Wikipedia‐ノート:独立記事作成の目安

Wikipedia‐ノート:著名性から転送)
最新のコメント:4 か月前 | トピック:無出典の存命人物記事に対する特筆性について | 投稿者:Tamago915

「有意な言及」は誤訳なのか? 編集

削除依頼にて「『有意な言及』というのは誤訳で、英語版ではもっと基準が緩い」という意見をちらほら目にします。直近でも、利用者:open-boxさんがこのように復帰依頼で発言しています。そのため、ここでは「本当に誤訳なのか?」「誤訳(あるいはそこまでいかなくとも紛らわしい表現)だとしたらどういう文に変えたらいいか」を話し合おうと思います。

なお、提案者である私は英語が上手なわけではないため英語のできる方のご協力を頂けたら感謝この上ないです。

また、この件についての私の見解ですが現在の英語版でも「単なる言及止まりではいけない」となっているため少なくとも誤訳ではないのではと思います。--鼓天会話) 2023年8月20日 (日) 08:48 (UTC)→単なる言及というより「取るに足りないものではダメ」という方が正しいようなので取り敢えず打ち消し。--鼓天会話2023年8月20日 (日) 22:22 (UTC)返信

仮に誤訳だとしても、この文書が日本語版ウィキペディアでガイドライン化された2015年から定着しており、英語版を根拠に修正する必要は無いと思います。同じ理由で、英語版の取り扱いがどうあれ日本語版で合意があればこの習慣を廃止あるいは緩和することが可能と思います。なお、英語版では立項の自由度が高い反面、レビュアーが独立記事の基準に満たないと判断したらドラフト(素案)として別空間に移動され、初版立項者に通知された上で、内容が改善されなければ削除されているようです。この方が、いきなり削除依頼に出されるよりは、初版投稿者に受け入れられやすいように思います。--Freetrashbox会話2023年8月20日 (日) 09:24 (UTC)返信
(鼓天さんへ)誤訳に基づく特有の問題点、運用の問題点、そもそも元の文章がおかしいことによる問題点があります。
誤訳に基づく特有の問題点は、冒頭にある「有意に言及」という元の文章に存在しない規定の存在です。本来、「Information on Wikipedia must be verifiable; if no reliable, independent sources can be found on a topic, then it should not have a separate article. Wikipedia's concept of notability applies this basic standard to avoid indiscriminate inclusion of topics. Article and list topics must be notable, or "worthy of notice".」であり、要するに検証可能性を満たしたうえで「worthy of notice」=「記載価値が認められるもの」と「notable」=「注目に値するもの」でしかないんですが、これをひっくるめて「有意に言及」とやってしまったのが問題の元(そもそも検証可能性をここに書くなって原文の問題は別として)。しかも「有意な言及」という言葉を後段で別の意味でも使用しているので、文章としてはトラブルの元がさらに増えています。
これは日本語版が英語版から導入した時点版番24341195では「英語版と同様に並列」の内容です。今にして思えば、orがいつのまにか=に化けたところで版番24367296、慎重に扱うべきだったよねと。
英語版から引っ張ってきている「"Significant coverage"」→「有意な言及」は英語版に起因する問題です。実はここは英語版よりは「マシ」な単語です。「Significant」って強すぎる表記ですし、実際には英語版でもこんな運用はできていません。むしろここで大切なのは、「more than a trivial mention」(「取るに足らないようなもの」以上)です。
「単なる言及止まりではいけない」とするのは誤訳です(Googleがやらかします)。「単なる」だと重要な記載であっても書き方次第で「俺認めない」ができるのでまずいんですね。実際、今の文書でも「取るに足らない」となっています。
そして、「散文」限定として悪用される原因は「言及」という単語にあります。「直接的かつ詳細に述べていることを意味します」という前段と「「取るに足らないようなもの以上」という後段の食い合わせが悪い上に、「coverage」に「言及」の意味はありませんが(例えば新聞に大相撲の本場所の星取表が結構大きなサイズで載ります。これは「coverage」ですが「言及」ではないのは容易に想定できると考えます)、「言及」と「述べている」はどうしても「文章」を想起させてしまいます。
