伊庭 駿三郎(いば しゅんざぶろう、1903年11月28日 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3]。本名・旧芸名益田 俊雄(ますだ としお)[1][3]1950年代には、伊庭 駿(いば しゅん)とも名乗った。伊藤大輔の『斬人斬馬劔』でデビュー、同監督の作品に多く出演した[2][3]

いば しゅんざぶろう
伊庭 駿三郎
本名 益田 俊雄 (ますだ としお)
別名義 伊庭 駿 (いば しゅん)
生年月日 (1903-11-28) 1903年11月28日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 山梨県
職業 俳優
ジャンル 歌舞伎劇映画剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1917年 - 1955年ころ
テンプレートを表示

人物・来歴

編集

1903年明治36年)11月28日山梨県に生まれる[1][3]

東京に移り、慶應義塾普通部に進学するが、1917年(大正6年)、三年次で中途退学する[1]六代目尾上菊五郎の門下生となる[1]。その後1929年(昭和4年)、松竹京都撮影所が製作、伊藤大輔が監督した『斬人斬馬剣』に「若衆三之亟」で出演、同作は同年9月20日に公開されて、満25歳にして本名で映画界にデビューした[4][5]。そのまま京都に残り、1930年(昭和5年)、日活太秦撮影所に入社、伊藤大輔監督の『素浪人忠弥』、『興亡新選組』前史・後史に立て続けに出演した[1][2]。1932年(昭和7年)6月17日に公開されたマキノ正博監督の『七人の花嫁』では、沢村国太郎演じる銭形平次の手下の「ガラッ八」を演じている[2]

1938年(昭和13年)には、新興キネマ京都撮影所(現在の東映京都撮影所)に移籍している[1][2]

第二次世界大戦後は、しばらく出演記録が途絶えるが、1951年(昭和26年)11月22日公開の『大江戸五人男』、1952年(昭和27年)2月22日公開の『治郎吉格子』の2作の伊藤大輔の監督作に「伊庭 駿」の名で、いずれも「茶羅八」役で出演している[6]。1955年(昭和30年)以降の出演歴は見当たらず、消息も不明である[1][2]没年不詳

フィルモグラフィ

編集

すべてクレジットは「出演」である[2]。役名のわかるものは公開日の右側に記し[2]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[5][6][7]

初期

編集

日活京都撮影所

編集

特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」あるいは「日活太秦撮影所」、配給は「日活」である[2][7]

日活太秦撮影所
日活京都撮影所

新興キネマ京都撮影所

編集

特筆以外すべて製作は「新興キネマ京都撮影所」、配給は「新興キネマ」である[2][7]

大映京都撮影所

編集

特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、配給は「大映」である[2][7]

脚注

編集
  1. ^ a b c d e f g h キネマ旬報社[1979]、p.68.
  2. ^ a b c d e f g h i j k 伊庭駿三郎日本映画データベース、2012年11月21日閲覧。
  3. ^ a b c d 伊庭駿三郎KINENOTE、2012年11月21日閲覧。
  4. ^ 斬人斬馬剣東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。
  5. ^ a b c 益田俊雄、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。
  6. ^ a b c d 伊庭駿、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 伊庭駿三郎、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月21日閲覧。

参考文献

編集

関連項目

編集

外部リンク

編集