仙谷由人
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せんごく よしと
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| 生年月日 | 1946年1月15日(66歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 |
徳島県立城南高等学校卒業 東京大学法学部中途退学 |
| 所属政党 | (日本社会党→) (社会民主党→) (四国市民ネットワーク→) 民主党 |
| 称号 | 弁護士 |
| 公式サイト | 仙谷由人ホームページ |
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| 内閣 | 菅第1次改造内閣 |
| 任期 | 2010年11月22日 - 2011年1月14日 |
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| 内閣 |
菅内閣 菅第1次改造内閣 |
| 任期 | 2010年6月8日 - 2011年1月14日 |
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| 内閣 | 鳩山由紀夫内閣 |
| 任期 | 2010年2月10日 - 2010年6月8日 |
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| 内閣 | 鳩山由紀夫内閣 |
| 任期 | 2009年9月16日 - 2010年2月10日 |
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| 選挙区 | (旧徳島県全県区→) 徳島県第1区 |
| 当選回数 | 6回 |
| 任期 |
1990年 - 1993年 1996年 - 現職 |
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その他の職歴
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(2011年3月17日 - 2011年9月2日) |
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仙谷 由人(せんごく よしと、1946年(昭和21年)1月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)、民主党政策調査会長代行、凌雲会顧問。
旧民主党政策調査会会長、凌雲会会長(初代)、民主党政策調査会会長(第7代)、有限責任中間法人公共政策プラットフォーム代表理事、衆議院決算行政監視委員長、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)、内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)、内閣官房長官(第78代)、法務大臣(第86代)、拉致問題担当大臣、民主党代表代行などを歴任した。
経歴
生い立ち
徳島県徳島市出身。父は裁判所の職員、母は徳島高等女学校の教師[1]。なお母は熱心な組合活動家でもあったという[2]。
学生時代
学生運動
徳島県立城南高等学校卒業。1964年に東大文Ⅰに合格し、上京する[2]。東大時代は全共闘の新左翼系学生運動家であり、日本共産党を脱党した安東仁兵衛らが指導した構造改革派のフロントというセクトのシンパだった[3]。
東大安田講堂事件の際は講堂の中にはおらず、救援対策や弁当の差し入れなどを行い、学生活動家仲間からは「弁当運び」と呼ばれていた[脚注 1]。
5年次在学中の1968年に司法試験に合格し、中退[脚注 2]して司法研修所に入所した。
弁護士時代
司法修習23期(同期に漆原良夫)を経て弁護士登録。 1971年から弁護士活動を開始。弁護士時代は労組事件や日本教職員組合関連の案件を扱った。麹町中学校内申書事件の弁護人も務めている。また、ピース缶爆弾事件では弁護人として無罪を勝ち取った。所属していた弁護士事務所の部下に福島瑞穂らがいる。
総会屋・小川薫の弁護士を務め、暴力団幹部十数名と2週間のヨーロッパ旅行に行くなど、暴力団関係者と深く交わる。昭和51年のヨーロッパ旅行について、小川薫は著書『実録総会屋』(ぴいぷる社)234ページで、「たしかに、このツアーは私が費用を全部持って、週刊新潮が言うヤクザ組織の最高幹部が同行していたのは事実だ。美能組の組長夫妻、浅野組の組長夫妻、共政会の組長夫妻、共政会の三代目夫妻も参加していた。しかし、別にヤクザだけを連れて行ったわけではなくて、お世話になっている弁護士の先生も一緒だった。現在、民主党の有力代議士の仙谷由人先生も一緒だった。仙谷先生には、私や小池隆一君の弁護をお願いしていたのだ。この仙谷先生とは旅程の間、ずっと同室だった」と記している。
政界入り
