ジュディ・ランキン
ジュディ・トールムキー・ランキン(Judy Torluemke Rankin、1945年2月18日 - )は、アメリカ合衆国の女子プロゴルファー、ゴルフ解説者。世界ゴルフ殿堂のメンバー。1962年に17歳でLPGAツアーに参戦、ツアーで通算26勝を挙げた。
Judy Rankin | |
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基本情報 | |
名前 | ジュディ・ランキン |
生年月日 |
1945年2月18日(79歳) アメリカ合衆国ミズーリ州セントルイス |
身長 | 160センチメートル (5.2 ft) |
配偶者 | ウォルター・"イッピー"・ランキン(1967-2012年、死別) |
子供 | ウォルター・"テューイ"・ランキン・ジュニア |
経歴 | |
プロ転向 | 1962年 |
引退 | 1983年 |
以前のツアー | LPGAツアー |
プロ勝利数 | 28勝 |
優勝数 | |
LPGAツアー | 26勝 |
他ツアー | 2勝 |
LPGAメジャー選手権最高成績 | |
女子ウェスタン | 4位タイ: 1964年 |
タイトルホルダーズ | 2位タイ: 1972年 |
ANA | 44位タイ: 1983年 |
全米女子プロ | 2位/2位タイ: 1976、1977年年 |
全米女子OP | 2位タイ: 1972年 |
デュモーリエ | 5位タイ: 1979年 |
受賞 | |
世界ゴルフ殿堂 | 2000年 (member page) |
LPGA賞金女王 | 1976、1977年 |
LPGA年間最優秀選手 | 1976、1977年 |
ベアトロフィー | 1973、1976、1977年 |
ボブジョーンズ賞 | 2002年 |
引退後はゴルフチャンネルのLPGAツアーテレビ中継の主任解説者、一部のPGAツアー中継でコース上のレポーター[1]、ESPN/ABCのゴルフ番組の専門解説者などを務めた[2]。
アマチュア時代
編集ミズーリ州セントルイスで生まれ育ち、1959年、14歳の時にミズーリ・アマチュアで優勝。翌年、全米女子オープンでローアマチュアを獲得[3]。1961年、16歳でスポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を飾った[4]。翌1962年にプロ転向[5]。
プロ転向後
編集LPGAツアー参戦後の初優勝は1968年、以後、通算で26勝し、1976年と1977年には賞金女王となった。1965年から1979年にかけて、賞金ランキング10位以内に11回入った。1976年、シーズン獲得賞金150,734ドルを記録し、1シーズンで賞金100,000ドルを超えた初のLPGAプレーヤーとなった[6]。
メジャー選手権では4度に亘り2位となったが、1度も優勝することは出来なかった。メジャー最高位は、1976年の全米女子プロゴルフ選手権の単独2位、1972年のタイトルホルダーズ選手権、1972年の全米女子オープン、1977年の全米女子プロゴルフ選手権の2位タイであった。1976年にコルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル(現在のANAインスピレーション)と1977年にピーター・ジャクソン・クラシック(後のデュモーリエ・クラシック)で優勝したが、いずれもランキンの優勝時にはメジャー選手権では無かった。ツアー26勝目にして最後の勝利は、1979年8月のWUIクラシック(メドウ・ブルック・クラブ、ニューヨーク州ジェリコ)であった[7][8]。
LPGAプレーヤー・オブ・ザ・イヤーを2回(1976年、1977年)、最少平均ストローク数達成を讃えるベアトロフィーを3回(1973年、1976年、1977年)獲得している。1983年、38歳の時に慢性的腰痛によりフルタイム出場から引退した[9]。後に1996年と1998年にソルハイムカップのチームキャプテンを務め、勝利を収めた。2000年 ベテラン部門でLPGAツアー殿堂入りを果たした初のプレイヤーとなり[9][10]、2000年には世界ゴルフ殿堂入りも果たした。
2002年、全米ゴルフ協会がゴルフにおける卓越したスポーツマンシップを認め、授与する最高の栄誉ボブジョーンズ賞に選出された[11]。
2013年4月、セントルイス・ウォーク・オブ・フェームでスターを獲得した[12]。
メディアの経歴
編集1984年から、ESPNとABCのゴルフ解説者を務めた[2]。2010年、ゴルフ・チャンネルLPGAツアー中継の主任解説者になった[13]。
ゴルフ専門誌「ゴルフダイジェスト」や「ゴルフ・フォー・ウィメン」の顧問プロでもある。
