ディーン・セキ石天 英名:Dean Shek 1949年[1]6月17日[2] / 10月17日[3][4] - 2021年9月20日[2] / 10月31日[5])は、香港俳優映画監督脚本家映画プロデューサーである[4]

石天
ディーン・セキ
2016年
プロフィール
出生: 1949年6月17日または
同年10月17日
死去: (2021-09-20) 2021年9月20日(72歳没)または
(2021-10-31) 2021年10月31日(72歳没)
出身地: 中国天津市
職業: 俳優映画監督脚本家映画プロデューサー
各種表記
繁体字 石天
簡体字 石天
拼音 Shi2 Tian1
発音転記: シェク・ティン(広東語)
英語名 Dean Shek
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プロフィール

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中国天津市に生まれる[4]。本名は劉偉誠[6]。彼が3歳の時に香港に移住する[4]1968年ショウ・ブラザーズの俳優養成所に入り、1969年にデビュー。その後数多くの映画で脇役として出演を重ねた。

1973年にショウ・ブラザーズを退社してからも、『Mr.Boo!ギャンブル大将』や、ジャッキー・チェン主演の『カンニング・モンキー 天中拳』をはじめとする一連のカンフー映画に出演し、コミカルな演技を披露した。

1975年からは映画の演出も開始し、1980年には、レイモンド・ウォン(黄百鳴)やカール・マッカ(麥嘉)とともに映画製作会社シネマ・シティ(新藝城電影公司)を設立。『悪漢探偵』シリーズのプロデューサーとしても手腕を発揮した。

コメディ色の強い映画に出演・プロデュースの多いディーン・セキだが、1987年公開の『男たちの挽歌 II』では、偽造紙幣製造組織のボス・ルン役を演じた。

1990年製作の映画『赤の広場の龍』を最後に俳優を引退、プロデューサーとしても1992年製作の『Angel Hunter』を最後に芸能界を完全に引退し、実業界に転じた。以来、表舞台に姿を現す事は殆ど無くなったが、盟友であるエリック・ツァンの60歳記念パーティが開かれ、香港TVBで放送された際には、会場に設置された舞台にレイモンド・ウォンやカール・マッカとともに登場し、シネマ・シティ時代の昔話を語っていた。2021年10月31日により死去した[5][註 1]。72歳没[5]

日本語吹替えに関しては主に清川元夢が担当していたが、2024年以降の追加収録部分などで岩崎ひろしなどが担当している。

主な出演作品

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脚注

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註釈

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  1. ^ ただし、香港電影資料館広東語版では同年の9月20日を没日とし[2]、また、聯合早報も9月の死去を報じている[1]

出典

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  1. ^ a b 李亦筠 (2021年11月2日). “香港演员石天病逝” (中国語). 聯合早報. オリジナルの2021年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/OmiwF 2021年11月3日閲覧。 
  2. ^ a b c Dean SHEK(1949.6.17–2021.9.20)” (英語). 香港電影資料館広東語版. 2022年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月29日閲覧。
  3. ^ 吴冬妮 (2021年11月2日). “香港影人、新艺城创始人石天因病去世,曾主演《英雄本色2》” (中国語). 新京報 (捜狐). オリジナルの2021年11月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/zpyFA 2021年11月3日閲覧。 
  4. ^ a b c d “香港影坛的滑稽之王:“新艺城七怪”石天篇” (中国語). 腾讯新闻. (2021年7月7日). オリジナルの2021年11月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211109161845/https://new.qq.com/omn/20210707/20210707A00BQO00.html 2021年11月10日閲覧。 
  5. ^ a b c “細仔證實石天已逝 黃百鳴尊重亡友遺願未搞追思會” (中国語). 東網. (2021年11月2日). オリジナルの2021年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/pywgY 2021年11月3日閲覧。 
  6. ^ 蘇詠智 (2021年11月2日). “「新藝城」元老石天10月已癌逝 家人盼低調 暫不辦追思” (中国語). 聯合報 (聯合線上公司). オリジナルの2021年11月3日時点におけるアーカイブ。. https://archive.md/w7wwx 2021年11月3日閲覧。