原田 恒雄(はらだ つねお、1913年3月7日 - 2004年1月30日)は、日本の農学博士経営者和歌山県出身[1]

経歴

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1938年京都帝国大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に大日本麦酒に入社し、1949年アサヒビールに移る[1]1956年にはビール醸造研究のためにドイツに留学[1]1960年に西宮工場長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1974年に副社長に就任し、1976年に相談役を経て、1980年から顧問を務めた[1]

1987年から1992年までに全国清涼飲料工業会会長を務めた[2]

1968年に農芸化学技術賞を受賞し、1977年紫綬褒章を受章した[1]

2004年1月30日肺炎のために死去[3]。90歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 「現代物故者事典 2003-2005 p494」
  2. ^ 概要 | 全清飲 | 全清飲
  3. ^ 2004年 1月31日 日本経済新聞 朝刊 p35