私生活
編集ランキンは1967年にウォルター・"イッピー"・ランキンと結婚するまでは、ジュディ・トールムキーとして知られていた[4]。夫妻はテキサス州ミッドランドで暮らし、1968年生まれの「テューイ」の愛称で知られる息子ウォルター・ジュニアがいる[14]。咽喉癌との闘病の末、夫イッピーは2012年2月24日に71歳で死去[15]。息子テューイの妻はPGAツアーのプロゴルファー、ジェフ・オギルビーの義姉妹である[16][17]。
2006年5月に乳癌と診断される[18]。2006年8月までに治療を完了し、ABCスポーツの2006年全英女子オープン中継のオンエアに間に合った。
プロ戦績
編集LPGAツアー (26勝)
編集No. | 日付 | トーナメント | スコア | ストローク差 | 2位の選手 |
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1 | 1968年11月10日 | コーパス・クリスティ・シヴィタン・オープン | +3 (75-69-69=213) | プレーオフ | サンドラ・スプジッチ |
2 | 1970年6月27日 | ジョージ・ワシントン・ゴルフ・クラシック | −7 (74-70-68=212) | 1打差 | サンドラ・ヘイニー |
3 | 1970年7月19日 | スプリングフィールド・ジェイシー・オープン | −10 (71-70-68=209) | 1打差 | レスリー・ホルバート |
4 | 1970年9月27日 | リンカーン=マーキュリー・オープン | −2 (69-71-77=217) | 1打差 | キャシー・ウィットワース |
5 | 1971年10月15日 | クオリティ・ファースト・クラシック | −2 (71-72-71=214) | プレーオフ | ジェーン・ブラロック |
6 | 1972年3月10日 | レディー・イヴ・オープン | −9 (69-71-70=210) | プレーオフ | キャシー・ウィットワース |
7 | 1972年10月10日 | ヘリテージ・ヴィレッジ・オープン | −7 (69-72-71=212) | 5打差 | ベッツィー・バーフェインド |
8 | 1973年5月6日 | アメリカン・ディフェンダー・ローリー・クラシック | +1 (73-72-72=217) | 2打差 | 樋口久子 |
9 | 1973年5月13日 | レディ・カーリング・オープン | −4 (75-67-73=215) | 4打差 | サンドラ・ヘイニー |
10 | 1973年8月5日 | パブスト・レディース・クラシック | −4 (69-71-72=212) | 3打差 | デビー・オースティン |
11 | 1973年10月14日 | GACクラシック | −8 (69-67-70-66=272) | プレーオフ | ゲルダ・ボイキン サンドラ・パーマー |
12 | 1974年6月2日 | ボルチモア・クラシック | −2 (71-73=144) | 1打差 | スージー・バーニング キャロル・マン マリリン・スミス キャシー・ウィットワース |
13 | 1975年8月24日 | ナショナル・ジューイッシュ・ホスピタル・オープン | −9 (68-68-71=207) | 2打差 | ジェーン・ブラロック サンドラ・ヘイニー |
14 | 1976年2月1日 | バーディンズ・インビテーショナル | −3 (73-69-71=213) | 3打差 | パット・ブラッドリー |
15 | 1976年4月4日 | コルゲート・ダイナ・ショア・ウィナーズ・サークル | −3 (74-72-71-68=285) | 3打差 | ベッツィー・バーフェインド |
16 | 1976年4月18日 | カーステン・ピン・オープン | −11 (68-68-69=205) | 7打差 | サンドラ・ポスト |
17 | 1976年6月27日 | ベーブ・ザハリアス・インヴィテーショナル | −1 (74-69-69-75=287) | 1打差 | ジェーン・ブラロック |
18 | 1976年7月18日 | ボーデン・クラシック | −11 (68-70-67=205) | 5打差 | パット・ブラッドリー ホリス・ステーシー |
19 | 1976年11月20日 | コルゲート香港オープン | E (71-72-73=216) | 3打差 | 樋口久子 |
20 | 1977年2月20日 | オレンジブロッサム・クラシック | −8 (69-70-69=208) | 5打差 | ジョイス・カズミエルスキー |
