スウィンギング・ブルー・ジーンズ

ザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズ (英語: The Swinging Blue Jeans)は、イギリスのロック・バンドである。ブリティッシュ・インヴェイジョン期に活躍し、「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」や「グッド・ゴリー・ミス・モリー」をヒットさせる。

ザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズ
出身地 イングランドの旗 イングランドマージーサイド州リヴァプール
ジャンル ブリティッシュ・インヴェイジョン[1]
リヴァプール・サウンド[2]
活動期間 1962年 -
レーベル HMV

メンバー 編集

来歴 編集

1956年頃、レイ・エニスが中心となってスキッフルのバンドとして結成された。当時はジーン・ヴィンセントにあやかってThe Swinging Bluegenes (読み方同じ)と名乗っていた。

1958年、リヴァプール・エンパイア劇場で行われたバンド・コンテストで優勝。その時2位のバンドにいたラルフ・エリスが加入。

1961年頃にはレス・ブレイドノーマン・クールクが入り、メンバーが一定する。

1962年、スウィンギング・ブルー・ジーンズは、マルティグラというクラブのオーナー、ジム・アイルランドとマネージメント契約を結ぶ[3]。アイルランドは、まずイギリスの奇才、ジョー・ミークのオーディションに4人を送り込むが、結果は不合格、4人は腕を上げる事に集中する。

1963年、彼らはグループ名をThe Swinging Blue Jeansに改名する。同年、EMI傘下のHMVとレコーディング契約を結び、6月に「イッツ・トゥー・レイト・ナウ」でデビューを果たす。チャートの30位とまずまずの中ヒットをリリースした。9月にも「ドゥ・ユー・ノウ」を出すが、チャートインしていない。

しかし、この頃リヴァプールに工場を持っていたジーンズ・メーカーがスポンサーとなり、海賊ラジオ局ラジオ・ルクセンブルクで『スウィンギング・タイム』という15分番組を持つまでになり、徐々に人気を集めていく。

12月発売のチャン・ロメロ作の「ヒッピー・ヒッピー・シェイク[4]が2位[5]を記録し、グループの大ヒット曲となる。翌年の3月には、アメリカで24位を記録する。これをきっかけに、エド・サリヴァン・ショーへの出演依頼が舞い込んで来るが、ヨーロッパ・ツアーの契約がまだ残っており、出演を断った。

続くリトル・リチャードのカバー「グッド・ゴリー・ミス・モリー」が11位[6]を記録。その次のベティ・エヴァレットのカバー「悪いあなた (You're no good)」が3位[7]を記録する。

しかし、その後のヒットは1966年1月、ディオンヌ・ワーウィックのカバー「ドント・メイク・ミー・オーバー」まで間が空き、同曲も31位を記録する。その後は、ヒットを出すことができなかった。

同年、ラルフ・エリスが抜け、同じリヴァプールのバンド、ザ・エスコーツからリズム・ギター担当のテリー・シルヴェスター[8]、ベース担当のマイク・グレゴリーが加入。レス・ブレイドはキーボード担当に変わる[9]

オリジナルメンバーがエニスとブレイドだけになってしまったものの、グループはカナダ人のメンバーを加入させ、存続している。第一線を退き、キャバレーやクラブを周っているという。

2000年代に入っても存続していたが、ブレイドは2005年7月31日、肺がんのため死去する。67歳だった。

エニスも、2010年12月までグループ唯一のオリジナル・メンバーとして活動していたが、リヴァプールでのライヴを最後に引退する。オリジナル・メンバーはいないものの、スウィンギング・ブルー・ジーンズは活動を続けている。

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

  • "It's Too Late Now" / "Think of Me" (HMV POP 1170, 1963年6月) - 全英シングルチャート 30位
  • "Do You Know" / "Angie" (HMV POP 1206, September 1963年)
  • "Hippy Hippy Shake" / "Now I Must Go" (HMV POP 1242, 1963年12月) - 全英シングルチャート 2位; Billboard Hot 100 24位
  • "Good Golly Miss Molly" / "Shaking Feeling" (HMV POP 1273, 1964年3月) - 全英シングルチャート 11位; Billboard Hot 100 43位
  • "You're No Good" / "Don't You Worry About Me" (HMV POP 1304, 1964年5月) - 全英シングルチャート 3位; Billboard Hot 100 97位
  • "Promise You'll Tell Her" / "It's So Right" (HMV POP 1327, 1964年8月) - Billboard Hot 100 130位
  • "It Isn't There" / "One of These Days" (HMV POP 1375, 1964年12月)
  • "Make Me Know You're Mine" / "I've Got a Girl" (HMV POP 1409, 1965年3月)
  • "Crazy 'Bout My Baby" / "Good Lovin'" (HMV POP 1477, 1965年10月)
  • "Don't Make Me Over" / "What Can I Do Today" (HMV POP 1501, 1966年1月) - 全英シングルチャート 31位; Billboard Hot 100 116位
  • "Sandy" / "I'm Gonna Have You" (HMV POP 1533, 1966年6月)
  • "Rumours, Gossip, Words Untrue" / "Now the Summer's Gone" (HMV POP 1564, 1966年11月)
  • "Tremblin'" / "Something's Coming Along" (with Kiki Dee, Madeline Bell), (HMV POP 1596, 1967年7月)[10][11]

アルバム 編集

  • Hippy Hippy Shake (1964年) - Billboard 200 90位[11]
  • Blue Jeans a'Swinging (1964年)
  • Live aus dem "Cascade Beat Club" in Köln (1965年)
  • Don't Make Me Over (1966年)

脚注 編集

  1. ^ Swingingbluejeans 2022年5月10日閲覧
  2. ^ ザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズ マージービート 2022年5月10日閲覧
  3. ^ ブライアン・エプスタインも契約を結ぼうとしたが、ザ・ビートルズジェリー&ザ・ペースメイカーズで手一杯だろうと判断し、アイルランドと契約を結んだ。
  4. ^ メンバーのレイ・エニスは、後に「自作曲だったらどんなに良かった事か」とコメントしている。
  5. ^ この曲は、デイヴ・クラーク・ファイヴの「グラッド・オール・オーバー」に阻まれて2位に終わった。
  6. ^ 11位止まりの要因は、前作「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」と同じアレンジを施していたため。
  7. ^ この曲も、1位のロイ・オービソンの「イッツ・オーバー」、2位のザ・トレメローズの「サムワン・サムワン」を抜く事が出来なかった。
  8. ^ 1968年ホリーズに、グレアム・ナッシュの後任として加入する。
  9. ^ マイク・グレゴリー脱退後は再びベースに戻る。
  10. ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 544. ISBN 1-904994-10-5 
  11. ^ a b Allmusic ((( The Swinging Blue Jeans > Charts & Awards > Billboard Singles )))”. 2013年8月10日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集

  • トップ・ギアー! スウィンギング・ブルー・ジーンズ [1]
  1. ^ http://www.showapuroresu.com/topgear/band/jeans/index.htm