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アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前212年の執政官)

アッピウス・クラウディウス・プルケルラテン語: Appius Claudius Pulcher、 ? - 紀元前212年)は、第二次ポエニ戦争期の共和政ローマ元老院議員。父はプブリウス・クラウディウス・プルケル、息子は同名のアッピウス・クラウディウス・プルケルプブリウス・クラウディウス・プルケルガイウス・クラウディウス・プルケル

アッピウス・クラウディウス・プルケル
Ap. Claudius P.f. Ap.n. Pulcher
出生 不明
死没 紀元前212年
出身階級 パトリキ
氏族 クラウディウス氏族
官職 按察官(紀元前217年)
法務官(紀元前215年)
前法務官(紀元前214年)
執政官(紀元前212年)
指揮した戦争 第二次ポエニ戦争カプア包囲戦
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紀元前217年アエディリスに選ばれ、翌年トリブヌス・ミリトゥムへ、カンナエの戦いハンニバルに敗れるが、彼は生き残った。紀元前215年プラエトルに就任、この間にシチリア島ヒエロニムスカルタゴの間を引き裂く事に努めるが、うまくはいかなかった。翌年もプロプラエトル待遇でこの地に留まり、マルクス・クラウディウス・マルケッルスに合流、レオンティウム(現レンティーニ)に駐留する。

紀元前212年コンスルに選ばれ、クィントゥス・フルウィウス・フラックスとともにカプアを包囲、任期終了まぎわにローマに赴き、元老院を説得、再びコンスルに選ばれ、軍事権の延長の許可をもらった。そしてカプア包囲中にハンニバルと戦闘、カプアはローマに降伏したが、この戦闘で彼は負傷、降伏の直後に没した。ローマに反旗を翻したカプアの報復措置に彼は反対の立場を取っていたと言う。

家族編集

関連項目編集