ルイーズ=マリー・ドルレアン
ルイーズ=マリー・ドルレアン(フランス語: Louise-Marie d'Orléans, 1812年4月3日 - 1850年10月11日)は、フランス王ルイ・フィリップの娘で、ベルギー王レオポルド1世の妃。
ルイーズ=マリー・ドルレアン Louise-Marie d'Orléans | |
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ベルギー王妃 | |
1830年代 | |
在位 | 1832年8月9日 - 1850年10月11日 |
戴冠式 | 1832年8月9日 |
全名 |
Louise-Marie Thérèse Charlotte Isabelle ルイーズ=マリー・テレーズ・シャルロット・イザベル |
出生 |
1812年4月3日 シチリア王国、パレルモ |
死去 |
1850年10月11日(38歳没) ベルギー、オーステンデ |
埋葬 | ベルギー、ノートルダム教会 |
配偶者 | レオポルド1世 |
子女 |
ルイ・フィリップ レオポルド2世 フィリップ シャルロット |
家名 | オルレアン家 |
父親 | フランス王ルイ・フィリップ |
母親 | マリー・アメリー・ド・ブルボン |
宗教 | カトリック教会 |
生涯
編集オルレアン公ルイ・フィリップ3世(後のフランス国王ルイ・フィリップ)とその妃であるマリー・アメリー(両シチリア王女)の長女として、パレルモで生まれた。父ルイ・フィリップの国王即位(1830年)とレオポルドの初代ベルギー国王即位(1831年)の後の1832年に、コンピエーニュでレオポルドと結婚し、ベルギー王妃となる。
ベルギー王家であるザクセン=コーブルク=ゴータ家はエルネスティン家の分枝の一つで元来はザクセン系小領邦の君主の家柄であったが、この婚姻によりブルボン家やハプスブルク家との縁が深まり、有力な家柄の一つとなった。
1848年に父の王朝が倒れた二年後、ルイーズ=マリーは結核によりレオポルドに先立ってオーステンデで死去し、ラーケンのノートルダム教会に葬られた[1]。
子女
編集- ルイ・フィリップ(1833年 - 1834年)
- レオポルド2世(1835年 - 1909年)
- フィリップ・ウジェーヌ(1837年 - 1905年) - フランドル伯
- マリー=シャルロット(1840年 - 1927年) - メキシコ皇帝マクシミリアン后
系譜
編集ルイーズ=マリー | 父: ルイ・フィリップ (フランス王) |
祖父: ルイ・フィリップ2世 (オルレアン公) |
曽祖父: ルイ・フィリップ1世 (オルレアン公) |
曽祖母: ルイーズ・アンリエット (コンティ公女) | |||
祖母: ルイーズ・マリー |
曽祖父: パンティエーヴル公ルイ・ジャン | ||
曽祖母: マリー・テレーズ (モデナ公女) | |||
母: マリー・アメリー |
祖父: フェルディナンド1世 (両シチリア王) |
曽祖父: カルロス3世 (スペイン王) | |
曽祖母: マリア・アマーリア (ザクセン選帝侯女) | |||
祖母: マリア・カロリーネ |
曽祖父: フランツ1世 (神聖ローマ皇帝) | ||
曽祖母: マリア・テレジア |
脚注
編集- ^ 谷克二『ブリュッセル歴史散歩 中世から続くヨーロッパの十字路』日経BP企画、2009年、206頁。ISBN 978-4-86130-422-4。
先代 |
ベルギー王妃 1832年 - 1850年 |
次代 マリー=アンリエット・ドートリッシュ |