1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧徳島県全県区から立候補し当選した。当選後は、社会党を現実的に政権を担える党に脱皮すべく、ニューウェーブの会のメンバーとして活躍し、山花貞夫委員長を首班とする社会党シャドーキャビネットで官房副長官を務めたが、1993年の宮澤改造内閣不信任可決の後実施された第40回衆議院議員総選挙では次点で落選し、社会党も現有議席を割り込んだ。社会党が名称変更した社会民主党を離党し、四国市民ネットワーク代表を経て旧民主党に参加。
旧民主党
1996年10月20日の第41回衆議院議員総選挙では新設の徳島1区から出馬し、当選、政界に復帰。以後、徳島1区で4回連続当選。同年11月に党政策調査会長に就任した。1997年9月には幹事長代理に転じた。
民主党
2002年1月15日に胃癌の手術のため国立がんセンターに入院し、週刊朝日で告白記事を執筆した。
2004年5月に党代表に岡田克也が選出された際に党政調会長に就任。同時に、民主党次の内閣の「ネクスト官房長官」に就任した。民主党では過去に社会党に所属していたにもかかわらず、親米右派の前原誠司のグループに所属している。これは仙谷の過去の思想傾向から見れば、正反対の極地への転向といえる。
2005年9月11日、民主党が衆議院選挙で大敗し、岡田は引責辞任したものの、同じグループでの活動が目立った前原誠司が党代表に就任したため、次の内閣の「ネクスト厚生労働大臣」に就任。同年11月25日に民主党が設立した公共政策プラットフォーム(プラトン)初代代表理事に就任。
2006年2月16日に発生した堀江メール問題では、当時、国会対策委員長だった野田佳彦が責任をとり辞任したあとに国対委員長に就任した渡部恒三からの要請を受け、幹事長代理を兼任。同年4月7日に党代表に選出された小沢一郎新執行部では再び次の内閣閣僚に専任した。2006年9月28日、第165回臨時国会で衆議院決算行政監視委員会委員長に就任した。
2008年3月に任期切れを迎えた日本銀行総裁人事では、当初、「財金分離」の観点から「財務省次官経験者」が日銀総裁に就くことに反対を表明したものの、4月の日銀副総裁人事では一転して財務省出身の有無にかかわらず資質によって選択するよう主張した。同時に、副総裁として起用が予定されていた伊藤隆敏東大教授の就任も不同意とされ、日銀出身の白川方明(現日銀総裁)のみの同意となった。また、「財金分離」とは財政運営と金融監督との行政行動の相反を防ぐもので(旧大蔵省と金融庁の分離)、財務省と日銀の間の関係性を示すものではない。[要出典]
2008年7月、「時代が仙谷由人を求めているかどうか判断する」と述べて同年9月の民主党代表選に出馬する強い意欲を示したが、出馬には至らなかった。
鳩山政権
2009年9月発足の鳩山由紀夫内閣では内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)に就任した。また、特命担当大臣の所管事務とは別に、国務大臣として「公務員制度改革を推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」[4](公務員制度改革担当)も担当することになった。
大蔵事務次官を務めた斎藤次郎の郵政社長人事が天下りと指摘されたことに対し、「国家公務員法の第106条の2」の元公務員の再就職の斡旋の主語は「職員」であって「政府」や「内閣」ではないと指摘しながら、問題はないとの見解を示した(民主党は、2007年11月14日に、労働保険審査会委員・運輸審議会委員・公害健康被害補償不服審査会委員の計3人の元官僚を、福田康夫首相が選任した際の国会同意人事については天下りを理由に不同意としている)。
2010年1月7日、菅直人が閣内横滑りの形で財務大臣に就任したことに伴い、仙谷は国務大臣として「税財政の骨格や経済運営の基本方針等について企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(国家戦略担当) も追加で担当することになった。2010年2月10日、枝野幸男の入閣に伴い、仙谷は内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)の任を解かれ、新たに内閣府特命担当大臣(「新しい公共」担当)に任命された。なお、「公務員制度改革担当」及び「国家戦略担当」は引き続き兼務することとなった。
菅政権
2010年6月8日発足の菅内閣では横滑りで内閣官房長官に就任。「影の総理」[5]、「赤い後藤田」[脚注 3]と呼ばれるほどの政界実力者として注目されるようになった。通常は5人程度の官房長官秘書官を10人抱えたこと[6]、10月14日の横浜で行われたアジア太平洋経済協力会議での日韓首脳会談に首相と共に陪席したこと[7]などが異例だと報じられた。
菅第1次改造内閣でも内閣官房長官として留任。2010年11月22日以降は、失言問題で辞任した柳田稔の後任として法務大臣を兼任した。11月15日、尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応などを理由に自民党が衆議院に提出した仙谷の不信任決議案は与党と社民党の反対多数により否決[8]。11月26日、中国漁船問題や暴言などを理由に自民党がみんなの党とともに参議院に提出した問責決議案は賛成127票、反対111票で可決された[9]が、仙谷は法的拘束力のない問責決議より不信任決議が優先されるとの認識を示し、辞任を否定した[10]。
