岸松雄
岸 松雄(きし まつお、1906年9月18日 - 1985年8月17日[1])は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家、映画監督である。本名は阿字 周一郎(あじ しゅういちろう)[1]、別名は和田山 滋(わだやま しげる)[2]。映画作家・山中貞雄を発見した批評家として知られる[2]。
きし まつお 岸 松雄 | |
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本名 | 阿字 周一郎 (あじ しゅういちろう) |
別名義 | 和田山 滋 (わだやま しげる) |
生年月日 | 1906年9月18日 |
没年月日 | 1985年8月17日(78歳没) |
出生地 | 日本 東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋) |
職業 | 映画評論家、ジャーナリスト、脚本家、映画監督 |
ジャンル | 映画 |
主な作品 | |
脚本 『小原庄助さん』 『銀座化粧』 著作 『人物・日本映画史』 |
人物・来歴
編集1906年(明治39年)9月18日、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)の商家に「阿字周一郎」として生まれる[1][2]。
慶應義塾大学に入学、同学在籍中の1925年(大正14年)ころには『キネマ旬報』、『映画往来』、『映画評論』、『映画時代』、『蒲田』(松竹蒲田撮影所の雑誌)等の雑誌の執筆者となる[2]。やがて同学を卒業する[1]。1927年(昭和2年)から1931年(昭和6年)までの時期、社会主義的言説に耽溺する[2]。
1932年(昭和7年)、『キネマ旬報』2月21日号誌上で、「和田山滋」名義で連載していた「日本映画批評」に、脚本家・助監督であった山中貞雄が同年発表した監督デビュー作『磯の源太 抱寝の長脇差』をめぐり、「山中貞雄という一人の傑れたる監督をば新しく発見し得た」[3]と書き、絶賛した[2]。岸のこの批評が後の山中の評価を決定づけるに至る[2]。
1937年(昭和12年)、映画監督の清水宏の強い勧めを受け、成瀬巳喜男、山中貞雄らに相談しつつ、同年3月、キネマ旬報社を退職し、滝沢英輔の在籍する東宝映画に入社し、満30歳にして助監督となる[2]。成瀬、山中らの助監督を務めた翌年の1938年(昭和13年)、小崎政房の脚本を得て、東宝映画京都撮影所が製作する映画『風車』で映画監督としてデビューする[2][4]。監督作は以降は手がけず、脚本家として多くのシナリオを手がけた[2]。
第二次世界大戦後は、新東宝の設立に参加し、脚本家として活動した[2]。その傍ら、1950年代後半からは、俳優・映画監督等の映画人の評伝を執筆した[2]。
フィルモグラフィ
編集特筆以外はすべて脚本。
東宝映画
編集- 1938年
- 『風車』 : 脚本小崎政房、東宝映画京都撮影所 - 監督
- 『逢魔の辻 江戸の巻』 : 監督滝沢英輔、原作大佛次郎、共同脚本八住利雄、東宝映画東京撮影所・前進座
- 『胡椒息子』 : 監督藤田潤一、東宝映画東京撮影所
- 1939年
- 1940年
- 『化粧雪』 : 監督石田民三、東宝映画東京撮影所
- 『遙かなる弟』 : 監督・共同脚本矢倉茂雄、東宝映画京都撮影所
- 『女の街』 : 監督今井正、共同脚本山崎謙太、東宝映画京都撮影所
- 『太陽の都』 : 監督滝沢英輔、東宝映画東京撮影所
- 『南の太陽』 : 監督渡会庫吉、日本映画文化研究所
- 1941年
- 『エノケン・虎造の春風千里』 : 監督石田民三、共同脚本山崎謙太・大和田九三(石田民三)、東宝映画東京撮影所
