ロジャー・ハント
ロジャー・ハント(Roger Hunt MBE, 1938年7月20日 - 2021年9月28日)はイングランド・ウィガン出身の元サッカー選手。ポジションはFW。イングランド代表として1962年のFIFAワールドカップ・チリ大会と1966年のFIFAワールドカップ・イングランド大会に出場し、自国開催となったこの大会ではイングランドのFIFAワールドカップ初優勝に貢献した。イアン・ラッシュに抜かれるまでリヴァプールの最多ゴール記録を保持していた[2]。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
ラテン文字 | Roger HUNT | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イギリス( イングランド) | |||||
生年月日 | 1938年6月20日(86歳) | |||||
出身地 | ランカシャー[1]、Golborne | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1959-1969 | リヴァプール | 404 | (245) | |||
1969-1972 | ボルトン・ワンダラーズ | 76 | (24) | |||
1971 | → ヘレニック (loan) | 6 | (4) | |||
通算 | 486 | (273) | ||||
代表歴 | ||||||
1962-1969 | イングランド | 34 | (18) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集1958年にフィル・テイラーによってリヴァプールFCに移籍した。監督がビル・シャンクリーに代わってから台頭し、一気に主力に定着した。長らく相棒を務めたイアン・セント・ジョンとは、数々のチャンスをこの2人で作り上げ[3]、相手DFたちから恐れられた[2]。1959-60シーズンから10シーズンに渡って2ケタ得点を達成するなど、安定感のあるストライカーであった。特に1961-62シーズンには、41試合41ゴールを挙げる活躍で[2]、クラブのセカンド・ディヴィジョン優勝とファースト・ディヴィジョン昇格に貢献した。ファースト・ディヴィジョンに活躍の場を移してからも得点を量産し続け、クラブにとって変えの利かないエースとして君臨した[4]。しかし、1960年代後半に差し掛かると、主力の高齢化による世代交代が始まり、レイ・クレメンスやエムリン・ヒューズといった若手が台頭し始め、ハントもまたこの世代交代の波に飲まれて出場機会を失い、1969年にボルトン・ワンダラーズFCに移籍した。リヴァプールでは通算492試合285ゴールの成績を残した[2]。そして1972年に現役を退いた。
代表でのキャリア
編集1962年に当時の代表監督のウォルター・ウィンターボトムの目に止まり、同年の親善試合で代表デビューを果たした。代表ではジェフ・ハーストらとポジションを争いながらも最後まで生き残り、1962 FIFAワールドカップイングランド代表のメンバーに選出された。監督がアルフ・ラムゼイとなってからもメンバーに残り続け、1966 FIFAワールドカップでもジミー・グリーブスを押しのけレギュラーとしてプレーした[3]。
脚注
編集- ^ Being north of the River Mersey, Glazebury (and Culcheth) was in Lancashire before 1st April 1974. Please do not change
- ^ a b c d “Roger Hunt”. LFC. 2 March 2021閲覧。
- ^ a b “Ian St John was Bill Shankly's 'turning point', FA Cup hero and much loved pundit - Liverpool have lost a legend”. www.liverpoolecho. 2 March 2021閲覧。
- ^ Reuben Bennett career profile on www.qosfc.com[リンク切れ]