2011年1月14日、菅第2次改造内閣の発足にともない、法務大臣と内閣官房長官を退任。民主党代表代行に就任した。
2011年東北地方太平洋沖地震に際して、計画停電が社会に与える影響を東京電力に問い合わせたが、「ご不明な点はカスタマーセンターまで」と書かれた紙がファクスで送られてきた。仙谷はこの扱いに激怒し、事態にあたっている東京電力担当者を呼びつけ、「どういうことだ。俺を誰だと思っているんだ」と怒鳴った[11]。また、大韓民国大統領・李明博の要請を受け訪韓する予定だったが、地震の発生を受けて取りやめた[12]。3月17日、民主党代表代行を兼務したまま政務担当の内閣官房副長官に就任した[13]。同年9月2日の野田内閣発足にともない内閣官房副長官を退任。
野田政権
2011年9月、野田佳彦代表の下、新設された民主党政策調査会長代行に就任。同年11月10日、凌雲会の会長に前原誠司が就くことになり[14][15]、仙谷は顧問に就任した[14][15][16][17]。また、政治団体としての凌雲会の代表者についても、従来は仙谷として届け出ていたが[15][16]、これを期に前原に変更することになった[15]。
政策・主張
政局
- 党内では前原グループの会長を務め、鳩山由紀夫グループ、菅直人グループ、旧社会党系、旧民社党系などのグループから一定の距離を置きながら、枝野幸男、前原ら党内の中堅・若手議員の後見役的ポジションで存在感を保っている。2007年のいわゆる大連立騒動では、大連立構想を党に持ち帰ってきた小沢一郎に対し、党内コミュニケーションの不足を面と向かって指摘し批判した。2009年3月の小沢の西松建設事件に対しても党内から辞任を求めるなど、昨今は党内反小沢勢力の旗頭と目されている。
- いわゆる「民主党七奉行」の一人であり、七奉行の会に所属する。
- 郵政民営化法の衆院採決の直前、郵政民営化反対派の亀井静香に対し「仮に解散になったら、反対派は公認されないので大変でしょう。民主党としても配慮しないわけにはいきませんな」と働きかけた。岡田克也はこの発言を即座に否定した[18]。
- 2007年7月8日、徳島駅前で「公明党という中途半端ないんちきな政党がいる。何が平和の党だ。何が福祉の党だ。どこかから命令が下りたら三日間で五万票が動く。こんなでたらめな民主主義があるか」と演説した[19]。
- 2007年12月4日、自身の支援パーティーに新日本宗教団体連合会政治委員会委員長の力久隆積が参加しており、「(立正佼成会が支援する民主党の)風間直樹さん、大島九州男さんが参議院選挙だということで、私は宗教者として勝たねばならないと思い取り組んだ。この選挙には、立正佼成会、PL、そして善隣教、そのほかにも多くの宗教が結集した。その宗教界の背中を押してくれたのは仙谷さんだ」と評されている[20]。
経済・財政
- 民主党が「新自由主義」批判に傾いた2010年においてもなお、自身のwebページにおいて2000年代初頭における民主党の「官から民へ」路線に基づいた政策信条の記述を残していることから、大胆な規制緩和・自由化や地方分権を主張する新自由主義論者とみなす向きもある。下記にあるような均衡財政論者としての姿はそれと矛盾しないが、一方で#消費者行政にあるように企業活動の規制を主導する政治家としての面もある。
- 2010年1月6日の講演で「法人税も課税ベースを広げた上で税率を下げないと、第3次産業化についていけない。相続税も、65歳を超えている人への相続は財産が社会的に有効に使われているのか。遺産税のようなものも考えないといけない。」「人口構成がこれだけ変わってくると、消費税率を20%にしても、それだけでは追い付かない。」と述べた[21]。
- 地球市民という言葉を好み、自然派であるとしている。公共事業そのもの対して批判的で、静岡空港建設反対の国会議員署名活動でも署名者に加わった[22]。
- 2008年3月11日、衆議院議院運営委員会理事会での武藤総裁候補に対する質問にもあらわれるように、低金利政策に対して批判的な姿勢をとる。
- 2010年9月の為替介入に関する「82円が防衛ライン」発言についてJPモルガン・チェースは、投機家の攻撃を誘う大きな過ちだと指摘している[23]。
公務員政策
- 民主党政権のなかでも極度の官僚(キャリア)嫌いであり、政権内にはその行動・言動を疑問視する向きも少なくない[24]。
- 事務次官制度の廃止を提唱している。
- 自治労協力国会議員団長を務めている。
- 2009年4月27日、社保庁でヤミ専従や年金のぞき見、年金横領などで問題のあった職員は日本年金機構には全員採用されないことが閣議決定され[25]、民間への再就職斡旋や分限免職の対象となる見込みであるが[26]、仙谷は、自治労とともに、対象となる社保庁職員の分限免職の回避や雇用の確保を厚生労働大臣に要請した[27]。
- 議員歳費の削減には「みんなが低い方に合わせるように足を引っ張り合うことがいいのかどうか」と述べ、否定的な見解を示している[28]
消費者行政
- 2008年10月2日、民主党人権・消費者調査会会長として、こんにゃくゼリーの販売禁止を内閣府野田聖子大臣に申し入れた。
- 2009年4月14日、消費者庁設置関連法案について、「消費者権利院」を内閣の外に設置することを求めたが、有識者による監視機関「消費者委員会」を内閣府の内部組織から外局に格上することで与党と合意した。この仙谷の対応を、自民党の大島理森国対委員長は「民主党の良識が戻った」と賞賛した。
