ヨーゼフ (ザクセン=アルテンブルク公)

ヨーゼフドイツ語: Joseph Georg Friedrich Ernst Karl von Sachsen-Altenburg, 1789年8月27日 - 1868年11月25日)は、ザクセン=アルテンブルク公(在位:1834年 - 1848年)。

ヨーゼフ
Joseph
ザクセン=アルテンブルク公
ザクセン=アルテンブルク公ヨーゼフ、(ヨーゼフ・カール・シュティーラー画、1848年頃)
在位 1834年 - 1848年

全名
出生 (1789-08-27) 1789年8月27日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公領、ヒルトブルクハウゼン
死去 (1868-11-25) 1868年11月25日(79歳没)
ザクセン=アルテンブルク公国アルテンブルク
配偶者 アマーリエ
子女
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 フリードリヒ
母親 シャルロッテ
宗教 キリスト教ルター派
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生涯

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ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公(1826年よりザクセン=アルテンブルク公)フリードリヒとその妃でメクレンブルク=シュトレーリッツ大公カール2世の娘であるシャルロッテの間の次男、事実上の長男として生まれた。

1814年には同盟国側についてナポレオン戦争に参加し、その後はザクセン王国軍に少将として仕えた。1834年に父の後を継いでザクセン=アルテンブルク公となった。ヨーゼフの政府は保守反動的だと見なされ、このためドイツで1848年革命が発生した際、ヨーゼフは退位を余儀なくされ、公爵位を弟のゲオルクに譲った。

子女

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1817年4月24日、ヨーゼフはヴュルテンベルク公ルートヴィヒの娘アマーリエ英語版と結婚し、間に6人の娘をもうけた。

系譜

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  1. 6. カール2世と7. フリーデリケ夫妻の四女でヨーゼフの母3. シャルロッテの妹がプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世ルイーゼで、その息子がフリードリヒ・ヴィルヘルム4世
  2. 13. エリーザベト・アルベルティーネ英語版は、8. エルンスト・フリードリヒ3世の叔母にあたる。

関連項目

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先代
フリードリヒ
ザクセン=アルテンブルク公
1834年 - 1848年
次代
ゲオルク