「取り扱い」ぐらいに表現を緩和して「散文」限定を排除する応急処置は可能と思われます。
2009年の文章につぎはぎやらかした結果ではあるのですが、2014年の改定時には「元の文章がおかしい」可能性は考えられていなかったのかもしれません。
運用の問題点は、「文書を超越した削除」にあります。よくあるのは「例示」を「限定列挙」に置き換えようとするパターン。「一時的なものではない」を何とかして全く逆の意味で運用しようとするケースも多いですね。一部の下位文書にあるようにガイドラインに矛盾した内容を盛り込んでまで削除を可能にしようとするのはどうかとは思いますが、まだその無理のある根拠が文章としてまとまっている=上位文書で修正できるだけましでしょう。
Freetrashboxさんの主張には一つ欠陥があります。要は「定着しており」が間違っているんです。実際には現に「散文」に限定しない運用が行われている(散文限定であれば、科学でもマイナーな分野、人物ならスポーツ、芸術、政治家などは危ないですね)、特に翻訳は日本語版の特殊な規定がないので当然これには縛られませんが、それにもかかわらず削除依頼の便利な口実として「散文」限定として悪用されているのです。この現状を追認しようとしていること自体が変更になります。
改定するなら取り急ぎ、
  1. 冒頭部の修正(3つまとまっているのをばらす)
  2. 「散文」限定と誤解される内容を修正する
この2点は急務と思われます。
ドラフトは悪用が容易なので(例:いつまでも記事化を認めない、勝手にドラフトに差し戻す、ドラフトとして宣伝的な内容を置く)、その点の歯止め作らないと目的通りには機能しないと思われます。ドラフト空間への移動は管理者・削除者限定、ドラフト空間からの移動は原則自由にするとか? 削除依頼経由のドラフト移動からの即時復帰抑止には移動保護使えますし。--Open-box会話2023年8月20日 (日) 16:37 (UTC)返信
とりあえず「悪用」という言い方だけは避けて頂けませんか。上のコメントは不特定多数に対するものですが、特定個人に対して「悪用している」と決めつけるのは好ましくありません。--フューチャー会話2023年8月20日 (日) 22:17 (UTC)返信
@Open-box: コメントありがとうございます。ルールと実情が乖離しているなら、それを一致させるのが良いと思います。私の経験では、ルールを実情に合わせた方が、ルールを厳守させようとするよりも議論がまとまりやすいです。ただしOpen-boxさんの話によれば、「有意な言及」を重視する人も多いようなので、そこは折り合いをつけるべきだと思います。できるだけ多くの人が参加した削除議論をいくつか例に挙げて、「有意な言及」はコミュニティが要求する必須条件ではないことを証明するのがよさそうに思います。なお、英語版のレビューは新規ページレビュワーという権限がある人が行います。私が見ている範囲では比較的妥当な判断がされているように思います。新規記事をドラフト送りにするのはレビュワーの役割で、ドラフトからの再提案は原則立項者という流れのようです。ドラフト送りの判断のためのフローチャートも準備されています。--Freetrashbox会話2023年8月22日 (火) 04:15 (UTC)返信
  •   コメント 「有意な言及 ("Significant coverage")」という言葉は英語版の「一般的な目安」節にあり、これは誤訳ではありません。ただし、Open-boxさんがご指摘のように、英語版の冒頭文にはこの言葉はありませんでした。
9年前、日本語版のこの文書が検証可能性の方針に引きずられすぎていて、「出典が付いていないから削除」など出典の有無だけで記事主題そのものを無価値とみなしたり貶めたりといった考え方を誘発しているのではないかという危惧から、当時の英語版の文書を確認したくて仮翻訳したものが私のサブページにありますのでご参照いただければと。当時からかなり経っているため変わっているかもしれないのと、私自身の英語能力がほぼ中学生並みであり、忠実性を重視して意訳を極力避けたために読みにくさはあるでしょうが、YassieさんやWhymさんにも手を入れていただいているものなので、内容的な齟齬はないだろうと思います。これをたたき台にして日本語版を見直したかったのですが、一部(WP:FAILN)を除いては実現しませんでした。--みっち会話2023年8月21日 (月) 10:53 (UTC)返信
  • 皆さんご意見ありがとうございます。冒頭部はかなり長いのでどうしたらいいものか悩んでいます(利用者:鼓天/特筆性ガイドライン改善案とかを作ってそこで草案を練ります)が、ひとまず「有意な言及」の節について、現時点での改善案を以下に書いてみます。

