草間八十雄
ジャーナリスト、公吏、社会事業家
草間 八十雄(くさま やそお、1875年(明治8年)5月26日 - 1946年(昭和21年)1月28日)は、明治から昭和前期の公吏、新聞記者、作家。東京市幼年少年保護所長を歴任。
略歴
編集筑摩県筑摩郡(現・長野県松本市)に生まれる。松方デフレで家業の米穀商が傾き一家で上京。1898年に和仏法律学校を卒業。翌年から警視庁勤務、1903年に退職し、中央新聞・東京日日新聞・日本新聞・大正通信等の記者、内務省嘱託を経て、1922年(大正11年)に東京市社会局嘱託、1928年(昭和3年)に東京市主事、東京市社会局保護課、1933年(昭和8年)に東京市幼少年保護所長に就任する。終戦直後の1946年(昭和21年)に世田谷区の被災者用バラックで死去した。
人物
編集新聞記者時代から東京のスラムを調査し、東京市職員・嘱託として数多くの社会調査に参画し、浮浪者や芸妓などの生活実態や、貧困層の児童虐待の実態を広く明らかにし、社会事業の基礎作りに貢献した。
著書
編集参考文献
編集関連番組
編集- NHK 『“貧困”国家 日本の深層 第2回 「格差社会」の始まり』2010年3月9日放送