センジユとは、アングロアラブの日本の競走馬種牡馬である。競走馬としてはアングロアラブ公営日本一に2年連続選出され、のちの啓衆社賞・年度代表馬オンスロートを破るなど活躍。種牡馬入り後も複数回のリーディングサイアーに輝いた。

センジユ
品種 アングロアラブ(アラブ血量35.93%)
性別
毛色 鹿毛
生誕 1956年4月10日
死没 1978年12月30日
方景(アングロアラブ)
イースタン(アングロアラブ)
母の父 バラツケー(アングロアラブ)
生国 日本の旗 日本北海道浦河町
生産 三枝幸盛
馬主 矢野千寿
調教師 倉内種太郎(大井
競走成績
生涯成績 90戦31勝(内対サラ系43戦4勝) [1]
獲得賞金 1527万2000円(内対サラ系549万2000円)[1]
勝ち鞍

春の特別(1959年)
秋の特別(1959年、1961年)
銀盃(1960年)
ワード賞(1960年)
船橋記念(1959年、1960年)

千鳥賞(1959年)
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※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。

概要編集

競走馬時代編集

デビューから全日本アラブ争覇へ編集

もともと日高の2歳セリで福島県馬商に落札されたが、全兄のタチナミ[注 1]を管理していた倉内種太郎調教師が「ひとめぼれして」、180万円で購買する[注 2][1]。デビュー2戦目で準重賞のビクトリーハンデを楽勝すると[2]、その後はデビュー以来4連勝の勢いで[3]南関東の3歳アングロアラブ最大の目標である全日本アラブ争覇へと進む。ところがセンジユはスタートで大きく出遅れてしまい、必死に追い上げるも5着までが精一杯[3]。代わりにこの競走を勝ったのは、ビクトリーハンデで下したはずのオウゴンラツキーであった[3]

4歳時の活躍編集

いったん戦績に土がついたセンジユだったが、その後はふたたび連勝を続けていく。6連勝で千鳥賞を制して重賞初勝ち星を挙げると[4]、3月には早くも古馬のA級・B級混合戦に出走し勝利した[5]。そのまま春の特別も制したが[6]、次走のアラブチャレンジャーでは全兄のタチナミに敗れてしまう[7]。その直後の船橋記念ではタチナミをハナ差で凌いで古馬重賞初勝利を挙げたが[8]、続くワード賞は2着[9]白百合賞ではアタマ・ハナ差の3着と惨敗が続いた[10]。それでも秋には秋の特別を制したが[11]、年末にはホウセント記念アラブチャンピオンオウゴンラツキーを相手に連敗している[12]

サラブレッド系競走への挑戦編集

5歳となったセンジユは上半期だけで銀盃船橋記念ワード賞とアングロアラブ重賞を3勝したが、そのいずれも斤量は60キロを越えていた[13]。結局ホウセントトモスベビーと同じく、センジユは5月ごろからサラブレッド系競走への参加を始めている[14]。C級からの格付けだったが順調に勝ち進むと、8月には大井の準重賞・スプリンターハンデでオンスロートをアタマ差凌ぐ大金星を挙げた[注 3][15]。その後もサラブレッドのオープンクラスに混ざって、掲示板にしぶとく食い込むまずまずの走りを見せた。一方で下半期も引き続きアングロアラブ重賞に出走しているが、秋の特別では66キロの斤量を背負って着外[16]。年末のアラブチャンピオンは63キロとやや軽くなったが、やはり1着からは大きく離された5着に終わっている[17]。しかし上半期の活躍とサラブレッドへの挑戦が評価され、この年から新設された準公営日本一に選出されている[注 4][18]

6歳時も引き続きサラブレッドのオープン競走への出走を続けているが、夏場に大井の準重賞のサマーカップとスプリンターハンデで3着した程度であり[19]、勝ち星からは遠ざかった。

秋の特別2勝目、引退へ編集

8月25日のアングロアラブの準重賞・スプリンターハンデで、センジユは66キロの斤量を背負いながら久々の勝利を挙げる[20]。その後は再びアングロアラブ競走に主軸を移すと、10月頭には64キロを背負いながらA級特別戦をレコードタイムで勝利[21]。続く準重賞の1マイルハンデでは斤量が69キロにまで達したが、この年の春の特別馬エロルデに僅差まで迫る2着となっている[22]。そして迎えた秋の特別、斤量は69キロで据え置かれたが、センジユは2400mの長丁場をじっくりと中団で追走。3コーナー前でスパートをかけると軽快に先頭まで進出し、そのまま見事にこの大競走2勝目を挙げた[23]。その後はアングロアラブのオープン競走で再度のレコード勝ちを収めたが[24]、一方で68キロを背負ったアラブチャンピオンでは着外に沈んでいる[25]。それでも69キロという斤量を克服しての秋の特別での勝利により、昨年に引き続きアングロアラブの公営日本一に輝いた[注 5][26]