取るに足る扱い 取るに足る扱いとは、対象の話題について直接的に扱われていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です。ただし、文章によるものに限りません(例えば大相撲などのプロスポーツの戦績表も含まれます)。

とりあえずこのような感じでしょうか。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 01:00 (UTC)返信
改善案もとりあえず作っておきました。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 01:17 (UTC)返信
  コメント ザッと読んだのですが、私にはOpen-box氏の主張がよくわかりません(逆に他の方々は肯定するにせよ否定するにせよ、理解できている前提なのが不思議に思います)。
率直に、かつ具体的に言えば、「有意な言及」という訳語のせいで、『「散文」限定』と誤解されているという、Open-box氏の根本の主張のところからしてまったく意味がわかりません。まさか韻文を出典にしたいという話ではないでしょうから(笑)、これは比喩表現としての散文、より適切な語句を考えるなら「フォーマルな文章」を意味していると推測いたします(比喩表現だと反対にインフォーマルな文章を指すこともあるけれども)。ただ、そうだとしても、本ガイドラインの「有意な言及」の単語を根拠にして「フォーマルな文章」しか認めないというような運用が横行しているかのごとき、主張には首をかしげます。今回の元になった復帰依頼の議論を見ても、例えば、Ogiyoshisan氏が本ガイドラインの「有意な言及」の文言を根拠にして、「この場合認められる信頼できる情報源はフォーマルな文章の形式に限る」というような主張をされているなら、わかるのですが、そんなことはなく、唐突にOpen-box氏が「WP:GNGを改変した」「散文に限定されてません」と、(何度も言いますが)意味不明な主張を始めたようにしか思えません。
ただ、誤解無きように補足すると「元がフォーマルな文章の形式の情報源でないと信頼できる情報源と認めない」という層はいるでしょう。これは逆に、内容や媒体を見れば信頼できない情報源であることは明白にも関わらず、フォーマルな文章だから信頼できる情報源だと思いこんでいるパターンも見受けられます。もっともこれはウィキペディアに限らない話であって、内容ではなく文章形式で、信頼性・妥当性の有無を判断してしまうという一種の権威主義、例えば、カジュアルな文章よりも、硬い文章の方が説得力が増したように見えるというよくある話です。
以上をまとめると「フォーマルな文章でないと信頼できる情報源とみなせない」と主張する方がいるのは事実だが、そうした人たちが本ガイドラインの「有意な言及」を根拠にしているというのは意味がわかりませんし、また、それゆえに、そこを変えたところで「フォーマルな文章」を絶対視する人もなくならないでしょう。だって関係ないんだから。
もし、そうした懸念材料を修正するとしても、Wikipedia:信頼できる情報源の方が妥当ではないですか。--EULE会話2023年8月27日 (日) 03:06 (UTC)返信
  弁解するようなことではないのかもしれませんが、不思議に思われたようなので一応。私もOpen-boxさんの主張がよくわからないので、部分的に理解できるところだけ触れて、自分の知っている範囲で参考になりそうなことを紹介しました。「有意な言及」を変える必要性はないと思っています。変えるならそこじゃなくてもっといろいろあるだろうと。--みっち会話2023年8月27日 (日) 04:13 (UTC)返信
私も、同じ感想を持ちました。Open-boxさんの主張される現状のJAWP内部の運用についてのご認識に関しては、正直具体的な例もない事には分からないな、と感じます(具体例があってもそれがどれほどの割合で頻発しているのかまでは分かるのか、と問われればまた別の話かもしれませんが)。--Miraburu会話 / 投稿記録 2023年8月27日 (日) 04:27 (UTC)返信