中韓外交
- 外交は「アジア重視」を掲げ、過去の戦争の反省にたって中華人民共和国、韓国、北朝鮮と友好・協力関係を築くべきだと主張している。
- 2006年8月7日に韓国を訪問し、韓国の与野党党首と面談。「日韓関係悪化は、小泉(純一郎)という特異な人物のせい」であると釈明し、民主党のアジア重視政策を説明。北朝鮮問題などの解決に日韓の連携を訴えた。
- 北京オリンピックを支援する議員の会所属。
- 2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」に参加。
- 2010年9月24日、尖閣諸島中国漁船衝突事件で逮捕した船長を那覇地検が処分保留で釈放したことについて、仙谷は「検察が総合的に判断した。国内法に基づいて(捜査を)進めた結果だ」と述べた。この釈放については、日中両国がこれ以上対立するのは望ましくないとの政治的な判断とされている[29]。
靖国神社参拝問題
2001年8月、「小泉首相の靖国参拝反対の集い」の呼びかけ人となる。開催の挨拶で仙谷は「私は毎年8月15日には韓国の大邱に行き、中蘇(サハリン)離散家族会総会に出席し、サハリンに強制連行された[脚注 4][脚注 5]遺族の方の哀号と糾弾の叫びをききながら一日を過ごすことにしている。その経験から言うと、21世紀になって小泉さんが靖国にどうしても行くというのは、すっとんきょうで、とんちんかんで、訳の分からない行為。日本のためにも相手のためにも、おやめいただかなければならない。」と述べた[30]。
スポーツ政策
2004年のプロ野球再編問題に際し、同年8月4日に国会議員35人による、1リーグ制移行の阻止と第三者協議機関の設置を目指す「日本プロ野球の更なる飛躍・発展とスポーツ文化振興による地域活性化を推進する会」の発起人代表に就任。
韓国との戦後処理について(韓国人への個人補償について)
- 2010年7月7日、日本外国特派員協会の記者会見で、韓国との戦後処理について質問を受け、「一つずつ、あるいは全体的にも、この問題を改めてどこかで決着を付けていくというか、日本のポジションを明らかにする必要があると思っている」と述べ、従来の政府の対応は不十分だとの認識を示した。また、個人の請求権が日韓請求権協定で消滅したことについては、「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか、物事が済むのかという話だ」述べた。1965年、日韓は日韓基本条約にて国交正常化。同条約と日韓請求権協定によって、韓国政府は自らの意向により、多額の資金供与、円借款と引き換えに韓国人個人の請求権を放棄している[31]。
竹島問題について
2010年7月、日本政府は7月末に閣議了承する予定だった2010年版防衛白書を9月以降に先送りする方針を固めた。韓国にて8月29日に「日韓併合100年」を迎えるにあたり、日韓両国が領有権を主張する竹島 (島根県)について日本固有の領土と防衛白書に明示することを控え、韓国側に配慮する形となった。仙谷由人官房長官が27日、防衛省に指示し最終決定した。韓国側はこれまでも外交文書などに竹島を日本固有の領土と記載することについて反発を繰り返しており、今年は特に日韓併合100年目を迎える節目にあたることもあり外交ルートなどを通して竹島を日本領土と記載しないように求めてきていた。日本政府は9月に先送り後、竹島(及び北方領土)を「わが国固有の領土」と記述する考えだが、対外関係を理由に先送りするのは極めて異例[32]。
尖閣諸島中国漁船衝突事件について
2010年9月7日に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件にて逮捕された中国人船長の釈放を菅直人首相、前原誠司外務大臣が外遊にて不在のなか、あくまでも検察独自の判断であったとした上で承認、政権内部に反対の声があることについては「承知していない」と述べた[33]。この中国人船長の釈放について、多くの海外メディアは「中国の圧力に屈した」などと報じており[34]、中国からは釈放後に謝罪と賠償を求める声明が出された[35]。検察は船長を起訴の方向で動いていたが、仙谷の指示で急に釈放になることが決まった[36]。
10月18日、参院決算委員会で自民党の丸山和也が、仙谷と電話で意見交換をおこなったと主張した[37][38]。丸山によれば、仙谷は、「船長は判決を受けてから送還なりすべきだった」との意見に対し、「そんなことをしたらAPECが吹っ飛んでしまう」と答え、「釈放は国家(にとって)の大きな損失。日本は中国の属国になっていくのでは」との疑問には、「属国化は今に始まったことではない」と答えたという[37][38]。仙谷は、「そのような会話をした記憶はまったくない」と丸山の主張を否定した[37][38]。
仙谷は、事件の映像公開には反対の立場をとっており、2010年11月5日に事件の映像がyoutubeにて公開された際にも、記者会見で「司法当局の捜査とする判断もしなければならない」と述べている。なお、公開者のID「sengoku38」は仙谷を揶揄するIDであったとの説[39]もある。
歴史観
