高橋ゲタ夫
日本のベーシスト、プロデューサー
高橋 ゲタ夫(たかはし げたお、1954年1月10日[1] - )は日本のベーシスト、音楽プロデューサー。新潟県三島郡出身[2]。
高橋 ゲタ夫 | |
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生誕 | 1954年1月10日(70歳) |
出身地 | 日本 新潟県三島郡 |
ジャンル |
ラテンジャズ フュージョン |
職業 |
ベーシスト 音楽プロデューサー |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1976年 - |
共同作業者 |
ジョン山崎&スクールバンド 石川セリ オルケスタ・デル・ソル 松岡直也&ウィシング 高中正義 熱帯JAZZ楽団 ピンクボンゴ ザ・ローライダース |
公式サイト | 高橋ゲタ夫オフィシャルサイト |
来歴
編集15歳の時にギタリストとしてミュージシャン活動を開始する。その後18歳の時にベーシストに転向。1976年[注釈 1]に「ジョン山崎&スクールバンド」に参加しレコードデビューを果たす。
その後石川セリのレコーディングに参加したことをきっかけにしてスタジオ・ミュージシャンとしての活動を始める。またギタリストの高中正義のレコーディングやライブ活動、さらに1979年からは和製サルサバンド「オルケスタ・デル・ソル」にも参加[注釈 2]。
オルケスタ・デル・ソルではペッカー(橋田正人)やピアニストの森村献とともに中心人物としてバンドを支えた。
1979年、ラテン・フュージョン・ピアニストの松岡直也率いる「松岡直也&ウィシング」に参加。以後、ウィシング、後の松岡直也グループでは『大番頭』としてグループの中心として活躍[注釈 3]する。
松岡グループ以外にも1980年にニュー・ウェイヴ・バンドの『IMITATION』への参加や『熱帯JAZZ楽団』や『ピンクボンゴ』、『ザ・ローライダース』など数多くのバンドでライブ活動、CD・DVDリリースを展開したり、2004年にはボーカリストの寿永アリサのデビューアルバムのプロデュースを手がけるなど、現在でも第一線で活動を続けている。
脚注
編集注釈
編集- ^ 松岡のアルバム『PLAY 4 YOU』では1974年と表記されている。
- ^ 1996年に脱退。これはデルソルの復刻版アルバム「Rainbow Love」のライナーノーツ内に明記あり
- ^ 1992年リリースの『松岡直也ベスト・セレクション』内の熊谷美広によるライナー・ノーツより。
出典
編集外部リンク
編集- 高橋ゲタ夫オフィシャルサイト
- 高橋ゲタ夫 (getao.takahashi) - Facebook