松平家清
戦国武将、江戸時代初期の武将・大名。松平清宗の長男。三河吉田藩初代藩主。竹谷松平家6代。
松平 家清(まつだいら いえきよ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。松平清宗の長男。三河国吉田藩の初代藩主。竹谷松平家6代当主。
松平家清 | |
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 永禄9年(1566年) |
死没 | 慶長15年12月21日(1611年2月3日) |
戒名 | 葉雲全霜清宝院 |
墓所 | 愛知県蒲郡市龍台山天桂院 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康→秀忠 |
藩 | 三河吉田藩主 |
氏族 | 竹谷松平家 |
父母 | 父:松平清宗、母:松平好景の娘 |
兄弟 | 家清、清定 |
妻 | 正室:久松俊勝の娘・天桂院 |
子 | 忠清、清昌、徳川家康養女、本多康紀正室、松平忠利正室、成田泰高室 |
生涯 編集
徳川家康に仕え、元服の際には祖父以来の通字「清」の上に家康から「家」の一字を拝領して家清と名乗った。天正18年(1590年)、家康が関東に移封された際、それまでの功を賞されて武蔵国児玉郡八幡山に1万石の所領を与えられ、雉岡城主となる。この国替えの途上で正室・天桂院が産気づいて女児を出産したものの、間も無く亡くなっている。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは尾張国清洲城の守備を務めた。戦後、その功績を家康から賞されて三河吉田に3万石の所領を与えられ、初代藩主となった。慶長15年12月21日(1611年2月3日)に死去。享年45。跡を嫡男・忠清が継いだ。
法号は葉雲全霜清宝院。墓所は愛知県蒲郡市の全栄寺(後に龍台山天桂院と改称)。
末弟の清定は、家清に仕えている。家禄3,200石。この家系はのちに幕臣となっている。