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来歴編集

生い立ち編集

四条堀川にあった呉服屋の5人兄弟の末っ子として生まれる。実父が尺八の師匠、実母はの奏者という音楽一家であった。実父の尺八は呉服を扱いながらのアマチュアであったが、作曲家・箏曲家である宮城道雄とツアーを行った経験を持つ[2]。姉もピアノを嗜み、兄もジャズ好きで、小学校入学前から兄が洋楽レコードを買いに行くのによくついて行った。自宅にはピアノ、バイオリン、マンドリン、アコーディオン、尺八、三味線、琴などありとあらゆる楽器、またサーカスの玉乗りの道具まで置いてあり、それらの楽器を興味本位で触っているうちにどんな楽器も弾けるようになった[3]

京都市立格致小学校2年生の頃に音楽の基礎を学び、4年生の頃には卒業生を送る歌の作詞・作曲を担当した[1]。また成績優秀で1年から6年までほとんど毎学期クラス委員を任された[4]。京都市立郁文中学校入学。たまたま担任が数学教師であったことから数学部に入部。講堂の掃除当番の時はクラスメイトが掃除を行う中、BGMとしてピアノを弾く役目だったので掃除を免除された[5]

京都市立堀川高等学校に入学。高校に行く前の頃、斜め向かいの家から聞こえてきたハワイアンギターの音に魅せられスチールギターを始める[2]。高校入学と同時に軽音楽部に入部しピアノを担当[1]。3年生の頃、ウェスタンバンドを結成しスチールギターを担当[1]。同級生らがメンバーのバンド「モンタナ・シーク・ボーイズ」として「京都ジャズ合戦」に出場、『誇り高き男』を演奏して優勝し、ゲイリー石黒にスカウトされる。卒業後には高校2年の夏休みからアルバイトとして参加していた「ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ザ・ウエスト」のスチールギター奏者としてプロ入り[6]

ザ・スパイダース編集

1961年に田邊昭知が「ザ・スパイダース」を結成し、大野も勧誘を受けるが、大野は「徹底的に腕をみがいてから」という理由で一度は誘いを断る[1]。その後改めてスカウトを受け、1962年にスパイダースに加入[1]。スチールギターのほかオルガンなどを担当した[1]。ザ・スパイダースはキャリアの長いグループだったが、デビュー・シングルは、65年の「フリフリ」である。

担当楽器の他にも、エレキシタール、ヴィブラフォンなどさまざまな楽器を演奏し、かまやつひろしは「一言で言えば天才なんです。一度聴いた曲はすぐに譜面に書けるし、どんな楽器もうまい。ライブだけでなくスタジオワークも万全。こんな多彩なミュージシャン、日本にはそういない[7]」と述べている。

PYG〜井上堯之バンド編集

1971年のスパイダース解散後は、井上堯之沢田研二萩原健一岸部修三(岸部一徳)、大口広司と共に「PYG(ピッグ)」を結成[1]。その後は井上堯之バンドのメンバーとして、キーボーディストのほか作曲家としても活動[1]。ドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』『寺内貫太郎一家』といった作品の作・編曲を担当した[1]

同時期に沢田研二のバックバンドとしても活動[1]し、1975年には「時の過ぎゆくままに」を提供した。また、1977年に沢田に楽曲提供した『勝手にしやがれ』で第19回日本レコード大賞、翌年の『LOVE (抱きしめたい)』では同賞の最優秀歌唱賞のほか、各賞を受賞。

1977年、初のソロアルバム『Free Ways』を発売。1978年には、セルフ・カバー・アルバム『Windward Hill』をリリース。『サミー・ボウ』がシングル・カットされた。

大野克夫バンド以降編集

1980年に井上堯之バンドが解散してからは、大野克夫バンドを結成。1982年、『太陽にほえろ!』のライブバージョンなどを収めた『Sound Traffic』を発売。1996年以降はテレビアニメ『名探偵コナン』の音楽など、作曲・編曲・歌・CM・プロデュースなど幅広い音楽の分野で活躍。

業界内でも発売されたレコードに引けをとらないほど完成度の高いデモテープを制作することで知られており、(何度もコンビを組んだ作詞家の阿久悠曰く「大野克夫さんのデモテープは絶品で、このままレコードとして発売したいくらいだねと毎曲届けられる度に思っていた」。[8]2003年から2005年に、今までに制作した歌のデモテープを収録したアルバム『幻のメロディー』を発売した。

人物・エピソード編集

  • 釣りが趣味であり、1986年にはハワイのトローリングの国際大会”ビルフィッシュトーナメント”に出場して、500ポンド(約230kg)のカジキマグロを釣った経験を持つ。6位に入賞し、地元紙に写真付きで掲載された。[9]
  • 阿久悠の詞を元に、久世光彦が6人の作曲家による作曲コンペを行い選ばれた『時の過ぎゆくままに』では、詞を渡され目を通した時点で頭の中で曲が出来てしまった。そのため久世との打ち合わせ中もほとんど話半分で早く帰りたくて仕方なくなり、終了後急いで帰って翌日には曲を久世に渡した。[3][5]

ディスコグラフィ編集

主な作品編集

  • 特記するもの以外は作曲。

サウンド・トラック編集

テレビドラマ編集

映画編集

アニメ編集

ボーカルレコード/CD編集

出演編集

映画編集

ドラマ編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l ガモウユウイチ「大野克夫」『昭和歌謡 職業作曲家ガイド』馬飼野元宏(監修/編集)・真鍋新一(編集)、シンコーミュージック・エンタテイメント、2018年4月15日、初版、208-209頁。ISBN 978-4-401-64371-4
  2. ^ a b “TVサントラ大作戦 大野克夫インタヴュー”. レコード・コレクターズ vol.15,no.7: 34p. (1996). 
  3. ^ a b 大野克夫先生インタビュー:日本テレビ音楽株式会社 http://www.ntvm.co.jp/interview/archives/05.html
  4. ^ 近代映画デラックス スパイダース特大号 10月号. (1967). 
  5. ^ a b 月刊エレクトーン 6月号: 5. (2001). 
  6. ^ このバンドは大野の他に、スパイダースの加藤充、バンドボーイとして西郷輝彦を輩出した
  7. ^ “大野克夫「蔵出しデモ」集 蘇るヒット曲の「原石」”. AERA 2月23日号: 47p. (2004). 
  8. ^ 幻のメロディー ブックレット
  9. ^ 週刊新潮 3月20日号: 43p. (2008年). 
  10. ^ 作詞は安井かずみ
  11. ^ 作詞は岸部修三
  12. ^ 作詞は岸部修三
  13. ^ 沢田研二主演

外部リンク編集