一応私の解釈としましては、「相撲の戦績表みたいなものは(散)文じゃないけど、特筆性を示す証拠にはなりうる。でも今の文書のままだと認められないように読めるから直しておこう」という意味とみて改善案を出しました(「いや、もし特筆性があるならその前に文章記事で取り上げられてるだろうし別に文限定でもいいのでは」とも思ったのですが、おそらくOpen-boxさん的にはこの現状こそ「誤訳を見て文限定と誤解した人が、誤った解釈の『有意な言及』をふりかざして何でもかんでも削除している」ということなのでしょう)。そのため改善案とは言ったものの自分としてはそこまで強く思ってはいないです(とはいえ、EULEさんの言う通り文書を変えるだけで運用が変わるわけでもないなら、逆に今後文うんぬんの話でトラブルが起こるのを防止するために変えてしまうのもありかもしれない)。
また、誤訳に関する主張は「記事冒頭の『有意な言及』は誤訳で、 『掲載するだけの価値があり注目さに値する状態であること』のほうが正しいよね」といったニュアンスだと解釈しました。
あと冒頭部分は単純に長くて少々読みづらいので、改訳するしないに関わらず節を分けたいな、というスタンスです。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 11:49 (UTC)返信
一応実際に韻文を出典にしようとしている利用者の例はあります(さすがにレアケースですが)。--鼓天会話2023年8月27日 (日) 11:53 (UTC)返信
  コメント(EULEさんへ)まずこの文章に限っては「有意に言及」と「有意な言及」は異なる語となります。前者は根拠のない記載であり、後者はなんとか意訳しようとした結果、想定外の問題が生じているものです。「有意に言及」についてはまとめる前の段階でも無断でまとめられているので二重に意味が変わっている・後段と被る表現でさらに誤解の元になる問題なので、こちらは単に解消するところから始まります。「有意な言及」を取り上げますと、そもそも「Coverage」が「言及」の時点で問題があるのです。「Coverage」はあくまで「扱われている範囲」を示す語であり、そこに文章でなければならないとする限定はありません。みっちさん、Miraburuさんへの回答を兼ねますが、データ出典が独立記事作成の目安の源泉となるのはスポーツ選手やメディア関係はごく一般的な扱いですし、音楽に至っては「データ出典(チャートXX位)」が肝要だったりします。でもこれらは「言及」だと取りこぼされる、平たい話気分一つで削除依頼できる状態になっています。特に分野別での例示が乏しいメディア関係者(主に俳優)は、しばしば依頼されています。これは「散文限定」を引きずっているが故のミスなのです(スタッフだと外から見えないので難しいのですが、俳優ぐらいは調べれば判るでしょうに)。Wikipedia:信頼できる情報源はカバーする範囲が異なっております。そちらですとWikipedia:信頼できる情報源であってもWikipedia:独立記事作成の目安に合致しないこと、逆にWikipedia:独立記事作成の目安に合致しないが出典にはなることの双方を理解されていないケースがありますね。ただこれは解説を付け加えれば事足りるとも考えます。
(鼓天さんへ)記事冒頭はandではなくorでなければならないんです。andにしますと「一般的な掲載価値はあるけど知名度等足りない」/「知名度等あっても一般的な掲載価値がない」となりますので、今よりも削除範囲は拡大します。
「質量共に最高の」という目的に反するので、「厳選はWikipediaの目的とするところではない」というのは容易に導けるのですが、実はそのものズバリの文書がないのでどこかに書いておく必要はありそうではあります。明白なWikipediaの弱点の一つは、「専門分野/一般社会では取り上げられていても、こんなレベルの事象がWikipediaで扱われているのは嫌だ、消せ」という主張に対抗する根拠が乏しいところにあります。--Open-box会話2023年9月2日 (土) 15:27 (UTC)返信
  返信 (Open-box氏宛) それで、その差異が具体的に現状のウィキペディア日本語版でどのような看過できない問題を引き起こしているのですか? 元の議論と合わせてよくわからないと言ってるのはそういうことですよ。ウィキペディアは規則主義ではありませんや、官僚主義ではありませんがあるように、言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です。「トップリーグの指導者には特筆性がある」という議論が、なぜ今のような話になってるのがまったく理解できないです。まさか、成績表(データ表)でチームの特筆性がある→だから指導者にも特筆性がある(成績表でトップリーグの指導者の特筆性の根拠になる)、と言いたいのですか?--EULE会話2023年9月2日 (土) 23:07 (UTC)返信
