リヴァプールFC
リヴァプールFC(英語: Liverpool Football Club)は、イングランド・リヴァプールをホームタウンとする、イングランド・プレミアリーグに加盟するプロサッカークラブ。愛称はレッズ(The Reds)。
リヴァプールFC | ||||
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原語表記 | Liverpool Football Club | |||
呼称 | LFC | |||
愛称 | The Reds(赤) | |||
クラブカラー | 赤 | |||
創設年 | 1892年 | |||
所属リーグ | プレミアリーグ | |||
所属ディビジョン | 1部(2023-24) | |||
ホームタウン | リヴァプール | |||
ホームスタジアム |
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収容人数 | 61,000 | |||
運営法人 |
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代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要 編集
1960年代半ばから80年代にかけて、3連覇(1981-82、1982-83、1983-84シーズン)達成を含むフットボールリーグ優勝13回、UEFAチャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)優勝6回など、40以上のタイトルを獲得した。 イングランドのみならず世界を代表する強豪クラブの一つであるが、一方でヘイゼルの悲劇、ヒルズボロの悲劇という2つの大きな事件を引き起こした(後述)。
2005年にイスタンブールの奇跡と呼ばれる勝利でACミランを下し、UEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップを含む)制覇を果たす。これによりイングランドで唯一ビッグ・イヤーの永久保持が認められた。
2012年に創設120周年を迎えた。クラブ史上、監督を務めたのは18人[1]。現在の監督は2015年10月に就任したユルゲン・クロップである[1]。
旧フットボールリーグにおいて最多となる18回の優勝を誇る[2]。イングランドのトップリーグにおける最多優勝回数記録を長年にわたり保持していたが、2010-11シーズンのリーグを制したマンチェスター・ユナイテッドに抜かれ、現在はそれに次ぐ優勝回数となっている[2]。国内タイトルでは唯一プレミアリーグ優勝の経験がなかったが、2019-20シーズンにプレミアリーグとして初の優勝を成し遂げた。
2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億4060万ユーロであり、世界のサッカークラブの中で第12位である[3]。
世界中のサッカークラブのサポーター達に歌われ、人気を得ているサポーターソング「You'll never walk alone」を最初に合唱したクラブでもある。
歴史 編集
黎明期 編集
1891年、アンフィールドのオーナージョン・ホールディングは、当時アンフィールドを本拠地として使用していたエヴァートンに対して施設使用料の値上げを要求したが、エヴァートンはこれを拒否し現在のグディソン・パークへの移転を決定した[4]。ホールディングはアンフィールドに新たなサッカークラブを設立することを決め[5]、その名前を「エヴァートンFC・アンド・アスレティック・グラウンズ・リミテッド」(Everton F.C. and Athletic Grounds Ltd. 、略称: エヴァートン・アスレティック Everton Athletic)と定めた。後に考えを改め、1892年3月15日に「リヴァプールFC」と全く新しい名前のクラブを創立した。同年9月1日に行われたロザラム・タウン[6] との親善試合が、リヴァプールとして初めての試合となった[7]。
1936年6月、ジョージ・パターソンに代わってジョージ・ケイが監督に就任。サウサンプトンFCからの就任だった。ケイ就任後の12試合は3勝4分という成績で、1936-37シーズンは18位でリーグを終える。1937-38シーズンは開幕戦の相手の本拠地スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦に1-6で敗れ、11位でリーグを終えた。
1938-39シーズン前に、ケイはボブ・ペイズリーをビショップ・オークランドから移籍金をかけずに獲得。またビリー・リッデルも獲得した。第二次世界大戦へと突入し、リーグは活動の停止を余儀なくされる。
第二次世界大戦後 編集
第二次世界大戦後、リヴァプールはアメリカとカナダへの遠征を計画。この計画はジョージ・ケイによるもので、気候などが全く異なる北米でプレーすることは選手に有益であるという考えに沿ったものであった。1946-47シーズンに10試合の北米遠征が行われた。
1949-50シーズンにFAカップで決勝に進出したが、アーセナルに敗れ[8]、初のFAカップ制覇を逃す。ケイは1951年に引退し、監督の座はドン・ウェルシュに引き継がれた。
シャンクリーによる改革 編集
クラブが大きな変革の時を迎えたのは1950年代に入ってからになる。1954年に2部に降格し、数年にわたり低迷していたが、1959年にビル・シャンクリーが監督として就任[9][10]。シャンクリーは低迷した空気を払拭すべく大きな改革に乗り出した。ロジャー・ハントやイアン・キャラハンという後にクラブ史を背負って立つことになる若手選手をデビューさせたほか[11][12]、ブートルームの改修などを行った。就任初年度での昇格は逃したものの、翌シーズン(1960-61)にケビン・ルイス、ゴードン・ミルンを獲得しチーム力の強化を図った。ルイスはシーズン32得点を挙げる活躍を見せたが、このシーズンでも昇格を逃してしまう。1961-62シーズンにシャンクリーは当時のクラブ史上最高額の移籍金でロン・イェーツとイアン・セント・ジョンを獲得[13]。就任3年目にしてようやく2部リーグを制し、昇格を決めた。
1962-63シーズンは出だしこそつまづいたものの、シーズン途中は13戦無敗などを記録し[14]、最終的に8位でシーズンを終えた。クラブはシーズン途中にウィリー・スティーブンソンを獲得したほか、翌シーズンに向けて夏にプレストン・ノース・エンドからピーター・トンプソンを獲得した[15]。1963-64シーズンは序盤は取りこぼしが目立ったが、10月頃から成績が安定し始め、1964年3月20日のボルトン戦から7連勝を飾ると、本拠地アンフィールドにて1946-47シーズン以来となるトップリーグ優勝を果たし、クラブ史上初となるヨーロピアンカップへの出場権を手にした。ヨーロピアンカップでもクラブの躍進は止まらず、準決勝まで進んだ。準決勝では前年度覇者のインテルに敗れたものの、FAカップでは決勝でリーズを破ってクラブ史上初のFAカップ優勝を果たした。1965-66シーズンに前年度のFAカップ優勝で出場権を得たUEFAカップウィナーズカップへ出場し、準優勝。さらに再び国内リーグを制覇した。
そこから数シーズンはタイトルから離れるものの、レイ・クレメンス、エムリン・ヒューズ、アレク・リンゼイ、ラリー・ロイド、スティーブ・ハイウェイ、ケビン・キーガン、ジョン・トシャックらを獲得し、チームの世代交代を果たす。それが実り、1972-73シーズンにリーグ戦とUEFAカップの2冠を達成。1973-74シーズンにリーグ戦こそ2位止まりとなったが、再びFAカップを優勝した。低迷していたリヴァプールを立て直し、数多くのタイトルを獲得するまでに成長させたビル・シャンクリーは、1973-74シーズンを持ってクラブの監督を勇退した[16]。
絶頂期と2つの悲劇 編集
1974年にシャンクリーが辞任すると、後任の監督にアシスタントコーチを務めていたボブ・ペイズリーが就任する。シャンクリーからチームを引き継いだペイズリーの下で、リヴァプールは国内・ヨーロッパを席巻し、絶頂期を迎える。ペイズリー体制下に初めて迎えた1974-75シーズンにテリー・マクダーモットとフィル・ニールを獲得したが、国内リーグは2位、カップウィナーズカップは2回戦敗退と無冠に終わる。1975-76シーズンにリーグ戦とUEFAカップの2冠を達成、さらに1976-77シーズンも国内リーグ戦を連覇したほか、トミー・スミスの決勝ゴールで、ボルシアMGを破り[17]、クラブ史上初となるUEFAチャンピオンズカップ制覇を達成。このシーズン限りでクラブのエースだったケビン・キーガンは退団したが、ペイズリーはキーガンの後釜にセルティックからケニー・ダルグリッシュを獲得した。
1977-78シーズンはリーグ戦は2位止まりも、UEFAチャンピオンズカップ決勝では、ダルグリッシュの決勝ゴールでクラブ・ブルッヘを破り連覇を達成した。1978年1月にグレアム・スーネスを獲得している。
1978-79シーズンはアラン・ケネディを獲得し、再びリーグを優勝した。1979-80シーズンに再びリーグ連覇を達成。同シーズン限りでトミー・スミスが退団した。オフシーズンにイアン・ラッシュを獲得し、1980-81シーズンに決勝でレアル・マドリードをアラン・ケネディのゴールで1-0と破り[18]、3度目となるUEFAチャンピオンズカップ制覇を達成した。リーグカップも優勝し、カップ戦の2冠を達成した。シーズン中にブルース・グロベラーを獲得している。
1981-82シーズンにリヴァプールはマーク・ローレンソン、スティーブ・ニコルを獲得し、リーグ戦優勝、リーグカップ連覇を達成。なお、1978年から1981年までの3年間、本拠地アンフィールドにおけるすべてのリーグ戦・カップ戦は85試合連続で無敗だった。85試合中63試合はリーグ戦であり、63試合連続リーグ戦ホーム無敗記録も樹立している(このリーグ戦ホーム無敗記録は2007年にチェルシーに破られた)。インターコンチネンタルカップではフラメンゴに0-3と敗れた。
1982-83シーズンにリーグとリーグカップを連覇したが、これを置き土産にペイズリーは監督を辞任することを発表。後任にはアシスタントコーチを務めていたジョー・フェイガンが就任した。リーグ連覇中のチームを引き継いだフェイガンだったが、フェイガン体制でもリヴァプールの強さが揺らぐことはなく、1983-84シーズンにリーグとリーグカップの連覇を達成。リーグは史上初となる3連覇、リーグカップは4連覇となった。決勝でPK戦の末、ASローマを破り4度目となるUEFAチャンピオンズカップ制覇した[19]。
1984-85シーズンはインターコンチネンタルカップでインデペンディエンテに0-1で敗れた。UEFAチャンピオンズカップ決勝ユヴェントス戦ではリヴァプールサポーターにより「ヘイゼルの悲劇[20]」 が起き、これによりイングランドのクラブは国際試合から無期限に締め出され(後にリヴァプールは7年、他クラブは5年となる)、リーグの力の相対的な地盤沈下をもたらした。この事件の責任を感じたフェイガンは監督を辞任、後任には選手兼任監督としてケニー・ダルグリッシュが後を引き継いだ。ダルグリッシュ体制でも3度のリーグ優勝、2度のFAカップ優勝を果たしたとはいえ、1988-89シーズンに起きた「ヒルズボロの悲劇[21] 」によってリヴァプールの勢いは大きく落ち込むこととなった。90年代に入るとやや低迷し、処分が解けた後も国際タイトルには手が届かずリーグでは依然として上位の常連であり続けたが、2019-20シーズンのプレミアリーグを制覇するまで約30年の間、リーグ優勝から遠ざかることになった。1995-96シーズン、前年リーグカップを制したロイ・エヴァンス監督の指揮下、スタン・コリモアを補強し、優勝を目指すが[22]、FAカップ決勝でもマンチェスター・ユナイテッドに0-1で敗れた。
2000年代 編集
新世紀以降は、国際試合での活躍が目立ち、「ヘイゼルの悲劇」の後遺症は完全に過去のものとなった。
2000-01シーズンにはFAカップ、リーグカップ、UEFAカップを制して3冠を達成した[23]。なお、1983-84シーズンにもリーグ、リーグカップ、UEFAチャンピオンズカップの組み合わせで3冠を達成している。
- 2004-05シーズン
シーズン開幕前にラファエル・ベニテスが監督に就任すると、ルイス・ガルシア、シャビ・アロンソなどリーガ・エスパニョーラの選手を獲得し、積極的に登用し始める。一方、エースのマイケル・オーウェンをレアル・マドリードへ放出した[24]。チャンピオンズリーグでは決勝トーナメント進出がかったオリンピアコス戦でリバウドに先制点を許す苦しい展開の中、ジェラードのミドルとメラーのゴールで勝利し決勝トーナメント進出すると、ラウンド16でレヴァークーゼン(H3-1,A3-1)、準々決勝ではユヴェントス(H2-1,A0-0)、準決勝のチェルシー戦ではガルシアのゴール(A0-0,H1-0)で勝利、決勝進出を果たす。決勝のACミラン戦において、前半終了時0-3のビハインドから、後半の6分間にジェラード、スミチェル、アロンソが立て続けに得点し、同点に持ち込んだ。そして、PK戦でACミランを下し、21年ぶりの欧州一の称号を手にした[25][注 1]。この試合はイスタンブールの奇跡と呼ばれるようになる。また、UEFAチャンピオンズカップとUEFAチャンピオンズリーグの合計優勝回数が5回となり、5チーム目となる優勝カップの永久保持が認められたクラブとなった。
- 2005-06シーズン
2005-06シーズンの夏、前シーズンがプレミアリーグ5位であったため[注 2]、チャンピオンズリーグの出場権は逃していたが、タイトル防衛の機会が与えられるべきという意見から特例で予備予選1回戦からの出場が認められた[注 3]。2006-07シーズン以降は、前大会優勝チームはグループリーグにシード出場できるというルールが設けられた。
2005年12月、新設されたFIFAクラブ世界選手権2005出場のため来日。12月15日に行われた準決勝で北中米・カリブ海王者デポルティーボ・サプリサに3-0で勝利し決勝戦進出。12月18日の決勝戦では、南米王者サンパウロFCと戦い、接戦の末0-1で敗れ準優勝[26]。
2006年のFAカップ決勝戦では、ウェストハムと対戦。三度先攻を許すも、後半終了間際のジェラードの2本ミドルシュートが決まるなど、三度追いついた。その後の延長戦でも決着がつかず、PK戦の末、同大会で5年ぶりの優勝を決めた[27]。
- 2006-07シーズン
2006-07シーズンはチャンピオンズリーグで決勝進出を果たした。対戦相手は2004-05シーズンと同じACミランであったが、2005年の雪辱を果たそうと意気込むミランにインザーギの2ゴールで1-2と敗れた[28]。
- 2007-08シーズン
2007-08シーズンは夏期移籍期間にフェルナンド・トーレスを獲得[29]。シーズン開幕前には懐疑的な意見も聞かれたが、ルート・ファン・ニステルローイが保持していたプレミアリーグ初年度の得点記録を塗り替えた。チャンピオンズリーグはここ数シーズンと同様に、準決勝まで進出した。準決勝でチェルシーに2戦合計3-4で敗れ、敗退した[30]。
- 2008-09シーズン
夏の移籍市場ではトッテナムから2030万ポンドでロビー・キーンを獲得[31]。また、在籍年数の長かったヨン・アルネ・リーセやスティーヴ・フィナン、ピーター・クラウチ、ハリー・キューウェルなどを放出し[32][33][34][35]、チームの顔ぶれを刷新した。マンチェスター・ユナイテッドと熾烈な優勝争いを演じるも、2位に終わった。
- 2009-10シーズン
中心選手であったシャビ・アロンソ、アルバロ・アルベロアを放出した。中盤で攻撃を組み立てていたアロンソを放出したため、中盤の展開力不足、ジェラードとフェルナンド・トーレスへの依存度が更に高まるなどチームが機能せず最終的に7位で終了した。この結果BIG4時代が終焉した。シーズン終了後、成績不振を理由に双方の合意の下ベニテス監督との契約を解除した。後任は同シーズンフラムをUEFAヨーロッパリーグ準優勝に導いたロイ・ホジソンとなった。イングランド人監督が就任したことやプレミアリーグの規定変更などもあり、チームはイングランド化が進んだ。