民主党の枝野幸男幹事長代理が、沖縄・尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件をめぐり、中国を「悪しき隣人だ」などと批判したこと[脚注 6]について、仙谷は2010年10月4日の記者会見で反論した際、日中両国に関する次のような歴史観を披露した。
- 中国に文化的優位性があると認識
- 「古くから中国から伝来した文化が基本となり日本の文化・文明を形成している」
- 「桃太郎などの寓話(ぐうわ)も中国から取ってきたようなものが多い」
- 中国の近代史が同情的であると認識
- 「(中国は)清朝の末期から先進国というか英米の帝国主義に領土をむしりとられてというと言い過ぎかもしれないが、割譲されて民族としても国家としても大変、つらい思いをしてきた歴史がある」
- 日本に戦争責任があると認識
- 「日本も後発帝国主義として参加して、戦略および侵略的行為によって迷惑をかけていることも、被害をもたらしていることも間違いない」
発言
テロリズムへの皮肉
2004年9月30日、右翼団体の男性が衆議院通用門に車で突っ込んだ事件に関して、「政府の対応に不満を持つなら、目指すは官邸か内閣府だ」と述べた[40][41]。
「文化大革命」
たびたび、公の場で毛沢東主義への礼賛を隠すことなく文化大革命を肯定的な喩えとして用い、自らの手による官僚の更迭も文革になぞらえる。2009年11月12日、『毎日新聞』の政策情報誌「毎日フォーラム-日本の選択」のシンポジウム「政治は変わったか〜民主政権の課題と自民再生への展望」において、行政刷新担当相として、事業仕分けについて、「予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と発言した[42]。また、12月9日に、テレビ朝日『スーパーモーニング』内で、「事業仕分けで文化大革命が起こってますよ」と発言した[43]。さらに、12月17日に国家公務員制度改革推進本部[44]の立花宏事務局長ら10名の幹部職員を更迭した際にも、政治主導の文化大革命だと述べた。
学生時代の「窃盗」
2010年3月1日、ラジオ日本の番組に出演した際にパーソナリティからあだ名について聞かれ、「東京大学在学時はケロヨンと呼ばれていた。理由は酒に酔って薬局から看板を失敬し下宿に飾っていたから」と答えた[45]。当時の学生は学園紛争において機動隊から奪った盾やヘルメットなどを武勲として部屋に飾っていたという時代背景がある。
「貧乏人は麦を食え」
自著『金融・経済危機、そして日本』で、「かつて『貧乏人は麦飯を食え』といった政治家(注・池田勇人を指す)がおりますけれど、今はそんな度胸のある政治家はありません。私はここまで(注・のどもとを指す)でかかっておりますが、次の選挙でもう一回落ちたらもう立ち上がれないと思っていますので、ちょっというのを控えています」と記述している[46]。
「上司として言っておきますが、こういう場に呼び出すのは彼の将来を傷つける。優秀な人だけに大変残念だ」
2010年10月15日 参議院予算委員会に、みんなの党などの要請で招致され公務員の現役出向に関する答弁を行うために前国家公務員制度改革推進本部事務局審議官(委員会出席時は経済産業省官房付)の古賀茂明が政府参考人として出席し、民主党政権の公務員制度改革への取り組みを「不十分だ」と批判した。これに対し仙谷官房長官が「こういう場に呼び出すのは彼の将来を傷つけると思います。優秀な人であるだけに、大変残念に思います」と発言[47]し、一時、委員会が紛糾した[48]。本件については、鶴保庸介参議院決算委員長(自民)及び前田武志参議院予算委員長(民主)は、異例の厳重注意を行った。
「健忘症」発言
2010年10月18日午後に行われた参院決算委員会で、尖閣諸島中国漁船衝突事件について自民党参議院議員丸山和也と電話でやりとりをしたこと[37]についての問いに、「最近、健忘症にかかっているのか分からないが、そういう電話で暴露されたような会話をした記憶は全くない」と答えた[37]。その後、マスコミのインタビューで仙谷が丸山の発言を「いい加減な人のいい加減な発言だから」と語っていることに関して丸山は「健忘症と言いその場で反論をせず逃げた男が、後になってけしからん。これについてはけじめをつけようと思っている。」と反論している。11月30日、丸山は仙谷と国に対し計3千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求めて東京地裁に提訴し、仙谷を侮辱容疑で東京地検に告訴した[49]。2011年7月12日、東京地検は嫌疑不十分につき不起訴とした[50]。
「天皇はリベラル」
天皇及び皇室について、「天皇陛下を含めて日本で最もリベラルな方々の集団」「右派は右派、左派は左派。リベラルはリベラル。リベラルという言葉に左派というレッテルを押す用語法を私は全然、使っていない」と述べた[51]。
「盗撮」発言
2010年11月9日、読売新聞夕刊にインターネット上に流出した沖縄尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件映像の一般公開の可否を検討する「厳秘」とされる資料の写真が掲載された。写真は同日の衆院予算委員会で仙谷が持っていた資料を読売新聞が撮影したものだったが、仙谷はこれを「盗撮だ」と批判した[52]。翌11月10日に在京8社写真部長会が「通常取材の範囲内で撮影している」と「盗撮」発言の撤回と謝罪を求めた。仙谷は「盗撮」と表現したことを「釈然としないが、撤回する」としたが、謝罪には応じなかった。11月12日の衆院内閣委員会で「国会内の撮影許可の趣旨はカメラが今のように非常に細かいものまで撮影できる時代の許可ではなかった。時代とともに撮影のあり方も考え直す必要がある」と述べ、取材の規制強化に言及した[53]。