7歳時は再びサラブレッド系の競走のみを11戦走ったが、勝ち星を挙げることは叶わないまま引退した[1]

種牡馬時代編集

門別町の日西牧場で種牡馬入りすると[1]、アングロアラブの内国産種牡馬としてはセイユウと並ぶ活躍を見せた。1974年と1975年には、アングロアラブの中央・地方総合リーディングサイアーにも輝いている[27]。以下にその代表産駒を挙げる[28]

代表産駒編集

血統表編集

センジユ血統ブランドフォード系 / 「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギア・濠サラ (血統表の出典)

アア 方景
1934 鹿毛
父の父
アスフオード
Athford
1925 鹿毛
Blandford 1919 Swynford 1907
Blanche 1912
Athasi 1917 Farasi 1903
Athgreany 1910
父の母
アア 影英
1927
アラ エルワルド 1919
アア 影鶯 1919 アラ *オーバーヤン五ノ六 1909
*第一エラ 1912

アア イースタン
1948
アア バラツケー
Barraques
1927
Comtat 1912 Vinicus
Contree
アア Titine 1919 アラ Kerro 1910
アア Bougiere 1912
母の母
アア 梅橋
1937
ウツリーブリツヂ Woolley Bridge 1919 Bridge of Earn 1906
Ashboro 1906
アア 梅和 1923 アラ ワギー Wagih 1915
アア 梅蕾 1917 オーバーヤン五ノ二系
  • 母イースタンは国営競馬で通算13勝。その全兄妹にはダイイチミネフジ[注 6]、半兄姉にオマタドロツプス[注 7]がいる[1]

脚注編集

  1. ^ 1955年産。主な勝ち鞍に1959年のアラブチャレンジャー
  2. ^ ちなみに、この年の南関東のアングロアラブ競走における1着賞金の最高額は春の特別秋の特別の40万円。
  3. ^ なお、この競走はレコード勝ちで、かつ3着のユウセイ(勝ち鞍に1959年の大井記念金盃新春盃)を6馬身差離している。
  4. ^ この年はサラブレッドから公営日本一が、アングロアラブより準公営日本一が選出される形式が取られた。
  5. ^ 最良のアラ荘馬も同時受賞。
  6. ^ 1947年産、国営登録名・繁殖登録名ミネフジ。南関東の黎明期を走り70キロオーバーの斤量での勝利がある。タガミホマレらの父。
  7. ^ 1951年産・父方景。1953年の全日本アラブ争覇を勝ち、ホウセント晩年のライバルだった。

出典編集

  1. ^ a b c d e f 「さようならセンジユ!」:啓衆社『競週地方競馬』1963年2月号、28頁。
  2. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1958年10月21日分。
  3. ^ a b c 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1958年11月20日分。
  4. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年02月02日分。
  5. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年03月30日分。
  6. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年04月30日分。
  7. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年05月16日分。
  8. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年06月11日分。
  9. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年07月02日分。
  10. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年08月04日分。
  11. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年10月16日分。
  12. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1959年12月16日分・1960年1月1日分。
  13. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1960年03月16日分・06月09日分・07月09日分。
  14. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1960年05月20日分。
  15. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1960年08月29日分。
  16. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1960年11月16日分。
  17. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1960年12月21日分。
  18. ^ 啓衆社『競週地方競馬』1961年2月号。
  19. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年07月27日分・08月07日分。
  20. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年08月26日分。
  21. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年10月09日分。
  22. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年10月23日分。
  23. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年11月02日分。
  24. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年11月13日分。
  25. ^ 日刊スポーツ社『日刊スポーツ(東京版)』1961年12月21日分。
  26. ^ 啓衆社『競週地方競馬』1962年3月号。
  27. ^ JBIS Serch、アングロアラブ年度別総合サイアーランキング(1974年1975年) (2014年7月27日閲覧)。
  28. ^ JBIS Serch、父馬検索「センジユ」 (2014年7月27日閲覧)より、主要競走勝ち馬を中心に抜き出した。

外部リンク編集