2010年代 編集
2010年4月16日、共にアメリカ人で共同オーナーを務めるジョージ・ジレットとトム・ヒックスは新会長の就任発表と同時にクラブを売りに出したことを発表した。ジレットとヒックスは2007年にクラブを買収したが経営に失敗し資金繰りが悪化、英メディアによれば負債は売却発表時点で2億3700ポンド(発表時点で約335億円)に上る。これまでも中東の富豪との売却交渉などが報じられていたが、売却に向けての初めての正式発表となった。発表によれば、新会長マーティン・ブロートン(ブリティッシュ・エアウェイズ会長)がバークレイズ・キャピタルの支援を受け売却交渉を主導する[36]。なかなか売却交渉に進展がなかったが、10月15日の負債返済期限を前にしてヒックス、ジレットの両人による反発に遭い裁判にもつれながらもNESV(ニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)によって約3億ポンドで買収された。11月にはフロント改革の一環としてトッテナム元SDのダミアン・コモリをFD(フットボールディレクター)として招聘した。
- 2010-11シーズン
ハビエル・マスチェラーノやヨッシ・ベナユン、アルベルト・リエラ、ジエゴ・カバリエリらを放出したが、資金不足によりラウル・メイレレス(FCポルト)やジョー・コール(チェルシー)、クリスティアン・ポウルセン(ユヴェントス)、ミラン・ヨヴァノヴィッチ(スタンダール・リエージュ)、ジョンジョ・シェルヴェイ(チャールトン)、ダニー・ウィルソン(レンジャーズ)、ポール・コンチェスキー(フラム)、ブラッドリー・ジョーンズ(ミドルズブラ)などの獲得に留まり満足な補強ができず一時は降格圏にまで転落するなど低迷、上記買収後も調子が上がらずホジソンは解任された。後任には暫定監督としてクラブのレジェンド、ケニー・ダルグリッシュが就任。フェルナンド・トーレスをチェルシーに英国史上最高額推定5000万ポンドで放出し、アンディ・キャロルをトーレスの移籍金に次ぐ3500万ポンド、ルイス・スアレスを2280万ポンドで獲得するなどチームを立て直し、最終的に6位で終えた。しかし、他のリーグであれば6位の場合はUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられるが、5位のトッテナムと共に出場権を獲得したのがFAカップ決勝に進み準優勝だったストーク[37]、プレミアリーグがフェアプレーランキングで上位に入った事による恩恵を受けたフルハム。カーリングカップの決勝に進んだアーセナルが4位でフィニッシュしており、アーセナルが優勝すればヨーロッパリーグの出場権を獲得出来たが、そのアーセナルがバーミンガム・シティに敗れた為、18位で降格したにも関わらずバーミンガム・シティがヨーロッパリーグの出場権を獲得し、1999-2000シーズン以来12年ぶりにヨーロッパカップ戦の出場を逃した。
- 2011-12シーズン
ポール・コンチェスキーをレスター・シティ、ミラン・ヨヴァノヴィッチをRSCアンデルレヒト、クリスティアン・ポウルセンをエヴィアン・トノン・ガイヤールFC、ラウル・メイレレスをチェルシーFC、ナビル・エル・ザールをレバンテUD、エミリアーノ・インスアをスポルティングCP、ダビド・ヌゴグをボルトン・ワンダラーズFC、ソティリオス・キルギアコスをVfLヴォルフスブルクへと完全移籍で放出し、ジョー・コールをリール、アルベルト・アクィラーニをACミラン、ダニエル・パチェコをアトレティコ・マドリードへレンタルで放出するなどした。夏の移籍市場では積極的な投資が行われ、ホセ・エンリケ、ドニ、セバスティアン・コアテスを獲得しただけでなく、ジョーダン・ヘンダーソン、チャーリー・アダム、スチュワート・ダウニング、クレイグ・ベラミーといった英国人も多く獲得し、総額5500万ポンドを投じた。カーリングカップでは準決勝でマンチェスター・シティを下し決勝進出。決勝ではカーディフをPK戦の末に破り2005-06のFAカップ以来となるタイトル獲得となった。FAカップでも決勝進出を果たすなど、カップ戦では結果を残したが、リーグ戦ではアンフィールドでクラブ史上2番目に悪い6勝止まり[38] と(9分4敗)得意である筈のホームで勝てず、8位と大規模投資(1億ポンド)にあった結果とは言えず、シーズン終了後にダルグリッシュは契約解消という形で退任した。2012年6月、スウォンジー監督のブレンダン・ロジャーズの就任を発表[1]。
- 2012-13シーズン
夏の移籍市場ではアルベルト・アクィラーニをフィオレンティーナ、チャーリー・アダムをストーク、クレイグ・ベラミーをカーディフ、マキシ・ロドリゲスをニューウェルズ、ディルク・カイトをフェネルバフチェSK、ファビオ・アウレリオをグレミオへと完全移籍で放出し、アンディ・キャロルをウェストハム・ユナイテッドへとローンで放出した。補強面ではレアル・マドリードからヌリ・シャヒンをローンで獲得し、ASローマからファビオ・ボリーニ、ヘーレンフェーンからウサマ・アサイディ、スウォンジーからロジャーズのかつての教え子であるジョー・アレンらを獲得するも、カップ戦で無冠、前年のリーグカップ優勝によって出場したUEFAヨーロッパリーグもゼニト・サンクトペテルブルクにアウェーゴール差で敗れベスト32で姿を消した。リーグでは冬にはジョー・コールをウェストハム・ユナイテッドへ完全移籍で放出し、チェルシーからダニエル・スタリッジや、インテルからフィリペ・コウチーニョを獲得し、31節から最終節まで8戦連続無敗で巻き返したものの、上位6チーム(マンチェスター・ユナイテッド、マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナル、トッテナム、エヴァートン)相手に1勝しか挙げられず[39]、7位に終わった。ジェイミー・キャラガーがこのシーズンを持っての引退を表明した。
- 2013-14シーズン
2011-12以来となるヨーロッパカップ戦出場を逃したシーズン。移籍市場ではアンディ・キャロルとスチュワート・ダウニングをウェストハム・ユナイテッド、ジョンジョ・シェルヴェイをスウォンジ・シティ、ジェイ・スピーリングをボルトン・ワンダラーズ、ダニエル・パチェコをADアルコルコン、ダニー・ウィルソンをハーツへと放出し、ホセ・マヌエル・レイナ、スソ、ファビオ・ボリーニ、ウサマ・アサイディらをレンタルで放出した一方、サンダーランドからシモン・ミニョレ、マンチェスター・シティからコロ・トゥーレ、PSGからママドゥ・サコー、バレンシアCFからアリ・シソコ、チェルシーからビクター・モーゼス、セルタからイアゴ・アスパス、セビージャからルイス・アルベルト、スポルティングCPからチアゴ・イロリを獲得。リーグ戦では31ゴールを決めた得点王スアレスとそれに次ぐ21ゴールをあげたスターリッジの2トップ(SASコンビ)が2人だけで52ゴールを奪い、ジェラードがロジャーズによってアンカーのポジションにコンバートされ、アレンとヘンダーソンとの3ボランチコンビを形成した。2014年4月13日のマンチェスター・シティをホームで破った試合も含めて11連勝を飾り、終盤戦まで優勝争いをしたが12連勝目を目指したチェルシー戦では前半のアディショナルタイムにキャプテンのジェラードが自陣でママドゥ・サコのパスをトラップ出来なかったのに加え足を滑らせて奪われるミスでボールをデンバ・バに奪われてそのまま失点すると、後半のアディショナルタイムにカウンターからフェルナンド・トーレスの折り返しをウィリアンに決められてこの試合を落としてしまうと、クリスタルパレス戦では後半10分までに3-0としながらも34分から9分間で3失点を喫し、引き分けに持ち込まれドロー。結局最後の3試合は勝ち点4しか稼げず2位に終わった。2009-10シーズン以来4シーズンぶりにチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、トップ4(シティ、チェルシー、アーセナル)の中では最も多い50失点を喫し、最少失点だったチェルシー(27失点)より倍近く失点を喫したり、トップ4に入った3チームのアウェーゲームを全て落とす等詰めの甘さも露呈した[40]。FAカップは優勝したアーセナルに5回戦で、キャピタル・ワン・カップはマンチェスター・ユナイテッドに3回戦で敗退。無冠でシーズンを終えた。
