尾上松助 (6代目)
日本の歌舞伎役者
六代目 尾上 松助(おのえ まつすけ、1946年〈昭和21年〉7月13日[1] - 2005年〈平成17年〉12月26日)は、歌舞伎役者。屋号は音羽屋。定紋は抱き若松。本名は井上 真一[1](いのうえ しんいち)。最終学歴は青山学院高[1]。日本舞踊藤間流において藤間松樹の名執名を持った[2]。
ろくだいめ おのえ まつすけ 六代目 尾上 松助 | |
屋号 | 音羽屋 |
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定紋 | 抱き若松 |
生年月日 | 1946年7月13日 |
没年月日 | 2005年12月26日(59歳没) |
本名 | |
襲名歴 | 1. 尾上 2. 二代目尾上松鶴 3. 六代目尾上松助 |
別名 | 藤間松樹(日本舞踊藤間流) |
出身地 | 日本・東京都 |
父 | 春本泰男 |
兄弟 | 大谷桂三(弟) |
妻 | 河合盛恵 |
子 | 二代目尾上松也(長男) 春本由香(長女) |
公式サイト | 尾上松助 (6代目) |
父は新派の名脇役だった春本泰男、妻は元新派女優の河合盛恵[3]、長弟は清元流三味線方の清元邦寿[4]、次弟は歌舞伎役者の大谷桂三、長男は二代目尾上松也、長女は新派女優の春本由香[3][5]。
来歴・人物
編集東京都出身[1]。二代目尾上松緑に師事し、菊五郎劇団で二代目松緑や七代目尾上菊五郎らを支える。1954年(昭和29年)6月の歌舞伎座『源氏物語』で尾上緑也[6]を名乗って初舞台。1971年(昭和46年)5月、二代目尾上松鶴を襲名し名題昇進。1990年(平成2年)、六代目尾上松助を襲名。敵役や老け役、女形まで幅広くこなした。子役時代は、テレビ『赤胴鈴之助』の主役でも活躍した。
テレビ
編集脚注
編集- ^ a b c d 『読売年鑑2005 別冊.分野別人名録』(読売新聞東京本社,2005年3月13日発行,ISBN 4643050012)p.437より
- ^ 尾上松助 6 | 歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優篇
- ^ a b 劇団新派公式サイト(2016年5月23日)
- ^ 前名を清元邦寿太夫という
- ^ 日刊スポーツ(2016年3月29日)
- ^ 2021年(令和3年)に落語家の柳家緑君が真打昇進と共に「緑也」に改名する際、師匠の柳家花緑が松也に手紙を書いて承諾を得ている。
- ^ 「尾上松助さん死去/歌舞伎俳優、赤胴鈴之助も」『四国新聞』2005年12月27日。2023年10月24日閲覧。
外部リンク
編集- 尾上松助 (6代目) - 歌舞伎俳優名鑑