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USレッチェUnione Sportiva Lecce)は、イタリアレッチェを本拠地とするサッカークラブチーム。2018-19シーズンは、セリエBに所属している。

USレッチェ
原語表記 Unione Sportiva Lecce
愛称 Giallorossi (Yellow-Reds),
Salentini (Salentians),
Lupi (Wolves)
クラブカラー 黄と赤
創設年 1908年
所属リーグ セリエB
所属ディビジョン 2部
ホームタウン レッチェ
ホームスタジアム スタディオ・ヴィア・デル・マーレ
収容人数 33,876
代表者 イタリアの旗 サヴェリオ・スティッキ・ダミアーニ
監督 イタリアの旗 ファビオ・リヴェラーニ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

目次

概要編集

1908年3月15日、スポルティング・クラブ・レッチェSporting Club Lecce)として創立。1927年9月16日に現在のウニオーネ・スポルティーヴァ・レッチェへと改称している。

セリエA初昇格は、1985-86シーズンで、過去最高順位は1988-89シーズンに記録した9位。その後もセリエAとセリエBを毎年のように降格と昇格を繰り返していた。

デリオ・ロッシ監督に率いられた2003-04シーズンにセリエAに再昇格し、エルネスト・チェバントンを中心に若手主体の編成で昇格組ながらも10位と大躍進した。続く2004-05シーズンもロッシ監督の師匠に当たるズデネク・ゼーマン監督に率いられ、失点を恐れない攻撃サッカーを魅了し、一桁順位にまでは届かなかったものの、このシーズンも10位と余裕でセリエA残留を勝ち取った。しかし2005-06シーズンは一転、ゼーマン監督が去り、スタイルも大きく異なったチームは一気に下降線を辿り、19位に終わりセリエB降格が決定した。

2011年5月15日、セリエA第37節ASバーリ戦にて、2-0の勝利を収め、セリエA残留を決める。しかし、後に降格の決まっていたバーリに対して、レッチェが八百長を働きかけていた事が発覚し、当時バーリに所属していたDFアンドレア・マジエッロは意図的にオウンゴールを入れた事を認め、逮捕された。レッチェは八百長に関わった事により、シーズン終了後にレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ(3部)へ降格。この八百長にはシンガポールマフィアが仕組んだ事が判明している。なお、バーリサポーターである弁護士らが起こしていた訴訟を受けて、バーリ裁判所はこの試合を観戦していた観客にチケット価格の10倍にあたる金額を払い戻すという異例の判決を下した[1][2]

1985-86シーズンのセリエA初昇格以降で15回の昇降格を繰り返している。とりわけ1990年代は、1995-96シーズンでのセリエC1に属していた時期を含む毎年のように昇降格を経験した。

アタランタBC同様、イタリアでは屈指の典型的なエレベータークラブと知られている。

タイトル編集

国内タイトル編集

2009-2010
1975-1976

国際タイトル編集

なし

過去の成績編集

  • 2000-01 セリエA 13位
  • 2001-02 セリエA 16位 降格
  • 2002-03 セリエB 3位 昇格
  • 2003-04 セリエA 10位
  • 2004-05 セリエA 10位
  • 2005-06 セリエA 19位 降格
  • 2006-07 セリエB 9位
  • 2007-08 セリエB 3位 昇格
  • 2008-09 セリエA 20位 降格
  • 2009-10 セリエB 1位 昇格
  • 2010-11 セリエA 17位
  • 2011-12 セリエA 18位 八百長にかかわったためレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネに降格
  • 2012-13 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネA 2位
  • 2013-14 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネB 3位
  • 2014-15 レガ・プロ・ジローネC 6位
  • 2015-16 レガ・プロ・ジローネC 3位
  • 2016-17 レガ・プロ・ジローネC 2位
  • 2017-18 セリエC・ジローネC 1位 昇格

現所属メンバー編集

歴代監督編集

歴代所属選手編集

GK編集

DF編集

MF編集

FW編集

脚注編集

外部リンク編集