- 2014-15シーズン
昨シーズンの得点王であったルイス・スアレスがFCバルセロナに移籍した。他にもイアゴ・アスパス、ルイス・アルベルト、チアゴ・イロリ、セバスティアン・コアテスら余剰戦力をレンタルで移籍させ、ホセ・マヌエル・レイナをFCバイエルン・ミュンヘン、マーティン・ケリーをクリスタル・パレスFC、ダニエル・アッガーをブレンビーIFへと完全移籍で放出した。ビクター・モーゼス、アリ・シソコはレンタルバックした。それらの移籍金も使い、サウサンプトンからデヤン・ロヴレンとアダム・ララーナ、リッキー・ランバート、ACミランからマリオ・バロテッリ、バイエル・レバークーゼンからエムレ・ジャン、SLベンフィカからラザル・マルコヴィッチ、セビージャFCからアルベルト・モレノ、アトレティコ・マドリードからハビエル・マンキージョと計8人を獲得し合計1億1700万ポンドを投じたが、スアレスの穴を埋めることはできず、リーグ戦では前年21ゴールを挙げたスターリッジの故障で攻撃陣が振るわず前半戦は8位で折り返した。冬の移籍市場ではウサマ・アサイディとスソを放出した。2015年1月2日、これまでリヴァプール一筋でプレーし、2003年からキャプテンも務めて数々のタイトルを獲得してきたスティーヴン・ジェラードが、2014-15シーズン終了後に退団する事を発表。17節のアーセナル戦から29節のスウォンジー戦まで13戦無敗を記録するも、30節以降の9試合は勝ち点を8しか稼げず、18勝8分12敗の6位でシーズンを終えた。5年ぶりに参戦したUEFAチャンピオンズリーグは前回王者のレアル・マドリードに2連敗を喫する等、初戦のルドゴレツ戦(アンフィールド)以外は勝ち点3を取れず、グループリーグを3位で終え敗退し、続くUEFAヨーロッパリーグもベシクタシュJKと対戦し、1stレグこそバロテッリのPKを守りきり勝利したものの、2ndレグを0-1で落とし結局PK戦で敗れ、ベスト32で姿を消した。フットボールリーグカップとFAカップ2つのカップ戦で準決勝に進むが、共に決勝進出はならなかった。
- 2015-16シーズン
マンチェスター・シティにラヒーム・スターリングを当時の英国人の移籍金史上2位となる4900万ポンドで売却した[41]。他にもリッキー・ランバートをウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC[42]、グレン・ジョンソンをストーク・シティFC[43]、ファビオ・ボリーニをサンダーランドAFC[44]、セバスティアン・コアテスをサンダーランドAFC[45]、イアゴ・アスパスをセビージャFCに完全移籍で放出し[46]、マリオ・バロテッリやラザル・マルコヴィッチをローンで放出した[47][48]。その移籍金も使いながら補強面ではマンチェスター・シティからジェイムズ・ミルナー[49]、サウサンプトンからナサニエル・クライン[50]、バーンリーからダニー・イングス[51]、チャールトンからジョー・ゴメス[52]、ボルトンからボグダーン・アーダーム[53]、ホッフェンハイムからロベルト・フィルミーノ[54]、アストン・ヴィラFCからクリスティアン・ベンテケ[55]、そして前年度にすでに加入が決まっていたディヴォック・オリジをリールから獲得する[56] など計8人を補強。しかし、第8節を終えた時点で3勝3敗2分の10位と苦戦し、10月3日に2012年から指揮を執っていたブレンダン・ロジャーズ監督を解任。10月8日に、ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントで一時代を築いたユルゲン・クロップを新監督に招聘した。クロップ監督の戦術の代名詞とも言える「ゲーゲンプレス」がチームに染み渡ったこともあり、初陣となったトッテナム・ホットスパー戦ではスプリント回数614回、走行距離116kmとらしさを発揮した[57]。リーグカップのAFCボーンマス戦で新体制初勝利を飾り、リーグ戦第11節のチェルシー戦ではコウチーニョの2ゴールもありリーグ戦初勝利を飾った。その後もマンチェスター・シティやレスター・シティなどの上位チームには勝利を挙げるものの、クリスタル・パレスやニューカッスルなど下位のチームに敗戦し苦しめられた[58]。冬の移籍市場では既存DFの身長の低さに不満を訴えていたクロップ監督の意向によりスティーヴン・コーカーを獲得。FCジロンダン・ボルドーらを抑えグループ首位通過したUEFAヨーロッパリーグにおいてはマンチェスター・ユナイテッドをベスト16で下し、さらにクロップ監督の古巣であるボルシア・ドルトムントとのベスト8の対戦では、後半12分にマルコ・ロイスにゴールを許し2戦合計1-3とされるもそこからコウチーニョ、サコー、さらにミルナーのアシストからロヴレンが決勝ゴールを挙げて、2戦合計4-3で逆転勝利を飾った[59]。ベスト4でもビジャレアルCFを2戦合計3-1で下し決勝へ駒を進めた[60]。決勝ではダニエル・スターリッジが先制ゴールを挙げるも、後半に3点を奪われ1-3でセビージャFCに敗れ準優勝に終わった[61]。フットボールリーグカップにおいてもマンチェスター・シティに敗れ準優勝に終わった。リーグ戦では8位でシーズンを終え、ヨーロッパカップ戦への出場を逃した。
- 2016-17シーズン
クロップ体制2年目。マルティン・シュクルテルをフェネルバフチェSK、ジョーダン・アイブをAFCボーンマス、ホセ・エンリケをレアル・サラゴサ、クリスティアン・ベンテケをクリスタル・パレスFC、ジョー・アレンをストーク・シティFC、マリオ・バロテッリをOGCニース、コロ・トゥーレをセルティックFC、ルイス・アルベルトをSSラツィオへと放出し、クロップ監督の元で出場機会をあまり得られなかった選手およびローン生活を繰り返していた選手達を整理した他、ジョーダン・ロシターやブラッド・スミスやジョアン・カルロス・テイシェイラ、ジェローム・シンクレアといったアカデミーの選手も完全移籍で放出した[62][63][64][65][66][67][68][69][70][71][72]。またラザル・マルコヴィッチやダニー・ウォード、ジョン・フラナガンらをローンで放出している[73][74][75]。補強面ではサウサンプトンFCからセネガル代表であるサディオ・マネ、ニューカッスル・ユナイテッドFCからオランダ代表のジョルジニオ・ワイナルドゥム、シャルケ04からジョエル・マティプ、マインツからロリス・カリウス、アウクスブルクからラグナル・クラヴァンとアレクサンダー・マニンガーを獲得[76][77][78][79][80][81]。ベンテケやアレン、アイブの移籍金が高かったこともあり売却額が補強額を上回った。開幕戦でアーセナルをアウェイで下すと、第5節にはチェルシーもアウェイで撃破。第11節終了時には首位に躍り出る。その後も好調を継続し、前半戦を13勝4分2敗の2位で終える。しかし、1月にアフリカネイションズカップの影響でマネが離脱。得点王を欠いたチームは失速してしまい、リーグ戦でスウォンジー、フットボールリーグカップでサウサンプトン、FAカップではウルヴァーハンプトンにアンフィールドで2012年10月以来の3連敗。すべてのタイトルの可能性が消滅、1月を1勝4分4敗の成績で終えた。第26節終了時には一時チャンピオンズリーグ圏外となる5位まで順位を落とすが、第27節にアンフィールドでアーセナルを下しシーズンダブルを達成するなど3位に再浮上。シーズン終盤にアーセナルに追い上げられるが、第37節では公式戦5試合勝ちなしと苦手にしていたウェストハムをコウチーニョの2G1Aの活躍などでアウェイで勝利し、最終節のミドルズブラFC戦も3-0で勝利したことで、4位でシーズンを終え、チャンピオンズリーグ出場権を獲得した。またGKであるマニンガーがこのシーズン限りでの引退を発表した。