「(尖閣ビデオ流出問題で)政治職と執行職のトップの責任のあり方は違う」発言
2010年11月10日の記者会見で、尖閣ビデオ流出問題に関し、海上保安庁長官である鈴木久泰の監督責任について「独立性、自立性に応じた責任は当然出てくる。強制力を持った執行部門は、それなりの強い権限がある代わりに強く重い責任を負う」と発言。国土交通大臣である馬淵澄夫に関しては「政治職と執行職のトップの責任のあり方は違う」と、責任を問わない意向を表明。公明党の山口那津男代表は「今回の一連の事件は那覇地検の刑事事件処理も海上保安庁の対応も政治判断に基づいて行われてきた。とすれば、最終的に政治職の側がきちんと責任を担う必要がある。執行職の現場に責任を押しつけるやり方は許してはならない」と述べた[54]。またZAKZAKは「絵に描いたようなトカゲのしっぽ切り」としている[55]。
「暴力装置でもある自衛隊」発言
「暴力の独占」も参照
2010年11月18日の参院予算委員会で「暴力装置でもある自衛隊」と発言した。自民党の抗議を受け、「実力組織と言い換える。自衛隊の皆さんには謝罪する」と発言を撤回・謝罪した[56]。菅直人首相も謝罪し同日夜執務室において「今後気をつけるように」と厳重注意した。北沢俊美防衛相は「誠に残念なことだ」と述べた[57]。また、自衛官からは失望や怒りの声が多くあがった[58][59]。産経新聞は、「特異な言葉がとっさに飛び出す背景には、かつて学生運動に身を投じた仙谷氏独特の思想・信条があり、民主党政権の自衛隊観を反映した」と指摘し[60]、みんなの党の渡辺喜美は、「昔の左翼時代のDNAが図らずも明らかになっちゃったということではないか。たがが緩んで失言が頻発しますね。政権末期症状だと思います」と批判した[61]。自民党の谷垣禎一は「学生だったころの左翼文献を見ると、『軍隊は暴力装置』とはよくある表現だった」と述べた[62]。11月19日、仙谷は悪意はなかったとした上で、2009年3月30日に行われたフォーラムにおける石破茂の発言を取り上げて「石破先生も『警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の定義』と言っている」と反論した[63]。11月22日の参議院予算委員会における自民党の佐藤ゆかりとの質疑では、自衛隊について「合憲の存在。戦前のようなことが起こらないよう、政治がコントロールしなければならない」「国民の合意に基づいて存在し行動する。それが名実共に備わっていなければ合法化されない」と述べた[64][65]。
「民間人も表現の自由制限」発言
2010年11月18日の参院予算委員会で、防衛省が自衛隊行事に政治的発言をする者を呼ばないよう事務次官通達を出した問題に関し、「民間人であろうとも自衛隊施設の中では、表現の自由は制限される」と明言した[66]。
「男性中心社会の固定観念は病気」
2010年4月26日に行われたシンポジウムにおける「(戦後は女性が)働きながら子育てする環境が充実されないままになった。もうそんな時代は終わったのに気付かず、専業主婦に家庭の運営を任せておけばいいという構図を変えなかったことが、日本の病気として残っている」との発言[67]について、産経新聞は「専業主婦は病気」と受け取られかねない発言をしたと報じた。これについて仙谷は「そんな表現をした記憶はない。男性中心社会の固定観念が病気であると、絶えず申しあげてきた」と述べた[68]。
「勃起」セクハラ報道
2011年1月6日発売の「週刊新潮」と「週刊文春」(1月13日号)によると、日本経済新聞社の女性記者Mに対して、背中に肩から手をまわした上、自身の陰部が勃起する旨の不適切な発言を繰り返したと報道された。本件について日本経済新聞社は、事実ならば厳正に対処すると回答している。1月17日、仙谷は「一方的に誤った事実を掲載され、読者に対して誤った認識を抱かせた」として、発行元の文芸春秋と新潮社にそれぞれ1千万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め東京地裁に提訴した[69]。
エピソード
- 初当選した1990年には、東京放送(現TBSテレビ)のクイズ番組『クイズダービー』の、「野党の委員長と新人議員大会」(同年7月28日放送、第750回)に、当時の社会党委員長・土井たか子とともにギャンブラーとして出演しているが、0点という結果に終わっている。
- Ustreamでの放送にて田原総一朗が献金をしている事が明らかになる[70]。田原は自身が司会を務める番組『サンデープロジェクト』に仙谷をゲストに招くなど、以前から高く評価していた。「わからないことがあれば仙谷さんに聞けばいい」と番組内でも話していた。
- 公明党の井上義久幹事長の親族の弁護(ピース缶爆弾事件)を担当したことがあり、公明党と一定のパイプを持っていると言われている。一方で、創価学会と袂を分かった矢野絢也元委員長の息子を公設秘書として採用しており、同党が不快感を示しているともされている。
