ゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエスト
ゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエストは、1950年代後半から1960年代前半にかけて関西で活動した音楽バンド。同志社大学の学生らで結成され、カントリー・ミュージック、ロカビリー、ハワイアン・ミュージックを中心に演奏した[1]。正規メンバーからはスパイダースの加藤充、大野克夫、バンドボーイからは西郷輝彦を輩出した[2]。また、専属司会者として同志社大学出身の浜村淳がいた。
エピソード
編集加藤は同志社高校時代から欠員要員としてベース・ギター・アコーディオンで参加、同志社大学中退後も中心メンバーとして解散まで活動を続けた[1]。
大野は堀川高校時代に転職予定のスチールギター担当メンバーから交代要員として加入を打診され、見習いを経て高校卒業後の1958年に正式に加入した。その後、元スウィング・ウエストの田辺昭知が1961年に結成したスパイダースにスカウトされ、翌1962年7月にスパイダース加入のため脱退した[2]。
主な活動場所
編集- ベラミ - 京都三条にあったナイトクラブ
- ナンバ一番 - 大阪道頓堀にあったジャズ喫茶
- 白馬車 - 神戸にあったジャズ喫茶
脚注
編集- ^ a b c ザ・セント・オー・ジーンズホームページ 加藤充インタビュー
- ^ a b “作家インタビュー 第05回 大野克夫先生”. 日本テレビ音楽. 2024年2月11日閲覧。