- 2017-18シーズン
クロップ体制3年目。移籍市場ではチェルシーからU-20イングランド代表FWのドミニク・ソランケ、ASローマからエジプト代表FWであるモハメド・サラー、ハル・シティからスコットランド代表DFアンドリュー・ロバートソン、アーセナルからイングランド代表MFのアレックス・オックスレイド=チェンバレンを獲得[82][83][84][85]。一方で10年間チームに在籍したMFルーカス・レイヴァがラツィオに移籍した[86]。他にもアンドレ・ウィズダムをダービー・カウンティ[87]、ケビン・スチュワートをハル・シティに[88]、ママドゥ・サコーをクリスタル・パレスFCにそれぞれ完全移籍で放出し[89]、ディヴォック・オリジをVfLヴォルフスブルクにレンタル移籍させた[90]。開幕戦をワトフォードFC相手に3失点で引き分け、第4節マンチェスター・シティ戦で0-5、第9節トッテナム・ホットスパー戦で1-4で敗れるなど、守備の脆さが見られた。冬の移籍市場でFCバルセロナにコウチーニョを移籍金約218億円で放出し[91]、サウサンプトンFCからフィルジル・ファン・ダイクをDF史上最高額の約114億円で獲得[92] した。シーズン中盤からは盛り返し、23節終了時に3位まで浮上したが、シーズン終盤に勝ち点の取りこぼしが増え、最終的には4位となった。サラーが32得点で得点王となり、1995-96シーズンにアラン・シアラーが31得点で樹立したプレミアリーグの1シーズンの得点記録を22年ぶりに更新した。チャンピオンズリーグでは8月に行われたプレーオフでホッフェンハイムを2戦合計6-3で破ると、本選はグループEに入りセビージャFC、スパルタク・モスクワ、NKマリボルと対峙、第3節ではマリボルをに7-0で大勝するなどして3勝3分で危なげなく首位突破した。チャンピオンズリーグにて決勝トーナメントに進出したのは2008-09シーズン以来9年ぶり。その後FCポルトを2戦合計5-0、マンチェスター・シティを5-1、ASローマを7-6で順に破り(ASローマとのファーストレグではジェイムズ・ミルナーが大会9つ目のアシストを記録し、大会新記録を樹立した[93][94]。)、2006-2007シーズン以来11年ぶりの決勝進出を果たす。決勝のレアル・マドリード戦では、好調だったアレックス・オックスレイド=チェンバレンを怪我で欠いた上にエースのサラーが前半で負傷交代、後半にはミルナーも負傷で交代を強いられ、ロリス・カリウスの後半の2つのミスなどで1-3で敗れ準優勝となる。リーグカップは3回戦でレスター・シティに、FAカップは4回戦でWBAに敗れ、シーズン無冠に終わる。
- 2018-19シーズン
RBライプツィヒより前年に獲得が決まっていたナビ・ケイタ[95]、ASモナコからはファビーニョ[96]、2部降格のストーク・シティFCからジェルダン・シャチリ[97]、ASローマからアリソン・ベッカー[98] の4名を移籍金合計約250億円で獲得し、大型補強を敢行した[99]。更に1月にWBAへレンタル移籍していたダニエル・スタリッジ、同じくVfLヴォルフスブルクへのレンタル移籍からディヴォック・オリジの2名が戻り、プレシーズンマッチからチームに復帰した。一方でエムレ・ジャンは6月に退団後フリーでユヴェントスへ移籍[100]。ジョン・フラナガンをスティーヴン・ジェラードが新監督を務めるレンジャーズFCへ[101]、ジョーダン・ウィリアムスはロッチデールAFC[102]、ダニー・ウォードはレスター・シティ[103]、ラグナル・クラヴァンをカリアリ[104] へそれぞれ完全移籍で放出した。ダニー・イングスは当該シーズンはレンタル移籍の契約だが、その後2019年7月に完全移籍に切り替わる契約でサウサンプトンFCへ移籍した[105]。さらに前シーズン途中から正GKを務めたロリス・カリウスもベシクタシュJKへ2年間のローンで移籍した[106]。当該シーズン開始前後から、従来のゲーゲンプレスの戦術がストーミングという名でも呼ばれるようになった[107]。リーグ戦折り返し時点で喫した失点は僅か7とリーグ最少記録タイである[108]。攻撃面ではシーズン序盤こそ得点力に陰りが見られたものの、従来の4-3-3とシャチリの加入によって新たに4-2-3-1を併用するようになり、10月を過ぎるとそれがフィットし始めて息を吹き返すと43得点のリーグ2位。16勝3分無敗という好成績でリーグ戦を折り返した。年が明けて初戦の第21節マンチェスター・シティ戦に1-2で敗れると、そこからのリーグ6試合で4引き分けと勝ちきれない試合が続き、最大で7開いていた勝ち点差をマンチェスター・シティにひっくり返された。その後は第30節からは9連勝するが、シティは14連勝とお互い勝ち点差1のまま一歩も譲らないデッドヒートが続き、最終的には勝ち点97の2位でリーグ戦は幕を閉じた。わずかに1敗のみであったが優勝を逃すという史上初の結果となり、これまでの準優勝チームの最高勝ち点の89を大幅に更新した[109][110]。なお2008-09シーズンにも2敗ながら優勝を逃した初めてのチームになっていた。サディオ・マネとモハメド・サラーが22得点を挙げて、アーセナルのピエール=エメリク・オーバメヤンと並び得点王に輝いた。同一クラブの選手2人が得点王となるのはイングランド史上初で、またサラーは2年連続での得点王の快挙を達成した[111]。
チャンピオンズリーグではグループCでパリSG、SSCナポリ、ツルヴェナ・ズヴェズダと同組となった。初戦こそパリSGに辛勝するも、その後アウェイで全敗。最終節、ホームでのナポリ戦をサラーのゴールで1-0と制し、ナポリと勝ち点・直接対決の成績・総得失点差の3つで成績が並んだが総得点で2上回り、僅差で決勝トーナメントへ進出した[112]。決勝トーナメント・ラウンド16ではバイエルン・ミュンヘン、準々決勝はFCポルトとそれぞれ対戦し、2戦合計3-1と6-1で勝利した。準決勝のFCバルセロナ戦1stレグでは0-3で敗れたが、フィルミーノやサラーを欠場を余儀なくされる窮地の中で、2ndレグはオリジやワイナルドゥムの活躍により4-0で勝利し、大逆転で2年連続の決勝進出を果たした[113]。この試合は、前述のUEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝における大逆転劇の通称「イスタンブールの奇跡」になぞらえ、「アンフィールドの奇跡」とも称された[114][115]。決勝戦は同国対決となったトッテナムをサラーとオリジのゴールで2-0と破り、14年振りの優勝を決めた。クロップ監督はリヴァプールで初のタイトル獲得となり、また自身は同大会決勝3度目で初の勝利を手にした[116]。リーグカップは3回戦でチェルシーに、FAカップでは3回戦でウルヴァーハンプトンにそれぞれ敗れている。
- 2019-20シーズン
例年通りプレミアリーグ、FAカップ、リーグカップに参加する他に、前年優勝のチャンピオンズリーグに加え、大会覇者として8月にはEL覇者と対決するUEFAスーパーカップ、12月にはFIFAクラブワールドカップに、さらに8月にはFAコミュニティ・シールド[注 4]に出場した。大型補強を敢行した前年とは打って変わり、シモン・ミニョレの移籍や開幕節でのアリソンの怪我に伴ってアドリアンやアンディ・ロナーガンのGKをそれぞれフリーで獲得した以外は若手選手の獲得に留まった。冬の移籍市場では、レッドブル・ザルツブルクから南野拓実を獲得した。
プレミアリーグでは開幕から好調を維持し、開幕8連勝で昨シーズンからのリーグ連勝記録を17に伸ばす。第9節でマンチェスター・ユナイテッドを相手に1-1で引き分けたものの、前半戦で勝てなかったのはこの試合のみで、そこから再び勝ち続け、前半戦を18勝1分で折り返す。後半戦もその勢いは衰えず、リーグ戦連勝記録を18まで伸ばしたが、第28節で最下位に沈むワトフォードFCにまさかの0-3で敗戦、リーグ戦無敗記録は44でストップすると同時に2003-04シーズンのアーセナル以来となるリーグ無敗優勝とはならなかった[117]。その後新型コロナウイルスの流行による中断も挟んだが、6月24日の31節クリスタル・パレス戦で勝利すると、翌日の試合で2位マンチェスター・シティがチェルシーに1-2で敗れたことで勝ち点差が23となり、7試合を残して30年ぶり、プレミアリーグとなってからは史上初のリーグ優勝が決定した。また、31節での優勝決定は史上最速記録となった[118]。
