原曻
日本の政治家
原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日[1] - 2016年(平成28年)2月14日[2])は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問[1]。
原 曻 はら のぼる | |
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生年月日 | 1922年5月8日 |
出生地 | 大阪府岸和田市 |
没年月日 | 2016年2月14日(93歳没) |
出身校 | 関西大学経済学部 |
前職 | 岸和田市長 |
所属政党 | 無所属 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1973年12月15日 - 2005年12月14日 |
来歴
編集大阪府岸和田市出身。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後[1]、岸和田市役所に入る[1]。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長[1][3]と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。
定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
その後市長を8期連続で務め[1]、2005年に引退を表明する。
脚注
編集参考文献
編集- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
関連項目
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