カンバーランド公(カンバーランドこう、英語: Duke of Cumberland)は、イギリス王家の一員に与えられた公爵位。イングランド北部のカンバーランド(現在はカンブリア州に属する)に由来する。「カンバーランド公」として3度、カンバーランド=ストラサーン公として1度、カンバーランド=テヴィオットデイル公として1度創設された[1]

歴史 編集

第1期 編集

1525年に創設されたカンバーランド伯爵英語版の爵位が第5代カンバーランド伯爵ヘンリー・クリフォード英語版(1591-1643)の死とともに廃絶されると[1]、翌1644年1月24日にイングランド王チャールズ1世の甥ルパート・オブ・ザ・ライン(1619-1682)イングランド貴族であるカンバーランド公爵ヨークシャーにおけるホルダーネス伯爵に叙された[2]。ルパートはイングランド内戦で国王軍の指揮官を務め、王政復古の後は枢密顧問官に任命され、王立協会フェローにも選出されたものの、生涯未婚で嫡子を残さず、1682年に死去するとカンバーランド公爵の爵位は廃絶した[2]

第2期 編集

アン王女(1702年にアン女王としてイングランド、スコットランドおよびアイルランド女王に即位)の夫でデンマーク王フレデリク3世の息子であるジョージ・オブ・デンマーク(デンマーク語名ヨウエン)は、1689年4月6日にイングランド貴族であるバークシャーにおけるオッキンガム男爵ウェストモーランドにおけるケンダル伯爵カンバーランド公爵に叙された[3]。ジョージはロード・ハイ・アドミラル英語版五港長官英語版といった名誉職に就いたが、1708年に死去した時点で存命の息子がおらず、爵位は廃絶した[3]

第3期 編集

グレートブリテン国王ジョージ2世の三男ウィリアム・オーガスタス(1721-1765)は、1726年7月27日にグレートブリテン貴族であるオルダニー男爵コーンウォール州におけるトレメイトン子爵サリー州におけるケンニントン伯爵ハートフォードシャーにおけるバークハムステッド侯爵カンバーランド公爵に叙された[4]。国王の次男には一般的にはヨーク公の称号が授けられており、ウィリアム・オーガスタスも夭逝したジョージ・ウィリアムを除くと国王の次男であるが、ヨーク公の爵位を所有していたアーネスト・オーガスタス(ジョージ2世の叔父、1728年没)が存命中だったため、ウィリアム・オーガスタスにヨーク公の爵位を授けることができなかった。ウィリアム・オーガスタスは軍人の道を歩み、デッティンゲンの戦いフォントノワの戦いカロデンの戦いに参戦した後、1757年にクローステル・ツェーヴェン協定を締結した廉で軍を引退せざるを得なかった[4]。1765年に生涯未婚のまま死去したため、後継者がおらず爵位は廃絶した[1]

カンバーランド=ストラサーン公 編集

1766年、ウェールズ公フレデリック・ルイスの息子でジョージ王子(後の国王ジョージ3世)の弟にあたるヘンリー・フレデリック(1745-1790)カンバーランド=ストラサーン公に叙されたが、一代で廃絶した[1]

カンバーランド=テヴィオットデイル公 編集

1799年、ジョージ3世の五男アーネスト・オーガスタス(1771-1851)カンバーランド=テヴィオットデイル公に叙された[1]。アーネスト・オーガスタスは1837年にエルンスト・アウグストとしてハノーファー王国の国王に即位し、1851年に死去すると息子ジョージ(1819-1878)がハノーファー王とカンバーランド=テヴィオットデイル公を継承した[1]。ハノーファー王国は1866年にプロイセン王国に併合されたが、ジョージはハノーファー王への請求を取り下げないまま1878年に死去、息子アーネスト・オーガスタスがハノーファー王への請求とカンバーランド=テヴィオットデイル公を継承した[1]。アーネスト・オーガスタスは1878年にガーター勲章を授与されたが、1915年5月13日に剥奪され、1919年3月28日には1917年称号剥奪法に基づく国王ジョージ5世の命令によりカンバーランド=テヴィオットデイル公の爵位を剥奪された[5]。『クラクロフト貴族名鑑』によると、アーネスト・オーガスタスの三男アーネスト・オーガスタス(1887-1953)の孫アーネスト・オーガスタス(1954-)は1917年称号剥奪法第2条に基づき、カンバーランド=テヴィオットデイル公の回復を求めることができる[5]

カンバーランド公一覧 編集

カンバーランド公(1644年) 編集

カンバーランド公(1689年) 編集

カンバーランド公(1726年) 編集

カンバーランド=ストラサーン公(1766年) 編集

カンバーランド=テヴィオットデイル公(1799年) 編集

ギャラリー 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Cumberland, Dukes and Earls of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 7 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 619–620.
  2. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 570–571.
  3. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 571–572.
  4. ^ a b Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 572–573.
  5. ^ a b "Cumberland and Teviotdale, Duke of (GB, 1799 - 1919)". Cracroft's Peerage (英語). 3 January 2019. 2019年12月8日閲覧

関連項目 編集