FAコミュニティ・シールドのマンチェスター・シティ戦は1-1で引き分けたがPK戦で敗れた[119]。UEFAスーパーカップのチェルシー戦では2-2からPK戦の末に勝利した[120]。FIFAクラブワールドカップ2019では決勝戦で南米王者CRフラメンゴと接戦の末延長戦でのロベルト・フィルミーノのゴールにより1-0で勝利し初のクラブ世界一に輝き1981年のトヨタカップで完敗した相手に38年越しのリベンジを果たした。
連覇を目指したチャンピオンズリーグでは決勝トーナメント・ラウンド16でアトレティコ・マドリードと対戦。敵地での1stレグをアトレティコの堅守を崩しきれずに0-1で落とすと、2ndレグでは90分を終えて1-0、2戦合計1-1となり延長戦に突入。一時はフィルミーノのゴールで勝ち越したが、ミスから失点すると、その後もカウンターから失点を重ねて2-3で敗れ、2戦合計2-4で敗退した。本拠地アンフィールドでの無敗記録も42でストップした。 リーグカップは準々決勝の日程が前述のクラブワールドカップでトップチームがカタール遠征中に開催されたため、アストン・ヴィラにユースチームのメンバーで挑むこととなり敗れた。FAカップは4回戦再試合で今度は今季初めてプレミアリーグで設定されたウィンターブレイクと日程が被り、またもユースチームのメンバーで試合を挑み、なんとか勝ち進むことができたが、続く5回戦にてチェルシーに敗れた。
2020年代 編集
- 2020-21シーズン
2020-21シーズンは、アダム・ララーナ(ブライトン)[121]、ナサニエル・クライン[122] の2名を契約満了、そしてデヤン・ロヴレン(ゼニト)[123] のユルゲン・クロップの監督就任前からチームを支えた3名を放出すると、オリンピアコスからコスタス・ツィミカス[124]、バイエルン・ミュンヘンからティアゴ・アルカンタラ[125]、ウルヴァーハンプトンからディオゴ・ジョッタ[126] を獲得し、戦力の刷新を図った。開幕直後の第5節のマージーサイドダービーにてファン・ダイクが前十字靭帯損傷の大怪我を負い、シーズン絶望[127]となると、リース・ウィリアムズとナサニエル・フィリップスの若手2名の起用でカバーしていたが、11月上旬には代表合宿で負った怪我でジョー・ゴメスもがシーズン絶望[128]、さらに1月下旬にはマティプが離脱[129]し、レギュラー級のセンターバックがシーズン半ばに全員離脱することとなった。これを受けて冬の移籍市場最終日にプレストンからベン・デイヴィスを完全移籍[130]にて、シャルケ04からオザン・カバクをレンタル移籍[131]にて、2人のセンターバックを相次いで獲得した。11月22日、第9節、レスターとの対戦で勝利し、クラブ新記録となるホームゲーム64戦無敗記録を達成した[132]が、翌年1月の第18節のバーンリー戦で敗れ、同記録は68でストップしてしまった[133]。そこからアンフィールドではリーグ戦6連敗を喫してしまい、これはトップリーグから降格した1953-54シーズン以来の出来事となってしまった。[134]しかしそこからチームは立ち直り、第34節のマンチェスター・U戦に勝つと、第36節のWBA戦では1-1で迎えた後半アディショナルタイムにGKのアリソンがリヴァプールのGKとしては初のゴールをヘディングで決めて勝ち越すなど、5連勝でシーズンを締めくくり、3位でシーズンを終えた。
FAコミュニティ・シールドではアーセナルにPK戦の末敗れ、チャンピオンズリーグではアヤックス、アタランタBC、FCミッティランと同組となり、1位通過を決めるとラウンド16でもRBライプツィヒに2戦合計4-0で完勝するが、準々決勝でレアル・マドリードに2戦合計1-3で敗れた。国内カップ戦でも、リーグカップでは4回戦でアーセナルにまたもPK戦の末敗れ、FAカップではマンチェスター・Uに4回戦で敗れ3シーズンぶりの無冠となった。
- 2021-22シーズン
16-17シーズンから主力を務めたジョルジニオ・ワイナルドゥムが契約切れでパリ・サンジェルマンへ退団。加えてジェルダン・シャキリやハリー・ウィルソンなどがそれぞれ退団したものの、RBライプツィヒからイブラヒマ・コナテがおよそ€4500万の移籍金で加入した。4節のリーズ・ユナイテッド戦で、ハーヴェイ・エリオットが大怪我を負うなどのアクシデントもあったが、前シーズンとは打って変わり、シーズン序盤から好調を維持。UEFAチャンピオンズ・リーグではアトレティコ・マドリード、FCポルト、ACミランと同組になったが、全勝でグループリーグを1位で通過。リーグ戦では11節にウェスト・ハムに敗れるまで無敗であった。その後、18節のトッテナム・ホットスパー相手に引き分けてから年末にかけてリーグ戦で3戦勝ちなしになるなど、一時的な不調に陥るも、冬の移籍市場でFCポルトから約€5000万の移籍金で獲得したルイス・ディアスがチームにすぐさま適応し、アフリカ・ネイションズ・カップで離脱していたサディオ・マネと、モハメド・サラーの穴を埋め、その後もシーズン終了まで活躍を続けて最終的にはメディアから21-22プレミアリーグシーズン最高の移籍とも評された[135]。また、ネコ・ウィリアムズがフラムへ、ナット・フィリップスがボーンマスFCへそれぞれローン移籍した。EFLカップも順調に勝ち進み、決勝では延長PK戦の末にチェルシーを下し、10シーズン振りに同タイトルを獲得、FAカップ決勝でも再びチェルシーと対戦。延長PK戦の末、アリソンがマウントのシュートをセーブして2005-06シーズン以来の優勝を果たした。しかし、プレミアリーグの方は2018-19シーズンと同様勝ち点差1の差でマンチェスター・シティにあと一歩及ばず[136]。チャンピオンズリーグの方も決勝戦進出を果たすもレアル・マドリードに0-1で敗れた[137]。
- 2022-23シーズン
- 開幕から怪我人が続出。8節終了時点の勝ち点は10で10位となっている。
- 攻撃陣は大黒柱のマネが移籍、さらにはバックアップメンバーとして活躍していた南野、オリギが抜けた事で駒不足に陥った。新加入のダルウィン・ヌニェスはマネとタイプが違っており、最大限のパワーを出せていない。
- 前年優勝したカラバオカップでは、4回戦でマンチェスター・シティと対戦し2-3で敗戦、ベスト16で去った[138]。同じく前年度優勝のFAカップもブライトンに1-2で敗れて、4回戦で敗退となった。
- マネの放出によってこれまでのハイプレスでボールを奪って素早く攻めきるスタイル機能しにくくなった。また、結果として右サイドバックのアーノルドのディフェンス面の課題が前面に出るようになり、チームの弱点となった[139]。
- 主将のヘンダーソン、フィルミーノ、ミルナー、ファビーニョ、ケイタ、チェンバリンら経験豊富な選手が退団した。
- 2023-24シーズン
- 主力選手がいなくなったボランチに、ソボスライ・ドミニク、アレクシス・マック・アリスター、遠藤航が完全移籍で加入。遠藤はクラブにとって南野以来の2人目の日本人選手となった。
成績 編集
タイトル 編集
国内タイトル 編集
- プレミアリーグ:1回
- 2019-20
- フットボールリーグ:18回
- 1900-01, 1905-06, 1921-22, 1922-23, 1946-47, 1963-64, 1965-66, 1972-73, 1975-76, 1976-77, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1982-83, 1983-84, 1985-86, 1987-88, 1989-90
- FAカップ:8回