トップリーグの指導者関係の話よりも前にOpen-box氏が「誤訳」と主張されているのを見たことがあるので、さすがに「チームの特筆性は指導者の特筆性だ」ってことではないかと(ただ、前々から誤訳だと思っていたのならもっと早くOpen-box氏自身が話題提起すればよかったのではという気がします)。--鼓天会話2023年9月4日 (月) 00:06 (UTC)返信
(EULEさんへ)正しくその反応が看過できない問題です。あなたの反応は、判らない理解できないではなく、理解したくない削除の障害だでしかありません。官僚主義を言い訳に使っていますが「言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です」は、そのまま「言葉の一語一句にこだわって今の自由に削除できる環境を維持したい」という要望でしかありません。誤訳によって表現に問題があり、実際に悪用している利用者がいる以上、直ちに変更しなければなりません。そして悪質な工作を行っていますね。あなたの主張であればこうなってしまいます「地域リーグレベルでも専門誌には成績表載るんだから(なおこのレベルでも記事はありますので、それこそCoverage)、当然各個人にも掲載価値がある」。これをトップリーグの個人の特筆性とすり替えているのですから、ごまかしと指摘することすら甘い。チームの特筆性は個人のそれより圧倒的に緩くなっていますので、前提が破綻していますね。
(鼓天さんへ)あなたも間違っています。本質は基準不整合の問題です。つまり同じ枠内の事象(個別の競技関連人物)を特筆性で削除するために一部分だけ引き上げる(選手は3部、指導者は対応させるなら3部だが明文がないから悪用して代表クラス)のは、論理的ではないという問題です。今の特筆性は、「それは全部ダメだ」という主張が可能なので無限に引き上げることが出来ますが、基準不整合の放置は必ず削除範囲拡大の材料となります。「アレが削除できたんだからコレも削除」が日本語版の運用です。一つでも削除に成功すれば自動的に削除ができる、削除の根拠は嘘でも前例、存続はどれだけあっても削除一つに勝てないという日本語版の欠陥は常に狙われています。馬鹿げた依頼でも一つ突破すればドミノ倒しが発生するのですから。なお誤訳の話は2021年にはWikipedia:井戸端/subj/記事の特筆性についてでけりが付いていたのにまた削除に不都合だという動きになったのが今年。私が提案すると熱狂的に反対する人が出るのは読めていたので出さなかったんですけどね。--Open-box会話2023年9月7日 (木) 01:35 (UTC)返信
指導者に対する掲載基準がないならまずスポーツ関連のプロジェクトで議論すればいい話で、それをすっとばしてこの方針の改定の話と絡めるから話が複雑になっていると思うのですが(こういうややこしいことが起きることを考慮するとやっぱり方針は変えたほうがいいかもなぁと思います)。--鼓天会話2023年9月7日 (木) 12:41 (UTC)返信
スポーツは指導者に対する基準はあるんです(特筆すべき実績)。ないのは、「特筆すべき」の範囲の明文基準。旧称の特筆性の問題の一つであった「特筆大書」の問題でもありますね。--Open-box会話2023年9月7日 (木) 13:36 (UTC)返信
  • そもそもここは日本語版ですから英語版と違うこと自体は問題ではありません。Open-boxさんがすべきことは、誤訳だから問題、悪用している人がいる、などと根拠なく主張することや、EULEさんがやっていない行為をやっていると決めつけることではなく、現在の文章がどんな問題を引き起こしているかを具体的に説明することです。--フューチャー会話2023年9月7日 (木) 18:26 (UTC)返信
  •   返信 (Open-box氏へ宛) 私だけが理解不明だと言っているなら、その指摘でもいいでしょう。でも、私以外の誰もあなたの主張を理解できてないのです。一番理解を示している鼓天氏すら「違う」のでしょう。じゃあ、もう誰もあなた以外にはわからない。こういう場合は、2つしかないです。「あなたの主張が間違っている」か「あなたの説明の仕方が間違っているか」です。別にそこで私はあなたが間違っていると決めつけるつもりはありません。だって今は正しいのか間違っているのかすらわからないんだから。
