くず 哲也(くず てつや、本名:野村 哲也、1947年6月10日 - )は、日本タレントフリーライターラジオパーソナリティ

人物編集

東京都出身。東京都立広尾高等学校武蔵野美術大学卒業。大学卒業後、特に定職に就く訳でもなく音楽グループの「日暮し」の結成に関わったり、平凡出版(現・マガジンハウス)で「平凡パンチ」のライターをしたり気ままな活動をし、せんだみつお鈴木ヒロミツ高橋基子黒田征太郎浅井慎平野末陳平らと出会い親交を温めて来た[1]。ある時ニッポン放送のプロデューサー・上野修にマイクテストを受けるようにと半ば強引にニッポン放送に呼ばれる。その時はラジオのパーソナリティーになる気は更々無くマイクの前で好き勝手な事を言って帰ったが、上野に気に入られて平凡出版が提供していた「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」のメインパーソナリティーに抜擢される[1]。「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」にパーソナリティとして出演する際、本名では公務員みたいで堅苦しいとして芸名を付けることになり、上野が名付けた。当時東京都杉並区清掃工場建設を巡っての『杉並ゴミ戦争』と言われた騒動があり、これに便乗するような形で『ゴミ哲也』と言う名前も候補に挙がったが「ゴミよりクズテツの方がいくらか利用価値がるのでは」と考え、くず哲也となった(上野は「いい加減な理由」と話していた)[1]。その後ニッポン放送を中心にラジオパーソナリティーとライター、タレント活動を行ってゆく。現在では文京区目白台にて「半分亭」というカレーハウスと居酒屋のマスターとしての顔も持つ[2]

かなり本音で語る事があり「オトナの情報マガジン」ではアシスタントの矢田雄二郎座右の銘「人生暑苦しく」を「熱い人は好きですが、暑苦しい人は嫌いです」と言ったり、内藤博之アナに「山鯨が分からないなんてお宅のアナウンサーはどうなってんの!」と言ったり、本名が似ている野村克也は好かないと事あるごとに公言している。


過去の主な出演番組編集

ラジオ編集

昭和50年代にはニッポン放送を中心に活躍していた。

テレビ編集

執筆編集

  • 平凡パンチ「くず哲也のペーパーラジオ」等
  • 平凡パンチOh!(平凡パンチの手帳サイズ版別冊)
  • くず哲のヤンヤン大学(1979年4月、立風書房
  • くず哲也の日曜はダメよ―ダメでもともと笑殺ドジ爆弾(1981年6月、サンケイ出版

外部リンク編集

参照編集

  1. ^ a b c くず哲也の日曜はダメよ』番組本『くず哲也の日曜はダメよ ダメでもともと笑殺ドジ爆弾』(ニッポン放送編、サンケイ出版刊 1981年)2 - 4ページ「まえがき」より。
  2. ^ 山本かおるの今日もいい天気「12月14日 半分亭」”. ニッポン放送. 2015年4月14日閲覧。