- 1964-65, 1973-74, 1985-86, 1988-89, 1991-92, 2000-01, 2005-06, 2021-22
- EFLカップ:9回
- 1980-81, 1981-82, 1982-83, 1983-84, 1994-95, 2000-01, 2002-03, 2011-12, 2021-22
- FAコミュニティ・シールド:16回
- 1964*, 1965*, 1966, 1974, 1976, 1977*, 1979, 1980, 1982, 1986*, 1988, 1989, 1990*, 2001, 2006, 2022 (*印はタイトル共有)
- スーパーカップ:1回
- 1986
国際タイトル 編集
- 2019
- 1976-77, 1977-78, 1980-81, 1983-84, 2004-05, 2018-19
- UEFAカップ:3回
- 1972-73, 1975-76, 2000-01
- UEFAスーパーカップ:4回
- 1977, 2001, 2005, 2019
ダービーマッチ 編集
マンチェスター・ユナイテッドとは昔からライバル関係にあり、ノースウェスト・ダービー(あるいはイングランド・ダービー、ナショナル・ダービー)と呼ばれる伝統の一戦を通じて白熱した試合を繰り広げる。イングランドサッカーを引っ張るチーム同士の対戦であるため、サポーターは試合前から歌を歌い、士気を高めている。選手同士もこの試合に関してはとても熱く、過去にはリオ・ファーディナンドとピーター・クラウチの乱闘寸前劇や、ガリー・ネヴィルのリヴァプールファンへの挑発などが見られた。またリヴァプール出身でライバルのエヴァートンからマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したウェイン・ルーニーへのブーイングなども見られ、好ゲームが多い。
2004年にラファエル・ベニテスが監督に就任して以来、リーグ戦でマンチェスター・ユナイテッドに勝利を挙げたことがなかったが[140]、2008-09シーズンの第4節でホームで逆転勝利を挙げると[141]、アウェイでも快勝した。
同じマージーサイド州リヴァプールに本拠を置くエヴァートンFCとライバル関係にある。両クラブの試合はマージーサイド・ダービーと呼ばれ、マンチェスター・ダービー、ノース・ロンドン・ダービー、タイン・ウェア・ダービーなどと並びイングランドでも最も盛り上がるダービーマッチの一つである。
エンブレム 編集
エンブレムにはアンフィールドのシャンクリー・ゲートの門飾りや、サポーターのアンセムともなっている "You'll never walk alone" の文字、リヴァプール市の象徴ともなっている鳥「ライヴァー・バード(Liver Bird)」などが用いられる[142][143]。
ライヴァー・バードの左右にある炎は、フットボール史に残る惨事と言われるヒルズボロの悲劇への追悼の意を表している。片方の炎はヘイゼルの悲劇への追悼の意を表していると誤認識されることがある[144] が、実際は異なる。ライヴァー・バードはリヴァプール市内のピア・ヘッドに位置するロイヤル・リヴァー・ビルディングの二つの時計台上部にある鳥をモチーフにしている。ライヴァー・バードはリヴァプールの船乗り達の守り神である。
スタジアム 編集
リヴァプールはアンフィールドというホームスタジアムがある。アンフィールドはアーチボルド・リーチ(Archibald Leitch)という建築技師によって設計され[145]、前述の通り、元々は地元のライバルであるエヴァートンのホームスタジアムであった。
トレーニンググラウンドは、ウエスト・ダービーと呼ばれる地区に建つメルウッドである[146]。メルウッドは1950年代からウエスト・ダービーに建つが、同じリヴァプールのカービーに建つリヴァプールのアカデミーとは異なる。
サポーター 編集
リヴァプールのサポーターはアンフィールドの "Kop" と呼ばれるスタンドで応援することから、自身をコップ(Kopites)と呼ぶ。
試合開始前や試合終了直前に、「You'll Never Walk Alone」(君は決して一人ではない。共に歩もう)という曲を歌う。この曲は元々リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン2世がミュージカル『回転木馬』のために書いた曲であるが、1960年代初頭に「マージービート」と呼ばれた一連のポップ音楽の系譜に連なるバンドであるジェリー&ザ・ペースメーカーズが録音したものが、イギリスのヒットチャート1位を獲得した。その頃リヴァプールFCのスタジアムアンフィールドでは毎週DJがその週のヒットチャートソングを流していた。そのひとつとして「You’ll Never Walk Alone」が流れサポーターが歌っていたのだが、同曲はヒットチャートから姿を消してからもその名残でスタジアムで歌われ続けた。その後も毎試合流して欲しいとリクエストがありアンセムとして定着するに至っている[147]。
この曲は、セルティックFC、サッカーアイルランド共和国代表、イプスウィッチ・タウンFC、SKラピード・ウィーン、フェイエノールト、アヤックス・アムステルダム、SLベンフィカ、ボルシア・ドルトムント、FC東京などのサポーターにも歌われるようになった。また、2011年に発生した東日本大震災の直後に行われたリヴァプールの試合では、被災地である日本に向けて、「You'll Never Walk Alone」とスローガンを掲げて歌いメッセージが送られた。
著名人のサポーターには、ビートルズのメンバーのうち、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの3人(なお、ポール・マッカートニーはエヴァートンファンである)、ダニエル・クレイグ(映画俳優、6代目ジェームズ・ボンド役)、キャロライン・ウォズニアッキ(テニス選手)、ダレン・ティル(格闘家)、ミリー・ボビー・ブラウン(女優)、アダム・ウッドイヤット(俳優)、アンジェリーナ・ジョリー(女優)、ブラッド・ピット(俳優)、クライヴ・オーウェン(俳優)、ドクター・ドレー(ラッパー/音楽プロデューサー)、ゲイリー・バーロウ(歌手)、ジョン・ビショップ(コメディアン)、キム・キャトラル(女優)、ラナ・デル・レイ(歌手)、レブロン・ジェームズ(バスケットボール選手)、リーアム・ニーソン(俳優)、メラニー・チズム(歌手)、マイク・マイヤーズ(俳優)、レベッカ・ファーガソン(歌手)、スティーヴン・グレアム(俳優)[148]、GLAYのベーシストJIRO、Suchmosボーカルの河西洋介、キム・ジェウク(俳優)、白井悠介(声優)[149]などがいる[150]。
スポンサー 編集
- メインスポンサー
企業名 | 本社所在地 | 使用開始年 | 使用終了年 |
---|---|---|---|
HITACHI | 東京 | 1972 | 1981 |
Crown Paints | ランカシャー州ダーウェン | 1982 | 1987 |
Candy | ブルゲーリオ | 1988 | 1991 |
Carlsberg | コペンハーゲン | 1992 | 2009 |
Standard Chartered | ロンドン | 2010 | 継続中 |
現所属メンバー 編集
- プレミアリーグ 2023-24シーズン 基本フォーメーション(4-3-3)
- 2023年11月18日現在[151]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、★はホーム・グロウン選手、☆は21歳以下の選手を示す。
リザーブチーム 編集
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍 編集
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代所属選手 編集
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イアン・ラッシュはリヴァプール最多記録となる346得点を挙げ、1993年から1996年まで主将を務めた。
