ジョン・サディナ

ジョン・サディナJohn Sardinha1931年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ準州Territory of Hawaii)出身のプロ野球選手投手外野手)。

ジョン・サディナ
John Sardinha
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ハワイ準州
生年月日 (1931-12-21) 1931年12月21日(88歳)
身長
体重
181 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手外野手
プロ入り 1959年
初出場 1959年4月11日[1]
最終出場 1960年9月30日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物編集

セントアントニー高校、ノンプロの地元球団・ハワイ朝日(チームメイトにディック・ディサがいた)を経て、1959年南海ホークスに入団。日系人以外で南海に入団した初の外国人投手でもあった。当時の南海監督だった、鶴岡一人は「半田君(カールトン半田。前年の1958年に南海に入団)に 『ハワイにいい投手はいないか』というと、『サディナがいる。一番速い』という。半田君の紹介で入団した」と自伝で記している。

即戦力として期待され、1959年4月11日の開幕2戦目・大毎戦(大阪スタヂアム)でプロ初先発[1]。そして初勝利を挙げた。オーバースローサイドスローアンダースローに近い投法まで、変幻自在だったと言われ、特に大毎,近鉄に強かった。一方で暴投も多く、1959年にはリーグ最多の7個を記録した。それでも1959年シーズンは10勝を挙げ[3]杉浦忠祓川正敏に次いで、チーム3番目の勝ち数〈皆川睦男とタイ〉だった[4]。)、南海のリーグ優勝に貢献した。リーグ優勝決定後、東京都中野区にあった「中野ホテル」(南海が東京遠征の時に使用していた宿。現存せず)で優勝祝賀会をやったが、半田にビールをかけられたお返しに、半田や杉浦にビールをかけ、ついには鶴岡監督を巻き込んだどんちゃん騒ぎに発展した。このエピソードを踏まえ、半田と共にビールかけの元祖と呼ばれるようになった(詳細はビールかけを参照)。また、半田と共に選手たちにコーチの蔭山和夫柚木進胴上げしてユニホームのまま風呂に投げ込むことを提案して実行したことを、鶴岡が著書で記している[5]。このようにムードメーカーとしてチーム内で人気があった。投手として出場しない日には、外野手として出場した事もあった。尚、同年の日本シリーズでは登板機会は無かった。

1960年には杉浦の酷使(前年の1959年に38勝を挙げていた)を考えて、ジョー・スタンカの獲得を鶴岡監督に進言した。しかし、皮肉にもそれが仇となり、スタンカが南海の主戦投手として活躍する一方、自身は活躍の場を奪われる事となり、同年シーズン終了後に退団した。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1959 南海 36 28 4 1 0 10 10 -- -- .500 634 144.1 143 9 55 1 6 72 7 1 72 54 3.35 1.37
1960 18 9 0 0 0 2 3 -- -- .400 208 53.0 45 9 13 0 3 27 1 1 19 18 3.06 1.09
NPB:2年 54 37 4 1 0 12 13 -- -- .480 842 197.1 188 18 68 1 9 99 8 2 91 72 3.28 1.30
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
1959 南海 40 51 49 0 7 0 0 0 7 2 0 0 0 0 2 0 0 19 0 .143 .176 .143 .319
1960 29 8 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
通算:2年 69 59 56 0 7 0 0 0 7 2 0 0 1 0 2 0 0 22 0 .125 .155 .125 .280

記録編集

背番号編集

  • 2 (1959年 - 1960年)

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集