東京銀座資生堂ビル
東京銀座資生堂ビル(とうきょうぎんざしせいどうビル)は、東京都中央区銀座八丁目にある建築物である。資生堂銀座ビル、SHISEIDO THE GINZA(FUKUHARA GINZAビル内)と並ぶ、資生堂グループの銀座地区3か所の拠点の一つであり[3]、資生堂パーラーや資生堂ギャラリーが入る。
東京銀座資生堂ビル | |
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情報 | |
用途 | レストラン、ギャラリー |
設計者 | リカルド・ボフィル |
施工 | 清水建設 |
建築主 | 資生堂シティ |
構造形式 | 地上S造、地下RC造 |
延床面積 | 3,819 m² [1] |
階数 | 地下2階、地上11階、塔屋1階 |
高さ | 55m[2] |
竣工 | 2000年12月[1] |
開館開所 | 2001年3月 |
所在地 |
〒104-0061 東京都中央区銀座八丁目8番3号 |
座標 | 北緯35度40分6.8秒 東経139度45分42.8秒 / 北緯35.668556度 東経139.761889度座標: 北緯35度40分6.8秒 東経139度45分42.8秒 / 北緯35.668556度 東経139.761889度 |
歴史
編集1872年に福原有信がこの地で調剤薬局を開業、1902年には資生堂パーラーの前身となる「ソーダファウンテン」を開設した[4]。関東大震災後前田健二郎の設計により資生堂パーラー再開[5]。1962年に、谷口吉郎の設計による地下1階・地上9階建の資生堂会館竣工。1973年に資生堂パーラービルに改称するとともに全面リニューアルされたが、1997年には建替えのため解体された。現在の東京銀座資生堂ビルは2000年12月に竣工[1]、2001年3月にオープンした[6]。2013年には銀座七丁目に資生堂銀座ビルが竣工した。
建築
編集1919年に制定された市街地建築物法により、建築物の高さは31mに制限されていた(百尺規制)。1963年の建築基準法改正により、容積率による規制に変更されたが、この規制より大きな容積率をもつ多くの建物が既存不適格となり、老朽化しても従前より容積率の低い建物にしか建替えることが出来なくなった。1998年、中央区と銀座通連合会との協議により、中央通りをはじめとする主要道路沿いの建築物最高高さを56mとすることを決定した。東京銀座資生堂ビルは、この「地区計画銀座ルール」の適用第一号となった[7]。
設計はスペイン出身の建築家リカルド・ボフィルが担当。1階と11階の天井は高くとられ、4階から5階にかけては吹き抜けとなっている[5]。工期短縮などを目的とし、地下部分には旧ビルの躯体が再利用された[8]。2種類の制震システムが導入され、第28回東京建築賞優秀賞を受賞した[9]。外壁の赤レンガ色は、当初のリカルドのプレゼンテーションとは異なる色彩案が採用された[5]。2002年度グッドデザイン賞受賞。
フロア
編集- 11階 - BAR S
- 10階 - FARO
- 9階 - WORD HALL
- 8階 - WORD SALON
- 4・5階 - 資生堂パーラー 銀座本店レストラン
- 3階 - 資生堂パーラー 銀座本店サロン・ド・カフェ
- 1階 - 資生堂パーラー 銀座本店ショップ
- 地下1階 - 資生堂ギャラリー
脚注
編集- ^ a b c 実績紹介(清水建設)
- ^ 資生堂パーラー物語Part4
- ^ GINZA HEADLINES(資生堂)
- ^ 加盟店情報 東京銀座資生堂ビル(銀座花椿通り)
- ^ a b c 藤森照信『銀座建築探訪』白揚社、2012年5月30日、213-222頁。ISBN 978-4-8269-0164-2。
- ^ 『資生堂、創業の地・銀座で「資生堂-銀座 未来計画」をスタート』(PDF)(プレスリリース)資生堂、2010年12月27日 。2014年11月16日閲覧。
- ^ 銀座まちづくりコラム > 街区と建物 - 建物の高さの話(銀座まちづくり会議)
- ^ 銀座の新しいシンボル 東京銀座資生堂ビルが3月1日にオープン!(東京中央ネット)
- ^ 作品事例 東京銀座資生堂ビル(TIS&PARTNERS)
関連文献
編集- 『資生堂ギャラリー七十五年史 一九一九~一九九四』資生堂企業文化部編、資生堂、1995年3月
- 『美と知のミーム、資生堂』求龍堂、1998年。展覧会図録
- 『ザ・ギンザアートスペース 75-00』求龍堂、2001年9月