町田 増夫(まちだ ますお、1903年明治36年)12月26日[1][2] - 1994年平成6年)3月7日[3])は、昭和期の教育者、農業技師、政治家。長野県小諸市長。

来歴

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長野県更級郡八幡村(現千曲市)で、町田新治郎、しげ の長男として生まれた[1]。更級農学校(現長野県更級農業高等学校)を経て[1]、旧制岐阜高等農林学校農芸化学科卒業[1][2][4]。昭和2年(1927年)埴科郡埴南農蚕学校(現長野県坂城高等学校)教諭となり、飯山高等女学校(のち長野県飯山南高等学校)教諭、旧制飯山中学校(のち長野県飯山北高等学校)教諭、旧制伊那高等女学校(現長野県伊那弥生ヶ丘高等学校)教諭を歴任[1]

1935年(昭和10年)以後、長野県農林技師高知県農林技師、新潟県農林技師を務め[1][4]、1944年(昭和19年)軍需省管理官に転じ、1949年(昭和24年)通商産業省長野事務所長に就任[1]。1950年(昭和25年)長野県庁に転じ、資材課長、労政課長、農地課長、下伊那地方事務所長を歴任[1][4]。小諸市農業委員会委員を経て[2]、1954年(昭和29年)小諸市助役となった[1][4]

1956年(昭和31年)4月、小諸市長選挙で当選し、1972年(昭和47年)4月まで4期務めた[1][2][4]。在任中は国道18号線の改良や、小諸市民会館、小諸市営球場、勤労者福祉センターの建設、浅麓水道企業団の発足などにあたった[2]。その他、長野県水道協会副会長、浅間山観光社長、日本赤十字社常任理事など歴任し、小諸学園理事長、県国保連顧問、長野県老人クラブ連合会長を務めた[1][2][4]

著作

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  • 『小諸市政十八ヶ年の歩みと一九七〇年代の展望』[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『長野県人名鑑』492頁。
  2. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長 第2巻』279頁。
  3. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1134頁。
  4. ^ a b c d e f g 『長野県風土記』604頁。

参考文献

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