阿野実顕

安土桃山時代から江戸時代前期の公卿・歌人。阿野家16代(再興)。正二位・権大納言

阿野 実顕(あの さねあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての公卿歌人。阿野実時(内山上乗院道怡。還俗して休庵と号する)の子だが、祖父・右少将阿野季時の名跡を継いで阿野家を再興した。初名は実政(さねまさ)、一時実治(さねはる)とも。官位は正二位権大納言。阿野家16代当主。

 
阿野実顕
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正9年3月13日1581年4月16日
死没 正保2年11月8日1645年12月25日
改名 実政(→実治)→実顕
別名 什斎、松林院
戒名 真空院英伯道雄
官位 正二位権大納言
主君 正親町天皇後陽成天皇後水尾天皇明正天皇後光明天皇
氏族 藤原北家閑院流滋野井庶流阿野家
父母 父:阿野実時、母:山名宗意の娘
兄弟 実顕実任、堯円、霊偲、女子、女子
吉田兼治の娘
公福公業姉小路公景山本勝忠
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経歴

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天正13年(1585年)5月に5歳で元服し、同日従五位下侍従に叙任。天正20年(1592年)1月奏上して実政から実顕へ改名した。慶長6年(1601年)3月信濃権介、同12年(1607年)1月左近衛権中将を経て、同17年(1612年)12月参議として公卿に列せられる。

慶長19年(1614年)1月従三位元和3年(1617年)1月正三位に昇叙され、同年9月には2代将軍徳川秀忠から山城国の家領478石余を安堵された。元和5年(1619年)1月権中納言となり、翌6年(1620年)8月従二位に叙される。これ以降は春日祭の上卿を度々務めた他、勅使・院使として江戸に下向することが多く、その際には3代将軍・徳川家光の引見を受けている。寛永10年(1633年)12月権大納言に任じられるも、翌11年(1634年)3月には辞退し、同19年(1642年)1月に至り同8年に遡及して正二位位記を賜った。正保2年(1645年11月8日に薨去。享年65。

細川幽斎中院通勝烏丸光広から古典や和歌を学び、後陽成院歌壇・後水尾院歌壇で活躍した他、連歌にも長じ、光悦流の書をよくした。八条宮智仁親王から後水尾院に古今伝授が相伝された際には、実顕もこれを同聴したという。なお、宮内庁書陵部には、実顕が仙洞・親王等に宛てた自筆の歌道消息が残されている。

系譜

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  • 父:阿野実時(?-1606)
  • 母:山名宗意の娘
  • 兄弟姉妹:清水谷実任、堯円、霊偲、女子、女子
  • 室:吉田兼治の娘
    • 長男:阿野公福(1598-1619)
    • 次男:阿野公業(1599-1683)
    • 三男:姉小路公景(1602-1652)
    • 四男:山本勝忠(1608-1654)
    • 男子:通紹 - 無量寿院
    • 女子:中御門宣順室(?-1673)

出典

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  • 『阿野家譜』(東京大学史料編纂所蔵)
  • 橋本政宣編『公家事典』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014427 

関連項目

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