    「悪質な工作を行っていますね」もまったく酷い揚げ足取りで、「こういうことをあなたは言いたいわけじゃないよね」と確認している文言じゃないですか。それを「あなたの主張であればこうなってしまいます」とか、意味不明な反論をしないで欲しい。私はそれはありえないという前提で言ってるんですよ。
    前にWikipedia:投稿ブロック依頼/小出-小坂井で言ったことですが、なまじ賢いと、自分が正しいが何か陰謀が働いているために認められない、あるいは社会や集団に根本的な問題があって自分の正しさが受け入れられないのだ、という発想に陥りやすい。まさにOpen-box氏は今、そういう状況に陥っているように見えます。--EULE会話2023年9月9日 (土) 04:34 (UTC)返信
(EULEさんへ)間違いの原因は、EULEさんにしろ鼓天さんにしろ個別の事案(今回はスポーツ)で理解しようとしているからです(フューチャーさんには読んでから書いてとしか回答のしようがない……テンポがずれているように感じるんです。)。それではいい加減な理解を行って特例を設けることにしかなりません。
スポーツだけなら、「特筆すべき」とは「特筆大書を意味しない」「特筆性を都合良く変更しない」という原則の徹底だけで終わりますから、こちらを改訂しなくても対応できるのです。
議論の余地がない(悪意ある誤訳として即時改稿レベルになるほど意味が変わっている)ほどの致命的な誤訳に対しては、本来対話の余地なんてありません。ですから、ここに反対する合理的な理由はあるのですか? となるんです。「言葉の一語一句にこだわるだけの議論ははっきり言って時間の無駄です」とありますが、それこそ散文出典がないと主張して行われる日本語版の誤訳を利用した削除依頼こそがそちらになるのではとも考えられます。つまり、その主張をするなら改訂に反対する理由がありません。実例を過去の依頼から探してみました。
Wikipedia:削除依頼/浅井隼人なんかはいい例なんですが、このケースは探せば絶対に文献出てくるからちょっと違うかなと。
Wikipedia:削除依頼/北川祐はスポーツの特筆性が自動的に当てはまるのでこれもちょっと違うかな?
Wikipedia:削除依頼/伊東潤はごり押しも可能な依頼でしたが依頼がひどすぎてすぐに終わったケースです。実は今でも実績以外に理由がないから一番近いかな?
この手の依頼を減らせるだけでも意味はあります。
おまけ:「まさか、・・・と言いたいのですか?」ってそれを確認に使うなら、最後に「そんなことではないと思いますが」みたいに反語的表現置かないと煽りになりますよ。--Open-box会話2023年9月16日 (土) 11:07 (UTC)返信
また「悪意ある誤訳」という決めつけを行っていますね。そもそもなぜ英語版と同じでなければならないのかの説明が足りません。--フューチャー会話2023年9月19日 (火) 22:22 (UTC)返信
  返信 (Open-boxさん宛) 挙げられた削除依頼案件を拝見しました。
  • Wikipedia:削除依頼/浅井隼人:対象は政治家。依頼者が「独立記事作成の目安」をろくに読んでいないという論外な依頼であり、「有意な言及」についての解釈や散文かどうかといった話はどこにもありません。訳語の問題に結びつく要素はないでしょう。
  • Wikipedia:削除依頼/北川祐:対象はスポーツ選手。「他者の言及」という言葉が依頼内容にありますが、それよりも調査の不十分さを指摘されており、WP:FAILNの理解不足が明らかな点で、上の依頼とほぼ同様。
  • Wikipedia:削除依頼/伊東潤:対象は作家。依頼理由が「まったく出典がない記事」であり、依頼者本人がこの「目安」をまったく読んでいないのではないかと思われます。こちらも訳語や散文かどうかという話ではなく、訳語の問題にはほど遠い案件です。ただし、依頼者がウィキペディアの記事内の出典と外部の「有意な言及」を同一視している点は、先に私が挙げたように、日本語版の本目安が「検証可能性」に引きずられすぎていることの結果と受け止めています。
以上、どの案件も「有意な言及」の訳語に起因する問題とするには飛躍があると考えます。残念ながら訳語に関するOpen-boxさんの問題意識は私を含めて共有されていませんから、これ以上の進展は望めないでしょう。
そもそも削除依頼の依頼者の傾向として、自分で記事を育てる意識が薄く、「特筆性」を削除の手軽な手段として利用しようとする方が多いと考えられます。仮に「有意な言及」を別な言葉に置き換えたとしても、それくらいでは、このような風潮はなにも変わらないのではないかと思います。--みっち会話2023年9月20日 (水) 11:23 (UTC)返信
考え方が結果から読み解いてしまってますね。「「独立記事作成の目安」をろくに読んでいない」・(WP:FAILNの理解不足以前に無視してるんじゃないかってのは別として)「WP:FAILNの理解不足」と言ってしまうのは簡単なのですが、なぜそのような発想をしてしまうのかが問題なのです。実はこの3例、通り一遍の調査で(すらやってない気はしますが)「実績の出典は十分に掛かるが、散文出典はなかなか掛からない」という共通点があります。「有意な言及」を置き換えるだけでこのようなケースは出す必要がなくなりますし、こんなにわかりやすくない案件でも簡単に終わるんですよ。
「特筆性」を削除の手軽な手段というのも正しいですが、本命は「「特筆性」で削除できたら同格も自動的に削除・復活はSD使えるので議論すら拒絶できる」という面の方ではないかと考えます。多用される方の中には執筆も十分すぎるほどできる方もおられますので、「自分で記事を育てる意識が薄く」ではなく、「削除自体」あるいは「削除による好みに合わせた統制」が目的化しているケースがあると考えた方が妥当でしょう。--Open-box会話2023年10月2日 (月) 15:21 (UTC)返信
せっかくレスポンスいただきましたが、やはり訳語を変える必要を感じません。これ以上は平行線かもしれませんが、この間Wikipedia‐ノート:削除依頼/李球 (蜀漢)でのやりとりをふまえて思うところがありましたので、以下を最後のコメントとします。
当該案件の依頼者は、削除について比較的ニュートラルな立場という印象を受けていたのですが、それでも「特筆性なしを理由とした削除は統合・リダイレクト化の検討を経た上での最後の手段」というWP:FAILNに基づく指摘に対して怒り出すという現象が見られました。Wikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前にには、「ケースEの「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」を理由にした依頼をする場合には、(中略)削除以外の方法で問題を解決出来ないか検討してください。」と推奨されているにもかかわらず、これをすっ飛ばして削除依頼にかけていいと考える傾向は、Open-boxさんが挙げられた事例にも共通しています。つまりというかやはりというか、WP:FAILNが軽視あるいは無視されている。
この目安の中で、前段の日本語の文章については私も不満がありますが、少なくともWP:FAILNは英語版との齟齬がない部分ですし、この手続きを徹底することが当面の安易な削除依頼を防ぐ手立てになるでしょう。具体的には、Wikipedia:削除依頼#STEP.0 依頼の前にの表現を直接的にし、かつ推奨を義務とする、さらにはWikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事でも特筆性なしを理由とした削除依頼はその前提として統合・リダイレクト化の検討を必須とする、ことが考えられます。これでダメなら、残念ですがFreetrashboxさんが言われるように、むしろ実情に追随する形で目安を改訂する方がいいかもしれません。--みっち会話2023年10月11日 (水) 11:49 (UTC)返信
ニュートラルかなぁ……個人的見解に固執しているだけなような。根拠が提示できないのは感覚なのでいいのですが、「Freetrashboxさんが言われるように、むしろ実情に追随する形で目安を改訂」ですと言及外すことになりますよ。なおみっちさんの提案ですが、リダイレクト先複数あって一意に定まらないから削除という意見は散見されますので、先にリダイレクトに空いている大きな穴を潰さないと逆効果になります。--Open-box会話2023年10月12日 (木) 01:56 (UTC)返信