- 官房長官在任中から産経新聞とは犬猿の仲であり、紙面や記者会見などで何度もやり取りを繰り返している。連日のように仙谷の発言を伝え、「仙谷由人研究」と題した連載を組むなど、批判の矛先を向けた。
家系
自身の家系について、仙谷は「徳島で江戸時代から続いた商人」と述べている[71]。仙谷が生まれる前には、大々的に展開していたという仙谷家の商売は傾いてしまっていたという[1]。
生家近くの商店主によると「お父さんはよく喋る人で、戦後ほどない1951年と1955年に2回、徳島市議選にも出たことがあるんですよ。いずれも落選してしまいましたがね」という[2]。
著書
- 『香港軍票と戦後補償』ISBN 4750305332
- 『焦眉 - 土建国家日本の転換』ISBN 4341171925
関連項目
脚注
- ^ 東大同級生で後年、社会党でも同僚となった松原脩雄によれば、「彼は東大全共闘でも、端の方にいた。安田講堂に立て籠もって機動隊に逮捕された学生もいましたが、仙谷は逮捕された人たちの救援活動をする側だったんです。弁護士の手配や、弁当の差し入れをしたりしていた。彼らは“弁当運び”と呼ばれていましたが、仙谷もその中の1人でした」という(『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」29頁)
- ^ 司法試験に合格しながら大学を中退するのは異例だが、1969年は東大紛争の影響で東大の卒業が6月に遅れたため、司法研修所が特例で7月入所を認めた。この特別措置に反発したり、通常通り4月から研修所入りしたいといった理由で、当時在学中に合格していた東大生のうち1/3程度が中退を選んでいる。『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」29頁には「東大紛争の混乱により、69年の卒業式は夏に順延となる異例の事態となったが、“東大だけ特別扱いはおかしい”と彼は中退して弁護士への道を歩みはじめたのだった」とある
- ^ おなじ徳島県出身で、元警察官僚で官房長官をつとめた後藤田正晴にちなむ。
- ^ 日韓併合時代に日本へ来日した朝鮮人に関しては在日韓国・朝鮮人#徴用・強制連行と渡航を、日韓併合時代にサハリンに来日した朝鮮人に関しては在樺コリアンを参照のこと。
- ^ 元サハリン再会支援会代表の新井佐和子は、サハリンに韓国人が「強制連行」されたというのは高木健一弁護士らが、安保闘争延長の反政府運動として利用し、主張してきたもので捏造であるとし、仙谷が2010年に内閣官房長官となった際に「仙谷氏は高木氏とずっとコンビを組んでいた」ので、この問題を再度、戦後補償問題にしてしまうことに懸念を表明した(サハリン残留韓国人問題「政治利用こうして始まった」 元支援会会長が指摘 産経新聞 2010/08/15)。
- ^ 枝野は、2010年10月2日の埼玉県さいたま市内での講演で、「中国とは、法治主義が通らないとの前提で付き合わないといけない」などと中国を批判していた。
参考文献
- ^ a b 『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」27頁
- ^ a b c 『週刊新潮』(2010年10月28日号)「仙谷由人の研究(前編)」28頁
- ^ 仙谷氏「暴力装置」発言 謝罪・撤回したものの…社会主義夢見た過去、本質あらわに 産経ニュース 2010年11月18日
- ^ 「人事異動」『官報』号外特20号、国立印刷局、2009年9月16日、1面。
- ^ 官邸占領! 陰の総理・「赤い後藤田」仙谷由人 でござる
- ^ これが官邸情報網の実態だ 秘書官10人「チーム仙谷」は省益優先官僚と思惑が一致 ZAKZAK 2010年11月30日
- ^ 異例…仙谷氏、官邸以外の首脳会談に同席
- ^ 共同通信2010年10月16日
- ^ 「一刻も早く辞すことが国益損失を少しでも抑えることにつながる」仙谷官房長官問責決議案の理由全文。詳細「1、尖閣諸島沖中国漁船衝突事件」における極めて不適切な対応 2、国権の最高機関たる国会を愚弄する暴言、失言を繰り返した 3、日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反した 4、国会同意人事案件に対する怠慢 5、北朝鮮による韓国延坪島砲撃事件における危機管理能力の欠如」
- ^ 共同通信2010年11月29日
- ^ 仙谷氏、東電怒鳴る=混乱にいら立ち
- ^ 仙谷氏、15日から訪韓
- ^ 仙谷氏が官房副長官 内閣の体制を強化 産経新聞 2011年3月17日閲覧
- ^ a b 「前原氏、グループ会長に就任」『時事ドットコム:前原氏、グループ会長に就任』時事通信社、2011年11月10日。
- ^ a b c d 「前原氏、グループ会長に…党代表選の反省踏まえ」『前原氏、グループ会長に…党代表選の反省踏まえ : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)』読売新聞グループ本社、2011年11月10日。
- ^ a b 「前原氏がグループ会長に――凌雲会、仙谷氏は顧問 」『前原氏がグループ会長に 凌雲会、仙谷氏は顧問 :日本経済新聞』日本経済新聞社、2011年11月10日。
