ニッコー (洋食器)
日本の食器メーカー
ニッコー株式会社(英: NIKKO Company)は、石川県白山市に本社を置く窯業を中心とするメーカーである。名古屋証券取引所メイン市場単独上場銘柄である。
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒924-0022 石川県白山市相木町383番地 / 【東京本社】 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-36-1 |
設立 |
1950年(昭和25年)8月18日 (日硬陶器株式会社) |
業種 | ガラス・土石製品 |
法人番号 | 2220001008794 |
事業内容 | 陶磁器・住設環境機器・電子セラミック製品の製造販売 |
代表者 | 三谷明子(代表取締役社長) |
資本金 | 34億70百万円 |
発行済株式総数 | 2417万2千株 |
売上高 |
連結:136億43百万円 単独:126億76百万円 (2016年3月期) |
営業利益 |
連結:△4億7百万円 単独:△5億7百万円 (2016年3月期) |
純利益 |
連結:△5億54百万円 単独:△7億52百万円 (2016年3月期) |
純資産 |
連結:6億83百万円 単独:4億35百万円 (2016年3月31日現在) |
総資産 |
連結:93億17百万円 単独:107億72百万円 (2016年3月31日現在) |
従業員数 |
連結:653人 単独:609人 (2016年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
三谷充 19.98% 三谷産業株式会社 12.15% 日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(三井住友信託銀行再信託分・TDK退職給付信託口) 10.34% (公財)三谷育英会 4.65% (2016年3月31日現在) |
主要子会社 | ニッコーロジスティックス(株) 99.78% |
外部リンク | https://www.nikko-company.co.jp/ |
概要
編集主な製品は浄化槽・タイル・浴槽などの住宅設備・環境機器、陶磁器の洋食器、基板、圧電素子などの電子セラミックなどである。2016年3月期の決算では、売上の比率は住設環境機器が64.9%、陶磁器が17.9%、機能性セラミック商品が17.3%となっている。
沿革
編集- 1908年(明治41年) - 金沢市で旧藩主前田家と当地の有力者により日本硬質陶器として創業。
- 1917年(大正6年) - 韓国釜山市に工場進出。一時期釜山市に本社をおく。世界有数の生産規模を誇る。
- 1950年(昭和25年) - 在外資産の整理要項に関する政令により、日硬産業株式会社を整理解散。資本金3,750千円で日硬陶器株式会社を設立する。
- 1958年(昭和33年) - 商号を日本硬質陶器株式会社に変更する。
- 1961年(昭和36年) - 現在の本社所在地である石川県白山市に陶磁器工場を建設する。
- 1966年(昭和41年) - 埼玉県行田市に国内初の繊維強化プラスチック(FRP)専門工場を建設し、ユニットバスなどのFRP製住宅設備機器分野へ本格的に進出。
- 1983年(昭和58年) - 商号を現在のニッコー株式会社へ変更。
- 1988年(昭和63年) - 本社工場敷地内に電子セラミック工場を建設。電子セラミックの事業分野を確立する。
- 1989年(平成元年) - 名古屋証券取引所市場2部へ株式を上場。
- 2007年(平成19年) - TDKと資本・業務提携。
- 2008年(平成20年) - 100周年を迎える。浄化槽のメンテナンス業務を行うニッコーエムイー株式会社を設立。
- 2012年(平成24年) - 電子セラミック事業部から機能性セラミック商品事業部へ名称を変更。
- 2013年(平成25年) - 東京オフィスを東京本社に改称し、2本社制へ移行。
- 2015年(平成27年) - 従業員向けに陶磁器等の販売を行っていたグループ会社ニッコーケア株式会社を解散(2016年3月清算結了)。TDKとの資本・業務提携を解消。
- 2016年(平成28年) - ニッコーエムイー株式会社を吸収合併。
日本硬質陶器
編集創業社の日本硬質陶器株式会社は、明治中期に、九谷焼製造業者の林屋次三郎、石川県立工業学校教諭の友田安清と吉村又男、九谷焼窯元の細川善六の4名により硬質陶器(1200~1300度の高温で焼いた陶器)の開発が始められ、1905年に能美郡国府村鍋谷で適した原料を発見し焼成に成功、1906年に合名会社林屋組を設立して製造販売を開始したところ好評を得て需要が拡大したため、前田候と県下の有力者らが林屋組を買収する形で事業拡大し、1908年に日本硬質陶器株式会社として発足した[1]。「ファイアンヌ」の名で軍や学校、病院、工場、旅館をはじめ、和洋食器として広く普及した[1]。
創業者の林屋次三郎は宝暦年間に金沢で創業した茶店「林屋」の三代目当主・林屋新兵衛の次男として生まれ、若くして店を構え九谷焼の改良に努め、1902年の内国勧業博覧会に出品したほか、ベルギーでの万国博覧会では名誉大金牌を受けた[2]。その後輸出向け製品の開発を模索する中で、同郷の大阪商船社長中橋徳五郎より英国ジョンソン・ブラザーズ社(en:Johnson Brothers)の皿を見せられて製造を勧められ、硬質陶器「フィアンス」の開発を始めた[2]。
所在地
編集- 本社
- 本社 - 石川県白山市
- 東京本社 - 東京都千代田区
- 工場所在地
- 白山工場 - 石川県白山市
- 鶴来工場物流センター - 石川県白山市
- 埼玉工場 - 埼玉県行田市
グループ企業
編集いずれも陶磁器事業のみに関連する企業。
子会社
編集- ニッコーロジスティックス株式会社(国内における総販売代理店、連結対象)
- NIKKO CERAMICS, INC.(アメリカにおける総販売代理店、連結対象)
関連会社
編集- 株式会社山前製陶所(陶磁器製造の一部工程を担当)
- N&I ASIA PTE LTD.(東南アジアにおける販売代理店)
脚注
編集- ^ a b 日本硬質陶器株式会社御成『鶴駕巡啓記』 (石川県立金沢第一中学校校友会, 1909)
- ^ a b 近代洋皿と青色釉分析 武部真木[他] (愛知県埋蔵文化財センター, 2012-05)