自由民主党総裁
| 自由民主党総裁 | |
|---|---|
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自由民主党党本部
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| 任期 | 3年(2期まで) |
| 初代 | 鳩山一郎 |
| 創設 | 1955年 |
| ウェブサイト | 自由民主党 |
自由民主党総裁(じゆうみんしゅとうそうさい、英:President of the Liberal Democratic Party)は、自由民主党の党首。自由民主党の国会議員および党員・党友などによる自由民主党総裁選挙によって選出される。「総裁」の役職名は、立憲政友会・日本自由党を引き継いだもの。
概要
自由民主党は、1955年11月の結党から2009年8月まで、衆議院で比較第1党を保っていたため、この間、1993年7月から1996年1月までおよび2009年9月以降の短期間を除き、歴代の自由民主党総裁は国会で首班指名され内閣総理大臣を務めてきた。従って長年、自民党総裁は内閣総理大臣と同一視され、総理総裁と呼ばれることもある。歴代の総裁で在任中に総裁経験者で首相に就任していない者は、河野洋平・橋本龍太郎(任期途中に総理就任)・谷垣禎一の3名である。
なお、自民党が与党であるものの首相を出さなかった村山内閣(1994年6月 - 1996年1月)においては河野(1994年6月 - 1995年10月)、橋本(1995年10月 - 1996年1月)が副総理として入閣している。
また、与党時代の総裁は首相の肩書きが優先され、総裁の肩書きが使用されることは少なかった。ただし、マスメディアでは、衆議院議員総選挙・参議院議員通常選挙期間中の選挙報道のみ、総裁の肩書きが優先される慣例がある(麻生首相の場合は麻生総裁と呼ばれる)。なお、総裁が首相を兼務する場合、党務は幹事長が主に担当する。
総裁は、自由民主党則6条1項が引用する総裁公選規程第1条により「党所属国会議員、党員、自由国民会議会員および国民政治協会会員」による公選が原則だが、党則6条2項により、総裁が任期中に欠けた場合で緊急の事態により正規の総裁選挙が行えない場合には、「党大会に代わる両院議員総会」において、所属する全ての現職国会議員及び都道府県連合の代表者による投票によって新総裁を選出する場合もある。
また、党の有識者や幹部等による話し合い調整に基づいて新総裁候補者を1本化し、両院議員総会での承認を受けて新総裁を決定する場合もある。なお、自由民主党総裁に立候補できる者は、総裁公選規程9条により、党所属国会議員に限定される。
総裁任期は党則80条1項により、現在3年である。総裁任期は1972年までは2年、1972年からは3年、1978年から2年、2003年から3年となっている。前任者が任期半ばで辞任した場合は、後任は前任者の残任期を務める。1974年以降、 総裁公選規程10条により、「引き続き2期(前任者の途中退任による残任期間を除く)にわたり総裁に在任する者は、その在任に引き続く総裁選挙における候補者となることができない」と定められ、連続3選は禁止されている。ただし、中曽根康弘は1986年の衆参同日選挙での大勝を理由に例外として2期目の任期の1年延長を認められた。
四十日抗争の際など過去に何度か、「総理・総裁分離論」(総理と総裁を別の人が務める)というのが案として出たことがあるが、自民党政権下では自民党内で総理と総裁を別の人が務める体制が採られた例はない。
権限
党則に規定される権限を示す。
総則
- 党の最高責任者として党を代表し党務を総理する
人事
- 副総裁を党大会における承認に先立ち指名する
- 総務31名のうち11名を指名する
- 総務会の承認を受け幹事長、政務調査会長、選挙対策委員長、財政委員、広報本部長、組織本部長、人事委員を決定する
- 総務会の議を経て顧問、参与、党友、賛助員を委嘱する
- 人事委員の中から人事委員長を指名する
- 党紀委員28名のうち6名を指名する
- 役員連絡会の参加者を指名する
なお、総務会長は総務会の互選で選ばれ、国会対策委員長は総務会の承認を経て幹事長が決定する。党則上は総裁がこれらの人事に関与する規定はない。
執行
- 役員会を招集し、議長として運営に当たる
- 選挙対策本部長、中央政治大学院総長の任につく
- 総務会の議を経て党大会を招集する
- 総務会の議を経て党の臨時特別機関を設ける
- 総務会の議を経て党費額を決定する
歴代自由民主党総裁一覧
