チャック・マンジョーネ
チャック・マンジョーネ(Chuck Mangione、英語での発音により忠実な日本語表記は「マンジオーネ」、本名:Charles Frank Mangione、1940年11月29日 - )は、アメリカのトランペット奏者、フリューゲルホルン奏者、作曲家。ジャズ・フュージョンの活動で知られる。イーストマン音楽学校卒業。
チャック・マンジョーネ Chuck Mangione | |
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![]() チャック・マンジョーネ(2006) | |
基本情報 | |
出生名 | Charles Frank Mangione |
生誕 | 1940年11月29日(80歳) |
出身地 |
![]() ニューヨーク州ロチェスター |
ジャンル | ジャズ、ハード・バップ、フュージョン |
職業 | ミュージシャン、コンポーザー |
担当楽器 | フリューゲルホーン、トランペット、フェンダー・ローズ、エレクトリック・ピアノ |
活動期間 | 1960年 - |
人物・来歴編集
ニューヨーク州ロチェスターに、シチリア系の両親の間に生まれる。幼少からトランペットを学び、1960年から実兄ギャスパー"ギャップ"マンジョーネと、ザ・ジャズブラザーズというハード・バップ・ジャズ・バンドを結成。1965年、アート・ブレイキーのバンドにも参加し、名を上げた。
1960年代後半頃、トランペットからフリューゲルホルンに楽器を持ち替えフュージョン方面に音楽性を転向した。ラテン・テイストをふんだんに取り入れたメロディアスで心地よいナンバーを次々と発表し、全米で大ヒット。1976年アルバム"哀しみのベラヴィア(Bellavia)"でグラミー賞を受賞。1978年にはアルバム"サンチェスの子供たち(en:Children Of Sanchez)"で2度目のグラミー賞を受賞した。代表曲"フィール・ソー・グッド"は全米のヒットチャートでトップ5入りし、同タイトルのアルバムはBillboard 200のトップ2を獲得、ジャズでは異例の大ブレイクを記録した。1980年の「栄光をめざして」は、レイクプラシッド冬季オリンピックにちなんで制作され、人気のある曲である。マンジョーネは、フュージョンというジャンルのリスナーに愛されたミュージシャンであった。
ディスコグラフィ編集
- ザ・ジャズブラザーズ (1960年)
- ヘイ・ベイビー!(1961)
- スプリング・フィーバー (1961年)
- レケルド (1962年)
- フレンド&ラヴ (1970年)
- チャック・マンジョーネ・カルテット(1972年)
- ランド・オブ・メイク・ビリーブ(1973年)
- チェイス・ザ・クラウズ・アウェイ (1975年)
- 哀しみのベラヴィア(1975年)
- メイン・スクイーズ(1976年)
- フィール・ソー・グット(1977年)
- サンチェスの子供たち(1978年)
- アンイヴニング・オブ・マジック~ライブ・アット・ハリウッド・ボウル(1979年)
- ファン・アンド・ゲームス(1979年)
- タランテラ(1980年)
- 70マイルズ・ヤング(1982年)
- ラヴ・ノーツ(1982年)
- 虹への旅(1983年)
- アイ・オブ・ザ・テンプレス(1988年)
- ザ・トップ・ハット(1994年)
- ザ・フィーリング・イズ・バック(1999年)
- エヴリシング・フォー・ラヴ(2000年)
- キープ・イン・サイント(2019年)
参加作品編集
- アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ『バターコーン・レディ』(1966年)
CM提供曲編集
関連項目編集
- ディジー・ガレスピー
- フュージョン(音楽)
- A&Mレコード
- ニュー・サウンズ・イン・ブラス(New Sounds in Brass) - フュージョンをはじめとする様々なジャンルの音楽を吹奏楽編成向けに編曲した楽譜およびCDのシリーズ。チャック・マンジョーネの楽曲では、「サンチェスの子供たち」、「フィール・ソー・グッド」などが、同シリーズにおけるフュージョン曲の吹奏楽アレンジの主要なレパートリーの一つとして広く知られる。
- キング・オブ・ザ・ヒル - チャック・マンジョーネが本人役で出演。シリーズを通して、国歌など何らかの演奏をする場面には必ず登場してトランペットを吹くが、数小節目には「フィール・ソー・グッド」にすり替えてしまう。彼に焦点を当てたエピソードもある。
参考文献編集
- 『JAZZトランペット』ジャズ批評編集部編、松坂〈ジャズ批評ブックス〉、2001年、176頁。ISBN 491555709X。
- 中山 康樹『ジャズの歴史』講談社〈+α新書〉、2014年、176頁。ISBN 4062728737。