21 | 1977年2月27日 | ベントツリー・クラシック | −7 (63-77-69=209) | 4打差 | クリフォード・アン・クリード |
22 | 1977年6月19日 | メイフラワー・クラシック | −4 (68-72-72=212) | 2打差 | ジェーン・ブラロック |
23 | 1977年7月3日 | ピーター・ジャクソン・クラシック | −4 (72-66-74=212) | 3打差 | パット・メイヤーズ サンドラ・パーマー |
24 | 1977年8月6日 | コルゲート・ヨーロピアン女子オープン | −15 (69-71-71-70=281) | 6打差 | ナンシー・ロペス |
25 | 1978年8月13日 | WUIクラシック | −9 (71-69-70-73=283) | 2打差 | パム・ヒギンズ デビー・マッシー |
26 | 1979年8月13日 | WUIクラシック | −4 (76-71-71-70=288) | 2打差 | ベス・ダニエル |
LPGAツアー プレーオフの記録 (4勝12敗)
No. | 年 | トーナメント | 対戦相手 | 結果 |
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1 | 1968 | コーパス・クリスティ・シヴィタン・オープン | サンドラ・スプジッチ | 2ホール目パーで勝利 |
2 | 1970 | 女子ゴルフ・チャリティーズ・オープン | サンドラ・ヘイニー マリリン・スミス |
スミスが1ホール目バーディ―で勝利 |
3 | 1971 | クオリティ・ファースト・クラシック | ジェーン・ブラロック | 2ホール目パーで勝利 |
4 | 1972 | レディー・イヴ・オープン | キャシー・ウィットワース | 1ホール目イーグルで勝利 |
5 | 1973 | シーリー=ファベルジュ・クラシック | キャシー・コーネリアス | 1ホール目、相手のパーにより敗北 |
6 | 1973 | ラ・カナディエンヌ | ジョスリン・ブーラッサ サンドラ・ヘイニー |
ブーラッサが3ホール目バーディーで勝利 ランキンは1ホール目で脱落 |
7 | 1973 | GACクラシック | ゲルダ・ボイキン サンドラ・パーマー |
3ホール目パーで勝利 ボイキンは1ホール目で脱落 |
8 | 1973 | コーパス・クリスティ・シヴィタン・オープン | シャロン・ミラー | 2ホール目、相手のバーディーにより敗北 |
9 | 1975 | チャリティ・ゴルフ・クラシック | エイミー・オルコット サンドラ・ヘイニー |
ヘイニーが4ホール目パーで勝利 ランキンは1ホール目で脱落 |
10 | 1975 | バーミンガム・クラシック | マリア・アストゥラロージス ジョアン・カーナー |
アストゥラロージスが1ホール目バーディ―で勝利 |
11 | 1975 | アメリカン・ディフェンダー・クラシック | ジョアン・カーナー | 1ホール目、相手のパーにより敗北 |
12 | 1976 | ガールトーク・クラシック | パット・ブラッドリー ボニー・ラウアー サンドラ・ポスト |
ブラッドリーが2ホール目パーで勝利 ラウアーとポストは1ホール目で脱落 |
13 | 1976 | ピーター・ジャクソン・クラシック | ドナ・カポニ | 1ホール目、相手のパーにより敗北 |
14 | 1977 | アメリカン・キャンサー・ソサエティ・クラシック | パム・ヒギンズ | 1ホール目、相手のパーにより敗北 |
15 | 1979 | メイフラワー・クラシック | ローラ・ボー ホリス・ステーシー |
ステーシーが2ホール目パーで勝利 ランキンは1ホール目で脱落 |
16 | 1981 | エリザベス・アーデン・クラシック | ジョアン・カーナー サリー・リトル |
リトルが3ホール目パーで勝利 カーナーは2ホール目で脱落 |
その他の勝利 (2勝)
編集- 1974年 (1) コルゲート・ヨーロピアン・オープン
- 1977年 (1) LPGAナショナルチーム選手権 (ジョアン・カーナーと)
脚注
編集- ^ “Rankin and Andrade sign with Golf Channel”. Golf Channel (2010年1月21日). 2013年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月27日閲覧。
- ^ a b “Judy Rankin: Golf Analyst - Reporter”. ESPN Media Zone. 2017年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月27日閲覧。
