池尻 基房(いけがみ もとふさ、1876年明治9年)2月22日 - 1943年昭和18年)[1])は、日本の子爵神主池尻家の第11代当主。高津宮宮司。京都府京都市出身。

いけがみ もとふさ

池尻 基房
生誕 清閑寺 熙吉
1876年2月22日
京都府京都市
死没 1943年
国籍 日本の旗 日本
子供 長女:三条千賀子
次女:志賀薫
養子:池尻貞光
養子:池尻実
養父:池尻知房
父親:清閑寺盛房
母親:梅小路定徳の娘
テンプレートを表示

生涯

編集

京都府京都市出身。伯爵清閑寺盛房の子どもとして生まれ、初名は熙吉であった。後に池尻知房の養子となり基房と改名し、池尻家の11代当主となる[1]

1889年明治22年)に子爵を襲爵。1896年(明治29年)に従五位となり、後に従二位となる。また大阪市中央区高津宮で宮司を務めた[1]

1943年昭和18年)、死去。享年68。墓所は京都市上京区報恩寺[1][2]

系譜

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d 『平成新修華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)
  2. ^ 『華族會館の百年』(1975年霞会館
日本の爵位
先代
池尻知房
子爵
池尻家第2代
1889年-1943年
次代
池尻貞光