クラウディウス氏族
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クラウディウス氏族(ラテン語:gens Claudia)は、古代ローマの氏族のひとつ。元々はサビニ族を祖とし、ローマと平和的な関係を求めたアッティウス・クラウススが成人男性だけでも約500人のクリエンテスと共にローマへと移り住み、土地と元老院の議席を与えられた。最古の農村トリブスの一つが、この氏族名を冠している(クラウディア区)。
概要
編集共和政期を通じて多くの政務官を送り出した。パトリキ(貴族)系だけでなく、プレブス(平民)系でもマルケッルス家を出しており、第2代皇帝ティベリウスの頃までに、執政官28人、独裁官5人、ケンソル7人、凱旋将軍6人、次席凱旋将軍20人を数える。
その後もクラウディウス氏族の血統は絶えることなく続き、アウグストゥスの外戚として、ユリウス氏族とともに帝政ローマの最初の王朝(ユリウス=クラウディウス朝)の皇族としての血統を築き上げることとなる。
クロード、クローディア、クラウディオ、クラウディアといった人名はこの氏族に由来する。ルキウスというプラエノーメンは罪人を出したためこの氏族では忌避されている[1]。
パトリキ系
編集インレギッレンシス家
編集- マルクス
- アッピウス (前471年の執政官もしくは403年の執政武官)
- プブリウス
- アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス, 紀元前349年の執政官[7]
- ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス, 紀元前337年の独裁官[8]
- アッピウス・クラウディウス・カエクス, 紀元前307年、296年の執政官。アッピア街道アッピア水道で知られる[9]
- アッピウス・クラウディウス・カウデクス, 紀元前264年の執政官[11]
- ガイウス・クラウディウス・ケント, 紀元前240年の執政官[12]
- プブリウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前249年の執政官)[13]
- ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス, 紀元前337年の独裁官[8]
- アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス, 紀元前349年の執政官[7]
- プブリウス
プルケル家
編集- プブリウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前249年の執政官)[13]
- ガイウス
- アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前130年の補充執政官)[23]
- ガイウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前108年-104年の貨幣鋳造委員[24]
- ガイウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前56年のプラエトル[24]
- アッピウス
- マルクス・リウィウス・ドルスス・クラウディアヌス, リウィウス氏族の養子に入る
- リウィア・ドルシッラ, ティベリウスの母
- プブリウス・クラウディウス・プルケル, 紀元前31年より後のプラエトル[26]
ケント家
編集- ガイウス・クラウディウス・ケント, 紀元前240年の執政官[12]
- ガイウス・クラウディウス・ケント, 紀元前200年のレガトゥス。時の執政官プブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムスの下で艦隊を率いる[27]
- アッピウス・クラウディウス・ケント, 紀元前175年のプラエトル。ヒスパニア・ウルテリオル担当[28]
- ガイウス・クラウディウス・ケント, 紀元前155年の冬、ビテュニアとアッタロス朝の戦争を止めるため小アシアへと送られたが、プルシアス2世に拒否された[29]
ネロ家
編集- カエクス?
- ティベリウス
- ティベリウス
- プブリウス
- ティベリウス
- アッピウス・クラウディウス・ネロ, 紀元前195年のプラエトル。[ヒスパニア・ウルテリオル]担当[32]
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, 紀元前181年のプラエトル。シキリア担当[33]
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, 紀元前178年のプラエトル。外人やリグリア担当[34]
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, 紀元前167年のプラエトル。シキリア担当[35]
- ティベリウス
- プブリウス
- ガイウス・クラウディウス・ネロ, 紀元前81年のプラエトル
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, 恐らく紀元前67年のプラエトル[37]
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, 紀元前42年のプラエトル
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, ティベリウス帝
- ネロ・クラウディウス・ドルスス
- リウィッラ
- ティベリウス・クラウディウス・ネロ, クラウディウス帝
- ゲルマニクス
- ネロ・カエサル
- ドルスス・カエサル
- ガイウス・ユリウス・カエサル, カリグラ帝
- 小アグリッピナ
- ルキウス・ドミティウス・アヘノバルブス, ネロ帝
その他
編集- ガイウス・クラウディウス・ホルタトル、紀元前337年のマギステル・エクィトゥム[8]
