ジュリアン・ジャコビ(Julian Jakobi、1951年4月23日[1] - )は、イギリス出身のスポーツエージェントである。主にレーシングドライバーのマネージメントを手掛け、自動車レースのフォーミュラ1(F1)でアイルトン・セナのマネージャーを務めたことで特に知られる。

ジュリアン・ジャコビ
Julian Jakobi
生誕 (1951-04-23) 1951年4月23日(73歳)
イギリスの旗 イギリス
ロンドン[1]
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 スポーツエージェント(モータースポーツ分野)
著名な実績 アイルトン・セナのマネージャー
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経歴 編集

シルバーストーンにほど近い地域で育ち、イングランドのパブリック・スクールであるラグビースクールを経て、オックスフォード大学を卒業[1]

IMG 編集

大学卒業後は4大会計事務所のひとつであるKPMGで働き、1977年に公認会計士の資格を取得[1]。その後、スポーツマネージメントで知られるインターナショナル・マネジメント・グループ(IMG)に入り、国際ファイナンシャル部門とモータースポーツ部門の2部門で責任者を務めた[1]。この間、世界中の有名なスポーツ選手やエンターテイナーの商業面のマネージメントを担った[1]。そのクライアントは主な人物だけでも下記の通りとなる[1]

この間、F1では1988年にクライアント契約をしていたプロストとセナが両方とも同じチーム(マクラーレン)に所属してタイトルを争い、1989年から1991年にかけての両者の確執(詳細は「セナとプロストのライバル関係英語版」を参照)では板挟みの状態となった[2]

モータースポーツエージェント 編集

1992年、IMGを離れ、クライアントの一人で当時のF1のトップドライバーであるアイルトン・セナのマネージャーとなり、同時にセナ・グループの国際部門の責任者となった[1]。セナは1994年に事故死したが(詳細は「アイルトン・セナの死」を参照)、その後も遺族であるビビアーニ・セナ英語版らとの親交は続き、アイルトン・セナ財団英語版などの商業面や慈善活動に関わり続けた[1][2]

1997年にステラ―・マネージメント社(Stellar Management Group)を設立し、アラン・プロストジャック・ヴィルヌーブダリオ・フランキッティマックス・ビアッジらの商業面のマネージメントを手掛けた[1]。この間、ヴィルヌーブとの関係から、F1のブリティッシュ・アメリカン・レーシングの設立(1997年。デビューは1999年)にも関与した[3][2]

1999年5月にステラ―・マネージメント社はCSSプロモーションズと合併し、CSSステラ―社(CSS Stellar PLC)となり、ジャコビは2004年まで同社の最高経営責任者(CEO)を務め、2008年に会長に就任した[1]

GPスポーツマネージメント 編集

2010年にジャコビはGPスポーツマネージメント社を設立し、引き続き、モータースポーツ分野のトップアスリートを専門としてマネージメント業を営んでいる[1]

GPスポーツマネージメント社の主な契約ドライバーは下記の通り[4]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ セナとは1985年ポルトガルグランプリに際してクライアントとして初めて会ったという[2]。この際、夕食を共にした後、翌日にサーキットで車を走らせなければいけないにもかかわらず、セナが夜中の1時半までビジネスの話を続けたことに面食らったということをジャコビは述べている[2]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Julian Jakobi” (英語). GP Sports Management (2020年). 2023年7月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e Daniel Bastien (2012年4月18日). “Julian Jakobi about Ayrton Senna” (英語). ESPN F1 (via ayrton-senna.net). ESPN. 2023年7月2日閲覧。
  3. ^ オートスポーツ 1997年11/15号(No.737)、「ホンダの復帰、ヨーロッパはこう見る!」 pp.60–61
  4. ^ Motorsports” (英語). GP Sports Management (2020年). 2023年7月2日閲覧。

参考資料 編集

雑誌 / ムック
  • 『オートスポーツ』(NCID AA11437582
    • 『1997年11/15号 (No.731)』三栄書房、1997年11月15日。ASB:AST19971115 

外部リンク 編集