ブッシャーBusher1942年 - 1955年)はアメリカ合衆国競走馬牝馬ながら男勝りの活躍で、1945年の最優秀3歳牝馬および年度代表馬に選出された。後年にはアメリカ競馬殿堂に選出され、1999年にはブラッド・ホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において第40位に選ばれている。

ブッシャー
欧字表記 Busher
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1942年
死没 1955年
ウォーアドミラル
Baby League
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Idle Hour Stock Farm Co.
馬主 E. R. Bradley / L. B. Mayerアメリカ
調教師 James W. Smith
→George M. Odom
→Graceton Philpot
競走成績
生涯成績 21戦15勝
獲得賞金 334,025ドル
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戦績

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ブッシャーは父にウォーアドミラル、祖母に名牝ラトロワンヌを持つ良血馬であった。1944年5月にデビューしたブッシャーは初戦を難なく勝ち上がると、アディロンダックハンデキャップメイトロンステークスを制し、2歳最終戦となったセリマステークスではギャロレット以下を破って、この年の最優秀2歳馬に選出された。

3歳時は第二次世界大戦の影響を受け、5月末からの始動となった。牝馬限定のサンタスザンナハンデキャップを7馬身差で圧勝したあとは牡馬戦線へ矛先を向け、1番人気のサンタアニタダービーこそバイアミーボンドから半馬身差の2着に敗れたが、古馬相手のアーリントンハンデキャップでは4馬身1/2差をつけて2着以下を完封した。

そして9月のワシントンパークハンデキャップはブッシャーの生涯でも最高の勝利となる。1歳年上のアームドより4ポンド重いハンデを背負いながら、ダート10ハロンを2分1秒8のレコードで、アームドに1馬身1/2差をつけて快勝したのである。さらにハリウッドダービーでも同世代の牡馬を一蹴する男勝りの活躍で、この年13戦10勝2着2回。最優秀3歳牝馬部門の選出はもちろんのこと、3歳牝馬にして年度代表馬を受賞した。

だが、シーズンの暮れに足に腫れ物ができて一年以上の休養を余儀なくされる。5歳になって復帰するも、結果は5着でこの競走を最後に引退した。獲得賞金33万4035ドルは当時の牝馬の獲得額レコード記録だった。

引退後

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1948年にメインチャンスファームで繁殖入りし、5頭の仔を産んでいる。競走馬として出走できたのはそのうちの1頭ジェットアクション(父ジェットパイロット)のみであったが、同馬はウィザーズステークス勝ちなどで11勝を挙げてそれなりに活躍した。

1955年、メインチャンスファームで死亡。13歳であった。

評価

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主な勝鞍

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年度代表馬

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  • 1944年 - 最優秀2歳牝馬
  • 1945年 - 最優秀3歳牝馬、最優秀ハンデキャップ牝馬、年度代表馬

表彰

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血統表

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ブッシャー血統マンノウォー系 / Sweep 3x4=18.75% (血統表の出典)

War Admiral
1934 黒鹿毛 アメリカ
父の父
Man O' War
1917 栗毛 アメリカ
Fair Play Hastings
Fairy Gold
Mahubah Rock Sand
Merry Token
父の母
Brushup
1929 鹿毛 アメリカ
Sweep Ben Brush
Pink Domino
Annette K. Harry of Hereford
Bathing Girl

Baby League
1935 鹿毛 アメリカ
Bubbling Over
1923 栗毛 アメリカ
North Star Sunstar
Angelic
Beaming Beauty Sweep
Bellisario
母の母
La Troienne
1926 鹿毛 フランス
Teddy Ajax
Rondeau
Helene De Troie Helicon
Lady of Pedigree F-No.1-x(1-s)


外部リンク

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