニオーネ・スポルティーヴァ・アヴェッリーノ1912(イタリア語: Unione Sportiva Avellino 1912 S.r.l.)は、イタリアのカンパニア州アヴェッリーノを本拠地とするサッカークラブである。2021-22シーズンはセリエCに所属している。
USアヴェッリーノ1912 | ||||
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原語表記 | Unione Sportiva Avellino 1912 S.r.l. | |||
愛称 |
Lupi (狼), Irpini (イルピーノ人), Biancoverdi (白と緑) | |||
クラブカラー | 白と緑 | |||
創設年 | 1912年 | |||
所属リーグ | セリエC | |||
所属ディビジョン | 3部 | |||
ホームタウン | アヴェッリーノ | |||
ホームスタジアム | スタディオ・パルテニオ | |||
収容人数 | 10,215 | |||
代表者 | アンジェロ・アントニオ・ダゴスティーノ | |||
監督 | ピエロ・ブラーリア | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
歴史
編集1912年創設[1]。チーム誕生からしばらく、下位リーグでの活動が続いたが、1973年5月27日、USレッチェ戦に勝利し、ついにセリエBへ昇格することとなる。そして5年後の1978年6月11日、UCサンプドリア戦に勝利し、クラブ史上初のセリエA昇格を決める。
セリエAでは10シーズンを過ごすが、1988年のセリエB降格を境にクラブは低迷。2008-09シーズンにはセリエBからの降格に加え、財政状況が芳しくないことを理由に5部にあたるセリエDへの降格を命じられた。新たなチームアヴェッリーノ・カルチョ12 SSD (Avellino Calcio.12 S.S.D.) として再スタートを切った2009-10シーズンは5位に終わったものの、昇格枠に空きがあったことからレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ(セリエC2から改称)へと昇格した。
2010年、チーム名をASアヴェッリーノ1912 (Associazione Sportiva Avellino 1912) へと変更。シーズンを4位で終え、昇格を賭けたプレイオフで敗れたものの、昇格枠の空きを理由に再び繰り上げ昇格を果たした。2015年3月5日、かつてのクラブ名であるUSアヴェッリーノ1912 (Unione Sportiva Avellino 1912 S.r.l.) に改称した[2]。
タイトル
編集国内タイトル
編集- セリエD : 1回
- 2018-19
- トルネオ・エスティーヴォ・デル1986: 1回
- 1986
- スーペルコッパ・ディ・レガ・ディ・プリマ・ディヴィジオーネ : 1回
- 2012-13
ジローネ優勝
編集- セリエD : 2回
- 1961-62 (ジローネD), 1963-64 (ジローネE)
- セリエC : 1回
- 1972-73 (ジローネC)
- セリエC1 : 1回
- 2002-03 (ジローネB)
- レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ : 1回
- 2012-13 (ジローネB)
- ユース
- コッパ・イタリア・プリマヴェーラ: 2回
- 1981-82, 1990-91
- カンピオナート・ベレッティ : 2回
- 1986-87, 1995-96
国際タイトル
編集なし
過去の成績
編集シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | ||||||||
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リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
2000-01 | セリエC1・ジローネB | 34 | 14 | 15 | 5 | 45 | 27 | 57 | 4位 | 1回戦敗退 |
2001-02 | セリエC1・ジローネB | 34 | 11 | 15 | 8 | 39 | 41 | 48 | 7位 | 1回戦敗退 |
2002-03 | セリエC1・ジローネB | 34 | 21 | 6 | 7 | 51 | 25 | 69 | 1位 | — |
2003-04 | セリエB | 46 | 8 | 13 | 25 | 51 | 69 | 37 | 23位 | 1回戦敗退 |
2004-05 | セリエC1・ジローネB | 34 | 18 | 10 | 6 | 48 | 29 | 64 | 2位 | 1回戦敗退 |