- ガイウス・クラウディウス, 紀元前310年、カメリヌムに潜入してローマと同盟を締結させる (カエソ・ファビウスとも)[38]
- ガイウス・クラウディウス, 紀元前211年のユピテル神官。職務怠慢で退職[39]
- マルクス・クラウディウス・レピドゥス, 紀元前190年のレガトゥス。ギリシアにいたプロプラエトルのアウルス・コルネリウス・マンムラによって元老院に派遣され小アシアの情報を報告[40]
- ルキウス・クラウディウス, 紀元前174年のプラエトル。シキリア担当[41]
- クラウディウス・ウニマヌス, 紀元前146年のプラエトル。ヒスパニア・ウルテリオル担当。ウィリアトゥスに惨敗[42]
プレブス系
編集マルケッルス家
編集→詳細は「マルケッルス」を参照
- ガイウス
- ガイウス
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス, 紀元前185年のプラエトル[15]
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス, 紀元前102年ガイウス・マリウスの下でアクアエ・セクスティアエの戦いに参加[50]
- マルクス
アセッルス家
編集- ティベリウス・クラウディウス・アセッルス, 紀元前207年のトリブヌス・ミリトゥム。執政官ネロの下でハンニバルと戦う[51]。翌年サルディニア担当プラエトル[52]
- ティベリウス・クラウディウス・アセッルス, 紀元前140年の護民官。スキピオ・アエミリアヌスがケンソルの時厳しい処分を受けその復讐を企む[53]
その他
編集- ガイウス
- マルクス・クラウディウス・クリネアス, 紀元前236年のレガトゥス。時の執政官ガイウス・リキニウス・ウァルスによってコルシカ島へ送られたが、後に投獄または追放された[55]
- クィントゥス・クラウディウス, 紀元前218年の護民官。クラウディウス法の提唱者[56]
- クィントゥス・クラウディウス・フラメン, 紀元前208年のプラエトル。タレントゥム担当[57]
- プブリウス・クラウディウス, 紀元前207年のプラエフェクトゥス・ソキウム (アウクシリアの指揮官)。執政官ネロの下で働く[51]
- プブリウス・クラウディウス, 紀元前196年のトリブヌス・ミリトゥム。時の執政官マルケッルスの下でガリア人と戦う[58]
- マルクス・クラウディウス, 紀元前137年のプラエトル。タッラキナ付近を航海中落雷で死亡[59]
脚注
編集- ^ a b スエトニウス, ティベリウス、1.
- ^ Broughton, p.12.
- ^ Broughton, p.30.
- ^ Broughton, p.68.
- ^ Broughton, p.81.
- ^ Broughton, p.37.
- ^ Broughton, p.128.
- ^ a b Broughton, p.139.
- ^ Broughton, p.164.
- ^ Broughton, p.199.
- ^ Broughton, p.202.
- ^ a b Broughton, p.221.
- ^ a b Broughton, p.214.
- ^ Broughton, p.267.
- ^ a b Broughton, p.372.
- ^ Broughton, p.374.
- ^ Broughton, p.397.
- ^ Broughton, p.471.
- ^ Broughton, p.473.
- ^ Broughton, p.556.
- ^ Broughton Vol.2, p.82.
- ^ Broughton Vol.2, p.221.
- ^ Broughton, p.502.
- ^ a b Broughton Vol.2, p.547.
- ^ Broughton Vol.2, p.390.
- ^ Broughton Vol.2, p.548.
- ^ Broughton, p.325.
- ^ Broughton, p.402.
- ^ Broughton, p.449.
- ^ Broughton, p.294.
- ^ Broughton, p.315.
- ^ Broughton, p.340.
- ^ Broughton, p.384.
- ^ Broughton, p.385.
- ^ Broughton, p.433.
- ^ Broughton Vol.2, p.489.
- ^ Broughton Vol.2, p.463.
- ^ Broughton, p.163.
- ^ Broughton, p.276.
- ^ Broughton, p.358.
- ^ Broughton, p.404.
- ^ Broughton, p.466.
- ^ Broughton, p.143.
- ^ Broughton, p.186.
- ^ Broughton, p.185.
- ^ Broughton, p.232.
- ^ Broughton, p.335.
- ^ Broughton, p.378.
- ^ Broughton, p.437.
- ^ Broughton, p.569.
- ^ a b Broughton, p.297.
- ^ Broughton, p.298.
- ^ Broughton, p.480.
- ^ Broughton, p.215.
- ^ Broughton, p.223.
- ^ Broughton, p.238.
- ^ Broughton, p.290.
- ^ Broughton, p.337.
- ^ Broughton, p.485.
参考文献
編集- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association
- ガイウス・スエトニウス・トランクィッルス 著、国原吉之助 訳『ローマ皇帝伝 上下』岩波文庫、1986年。
関連項目
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