- 『解決』 : 監督滝沢英輔、東宝映画東京撮影所
- 『歌へば天国』 : 監督山本薩夫・小田基義、東宝映画東京撮影所
- 1942年
- 1943年
- 『秘めたる覚悟』 : 監督滝沢英輔
- 1945年
- 1946年
新東宝
編集- 1947年
- 『さくら音頭 今日は踊って』 : 監督・共同脚本渡辺邦男、新東宝映画製作所 / 東宝
- 『恋する妻』 : 監督萩原遼、潤色小沢不二夫、新東宝映画製作所 / 東宝
- 1948年
- 『愛情診断書』 : 監督・共同脚本渡辺邦男、新東宝映画製作所 / 東宝
- 『あの夢この歌』 : 監督・共同脚本渡辺邦男、新東宝映画製作所 / 東宝
- 『唄まつり百万両』 : 監督斎藤寅次郎、共同脚本三村伸太郎
- 『エノケンのホームラン王』 : 監督渡辺邦男、新東宝・エノケンプロダクション
- 1949年
- 1950年
- 1951年
- 1953年
- 1954年
- 『重盛君上京す』 : 監督渡辺邦男
- 『トラン・ブーラン 月の光』 : 監督松林宗恵
- 1955年
- 1956年
- 『母を求める子等』 : 監督・共同脚本清水宏、大映東京撮影所
- 1957年
- 『謎の紫頭巾 姫君花吹雪』 : 監督毛利正樹
- 『ひばりが丘の対決』 : 監督中川信夫
- 1958年
- 1959年
- 1960年
- 1962年
- 1971年
ビブリオグラフィ
編集- 『映画技術と映画芸術』、エリック・エリオット(Eric Elliott)、往来社、1932年 - 翻訳
- 『アメリカ映画芸術学』、メツセル(Rudolph Putnam Messel)、往来社、1933年 - 翻訳
- 『日本映画論』、書林絢天洞、1935年 - 第1論文集
- 『シナリオ文学全集 第1巻』、編飯島正、河出書房、1936年
- 『シナリオ文学全集 第2巻』、河出書房、1936年 - 編著
- 『日本映画様式考』、河出書房、1937年 - 第2論文集
- 『日本映画人伝』、早川書房、1953年
- 『現代映画講座 第3巻』、編和田矩衛、東京創元社、1954年
- 『年鑑代表シナリオ集 1954年版』、編シナリオ作家協会、三笠書房、1955年
- 『現代日本映画人伝 上巻』、映画文庫、池田書店、1955年
- 『私の映画史』、池田書店、1955年
- 『年鑑代表シナリオ集 1955年版』、シナリオ作家協会、三笠書房、1956年
- 『日本シナリオ文学全集 第6』、理論社、1956年
- 『現代テレビ講座 第1巻』、ダヴィッド社、1960年
- 『偉大なる青雲』、現代人物伝 3、鏡浦書房、1965年
- 『人物・日本映画史』、ダヴィッド社、1970年
- 『八田尚之作品集 2』、八田尚之、演劇出版社、1972年 - 『八田尚之のシナリオ』収録、豊田四郎・千葉泰樹との鼎談参加
- 『日本シナリオ大系 第1-3巻』、編シナリオ作家協会、マルヨンプロダクションシナリオ文庫、1973年-1974年
- 『日本映画監督全集』、キネマ旬報社、1976年 - 部分執筆
- 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年 - 部分執筆
- 『日本映画俳優全集・女優編』、キネマ旬報社、1980年 - 部分執筆
- 『山中貞雄作品集 別巻』、実業之日本社、1986年 ISBN 4408100439 - 『作品時評』収録
- 『日本映画論言説大系 第2期 映画のモダニズム期 14』、監修牧野守、ゆまに書房、2004年 ISBN 4843309540 - 『日本映画論』(1935年)を復刻
註
編集外部リンク
編集- Matsuo Kishi - IMDb
- 岸松雄 - 日本映画データベース
- 岸松雄 - KINENOTE
- 岸松雄 - allcinema