2005-06 | セリエB | 42 | 11 | 13 | 18 | 42 | 62 | 46 | 19位 | 2回戦敗退 |
2006-07 | セリエC1・ジローネB | 34 | 20 | 8 | 6 | 64 | 37 | 2位 | 1回戦敗退 | |
2007-08 | セリエB | 42 | 8 | 12 | 22 | 42 | 63 | 36 | 19位[3] | 1回戦敗退 |
2008-09 | セリエB | 42 | 9 | 15 | 18 | 41 | 61 | 21位[4] | 2回戦敗退 | |
2009-10 | セリエD・ジローネI | 34 | 17 | 8 | 9 | 56 | 35 | 59 | 5位[5] | 1回戦敗退 |
2010-11 | レガ・プロ・セコンダ ・ジローネC | 30 | 15 | 8 | 7 | 51 | 26 | 53 | 4位 | 2回戦敗退 |
2011-12 | レガ・プロ・プリマ・ジローネA | 34 | 11 | 7 | 16 | 39 | 46 | 40 | 10位 | 3回戦敗退 |
2012-13 | レガ・プロ・プリマ・ジローネB | 30 | 18 | 6 | 6 | 50 | 27 | 60 | 1位 | 2回戦敗退 |
2013-14 | セリエB | 30 | 10 | 12 | 8 | 37 | 32 | 42 | 8位 | ベスト16 |
2014-15 | セリエB | 42 | 15 | 14 | 13 | 42 | 42 | 59 | 8位 | 4回戦敗退 |
2015-16 | セリエB | 42 | 13 | 10 | 19 | 52 | 66 | 49 | 14位 | 3回戦敗退 |
2016-17 | セリエB | 42 | 13 | 13 | 16 | 40 | 55 | 14位 | 2回戦敗退 | |
2017-18 | セリエB | 42 | 11 | 15 | 16 | 49 | 60 | 48 | 14位[6] | 3回戦敗退 |
2018-19 | セリエD・ジローネG | 38 | 26 | 5 | 7 | 70 | 36 | 83 | 1位 | — |
2019-20 | セリエC・ジローナC | 30[7] | 11 | 7 | 12 | 34 | 38 | 40 | 10位 | — |
2020-21 | セリエC・ジローナC | 36 | 20 | 8 | 8 | 53 | 33 | 68 | 3位 | 1回戦敗退 |
2021-22 | セリエC・ジローナC | 36 | 17 | 13 | 6 | 45 | 26 | 64 | 4位 | 予選敗退 |
2022-23 | セリエC・ジローナC | 位 |
歴代監督
編集- ネド・ソネッティ 1989-1990
- フランチェスコ・グラツィアーニ 1991-1992
- ジュゼッペ・パパドプーロ 1994-1995
- ズビグニェフ・ボニエク 1995-1996
- マッシモ・フィッカデンティ 2002-2003
- ズデネク・ゼーマン 2003-2004
- アントネッロ・クックレドゥ 2004-2005
- フランコ・コロンバ 2005-2006
- ジュゼッペ・ガルデリシ 2006-2007
- ワルテル・ノヴェッリーノ 2016-2018
- クラウディオ・フォスカリーニ 2018-
歴代所属選手
編集詳細は「Category:USアヴェッリーノ1912の選手」を参照
GK
編集- ステファノ・タッコーニ 1980-1983
DF
編集- ロドリゴ・デフェンジ 2007-2009
- ジャメル・メスバフ 2008-2009
MF
編集- フェルナンド・デ・ナポリ 1983-1986
- サルバトーレ・バーニ 1988-1989
- アントニオ・ノチェリーノ 2003-2004
- ファビオ・セザール 2004-2005
- フリオ・セサル・レオン 2006
FW
編集- アンドレア・カルネヴァーレ 1979-1981
- ラモン・ディアス 1983-1986
- ファブリッツィオ・ラバネッリ 1989-1990
- ヴィタリ・クトゥゾフ 2005-2006
- トマス・ダニレビシウス 2005-2006
脚注
編集- ^ “La Storia del Club”. 2021年12月3日閲覧。
- ^ “L'Avellino riabbraccia il logo storico”. Il Mattino (2015年3月5日). 2016年2月10日閲覧。
- ^ 降格となったが、FCメッシーナが破産のため残留
- ^ 降格の後、経営破綻により5部であるセリエDへの降格となった
- ^ プレーオフに敗れたが、4部への登録が認められた
- ^ 破産により4部へ降格
- ^ 新型コロナによりリーグ戦が途中で中止された