-
ブルース・グロベラーは、海外出身の選手としてはリヴァプールで最も多くの試合に出場した。
-
アラン・ハンセンは1985年から1988年と1989–90シーズンに主将を務めた。
-
スティーヴン・ジェラードは2003年から2015年までリヴァプール史上最長の12シーズンの間主将を務めた
-
ビリー・リデルは1955年から1958年まで主将を務めた。
-
イライシャ・スコットはリヴァプールで最も長く守護神を務めた選手である。
-
サミ・ヒーピアは2001年から2003年まで主将を務めた。
-
ドナルド・マッキンリーは1919–20シーズンに主将を務めたほか、1921年に再び主将に就任し、1928年まで務めた。
出場試合数 編集
# | 名前 | 期間 | リーグ[注 6] | FAカップ | リーグカップ | その他[注 7] | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | イアン・キャラハン | 1960–1978 | 640 (4) | 79 (2) | 42 (7) | 96 (1) | 857 (14) |
2 | ジェイミー・キャラガー | 1996–2013 | 508 (24) | 40 (1) | 35 (7) | 152 (3) | 737 (35) |
3 | スティーヴン・ジェラード | 1998–2015 | 504 (39) | 42 (5) | 30 (5) | 134 (14) | 710 (63) |
T4 | レイ・クレメンス | 1967–1981 | 470 (0) | 54 (0) | 55 (0) | 86 (0) | 665 (0) |
エムリン・ヒューズ | 1967–1979 | 474 (0) | 62 (0) | 46 (0) | 83 (0) | 665 (0) | |
6 | イアン・ラッシュ | 1980–1987 1988–1996 |
469 (22) | 61 (5) | 78 (0) | 45 (3) | 660 (30) |
7 | フィル・ニール | 1974–1985 | 455 (2) | 45 (0) | 66 (0) | 81 (0) | 650 (2) |
8 | トミー・スミス | 1962–1978 | 467 (0) | 52 (0) | 30 (0) | 89 (1) | 638 (1) |
9 | ブルース・グロベラー | 1980–1994 | 440 (0) | 62 (0) | 70 (0) | 46 (0) | 628 (0) |
10 | アラン・ハンセン | 1977–1991 | 434 (0) | 58 (1) | 68 (0) | 53 (1) | 620 (2) |
得点 編集
# | 名前 | 期間 | リーグ[注 6] | FAカップ | リーグカップ | その他[注 7] | 合計 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | イアン・ラッシュ | 1980–1987 1988–1996 |
229 (469) | 39 (61) | 48 (78) | 23 (45) | 346 (660) |
2 | ロジャー・ハント | 1958–1969 | 245 (404) | 18 (44) | 5 (10) | 18 (34) | 286 (492) |
3 | ゴードン・ホジソン | 1925–1936 | 233 (358) | 8 (19) | 241 (377) | ||
4 | ビリー・リッデル | 1938–1961 | 215 (492) | 13 (42) | 228 (534) | ||
5 | モハメド・サラー | 2017–現在 | 137 (217) | 5 (11) | 1 (4) | 43 (72) | 186 (304) |
6 | ロビー・ファウラー | 1993–2001 2006–2007 |
128 (266) | 12 (24) | 29 (35) | 14 (44) | 183 (369) |
7 | ケニー・ダルグリッシュ | 1977–1990 | 118 (355) | 13 (37) | 27 (59) | 12 (58) | 172 (515) |
8 | マイケル・オーウェン | 1996–2004 | 118 (216) | 8 (15) | 9 (14) | 23 (52) | 158 (297) |
9 | ハリー・キャンバース | 1915–1928 | 135 (315) | 16 (28) | 0 (1) | 151 (339) | |
10 | ジャック・パーキンソン | 1903–1914 | 125 (200) | 5 (19) | 0 (1) | 130 (220) |
脚注 編集
注釈 編集
- ^ UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝も参照
- ^ プレミアリーグの場合、前シーズンの最終成績が4位以上のクラブにUEFAチャンピオンズリーグの出場権が与えられる。5位のクラブにはUEFAヨーロッパリーグの出場権が与えられる。
- ^ その後の大会の詳細についてはUEFAチャンピオンズリーグ 2005-06を参照
- ^ プレミアリーグ、FA杯共にマンチェスター・シティが優勝したため、リーグ2位のリヴァプールが出場する。
- ^ 前身のUEFAチャンピオンズカップも含む
- ^ a b Football Alliance、フットボールリーグ、プレミアリーグを含む
- ^ a b UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ、UEFAスーパーカップ、コミュニティーシールド、インターコンチネンタルカップを含む
出典 編集
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http://www.lfchistory.net/stats.asp LFChistory.net,2008年9月13日閲覧 - ^ [2] LFChistory.net,2014年4月25日閲覧
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2008年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年2月22日閲覧。
LFChistory.net,2008年9月12日閲覧
関連項目 編集
参考文献 編集
- Simon Inglis著 「Engineering Archie」 English Heritage、2005年3月21日発行、ISBN 978-1-85074-918-9
外部リンク 編集
- 公式
- Liverpoolfc.com: Official Web Site (英語)
- リヴァプールFC (日本語)
- Premier League.com - Liverpool (英語)
- Liverpool F.C. - YouTubeチャンネル (英語)
- Liverpool F.C. (LiverpoolFC) - Facebook (英語)
- Liverpool FC (@LFC) - Twitter (英語)
- ニュース
- その他
- Historical Football Kit - Liverpool - 各時代のユニフォーム(英語)
- The Liverpool Shirts Museum - 1964年から2013年のユニフォーム(英語)
- The Liverpool Shirts Museum Facebook Fanpage - FACEBOOKの1964年から2013年のユニフォーム(英語)
- リヴァプールFCのユニフォーム大全集 - リヴァプールFCのユニフォーム大全集(英語)
- LFChistory.net - リヴァプールFCの歴史(英語)