菅野廉
洋画家
菅野 廉(かんの れん、1889年(明治22年)7月12日 - 1988年(昭和63年)7月8日[1])は、日本の洋画家。宮城県黒川郡大衡村生まれ。東京美術学校を卒業し、戦前は二科で、戦後は河北美術展などで活躍した。「蔵王の画家」と呼ばれる[1]。
菅野 廉 (かんの れん) | |
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生誕 |
1889年7月12日 日本 宮城県黒川郡大衡村 |
死没 | 1988年7月8日(98歳没) |
国籍 | 日本 |
教育 | 東京美術学校 |
著名な実績 | 画家 |
代表作 | 「梨花」、「ろ馬の耳」、「磐司岩」など |
昭和万葉の森の敷地内にある「大衡村ふるさと美術館」は、作品の一部を常設展示している[2]。
来歴
編集1889年(明治22年)7月12日、宮城県黒川郡大衡村に生まれる。1910年(明治43年) 宮城県師範学校卒業。1911年(明治44年) 東京美術学校に入学。1915年(大正4年) 東京美術学校卒業。
1925年(大正14年) 二科展に入選。1931年(昭和6年) パリに留学[1]。サロン・ドートンヌに入選。1935年(昭和10年) 第3回河北美術展で河北賞(最高賞)受賞。
1942年(昭和17年) 南方戦線に画家として従軍[1]。1943年(昭和18年) 帰国、南方戦線従軍報告作品展を開く。1944年(昭和19年)大衡村に疎開している最中、東京大空襲で多くの作品を焼失する[1]。
1964年(昭和39年) 宮城県芸術協会の創設に参加。1965年(昭和40年) 蔵王写生会を創設。1984年(昭和59年) 宮城県美術館で菅野廉展を開催。
作品
編集- 「梨花」(40号)1965年
- 「ろ馬の耳」(100号)1978年
- 「磐司岩」(30号)1988年
etc.
脚注
編集- ^ a b c d e f “大衡村ふるさと美術館について”. www.village.ohira.miyagi.jp. 大衡村. 2024年2月12日閲覧。
- ^ 万葉まちづくりセンター. “大衡村ふるさと美術館”. 2015年2月9日閲覧。
外部リンク
編集参考文献
編集- 伝記『蔵王の画家-菅野廉』玉田尊英著2014年 南北社(仙台) ISBN 978-4903159126