アバ(Aba)は、ナイジェリアアビア州の都市である。 アビア州で主要な商業都市である。 2016年の人口は約253.4万人。

アバ
Aba
Enyinmba
Enyimba City
アバの通り
アバの通り
位置
ナイジェリア内のアバの位置の位置図
ナイジェリア内のアバの位置
位置
アバの位置(ナイジェリア内)
アバ
アバ
アバ (ナイジェリア)
アバの位置(アフリカ内)
アバ
アバ
アバ (アフリカ)
座標 : 北緯5度7分 東経7度22分 / 北緯5.117度 東経7.367度 / 5.117; 7.367
行政
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
  アビア州
 市 アバ
地理
面積  
  市域 72 km2
標高 205 m
人口
人口 (2016年現在)
  市域 2,534,265人
その他
等時帯 西アフリカ時間 (UTC+1)
夏時間 なし

歴史 編集

1901年イギリスが軍事郵便局を設置した。

1901年1902年イギリス・アロ戦争英語版イギリスが勝利し、膨大な数のアロ人英語版を殺害した[1]

1914年英領ナイジェリア植民地英語版が建国した。

1915年ポートハーコートまで鉄道が開通し、パーム油パーム核油等を出荷するようになった。

1929年、税制に反対してイボ人女性が女性戦争英語版を起こした[2]。 最初は平和なデモだったが、イギリス人が妊婦を殴り子供を殺害した事で過熱化し、1万人の女性がアバを行進した。死者数は55人[3]とも100人とも言われている[4]


1960年ナイジェリアイギリスから独立した。 アバは東部州に編入された。

1967年東部中央州英語版に編入された。 ビアフラ共和国がナイジェリアからの独立を宣言し、ビアフラ戦争に突入した。戦闘の激化とともに首都がエヌグからウムアヒアへと移された。アバは戦略的に重要な拠点であったため、砲撃や空襲で大きな被害を受けた[5]

1970年、オウェリが陥落してビアフラ共和国が滅亡し、ビアフラ戦争は終結した。この戦争でアバは荒廃した[5]

1976年イモ州に編入された。

1991年アビア州に編入された。

行政区画 編集

地方行政区域(LGA)としては、以下の2つがある。

  • 北アバ
  • 南アバ

地理 編集

ナイジェリア南部、アバ川沿いに位置する。 ポートハーコートから北東に約50km、州都のウムアヒアから南に約60kmの距離に位置する。

経済 編集

産業として繊維医薬品石鹸プラスチックセメント化粧品ビール醸造所、蒸留所がある。

周辺地域では、アブラヤシパーム油パーム核油)、コーラ・ナッツなどの農産品が生産されている。

交通 編集

鉄道 編集

宗教 編集

ナイジェリア南東部におけるキリスト教福音主義の中心地である。

 
アバにあるモルモン教神殿

スポーツ 編集

環境問題 編集

アバはナイジェリア東部の商業の中心であり、ゴミの処理が間に合わず放置されている事が問題になっている。 [6] [7]

出身者 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ Oriji 2011, p. 167
  2. ^ Lemberg & Courtlandt 1984, p. 1
  3. ^ Falola & Heaton 2008, p. 133
  4. ^ Oriji 2011, p. 178
  5. ^ a b Opia 1972, p. 8
  6. ^ Izugbara, C. O.; Umoh, J. O. (2004). “Indigenous Waste Management Practices among the Ngwa of Southeastern Nigeria: Some lessons and policy implications”. The Environmentalist 24 (2): 87–92. doi:10.1007/s10669-004-4799-4. 
  7. ^ waste in Aba” (2016年). 2016年3月20日閲覧。

外部リンク 編集