- ^ “Faces in the crowd”. Sports Illustrated: 7. (1960-08-08). オリジナルの2013-12-13時点におけるアーカイブ。 2020年9月27日閲覧。.
- ^ a b Brown, Gwilym S. (1961-08-21). “A small but handy prodigy”. Sports Illustrated: 23 2020年9月27日閲覧。.
- ^ “Golfing gallery”. St. Petersburg Independent (Florida): p. 17A. (1966年3月11日)
- ^ Murray, Jim (1977年3月5日). “Judy Rankin...most consistent golfer in game”. Sarasota Herald-Tribune. (Los Angeles Times) (Florida): p. 2D
- ^ “Drought over for Rankin”. Reading Eagle. Associated Press (Pennsylvania): p. 24. (1979年8月14日)
- ^ “Rankin discovers gold at end of the rainbow”. The Bulletin. UPI (Bend, Oregon): p. 13. (1979年8月14日)
- ^ a b “LPGA votes Rankin into Hall of Fame”. Victoria Advocate. wire reports (Texas): p. 2B. (May 3, 2000)
- ^ Ferguson, Doug (May 3, 2000). “Judy Rankin voted into LPGA Hall of Fame”. Kingman Daily Miner. Associated Press (Arizona): p. 7
- ^ “Bob Jones Award Winners”. USGA.org. 2014年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月27日閲覧。
- ^ “Judy Rankin joins St. Louis Walk of Fame”. KSDK (2013年4月29日). 2013年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月27日閲覧。
- ^ “Judy Rankin”. Golf Channel. 2018年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月27日閲覧。
- ^ Martin, Frank W. (November 1, 1976). “Judy Rankin Cracks the $100,000 Earnings Mark for Women Golfers, but She's Far Behind the Men”. People 2020年9月27日閲覧。.
- ^ Sternberg, Stina (February 27, 2012). “Yippy Rankin is laid to rest”. Golf Digest Woman 2020年9月27日閲覧。.
- ^ Rankin, Judy (March 10, 2009). “Rankin shares her insider's perspective on Ogilvy”. PGA Tour. 2020年9月27日閲覧。
- ^ Lewis, Chris (2007). The Scorecard Always Lies: A Year Behind the Scenes on the PGA Tour. Free Press. p. 233. ISBN 978-1-4165-3716-8 . "judy rankin tuey."
- ^ “Hall of Fame Golfer Rankin Is Being Treated for Cancer”. The Washington Post. (June 10, 2006) 2020年9月27日閲覧。
外部リンク
編集- 公式ウェブサイト
- ジュディ・ランキン - 全米女子プロゴルフ協会のプロフィール
- About Golf – ジュディ・ランキン
- 世界ゴルフ殿堂 – ジュディ・ランキン
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