カトリーナ・マックレイン

アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身の元女子バスケットボール選手

カトリーナ・マックレイン・ジョンソンKatrina McClain Johnson1965年9月19日 - )は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州チャールストン出身の元女子バスケットボール選手である。

カトリーナ・マックレイン
Katrina McClain
引退
英語 Katrina McClain Johnson
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1965-09-19) 1965年9月19日(58歳)
出身地 サウスカロライナ州チャールストン
身長(現役時) 190cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 81kg (179 lb)
獲得メダル
オリンピック
1988 ソウル
1992 バルセロナ
1996 アトランタ
ユニバーシアード
1985 神戸
世界選手権
1986 モスクワ
1990 マレーシア
1994 シドニー
パンアメリカン競技大会
1987 インディアナポリス
1991 ハバナ

経歴 編集

大学 編集

ジョージア大学ではオールアメリカに2度選ばれる活躍を見せる。また、オールアメリカフレッシュマン、最優秀選手も獲得。

ナショナルチーム 編集

米国代表として1985年に神戸で開かれたユニバーシアードに出場し、銀メダル獲得[1]

また、オリンピック世界選手権にそれぞれ3度出場している。

ソウル、アトランタ両五輪、1986、90年世界選手権では金メダル、バルセロナ五輪と94年世界選手権では銅メダルを獲得している。

日本での活躍 編集

卒業後の1987年、日本の共同石油(現・ENEOSサンフラワーズ)に入団。1991年まで在籍し、第21回日本リーグでベスト5及びリバウンド賞を獲得。リーグ3連覇及び2度のオールジャパン優勝の原動力となった。

退団後は、イタリア、スペイン、トルコでのプレーを経て、1995年に再来日するが、日本リーグでは外国人制度が廃止されたため、共石時代のチームメイトだった原田五月の所属する北島CR・クラブに1シーズン在籍。全日本クラブ選手権4連覇とともにオールジャパンにも出場した。

離日、そして引退 編集

その後、帰国し、女子プロリーグであるABLのアトランタ・グローリーに入団。1998年にはオールスターにも出場した。

1998年のチーム消滅とともに引退。

1988年と1992年には全米女子バスケットボール年間最優秀選手に選ばれている。

2006年には女子バスケットボール殿堂入りを果たす。

脚注 編集

  1. ^ THIRTEENTH WORLD UNIVERSITY GAMES -- 1985” (英語). USA Basketball. 2010年6月13日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集