デビッド・ホステトラー
デビッド・アラン・ホステトラー(David Alan "Dave" Hostetler , 1956年3月27日[1] - )は、アメリカ合衆国アイオワ州出身の元プロ野球選手(内野手)[1]。1986年~1987年まで南海ホークスに所属した。
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アイオワ州 |
生年月日 | 1956年3月27日(68歳) |
身長 体重 |
190 cm 97 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1978年 MLBドラフト4巡目 |
初出場 |
MLB / 1981年9月15日 NPB / 1986年4月4日 |
最終出場 |
MLB / 1988年5月3日 NPB / 1987年10月18日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集1975年、1976年に2年連続でサンフランシスコ・ジャイアンツにドラフト指名されるが、いずれも入団せず、南カリフォルニア大学に進学。1978年のドラフト4巡目でモントリオール・エクスポズに指名され、入団。1981年、メジャー初昇格。
翌1982年にテキサス・レンジャーズに移籍。打率こそ.232であったが、22本塁打、67打点を記録し、レギュラーの座を掴み、新人王候補にも名を連ねた。しかし、三振が多い(1982年は418打数で113三振)、右投手に弱いという弱点から徐々に出場機会が減る。
1986年当時、南海ホークスは門田博光・山本和範・岡本圭右と中心打者が左に偏っていたため右の長距離砲を補強ポイントとし、出場機会を求めるデビッドとの両者の思惑が一致し入団となった。
1986年には勝利打点11と好機に強い場面をみせつけ全試合出場を果たすも、1987年は夏場に調子を崩し打撃3部門全てが前年度より低下したため解雇となった。なお、当初はファミリーネームであるホステトラーを登録名とする方針だったが「ホステス」あるいは「ホテトル」を連想させるためファーストネームのデビッドを登録名とした[2]。なお、入団1年目の背番号は「61」で、「60」の門田、「62」のダニー・グッドウィンと共に「60番トリオ」と命名したが、グッドウィンの不振もあって、公式戦で活躍が話題になることはほとんどなく、グッドウィンの解雇で1年限りで「解散」となり、デビッドは背番号を「9」に変更した。
1988年にはピッツバーグ・パイレーツと契約したが、6試合に出場したのみで、これを最後に引退した。この年には、1試合、2イニングだけだが捕手を務めている。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1981 | MON | 5 | 6 | 6 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .500 | .500 | 1.000 | 1.500 |
1982 | TEX | 113 | 466 | 418 | 53 | 97 | 12 | 3 | 22 | 181 | 67 | 2 | 2 | 0 | 5 | 42 | 3 | 1 | 113 | 14 | .232 | .300 | .433 | .733 |
1983 | 94 | 353 | 304 | 31 | 67 | 9 | 2 | 11 | 113 | 46 | 0 | 2 | 0 | 2 | 42 | 1 | 5 | 103 | 10 | .220 | .323 | .372 | .695 | |
1984 | 37 | 95 | 82 | 7 | 18 | 2 | 1 | 3 | 31 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | 0 | 27 | 5 | .220 | .326 | .378 | .704 | |
1986 | 南海 | 130 | 534 | 487 | 65 | 139 | 20 | 0 | 25 | 234 | 74 | 6 | 3 | 0 | 1 | 46 | 0 | 0 | 103 | 13 | .285 | .346 | .480 | .827 |
1987 | 124 | 446 | 391 | 42 | 98 | 12 | 1 | 17 | 163 | 68 | 1 | 4 | 0 | 5 | 44 | 7 | 6 | 91 | 17 | .251 | .332 | .417 | .749 | |
1988 | PIT | 6 | 8 | 8 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 |
MLB:5年 | 255 | 928 | 818 | 92 | 187 | 23 | 6 | 37 | 333 | 124 | 2 | 4 | 0 | 7 | 97 | 4 | 6 | 248 | 29 | .229 | .313 | .407 | .720 | |
NPB:2年 | 254 | 980 | 878 | 107 | 237 | 32 | 1 | 42 | 397 | 142 | 7 | 7 | 0 | 6 | 90 | 7 | 6 | 194 | 30 | .270 | .340 | .452 | .792 |
記録
編集- NPB
- 初出場・初先発出場:1986年4月4日、対西武ライオンズ1回戦(西武ライオンズ球場)、5番・一塁手として先発出場
- 初安打・初打点:同上、8回表に東尾修から2点適時打
- 初本塁打:1986年4月6日、対西武ライオンズ3回戦(西武ライオンズ球場)、5回表に松沼雅之から左越ソロ
背番号
編集- 55(1981年、1988年)
- 12(1982年 - 1984年)
- 61(1986年)
- 9(1987年)
脚注
編集- ^ a b 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P127。
- ^ “球史に残る珍名も…変わった登録名や本名を持つ“助っ人列伝””. BASEBALL KING (2021年2月16日). 2022年1月2日閲覧。
関連項目
編集- アイオワ州出身の人物一覧
- 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧
- 藤本博史 (内野手) チャンステーマ曲として使われる。