- ^ 「ファイル:前原グループ新体制決定」『ファイル:前原グループ新体制決定 - 毎日jp(毎日新聞)』毎日新聞社、2011年11月11日。
- ^ 大下英治 『郵政大乱!小泉魔術(マジック)』 徳間書店〈徳間文庫〉(原著2005年11月)、p. 333。ISBN 9784198923310。
- ^ “重み増す公明票 自民とバーター協力”. 徳島新聞. (2007年7月24日) 2007年7月24日閲覧。
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- ^ 時事ドットコム2010年9月25日
- ^ 民主党ホームページ:野党有志議員の「小泉首相の靖国参拝反対の集い」ひらく [2]
- ^ 日韓戦後処理は不十分=「改めて決着必要」-官房長官
- ^ http://www.47news.jp/CN/201007/CN2010072701001155.html 韓国に配慮、防衛白書了承先送り 竹島で反発受け] 共同通信 2010/07/28
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- ^ http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200925005.html
- ^ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100926/t10014200901000.html?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
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- ^ a b c d e 2010年10月18日 読売新聞[3]
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- ^ 天下り批判の官僚に「将来に傷」 仙谷長官の“恫喝”で審議紛糾 産経ニュース 2010年10月15日
- ^ 2010年10月15日 日経新聞「現役経産官僚、予算委で異例の政府批判」
- ^ スポニチ2010年11月30日
- ^ 2011年7月13日 朝日新聞
- ^ 2010.10.20 産経新聞仙谷氏、リベラルに左派という意味はないと強調 かつて「天皇陛下は日本で最もリベラル」と発言
- ^ 仙谷官房長官:予算委で資料「盗撮された」 新聞掲載を批判
- ^ http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101113/plc1011130013000-n1.htm
- ^ 公明・山口代表「予想以上に政権は厳しい」と倒閣の動き示唆
- ^ こんなにある無責任内閣ぶり 誰か辞めたら「辞任ドミノ」に2010年11月11日
- ^ “「自衛隊は暴力装置」仙谷官房長官、撤回し謝罪”. 読売新聞. (2010年11月18日) 2010年11月19日閲覧。
- ^ 2010年11月18日 時事通信
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- ^ “「非常に残念」「いい気持ちしない」「むなしい」 仙谷氏「暴力装置」発言で自衛官から失望の声 (2/2ページ)”. MSN産経ニュース(産経新聞). (2010年11月18日) 2010年11月20日閲覧。
- ^ 2010年11月18日 産経新聞
- ^ “仙谷官房長官「暴力装置でもある自衛隊」に菅首相「『やや』問題」 野党から批判相次ぐ”. FNNニュース (フジテレビジョン). (2010年11月18日) 2010年11月19日閲覧。
- ^ nikkansports.com2010年11月19日
- ^ YOMIURI ONLINE2010年11月19日
- ^ 共同通信2010年11月22日
- ^ 国会会議録2010年11月22日
- ^ 仙谷氏、民間人も表現の自由制限 自衛隊施設で、野党は反発
- ^ 全私保連シンポジウムでの仙谷由人大臣の講演内容 幼稚園情報センター 2010年4月29日
- ^ 仙谷氏「専業主婦は病気」と問題発言か 本人は「記憶にない」と釈明 産経ニュース 2010年12月27日
- ^ 共同ニュース2011年1月17日
- ^ “田原総一朗のタブーに挑戦!(10.07.06)”. JFN. (2010年7月6日)
- ^ 『週刊朝日』2007年2月2日号(仙谷由人の研究(前編)27頁)
外部リンク
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民主党代表代行 2011年 |
次代: ー |
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民主党政策調査会長代行 初代:2011年 |
次代: (空席) |
| その他の役職 | ||
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凌雲会会長 初代:2002年 - 2011年 |
次代: 前原誠司 |
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