| 自由民主党総裁代行委員(1955年 - 1956年) | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 代 | 総裁代行委員 | 就任日 | 退任日 | 旧所属政党 | |
| - | 鳩山一郎 | 1955年11月15日 | 1956年4月5日 | 旧民主党 | |
| 緒方竹虎[1] | 旧自由党 | ||||
| 三木武吉 | 旧民主党 | ||||
| 大野伴睦 | 旧自由党 | ||||
| 自由民主党総裁(1956年 - ) | |||||
| 代 | 総裁 | 就任日 | 退任日 | 所属派閥 | |
| 1 | 鳩山一郎 | 1956年4月5日 | 1956年12月14日 | 鳩山派 | |
| 2 | 石橋湛山 | 1956年12月14日 | 1957年3月21日 | 石橋派 | |
| 3 | 岸信介 | 1957年3月21日 | 1960年7月14日 | 岸派 | |
| 4 | 池田勇人 | 1960年7月14日 | 1964年12月1日 | 池田派 | |
| 5 | 佐藤栄作 | 1964年12月1日 | 1972年7月5日 | 佐藤派 | |
| 6 | 田中角栄 | 1972年7月5日 | 1974年12月4日 | 田中派 | |
| 7 | 三木武夫 | 1974年12月4日 | 1976年12月23日 | 三木派 | |
| 8 | 福田赳夫 | 1976年12月23日 | 1978年12月1日 | 福田派 | |
| 9 | 大平正芳[2] | 1978年12月1日 | 1980年6月12日 | 大平派 | |
| 10 | 鈴木善幸 | 1980年7月15日 | 1982年11月25日 | 鈴木派 | |
| 11 | 中曽根康弘 | 1982年11月25日 | 1987年10月31日 | 中曽根派 | |
| 12 | 竹下登 | 1987年10月31日 | 1989年6月2日 | 竹下派 | |
| 13 | ![]() |
宇野宗佑 | 1989年6月2日 | 1989年8月8日 | 中曽根派 |
| 14 | 海部俊樹 | 1989年8月8日 | 1991年10月30日 | 河本派 | |
| 15 | 宮澤喜一 | 1991年10月31日 | 1993年7月30日 | 宮沢派 | |
| 16 | 河野洋平 | 1993年7月30日 | 1995年9月30日 | 宮沢派 | |
| 17 | 橋本龍太郎 | 1995年10月1日 | 1998年7月24日 | 小渕派 | |
| 18 | 小渕恵三 | 1998年7月24日 | 2000年4月5日 | 小渕派 | |
| 19 | 森喜朗 | 2000年4月5日 | 2001年4月24日 | 森派 | |
| 20 | 小泉純一郎 | 2001年4月24日 | 2006年9月20日 | 森派[3] | |
| 21 | 安倍晋三 | 2006年9月20日 | 2007年9月23日 | 森派 | |
| 22 | 福田康夫 | 2007年9月23日 | 2008年9月22日 | 町村派 | |
| 23 | 麻生太郎 | 2008年9月22日 | 2009年9月16日[4] | 麻生派 | |
| 24 | 谷垣禎一 | 2009年9月28日 | (2012年9月任期満了) | 古賀派 | |
太字は就任時点で派閥領袖。形式上な派閥解消または派閥離脱をしている場合は、実質的な所属派閥を記載。
その他
総総分離論
総裁以外の自由民主党国会議員が内閣総理大臣に就任することについて、自由民主党では自民党議員から首相を選出する場合、過去の特殊な例外を除き総裁を首相に選出しているが、権力の分散、責任の分担、党内融和の観点から、しばしば総理と総裁の分離案が浮上している。しかし、過去に何度か分離案が浮上しても調整段階で失敗している。
総裁以外の自由民主党議員が首相に選出された例は、1957年2月25日における石橋湛山の総裁時代における岸信介の首相選出や、1964年11月9日の池田勇人の総裁時代における佐藤栄作の首相選出がある。また、麻生太郎総裁時代の2009年9月16日には、首相に選出はされなかったものの両院議員総会長の若林正俊が自由民主党の首相候補となった。
しかし、これらは総理総裁であった石橋、池田が病気のために首相はおろか自民党総裁など政治家としての公務が難しい状況であったこと、3、4ヶ月前の総裁選で岸、佐藤が現総裁に次ぐ2位であったこと、岸、佐藤両者とも総裁から後継総裁に指名され次期総裁就任が目されていたこと、岸、佐藤両者とも首相就任から1ヶ月して自民党総裁に正式に就任していることから、また麻生総裁時代における若林首相候補は、衆議院総選挙大敗の責任を取る形で麻生執行部の退任がすでに決定しており、後継総裁はまだ選出されていなかったという事情によるもので、総総分離体制が持続されていた、もしくはそれを視野に入れた選出とはみなされていない。
