シャーリー・スコット

アメリカ合衆国のジャズ・オルガン奏者

シャーリー・スコットShirley Scott1934年3月14日2002年3月10日)は、アメリカ合衆国ジャズオルガン奏者。

シャーリー・スコット
Shirley Scott
生誕 (1934-03-14) 1934年3月14日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 2002年3月10日(2002-03-10)(67歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
ジャンル ジャズハード・バップソウル・ジャズ
職業 ミュージシャン、教育者
担当楽器 オルガンピアノ
活動期間 1955年1995年
レーベル プレスティッジインパルス!CadetStrata-Eastミューズキャンディド
共同作業者 エディ・"ロージャック"・デイヴィス
スタンリー・タレンタイン
アル・グレイ
ジミー・フォレスト

生涯

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ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれたスコットは、学校でトランペットとピアノを学んだ。彼女は1950年代にはハモンド B-3 オルガンの演奏者として活動し始めた。彼女はエディ・"ロックジョー"・デイヴィス英語版とともに演奏し、ヒット曲「In the Kitchen」も出した。ゴスペルブルースの影響を受けていた彼女は、1960年には当時結婚していたスタンリー・タレンタインとともにソウル・ジャズに取り組んだが、1971年には離婚した[1]

オルガン・トリオの人気は1970年代には後退したが、1980年代には再び盛り上がり、彼女も録音の機会を持つようになった。1990年代には、トリオ編成のピアニストとして録音も残し、フィラデルフィアの各所で演奏していた[2]。彼女は、ジャズの教育者でもあった。

スコットは2000年に、ダイエット薬のフェンフェン英語版の製薬会社アメリカン・ホーム・プロダクツから800万ドルの和解金を勝ち取った。彼女は、2002年心不全のため死去した[2][3]

2019年6月25日の、『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』の報道によれば、シャーリー・スコットは、他の数百人ものアーティストたちとともに、2008年ユニバーサル・スタジオ火災英語版によって、残されていた音源などが破壊された一人であったという[4]

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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参加アルバム

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スタンリー・タレンタイン

ミルドレッド・アンダーソン英語版

エディ・"ロージャック"・デイヴィス英語版

ジミー・フォレスト英語版

  • 1978年: Heart of the Forrest (Palo Alto)

アル・グレイ英語版

  • 1977年: Al Grey Jazz All Stars: Travelers Lounge Live (Travelers)
  • 1979年: Al Grey/Jimmy Forrest Quintet: Live at Rick's (Aviva)

ジョー・ニューマン英語版

ジミー・ラッシング英語版

アル・スミス

脚注

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  1. ^ “Stanley Turrentine”. The Daily Telegraph. (2000年9月25日). https://www.telegraph.co.uk/news/obituaries/1356661/Stanley-Turrentine.html 2018年9月26日閲覧。 
  2. ^ a b Shirley Scott”. AllMusic. 2018年8月24日閲覧。
  3. ^ 'Organ queen' Shirley Scott dies". March 13, 2002. New Pittsburgh Courier.
  4. ^ Here Are Hundreds More Artists Whose Tapes Were Destroyed in the UMG Fire”. The New York Times (2019年6月25日). 2019年6月28日閲覧。
  5. ^ Shirley Scott | Album Discography | AllMusic”. AllMusic. 2018年8月24日閲覧。

外部リンク

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