民国連立政権

民国連立政権(みんこくれんりつせいけん)は、2010年5月から始まった民主党国民新党の2党による連立政権非自民・非共産連立政権である。

経緯

民社国連立政権から、普天間基地代替施設移設問題鳩山由紀夫首相(当時)が名護市辺野古沖を移設先と決定し、県外国外移設を断念した。それに伴い、鳩山は閣僚に賛成する署名を要求。社会民主党党首で消費者行政担当相の福島瑞穂は署名を拒否し、同年5月28日に鳩山より罷免された。

そして福島は、5月30日の社民党全国県連幹事長会議で連立離脱するか否かの賛否を問い、47都道府県中37都道府県が連立離脱に賛成し、同日中に連立離脱を決定し正式に離脱した。今後は、民主党と是々非々の立場で対応していく方針を表明した。

菅政権

同年6月8日鳩山由紀夫内閣総辞職し、菅内閣が発足。初閣議で民国連立の継続を確認した。

ところが6月11日に、政府と与党が今夏参院選に集中する名目で郵政改革法案の成立を参院選後の臨時国会に先送りする方針を決めたことを受け、郵政金融担当大臣の亀井静香菅直人首相(当時)に電話で「(閣内に)残ることはできない」と辞任の意向を伝え、同日中に亀井は辞任した。後任には、亀井と同じ国民新党の幹事長・自見庄三郎を充て、連立自体は継続した[1]

2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙で、民主党は44議席、国民新党にいたっては0議席と与党過半数に達さなかった。対する野党自民党は51議席獲得で84議席と躍進、みんなの党は10議席を獲得し11議席。参院選の結果を受けて、民主党内の一部とみんなの党の渡辺喜美代表は、菅直人首相ら執行部の引責を求めたが、菅と執行部は続投を表明した。[2]

内閣支持率と求心力の低下に対し菅は、2011年1月14日に内閣改造を決行、菅再改造内閣が発足した。支持率低下の一因とも報道される仙谷由人官房長官と馬淵澄夫国交相をポストから降ろし、後任にそれぞれ枝野幸男大畠章宏を横滑りさせた。官房長官に小沢一郎と遠い人物を置くことで、小沢の影響力を低下させる狙いがあった。

2011年3月7日には、前原誠司外務大臣在日韓国人から違法献金を受けていたことが発覚し引責辞任、9日には菅自身も在日韓国人から違法献金を受け取っていたことが発覚。同月11日には東北地方太平洋沖地震による東日本大震災福島第一原子力発電所事故が発生。菅政権は、違法献金問題と震災復興と原発事故の対策に追われた。6月2日には、菅の災害対応が不十分であるとして野党の自民・公明両党により内閣不信任決議案が衆議院本会議に提出されるが、結果は否決され、菅は退陣を匂わすも続投。このころより民主党内では、自民党と公明党との「挙国一致」大連立構想が浮上するも自民党からは事実上断られる格好となった。その後、菅は再生エネルギー法案の成立に意欲を見せ、この法案と関連法案の成立こそが「震災復興の一定のめど」とした。

8月26日、菅が「震災復興への一定のめど」としていた3法案が成立をうけて、菅は正式に辞任を発表した。菅退陣表明により、2011年民主党代表選挙が公示され、野田佳彦財務大臣海江田万里経済産業大臣、前原誠司前外務大臣、鹿野道彦農林水産大臣、馬淵澄夫前国土交通大臣の5人が立候補。8月29日に投開票され、野田と海江田の決選投票の結果、野田が民主党代表に決定した。8月30日の閣議で菅内閣は総辞職した。

野田政権

9月2日野田内閣が発足。民国連立の継続を確認し、郵政改革担当相には国民新党の自見庄三郎が再任された。

野田はかねてから表明していた、「2014年4月に8%、2015年10月に10%」の二段階引き上げを明記した消費増税法案の成立を推進。
2012年3月30日に法案の閣議決定をしたが、これにたいして国民新党の代表亀井は「国民との約束を破るわけにはいかない」と反発し、連立政権からの離脱を表明した。野田と亀井は首相公邸で会談し慰留したが、亀井は応じなかった。国民新党から入閣している自見郵政改革担当相らは法案の閣議決定に署名し連立からの離脱に反対。分裂となる状況の下で、亀井は自見らを無所属として閣内に残留させて国民新党は連立を離脱するという案を出したが、野田は事実上拒否。

脚注

関連項目