なお、総裁を退くと首相も辞任することと、首相を辞任したら総裁も退くことが慣例化しているため、自由民主党において総総分離体制が持続されたことはない。
任期延長論
総裁の再選制限が規定されて以降、その任期切れが近づく中で総裁の指導力によって国政選挙で圧勝すると、総裁への求心力が高まり、首相を続投するために総裁任期延長論が党内から出てくる。首相は国会議員として当選し続け、国会での首班指名で選出される限り再選に制限はないが、総裁を首相に選出することが慣例化している自由民主党では、総裁の任期切れが首相続投の障害となる。
直近の国政選挙で党が大勝した場合は、任期の1年延長が認められることがある。1986年、死んだふり解散による衆参同日選挙で自民党が勝利したことによって、中曽根の総裁任期が1年延長された。2005年、郵政解散による総選挙で、自民党が圧勝したため、小泉の総裁任期も1年延長する意見が出たが、当の小泉が辞退している。
総理総裁の条件
党則上、国会議員の党員全員に総裁の資格はあるが、現実問題として実績がない者が選出される役職ではなく、田中角栄は総理総裁の条件として、「党三役のうち幹事長を含む二役(つまり、他に総務会長か政調会長のいずれか)、内閣で外務・大蔵・通産のうち二閣僚」(の経験者である事)を挙げていた。それらの要職を歴任しさえすれば必ず総理総裁になれると言うわけではないが、総理総裁候補の実力者なら経験しているのは当然と考えていたと思われる。三角大福(三木武夫、田中、大平正芳、福田赳夫)の時代はこの条件を一応クリアしていた。
しかし、鈴木善幸以降は条件に該当しない総理総裁が多く、田中が挙げた条件全てを満たした自民党の議員は、安倍晋太郎、三塚博、桜内義雄、橋本龍太郎の4人、総理総裁に就任したのは橋本だけである。逆に海部俊樹、小泉純一郎、福田康夫は、条件としてあげられた役職に全く就任しないまま総理総裁となった。自民党歴代総裁の在職日数上位5名(岸信介、池田勇人、佐藤栄作、中曽根康弘、小泉純一郎)の内、田中の条件に該当している者はいない上、総裁就任年齢の高齢化を招くため、近年においてはそれほど重要視されておらず、あくまで一つの指標と見るべきだろう。また、これらの条件を全て満たすことは田中が活躍した55年体制下と比べ、自民党が野党に転落することも起こりうる二大政党制下においては困難になったといえる。
ちなみに現職の自民党総裁で重複立候補した者は2000年の衆院選の石川2区で圧勝した森だけである(現職の総理大臣が重複立候補した例も左記のみ。森は小選挙区比例代表並立制導入以降、自身が比例候補定年73歳未満だった1996・2000・2003・2005・2009年と5回連続で重複立候補し全て小選挙区勝利している)2005年の衆院選では、河野太郎自民党神奈川県連会長が小泉自民党総裁が比例の南関東ブロックと小選挙区の重複立候補する事を要請していた。理由は「比例での自民票上積み」とされる。しかし、重複すると、小泉の顔を使った自民党のポスターが同ブロックの神奈川、千葉、山梨3県で貼れなくなると言う公職選挙法の問題があったため、重複を取りやめた。
肖像画
自由民主党本部の8階ホールには、歴代総裁肖像画が展示されている。ただし、1994年6月に自民党執行部が村山を首班指名した際、海部はそれに反対する形で自らの首班指名に意欲を示して離党した時には、総裁としての海部の肖像画が外された。その後、2003年11月に海部が自由民主党に復党した際、海部の肖像画が再び展示されるようになった。
この肖像画は自分で好きな画家を指名することが可能で、1枚数百万円とも言われる。2010年10月現在、安倍晋三までの肖像画が飾られているが、福田康夫以降の肖像画は、未だに飾られていない。8階ホールでは26人目まで飾る部分が確保されている(現職の谷垣で24人目)。
脚注
関連項目
- 新進党、日本社会党委員長、民主党代表
- 自由民主党シャドウ・キャビネット
- 自由民主党執行部
- 自由民主党副総裁
- 自由民主党幹事長
- 自由民主党政務調査会長
- 自由民主党総務会長
- 自民党ネットサポーターズクラブ(設立総会で前総裁・麻生と現職総裁・谷垣が最高顧問就任)
外部リンク
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