2次資料がなぜ最も信頼できるのか疑問です 編集

なぜ2次資料がなぜ最も信頼できるのかわからないので教えてほしいです

またなぜ2次資料がなぜ最も信頼できるのか記事で記載したほうがいいと思います--タイムアウトの猛者会話2023年9月2日 (土) 20:13 (UTC)返信

  コメントその説明はWikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料を御覧ください。一応、全般的にWikipedia:信頼できる情報源に誘導され、その中で説明されているものになります。ただ、たしかに2次資料は唐突かもしれませんので、当該節に「Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料」へのリンクはあった方がいいかもしれませんね。他の人の意見も見て特に異論がなければ、リンクを載せたいと思います。--EULE会話2023年9月2日 (土) 23:11 (UTC)返信
ありがとうございます--タイムアウトの猛者会話2023年9月3日 (日) 13:19 (UTC)返信
  コメント 本ガイドラインで二次資料について説明されているのはWP:GNG/S("情報源"節)になりますが、WP:PSTS(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)へのリンクはすでに存在します。方針に書かれていることをガイドライン側で改めて説明する必要はないものと思います。{{See also}}などを表示するべきとの提案でしょうか。--Amayus会話2023年9月10日 (日) 04:00 (UTC)返信
記事の内容に関しては、Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか、Wikipedia:存命人物の伝記、Wikipedia:過剰な内容の整理などをご覧ください。のとこのある記事を今回の件やその他の要素の関連で分けるなど例としては
==ニュース報道等==
ウェキペディアはなにでないか
ウィキペディアはニュース速報の場ではありません
情報源
Wikipedia:中立的な観点、Wikipedia:検証可能性、Wikipedia:独自研究は載せない
とゆうような載せ方はどうでしょうか--タイムアウトの猛者会話2023年9月12日 (火) 11:51 (UTC)返信
  返信 申し訳ございませんが、おっしゃっている内容が理解できかねております。ガイドライン中のどこかの記載順を変更したいといったご提案でしょうか。冒頭部の記事の内容についての文書への案内の羅列は少し圧倒されるので、{{Navibox 編集案内}}の「記事内容について」の箇所を案内するか、Category:記事の内容についての方針などへのリンクとしてもよいのではないかとは考えますが、そのような話でしょうか。--Amayus会話2023年9月13日 (水) 09:13 (UTC)返信
申し訳ございません。言いたいことを整理しました。
わたし的には2次資料がなぜ最も信頼できる理由がわかる道標があったほうがいいんじゃないかなと思います。--タイムアウトの猛者会話2023年9月14日 (木) 12:50 (UTC)返信
追記
今回何がしたくて、どうすればいいのかとゆう、中のどうすればいいのかだけを書いてしまったので意味がわからないものになってしまいました。申し訳ございません--タイムアウトの猛者会話2023年9月14日 (木) 12:55 (UTC)返信
  返信 (タイムアウトの猛者さん宛) 本ガイドラインで示されている記事の出典に二次資料を用いる理由は、「特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だから」という部分です。それ以上の説明についてはやはり方針であるWP:PSTSを参照頂く形になります。"情報源"節の位置を移動されたいようにも感じますが、こちらは"一般的な目安"節の冒頭で定義した文の解説であるため、動かすことは適切ではありません。記事の内容に関する方針やガイドラインへのリンクを複数個所に記載することも、本ガイドラインでは記事の内容自体については扱わないと冒頭部で宣言したうえで別の方針等へのリンクを案内しているので、不要ではないかと考えます。
 難しい言葉で説明してしまっているかもしれませんが、ここでは「信頼できる二次資料」を用いることが求められるのであって、「二次資料ならば信頼できる」わけではありません。この点がひっかかっている部分でしょうか。何をもって信頼できるとするのかは、Wikipedia:信頼できる情報源をご確認ください。内容が間違っていることがより少ないであろう情報源を選ぶことが求められます。--Amayus会話2023年9月15日 (金) 11:01 (UTC)返信
つまり二次資料を使う理由は「特筆性のもっとも客観的な証拠を提供するのは二次資料だから」それ以上の説明は別の記事に書かれてるからそっちを見てほしい。"情報源"節はルールで決まってるから動かせない。リンクを他に貼るにしても最初に記事の内容は触れないと最初に行った上でリンクを貼ってるから大丈夫。確かに信用できる二次資料を使ってほしいといったがそれは二次資料が信頼できるとはならない。とゆう解釈で大丈夫でしょうか?
だとしたら信頼できる二次資料と二次資料をはき違えた私の落ち度です。申し訳ございません。--タイムアウトの猛者会話2023年9月15日 (金) 13:48 (UTC)返信

無出典の存命人物記事に対する特筆性について 編集

Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記#無出典の存命人物記事に対する特筆性についてに議論を立ち上げました。標記の記事に対し、特筆性がないものと推定することを方針に加える提案ですので、ご意見をいただければと思います。 --Tamago915会話2023年12月9日 (土) 10:11 (UTC)返信

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