立花種忠
立花 種忠(たちばな たねただ、1880年(明治13年)1月30日[1] - 1963年(昭和38年)10月14日[1][2])は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員、東京府荏原郡入新井町長。旧名・恭忠[1]。
立花種忠 たちばな たねただ | |
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生年月日 | 1880年1月30日 |
出生地 |
日本 東京府深川区 (現東京都江東区) |
没年月日 | 1963年10月14日(83歳没) |
出身校 | 明治大学 |
前職 | 陸軍中尉 |
所属政党 | 研究会 |
配偶者 | 立花理子 |
親族 |
父・立花種恭(貴族院議員) 義父・立花寛治(貴族院議員) 義養父・加納久宜(貴族院議員) |
在任期間 | 1914年7月25日 - 1946年4月8日 |
入新井町長 |
経歴
編集旧三池藩主・立花種恭の八男として東京府深川区深川東元町(現江東区)で生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い種忠と改名し、1905年(明治38年)2月13日、子爵を襲爵した[3][4][5]。
学習院を経て[3]、明治大学を修了した[2][3][4]。1907年(明治40年)12月、一年志願兵として騎兵第1連隊に入隊[3]。1911年(明治44年)5月、陸軍騎兵少尉となり、さらに同中尉に昇進した[2][3]。
1914年(大正3年)7月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し、1946年(昭和21年)4月8日に辞職するまで五期在任した[2][4][8]。その他、齋藤内閣・逓信参与官、航空事業調査会委員、厚生省委員、東京府荏原郡入新井町長などを務めた[2][4]。墓所は青山霊園(1イ1-1)。
栄典
編集親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
- 杉謙二編『華族畫報』下、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。
日本の爵位 | ||
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先代 立花種恭 |
子爵 (下手渡)立花家第2代 1905年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |