ノート:ヤマト王権/archive 2

ノート:ヤマト王権/過去ログ2から転送)
最新のコメント:14 年前 | トピック:項目名移動の提案 | 投稿者:Nshishi

大和王権への移動 編集

「大和王権」にでも「このページを移動する」した方がよいでしょうか?
当時(4世紀頃~飛鳥時代)の支配体制については、便宜上「朝廷」と呼ぶ場合がありますが、厳密には「朝廷」と言える形の体制ではなかったと思うので。
ちなみに、もっっと厳密に言えば「ヤマト」なのでしょうけど、私としては、一般の人が地名と一致しやすい「大和」を希望します。
- Gombe 08:57 2004年1月29日 (UTC)

実際そのように編集を加えられた方が登場しましたね。そういうわけで、「大和朝廷」から「大和王権」へ移動しました。 - Gombe 03:32 2004年3月8日 (UTC)

項目名移動の提案 編集

非常に心苦しくはあるのですが、「大和王権」→「ヤマト王権」への移動を提案します。理由は、本文にもあるとおり、「大和」の語が不適切とされているからです。中には「大和王権」を主張される研究者も少数おられますが、研究者の大勢は「ヤマト」の語を使用しており、百科事典としては、より厳密な表記とするべきと考えます。ご異論がなければ、1週間経過した8月24日以降に移動作業(+リンク元修正)を行うつもりですが、できればご意見(賛成でも反対でも)を頂いた上で作業にかかりたいと考えています。shimoxx 2005年8月17日 (水) 14:24 (UTC)

遅くなりましたが、賛成します。--shikai shaw 2005年11月9日 (水) 12:46 (UTC)
3ヶ月程待ってみましたが、ご賛同はありつつも反対意見がありませんでしたので、「ヤマト王権」へ移動しました。--shimoxx 2005年12月2日 (金) 15:56 (UTC)

大和朝廷の項目がここに飛ばされるのはおかしいので新たにコンテンツを作成します。(YOSSY)

う~ん、ヤマト王権とは別に大和朝廷が存在していたというご趣旨なのでしょうか。。。古墳期から飛鳥期にかけて倭国の中枢を担っていた政治勢力について、大昔はこれを大和朝廷と呼んでいましたが、今ではヤマト王権と呼ぶのが一般的となっています。中には今でも大和朝廷と呼ぶ研究者もおられますが、非常に限定的です。大和朝廷とヤマト王権とは別々の概念ではなく、研究の進展に伴う呼称の変遷であると言えますから、新たに大和朝廷の項目を立てる必要はないと思われます。もしよろしければ[1]がご参考になるかも知れません。--shimoxx 2006年2月6日 (月) 15:06 (UTC)

しかし、私はまだあまりヤマト王権という呼び方はあまり広まってないように思えます。実際、今の社会の教科書は大和朝廷とかかれています。しかし、大和朝廷という呼び方はやはり本文にもあるように不適切だと思うのでヤマト政権という項目名にするのがよいと思います。--以上の署名のないコメントは、218.219.219.24会話/Whois)さんが 2007年6月7日 (木) 22:56(JST) に投稿したものです。

ヤマト王権が広まってないという典拠は?山尾幸久氏の「ヤマト王権」項(『日本古代史研究事典』東京堂出版)や吉村武彦氏の『古代史の基礎知識』(角川選書)では、「ヤマト王権」という表記を採用すべき理由が書かれています。もっとも、他の研究者たちも他の表記(倭王権、大和政権など)を使用していますので、「ヤマト王権」表記が絶対的という訳ではありませんが、山尾氏・吉村氏という代表的な古代史研究者が相揃って提唱しておられることから、ひとまずのところは項目名を「ヤマト王権」としておくのが一番良いだろうと思います。
「ヤマト王権」→「ヤマト政権」→「ヤマト国家」という時代区分論、政治形態移行論とも絡んでくるので、本当は奥の深い難しい話ではあるのですが、話も長くなりますし、とりあえずここまでにしときます。-shimoxx 2007年6月15日 (金) 18:02 (UTC)

大和朝廷でいいと思います。一部の人の思想?に偏ってる気がします--以上の署名のないコメントは、210.252.203.158会話/Whois)さんが 2007年8月31日(金)11:21(JST) に投稿したものです。

現今、大和朝廷を使用する研究者はほとんどおられず、ヤマト王権なり倭王権なりを使用する研究者の方が圧倒的に多数派です。むしろ大和朝廷を採用することの方が、一部の人の思想に偏ってしまうことをどうぞご理解願います。shimoxx 2007年8月31日 (金) 15:31 (UTC)

そうですか?色々な本を図書館で読んでも大和朝廷という言葉が圧倒的に多いんですが・・。ヤマト王権なんて書いてある書物を探すほうが苦労しました。--以上の署名のないコメントは、210.252.201.55会話/Whois)さんが 2007年9月16日 (日) 21:05(JST) に投稿したものです。

そうですよ。図書館に置いてある日本古代史の本もですね、信頼できる研究者が書いたものからほとんど素人が書いたものまで玉石混交なわけでして、特に古代史は素人の方の手になる書籍が非常に多い分野です。信頼できる情報源として扱えるのは研究者による文献になる訳ですけれども、それらの文献に当たれば、研究者の間では「ヤマト王権」「倭王権」などの用語が一般的であり、大和朝廷を採る研究者は若干名にとどまっていることがわかります。--shimoxx 2007年9月16日 (日) 15:42 (UTC)
横から失礼。wikipedia執筆のために図書館へ通っていて感じるのですが、公共図書館でも県立図書館レベルと市立図書館レベルでは、置いてある本の質が異なります。県立図書館レベルでは置いてある本も新しいし、学術的なものが多いです。対して市立図書館あたりですと、あんまり新しい本はフォローしていなくて、さらに俗っぽい読み物的な本が多いような印象を受けます。おそらく県立図書館レベルで文献を参照すれば、ヤマト王権の用語が多く見られるんじゃないかと思うのですが。--でここ 2007年9月18日 (火) 05:56 (UTC)

一部の研究者が使ってるから、「ヤマト王権」にするっておかしいですよ。研究者の多くが現在は使っているという根拠はどこにあるのですか?それがしっかり証明できないなら、「大和朝廷」にするべきです。「大和朝廷」が現在の日本人には一般的に知られてる言葉であり、一部の研究者が使ってるからといって「ヤマト王権」とするのは不自然だと思います。--以上の署名のないコメントは、218.218.56.47会話/Whois)さんが 2007年9月18日(火)22:29(JST) に投稿したものです。

いえいえ、全然おかしくないですよ。「ヤマト王権」にしても「大和朝廷」にしても歴史学上の概念です。であればWikipedia:中立的な観点Wikipedia:検証可能性Wikipedia:独自研究は載せないに基づき、現在の古代史研究者の使用状況を考慮することは、信頼できる百科事典を作っていく上でむしろ必要不可欠なことです。かつては「大和朝廷」が多く使用されていましたが、おおよそ1980年代以降は「ヤマト王権」「倭王権」「大和王権」が使用され、「大和朝廷」を使用する研究者はほとんどいません。
古代史研究者の使用状況を見てみますと、吉田孝氏は「倭王権」、鈴木靖民氏は「大和王権」「倭王権」、倉本一宏氏は「大和王権」、山尾幸久・吉村武彦・白石太一郎・熊谷公男・仁藤敦史・舘野和己・小林敏男各氏は「ヤマト王権」をそれぞれ使っています。各氏の論文を是非ご一読ください。いずれも共通しているのは「王権」という用語を使用している点です。3世紀後半から6世紀までの政治権力を「朝廷」と呼ぶことは不適当とされ、「王権」と呼ぶのが妥当とされています(この当たりの事情については例えば『週刊朝日百科 日本の歴史41』1-250ページや『新体系日本史1 国家史』(山川出版社)12ページなどをご参照ください)。逆に「大和朝廷」を使用しているのは、管見の限り高森明勅氏だけです。
「大和朝廷」がたとい人口に膾炙していても、それは単にかつての古い学説が残存していることの反映に過ぎません。古代史を含む日本史研究は1980年代以降、飛躍的な進展を遂げていますが、その進展の成果はまだ人々に広く知られてはおらず、とうの昔に否定された学説がまだ人々の間に残っているという状況が続いています。より正確な知識を人々に提供する、という百科事典の役割を考え合わせて見ますと、現在古代史研究で主に使用されている「ヤマト王権」を採用することが、客観的に見て現時点でのベターな判断だと言えるでしょう。
申し上げにくくはありますが、218.218.56.47さんのご主張には裏付けとなる根拠がなく、個人的なご見解であるように思われます。ですので、これ以上この議論を続けることに意味を見出すことは困難だと考えています。古代史研究において「大和朝廷」の使用が主流である事実をもし見つけられましたら、再度、疑義をご提起くださいまし。--shimoxx 2007年9月18日 (火) 15:22 (UTC)
研究者の多くが、「王権」を使っていることは理解できました。ありがとうございます。しかし、朝鮮半島まで勢力を伸ばしていた倭が王権なのですかね?百済や新羅は国と言われてのに(広開土王碑には百済や新羅を臣民にしたとまで書かれているし、少なくとも倭はかなりの勢力だった)。国に一目置かれる王権ですか・・。強いだけじゃ国にはならないのでしょうが、そのまとまりを考えると朝廷くらいは言って良いと個人的には思います。そもそも「朝廷」という言葉の定義だって「天子が政治を行う機関」であり、「政治」とは「主権者が、領土・人民を治めること」(大辞泉)であり、当時の倭を見ると朝廷という言葉で間違っていないと思います。考えすぎかもしれませんが、歴史の研究者は朝鮮併合などの反省からなのか、戦前の歴史認識となるべく離れることが有脳とされているのか知りませんが、自国の歴史について韓国におされたり、消極的に表現したり、ということが多すぎる気がしてなりません(例:大和→ヤマトという意味のない変更等)。個人的な意見失礼しました。210.231.2.144 2007年10月6日 (土) 20:55 (UTC)
日本の歴史学には、韓国や中国におもねってる人々も、戦前の歴史認識に回帰したような人々もそれぞれごく少数いますが、両者とも自国の歴史を必要以上に悪くor良く見ようとし、見たくないものを見ようとしない点で一致しています。幸いにして日本の歴史学は偏った姿勢とは無縁の人々が大多数を占めています。ヤマト王権の呼称もプレーンな歴史研究から生まれてきたものなのです。--shimoxx 2007年10月8日 (月) 08:42 (UTC)
2009-10-22のNHKニュース7にて、桜井茶臼山古墳についての報道において「かつては大和朝廷と呼ばれていたが、近年歴史学者の間ではヤマト王権と呼ぶのが主流になっている」旨の注釈がありましたので、参考までにご報告しておきます。--Kurz 2009年10月22日 (木) 10:20 (UTC)
上記についてマスコミ各社の表記をネットの記事より調べてみました。結果、朝日:大和政権[2]、読売:大和王権[3]、毎日:ヤマト政権[4]、産経:大和政権[5]、日経:ヤマト政権[6]、共同:大和政権[7]、時事:大和政権[8]、NHK:ヤマト王権[9]、でした。参考までに。--Kurz 2009年10月23日 (金) 09:46 (UTC)
極めて不正確な内容ですね。私が四大新聞社のサイト内検索で調べた限りでは、以下のような結果になりました。どの新聞社も「大和朝廷」を一番使用しています。「ヤマト王権」は最下位です。なお、サイト内検索はデータベース検索と違って、過去数年分しか検索できませんので、近年の使用傾向が分かります。
産経:大和朝廷5、ヤマト王権0、大和王権1、大和政権4
朝日:大和朝廷15、ヤマト王権0、大和王権1、大和政権8
読売:大和朝廷20、ヤマト王権7、大和王権16、大和政権10
毎日:大和朝廷5、大和王権1、ヤマト王権1、大和政権2
正直にもうしまして、検索結果だけでみれば現行の「ヤマト王権」の記事名は極めて不適切です。google検索でも同様の結果が出ますし、記事名は「大和朝廷」に移動して、解説で「近年は、ヤマト王権等の表記も増えてきている」とするのが、もっとも客観的で公平だと思います。--薔薇騎士団 2009年10月23日 (金) 13:35 (UTC)
  コメント 上記2009年10月23日 (金) 09:46 (UTC) のコメントは、桜井茶臼山古墳の報道について調べたものに過ぎません。外部リンクを追加しましたのでごらんいただければと思いますが、不正確ではありません。調査範囲をもっと広げた方がいいという意見はあるだろうと思いますが。いずれにしても、傍証にしかならない話ではあります。--Kurz 2009年10月25日 (日) 14:09 (UTC)

ここでのこの議論は長いですが、現代の研究者がヤマト王権を使うとしても、テレビの歴史番組で使われるのはいまだ圧倒的に大和朝廷です。実態としてヤマト王権(カタカナ表記)はまだ一般的な印象を受けません。--210.139.218.30 2010年1月1日 (金) 15:32 (UTC)

NHK 「ETV 特集」として「日本と朝鮮半島2000年」の第2回が2010年1月1日23時30分から「任那日本府の真実」が放映された。その中での朝鮮半島の三国は高句麗、百済・新羅であり、日本は「ヤマト政権」と図が示された。また、韓国の学者は「ヤマト政権」と発言していた。NHKでの番組でも「ヤマト政権」の呼称が使用されていることを鑑みれば、「ヤマト政権」という呼称が一般化していることを物語るのではないでしょうか。--Nshishi 2010年1月2日 (土) 04:03 (UTC)

議論 2009年 編集

適当に節を入れました。もっと適当と思われるところがありましたら、節を作って、編集しやすいようにしませんか。--Godaigo 2009年1月21日 (水) 04:55 (UTC)

「王権」というのは王の権力、君権です。「朝廷」というのは君主の君権を中心とする中央政府です。コンテンツは分けた方がいいと思います。氏姓制度や律令制度などは王権で公布されますが、朝廷が行った政府としての統治システムですね。--かもめ 2009年1月18日 (日) 16:56 (UTC)
そのご主張は独自研究ではないですか?どの研究者が述べておられるのか、その主張が学術研究の場でどの程度受容されているのか、根拠をお示しくださいませ。--shimoxx 2009年1月18日 (日) 19:36 (UTC)
「王権」「朝廷」の意味を辞書で調べられてはどうですか?。「大和朝廷」は学習指導要領でも正式に使用されてる歴史用語です。この学習指導要領は中央教育審議会の地理歴史部会で学者や専門家の意見を入れて様々な答申を経て作成されている訳ですが、これを否定されるのはご自由ですが、このwikipediaにおいてはなじまないのではないですかね?。このノートの議論でもshimoxx様お一人でこだわられてるようですが?。--かもめ 2009年1月19日 (月) 23:18 (UTC)
念のため、ご返事申し上げます。
辞書で用いられる意味内容と、学術研究の場で用いられる意味内容が一致しないことはままあることで、「王権」「朝廷」もその一つです。これらの語がどのように定義されているかについて、詳しくは吉村武彦氏、大津透氏、吉田孝氏ほかの著作をご参照ください。
「大和朝廷」が学習指導要領で採用されている事実は、学術研究水準と学習指導要領との乖離を示す一例として知られており、少なくとも学術研究の場では「大和朝廷」の語と概念が使用されることはほぼ皆無です。学術研究の成果を取りまとめて叙述するこのウィキペディアでは、学習指導要領を重視することの方がなじまない行為であることをどうかご理解くださいませ。
できましたら、辞書ではなく研究書を数冊ほどご参照された上で、ヤマト王権(ないしヤマト政権、倭王権など)と大和朝廷の関係について議論して頂けると大変ありがたく存じます。--shimoxx 2009年1月20日 (火) 13:57 (UTC)
指導要領がどうなってるかはわかりませんが、中学の歴史教科書を4冊ほど確認したところ、ヤマト政権、大和政権、ヤマト王権、などバラバラですね。大和朝廷の記述が有るものも有るのですが、有っても併記のような感じですね。山川の高校教科書もヤマト政権です。教科書から記述が無くなった武家造や、無くなっている過程の慶安のお触書のような状況に感じられます。指導要領は別に必ず正しいとは限りませんからねえ、教科書の記述は変わり続けているので・・・--219.4.215.1 2009年1月20日 (火) 19:47 (UTC)

(インデント戻します。)容喙です。「このノートの議論でもshimoxx様お一人でこだわられてるようですが?。--かもめ 2009年1月19日 (月) 23:18 (UTC)」といわれますが、上の方で「ヤマト王権の用語が多く見られるんじゃないかと思うのですが。--でここ 2007年9月18日 (火) 05:56 (UTC)」と書いておられるお人もおりますので、「お一人で云々」は当たっていないのではないですか。さらに私も(godaigo)も「ヤマト王権(政権)、倭王権など」側へ加えおきください。本来、項目名をどちらにするかの議論は、定義や概念、内容の議論をしてどちらかにするベキなのでしょうが、この用語の場合は、そこまでする必要はないように思います。学術用語が変遷していくのは、研究がそれだけ進み、発展し、それに合致した用語に変わっていくのは致し方のないことではないではないでしょうか。--Godaigo 2009年1月21日 (水) 04:55 (UTC)

学者が使う用語に統一するならwiki全部学術名や学名に統一するの?なんで大和朝廷じゃないの?--58.90.191.225 2009年2月17日 (火) 15:36 (UTC)
最初に戻れば、それは当時大和という言葉は無く、朝廷という会議もまだ存在してないからでしょうね。--219.4.215.1 2009年2月23日 (月) 17:07 (UTC)
58.90.191.225さんの質問に対しては、Wikipedia:独自研究は載せないWikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源が回答になると思います。ぜひご熟読くださいませ。--shimoxx 2009年2月25日 (水) 14:36 (UTC)
「大和朝廷」という一般的に知られた用語で、誤用でも信頼できないわけでも独自研究でもなく、実際に広く使用されており、かつ「大和朝廷」の項目のノートで議論された様子もないのに、ここに強制的にREDIRECTさせるのは、誰がどういう権限でやってるのか?。このノートにもあるように「大和朝廷」として編集したい人が大勢いるのに、その権利を奪う資格が誰にあるのか?--60.44.235.186 2009年2月27日 (金) 12:23 (UTC)
3~4世紀から7世紀頃までの期間に日本列島の主要部を支配していた政治勢力を「大和朝廷」という用語で現すことは、現時点では誤用であり独自研究になってしまいます。古代史研究者が書かれた論文や専門書や概説書を数十本ほど読めば、そのことがご理解頂けるだろうと思います。
ウィキペディアは多くの人々が力を合わせて作り上げる百科事典であり、ごく一部の者だけの専有物でないことは全くそのとおりです。しかし、ウィキペディアはウソを書く場でもありません。「信頼できる研究者」が書いた「信頼できる情報源」に基づいて執筆することがウィキペディアでは求められています。一般に知られているからといって、必ずしも信頼できるワケではないことをどうぞご理解願います。--shimoxx 2009年2月27日 (金) 13:44 (UTC)

大和朝廷の呼称について 編集

一部の方が「大和朝廷」という呼称を認めない態度に対して、客観的な観点から疑問を感じましたのでタグを張りました。このノートでも何人もの方から疑問がでているようですが、私も同感です。--薔薇騎士団 2009年5月12日 (火) 12:15 (UTC)

う~ん、信頼できる情報源に多数当たってみるとですね、上に書いたとおり、
吉田孝氏は「倭王権」、鈴木靖民氏は「大和王権」「倭王権」、倉本一宏氏は「大和王権」、山尾幸久・吉村武彦・白石太一郎・熊谷公男・仁藤敦史・舘野和己・小林敏男各氏は「ヤマト王権」をそれぞれ使っています。各氏の論文を是非ご一読ください。いずれも共通しているのは「王権」という用語を使用している点です。3世紀後半から6世紀までの政治権力を「朝廷」と呼ぶことは不適当とされ、「王権」と呼ぶのが妥当とされています(この当たりの事情については例えば『週刊朝日百科 日本の歴史41』1-250ページや『新体系日本史1 国家史』(山川出版社)12ページなどをご参照ください)。逆に「大和朝廷」を使用しているのは、管見の限り高森明勅氏だけです。
という客観的な事実に直面してしまいます。ここウィキペディアでは「中立性」「検証可能性」「独自研究の不含」が求められますから、現状のような記述をせざるを得ないのです。
確かに、既に幾人かの方が疑義を呈されていますが、どなたも明示可能な根拠を欠いてらっしゃいます。どうか、こうした事情をご斟酌いただければ幸いです。--shimoxx 2009年5月12日 (火) 16:58 (UTC)
まず疑問に思うのは、「王権」という語が一般的な日本語ではないということです。この言葉はここ2、30年で出てきた史学界の造語ではないでしょうか?「王権神授説」での王権は「国王の権力」の意味ですから、ヤマト王権の王権とは意味が違います。次に「朝廷」は、広義には「国王を中心とした政権」という意味でも使います。ですから、「大和朝廷」が不適切という意見は、一面では個人的な語感の問題にすぎないと思います。また、現在でも大和朝廷という語が使われているなら、「かつては・・・使われていた」と過去形で語るのは不適切でしょう。最後に、自然科学と違って人文科学、特に史学、考古学においては「学会の趨勢」というのは、10年単位でころころ変わるような例は多々あります。王権という用語が増えているなら、単に増えているという書き方でいいと思います。今後変わる可能性もありますので。--薔薇騎士団 2009年5月12日 (火) 22:16 (UTC)
おっと、「王権」ないし「朝廷」の用語について、我々がここで議論してしまうと「独自の研究」になってしまいますよ。我々にできることは、あくまで学術研究の結果をできうる限り公平な形で記事としてまとめること、だけですよね。
今まで、古代国家形成に関する「信頼できる情報源」を何十冊と読んできましたが、「ヤマト王権」をはじめとして「大和政権」「倭王権」などの用語が専ら使用されている一方で、「大和朝廷」は(私の知る限りでは高森氏の著作を除いて)使われておりません。しかも、多くの論者が「『王権(又は政権)』という用語を採用すべき理由」について積極的に言及しています。ですので「王権と言う用語が増えている」という表現では正確性を欠いてしまいます。むしろ「王権(又は政権)の用語しか使われていない」というのが現状なのです。仮に学界の趨勢が将来変わったとしても、その変わったときにウィキペディアの記述を変えればすむ話…でございます。
ところで、「大和朝廷」を使用する研究者が全く皆無でないことに目を向ければ、「『かつては・・・使われていた』と過去形で語るのは不適切」というご意見には全面的に首肯いたします。誤解を生む「かつては・・・使われていた。」の一文を本項冒頭部から消去するということでいかがでしょうか?--shimoxx 2009年5月13日 (水) 17:28 (UTC)

過去のここでの議論をみると、「ヤマト王権」という用語が専門家以外に必ずしも広まっているとは思えないですね。理由は「王権」という日本語がそもそもおかしいからだと思います。だいたいヤマト王権以外に、王権という語を使うのでしょうか? 殷王権? 周王権? ローマ王権? ウィキペディアは一般の読者が対象ですから、一般の人にも理解しやすい記述を考慮すべきだと思います。--薔薇騎士団 2009年5月13日 (水) 21:05 (UTC)

「専門家の間では、近年ヤマト王権という語が使われる傾向にあるが、定着しているとは言いがたい。一般には「大和朝廷」がよく知られている。」という文章に改めるのはどうでしょうか。--薔薇騎士団 2009年5月13日 (水) 21:43 (UTC)
学術書にではなく、文庫や新書で使われている歴史用語を「一般的」といえるとしましょう。そうすると、例えば岸俊男編『日本の古代6 王権をめぐる戦い』中公文庫(1996年)や寺沢薫『日本の歴史02 王権誕生』講談社学術文庫(2008年)では「ヤマト王権」が使われています。他の出版社のものも調べてみますが、一般的といえる文庫や新書に「大和朝廷」が使用されている例を挙げてみませんか。因みに『岩波 日本史辞典』(1999年)には「ヤマト王権」も「大和朝廷」も、どちらの項目もありません。よって、並記のように文章を改めることには反対ですが、「本文」冒頭の「かつて…」の削除には賛成します。--Godaigo 2009年5月14日 (木) 09:16 (UTC)
たとえばgoogle検索してみると、「大和朝廷」が112,000件、これに対して「ヤマト王権」が42,500件と半分以下のヒットです。国語事典を引いても「王権」という語はありませんし(王権神授説の王権はありますが)、両論併記でかまわないと思いますがいかがでしょうか。--薔薇騎士団 2009年5月14日 (木) 12:29 (UTC)
なるほど、google検索も「一般的」を説明するのにいい方法ですね。また、「文庫や新書」は一般の読者向けに書かれている書籍であると思いますが、その一般向けに書かれた「文庫や新書」の検索の方もしてみては如何でしょうか。--Godaigo 2009年5月14日 (木) 13:00 (UTC)
まず一つ、薔薇騎士団さんに指摘申し上げたいのは、「王権」という用語が適切かどうかは研究者が議論すべきことであって、我々がここで議論すべきことではないということです。薔薇騎士団さんが個人的に「王権」の用法に疑義をお持ちだとしても、「ヤマト王権」という用語が学界の主流となっていれば、「中立性」「検証可能性」「独自研究の不載」に基づいて、その事実をたんたんと書くのがウィキペディアの基本方針です。「王権」という用語の不適切性を御主張されるべき場所はここではありません。学界です。学術論文を書いて、学界にその主張を浸透させ、学界の趨勢が変化したならば、しかる後にウィキペディアを書き換えるべきでしょう。これが筋です。
また、google検索は、「何らか」の傾向を掴むことはできますが、既にウィキペディアのあちこちで既に指摘され尽くしてきたように「信頼できる情報源」たり得ません。本項の執筆の出典とはならないことをどうぞ御理解願います。
確かにウィキペディアは一般の方を対象とした百科事典ですので、一般の方々に「現在の研究レベルでは『大和朝廷』という用語・概念はまず使われておらず、『ヤマト王権』『大和政権』『倭王権』などの用語・概念が支配的となっている」ことをわかりやすくお伝えすべきでしょう。現在の記述が、この点への配慮に欠けていたことは認めざるを得ません。
というわけで、「名称について」節を次のように書き換えることを提案いたします。
3世紀から6・7世紀にかけて日本列島の主要部を支配した政治勢力は、通俗的に大和朝廷と呼称されているが、歴史学では、ヤマト王権、大和政権、ヤマト政権、倭国政権、倭王権などと呼ばれている。1960年代以前は、歴史学において大和朝廷の用語が主に使用されていた。しかし70年代になると、当時の政治勢力を説明するには「王権」「政権」の用語が適切であること、「大和」の表記は8世紀中頃に生まれたこと等を理由として、ヤマト王権やヤマト政権等の用語が使用され始め、80年代ないし90年代以降はこれらがもっぱら使用されている。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多数派(山尾幸久、吉村武彦、白石太一郎、熊谷公男、仁藤敦史、舘野和己、小林敏男ら)をなしているが、「大和王権」(鈴木靖民、倉本一宏)、「大和政権」(日本史広辞典等)、「倭王権」(吉田孝、鈴木靖民)等を採る研究者も少なくない。一方、「大和朝廷」を採用する研究者はごく少数(高森明勅ら)にとどまっている。
いかがでしょうか。--shimoxx 2009年5月14日 (木) 14:43 (UTC)
少し修正してみました。これではどうでしょうか。おおむね過去のノートでの議論の意見を反映していると思います。
3世紀から6・7世紀にかけて日本列島の主要部を支配した政治勢力は、一般には大和朝廷として知られているが、歴史学では、近年、ヤマト王権、大和政権、ヤマト政権、倭国政権、倭王権などと呼ばれている。1960年代以前は、歴史学において大和朝廷の用語が主に使用されていた。しかし70年代になると、当時の政治勢力を説明するには「王権」「政権」の用語が適切であること、「大和」の表記は8世紀中頃に生まれたこと等を理由として、ヤマト王権やヤマト政権等の用語が使用され始め、80年代ないし90年代以降はこれらがもっぱら使用されている。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多数派(山尾幸久、吉村武彦、白石太一郎、熊谷公男、仁藤敦史、舘野和己、小林敏男ら)をなしているが、「大和王権」(鈴木靖民、倉本一宏)、「大和政権」(日本史広辞典等)、「倭王権」(吉田孝、鈴木靖民)等を採る研究者も少なくない。一方、「大和朝廷」を採用する研究者はごく少数(高森明勅ら)にとどまっている。もっとも「王権」という語は、国語辞典にも記載されてない史学界による造語であり、一般への認知度は低く40年近く経過した現在でも普及しているとは言い難い。また、学習指導要領では「大和朝廷」も用いられているので、大和朝廷という呼称が間違っているというわけではない。--薔薇騎士団 2009年5月14日 (木) 22:54 (UTC)
ご返事どうもありがとうございます。議論が前進していることを嬉しく思います。
さて、薔薇騎士団さんのご提案について、数点ほど指摘申し上げます。
一つ目は、「王権」の語が薔薇騎士団さんご所有の国語辞書に載っていないことは事実でしょうが(ちなみに王権は一般的な百科事典ならほぼ掲載している用語です。)、「史学界による造語」「一般への認知度は低い」「普及しているとは言い難い」との記述は、根拠文献をご明示いただかない限り、独自の研究の域を出ませんし、中立的な観点検証可能性に抵触していると言わざるを得ません。
また、学習指導要領が大和朝廷を採用していることは事実ですが、「大和朝廷の呼称が間違っているわけではない」という記述につきましても、根拠文献がない限り、独自の研究になってしまいます。よもすれば、(A)学習指導要領は文部科学省が制定する権威ある教育基準だ、(B)ゆえに学習指導要領に採用されている大和朝廷の用語は不適切なものではない、という論法が成立しそうに思えますが、これは残念ながら特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます。
さて、今回のご提案を受けて、私の先の提案を一部修正いたします。学習指導要領が大和朝廷を採用しているという重要な記述を漏らしておりました。この記述を節の末尾に加えることでいかがでしょうか。--shimoxx 2009年5月15日 (金) 15:41 (UTC)
付言いたしますと、本議論の冒頭で「一部の方が『大和朝廷』という呼称を認めない態度」というご指摘がありましたが、私個人が「大和朝廷」を認めないのではございません。ここは誤解しないでいただきたいです。ウィキペディア執筆に際して依拠すべき信頼できる情報源たちが軒並み「大和朝廷」を採用していないだけのことなのです。私個人は「大和朝廷」にも「ヤマト王権」にも、いずれにも特に思い入れはありません。ただ単にウィキペディアの基本方針に従って書いているのであり、基本方針から外れた編集を修正しているだけでございます。どうぞご理解願います。--shimoxx 2009年5月15日 (金) 15:47 (UTC)
いままでの議論をみてきますと、「ヤマト王権」が"正しく"、「大和朝廷」が"間違っている"のではなく、つまり正否の議論ではなく、どちらがより「ふさわしいか」ということではないでしょうか。あと学習指導要領はなにゆえ「信頼すべき情報源」ではないのでしょうか? あとShimoxx氏の「独自研究」の定義づけは、通常のWikipediaの編集の大半を不可能にするような過激な定義だと思います。そのような厳密な検証をWikipediaがすべての編集において要求しているとは思えません。--薔薇騎士団 2009年5月16日 (土) 22:05 (UTC)
「どちらがより『ふさわしいか』」を判断する基準は、信頼できる情報源にあるとするのがウィキペディアの方針です。学習指導要領は、当然、信頼できる情報源の一つです。もちろん他にも古代史の学者が書かれた信頼できる情報源が多数あります。それらを俯瞰してみると、大和朝廷を使用する者が非常に少数派であることに気付きます。中立的な観点には次のように書いています。
(以下引用)複数の観点を比較する記事では、少数派の意見について、より広く普及している観点と同じだけの詳細な説明を加える必要はありません。論争を説明する際には、少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません。それは論争の形について誤解を与えかねません。公正に論争を記述するためには、競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべきです。(引用ここまで)
また、独自研究についてですが、独自研究は載せない検証可能性中立的な観点をお読みくださいという他ございません。ウィキペディアは厳密な検証を求めています。現実には、この基本方針に沿ってない記述がウィキペディアに多数ありますが、だからといって、基本方針に外れた編集を看過して良いわけではありません。薔薇騎士団さんが貼られた「観点テンプレート」は、まさに基本方針の遵守を求めるものでもございます。基本方針へのご理解をどうぞよろしくお願い申し上げます。--shimoxx 2009年5月17日 (日) 13:40 (UTC)
おおむねShimoxxさんの意見は理解できましたので、編集をお任せします。よろしくお願いします。--薔薇騎士団 2009年5月18日 (月) 13:20 (UTC)
了解いたしました。上にワタシの案を示していますが、薔薇騎士団さんとの議論を踏まえ、誤解を生まないような表現と内容にするよう努めたいと思います。--shimoxx 2009年5月22日 (金) 14:40 (UTC)
既述の「一般向けに書かれた文庫や新書」に「ヤマト王権」や「大和朝廷」の用語がどの程度使用されているかということの続きですが、網野善彦著『日本社会の歴史(上)』岩波新書(1998年)には「首長連合」「大和政権」、白石太一郎『古墳とヤマト政権』文春新書(2004年)、森浩一『巨大古墳』講談社学術文庫(2000年)には「大和朝廷、大和(ヤマト)政権あるいは河内王権、河内王朝など名称はさまざまだが」、上田正昭『大和朝廷』角川新書(1967年)のなかで河内王朝、三輪王朝などの用語が使われています。概観すると古墳時代における政権・政治史の研究が進み、「朝廷」「王朝」の用語より「王権」とよぶほうがその形態を説明するのに相応しいと変遷してきたようです。なお「名称について」という節名ではなく「名称の変遷」として、学史的記述にするのがいいと思います。そうすると大和朝廷とヤマト王権の両方を既述できるでしょう。因みに「内廷」とは宮殿と付属施設をいい、「外廷」は内廷の周辺役所群をいい、これら二つを合わせて「朝廷」「朝庭」といっています。「朝廷」に相応しい遺構は、現在では天武朝の飛鳥浄御原宮に始まるのではないかといわれています。古墳時代に「朝廷」というほど組織・機構が整備されていなかったのです。つまり研究が進んでいなかった段階では大和・畿内連合の政権を「朝廷」という用語で言い表していましたが、その用語が相応しくなく(はっきり言うと誤りであった)、古墳時代の政権の形態を言い表すのに最も相応しいと考えられる「王権」が使われるようになったということです。相応しくないよう語を使用する必要はないと考えます。先にも述べましたが節名を学史の変遷を書くようにすると両方の用語が書かれるようにする方法もありますが。--Godaigo 2009年5月16日 (土) 12:51 (UTC)
朝廷は語源的には確かに「宮殿」の構造に由来してますが、大和朝廷という言葉を使う研究者は何も一々古代の宮殿構造に言及してこの語を使っているわけではないでしょう。--薔薇騎士団 2009年5月16日 (土) 22:05 (UTC)
「内廷」と「外廷」とが整備されてはじめて「朝廷」といい、中央・地方行政組織が成立し、国家が形成された段階です。この段階では天皇が統治し、「飛鳥の朝廷」とか「大和朝廷」とか呼ばれました。しかし、古墳時代には「大王」が統治しましたし、中央・地方行政組織は整備されていませんでしたし、「内廷」と「外廷」が区別されず、未発達な統治機構であり、国家という段階にはまだ至っていませんでした。だので、政権の形態に合わせて、国家らしき政治組織が創り上げられている段階を「朝廷」と呼称し、未発達の政治組織の政権を「王権」と呼ぶようになったと思います。つまり、天皇の統治する国家と大王が統治する政権を区別して表しているのでしょう。
政治形態の研究、古代国家の形成・成立過程の研究の進歩・発展によって、政権の状態の段階に相応しい、または区別すべきという観点から「朝廷」でなく「王権」という呼称になったと思います。古墳時代の政権を呼称するのに「朝廷」は相応しくない、または、誤りであると思います。--Godaigo 2009年5月18日 (月) 09:10 (UTC)
朝廷が相応しいかどうかは、ここで議論する問題ではないですね。実際「大和朝廷」を用いている研究者もいるわけですし、学習指導要領にも記載されているわけですから。大体、今日朝廷と聞いて外廷、内廷を想起する一般の人がどれだけいるのか疑問ですが、とりえあずバランスに配慮した編集を希望します。--薔薇騎士団 2009年5月18日 (月) 13:18 (UTC)
「相応しいかどうか」ではなく、古墳時代の大王が統治する古代国家形成期と天皇が統治する律令制国家とは、当然、政権の状態・内容が違うわけですから、研究者は状態・内容の違う政権を同一の名称を使うことの間違いを質したのです。「朝廷」は後の時代の呼称であって、大王の統治する政権は「王権」という呼称が適切なのです。大王が統治する政権を「朝廷」と言い表す研究者は、今までの議論を通してもほとんどいないということが指摘されています。学習指導要領については、すでに「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます。」と指摘されています。次ぎに、「一般の人がどれだけいるか…」についても、すでに「一般向けに書かれた文庫や新書」では、「ヤマト王権」の名称が圧倒的に多く使用していることが指摘されています。だからバランスの問題などではなくて「大和朝廷」と呼べるのは「飛鳥の朝廷」ぐらいであって、古墳時代の政権の呼称は「ヤマト王権」なのです。--Godaigo 2009年5月19日 (火) 12:24 (UTC)
日本の皇室は普通に大和朝廷を使用しています、(皇太子殿下記念講演より)--220.105.246.229 2009年5月31日 (日) 11:37 (UTC)

大和朝廷の呼称について 200906 編集

少なくとも現在も使われている言葉ですので、「かつては大和朝廷(やまとちょうてい)という呼称が用いられていた」という過去形にしているのは完全な間違いですね。「大和朝廷とも呼ばれる」が正しい表現でしょうね。--220.147.35.84 2009年6月7日 (日) 17:57 (UTC)

「少なくとも現在も使われている言葉ですので…」の誰でもが検証できる出典であり、十分に信用のおける出典を出してください。なお、IPで議論なさるのは如何なものかと思います。さらにお聞きしたいのですが、今までの議論を精読しての書き込みでしょうか。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 00:09 (UTC)
では、その後に続く「学習指導要領には大和朝廷の表記が見られる」と矛盾が生じているのですが、どうお考えなのでしょう。過去形にするならばするでその出典を、しないならばその出典を提示する必要がありますが、どちらもない状態であり、文に矛盾も生じていてる状態である。早急に直してください。--220.147.34.22 2009年6月8日 (月) 06:10 (UTC)
繰り返しになりますが、「学習指導要領については、すでに『特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます。』と指摘されています。」学習指導要領で使用されているからと言う一事をもって全てを判断するのは差し控えていただきたいものです。一事をもって憶測が許されるのであれば、ついこの間まで議論していた方と今度のIPさんのCUをお願いしたいものですがいかがでしょうか。それから、「IPで議論すること」や「今までの議論を精読したでしょうか」については如何でしょうか。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 12:16 (UTC)
ん?何も私は「学習指導要領」をもとに記事名を変えろと言ってませんよね?冒頭では「かつては大和朝廷(やまとちょうてい)という呼称が用いられていた」と過去形にし、大和朝廷という語が現在は使われていない書き方がなされてありながら、その後、「学習指導要領には大和朝廷の表記が見られる」と現在も使われている書き方がされている矛盾を指摘しているのですが、ご理解できますでしょうか。以下に示しているように現在も「大和朝廷」という語は使われているのですから、そのように訂正するのが正しい方法では?(こちらでは議論にIPで出てしまったので、この東京ニフティIPで一貫させていただきます。アカウントとIPはCUできないことをまず知っていただきたいということと、ここのノートに私はアカウントで出たことはないのでご安心ください。)--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 14:02 (UTC)
何か勘違いしていませんか。それとも撹乱ですか。私は、記事名を変える事などに触れていませんよ。触れているのであれば、その箇所を指摘してください。続いて、「繰り返しになりますが、~差し控えていただきたいものです。」を精読してください。CUが出来ないのではなく、アカウントとIPが同一という事になるとアカウントのIPが晒されることになるのでプライバシーの観点からCUをしないと言うことのようです。出来ないのではありません。「IPが出てしまいました」とは都合いいことですね。話題の中心をずらす、都合のいいことだけを言うのは、よく似ています。以上の署名の無いコメントは、Godaigo(会話履歴)さんによるものです。
「発表済みの情報の合成」などという意味不明なリンクを急に出されていたので、てっきり「学習指導要項」をもとに記事名変更を私が求めていると勘違いなされていると思ったのですが、違ったのですか。私の主張はどう見ても一貫していると思うのですが・・・。現在も用いられている用語ですので使われてない過去のもの的な書き方は間違いであり、「矛盾した書き方はやめましょう」という当たり前のことなんですけどね。何ら困ることもない事実に則した提案ですが、何に抵抗されているのか不明です。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 14:39 (UTC)
競合してしまいましたので…。この議論を精読していないので「急に出されたので…」というような頓珍漢な返答になるのですよ。IP218.217.130.36さんの言われていることは、既に議論されて解決済みですよ。はじめの方から精読してください。それから「学習指導要項」などありません(w --Godaigo 2009年6月8日 (月) 15:03 (UTC)

(インデント戻し)すでに出たのならば明確な答えをしたらどうでしょう?少なくともshimoxx氏は一部訂正には同意してますがね--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 15:14 (UTC)

2004年あたりからのものをさらっと集めてみましたが、使われているかどうかで言えば「使われている」と言えるでしょうね。大芝英雄の「豊前王朝―大和朝廷の前身」(2004)、安本の大和朝廷の起源(2005)、上田正昭の大和朝廷―古代王権の成立、元東京都教育委員会指導主事の大和朝廷の国づくり(2009)、武光誠の「古代日本」誕生の謎―大和朝廷から統一国家へ(2006)、学研辞書北九州市の歴史説明などなど。この他にもshimoxx氏が仰っているように、「学習指導要領」や高森も使っています。さてこうした中で「かつて使われていた」との過去形があっているのでしょうか。「~などの学者の間では大和王権という呼称が使われている」と出典と共に主語を付けて記載する必要があるでしょうし、大和朝廷が「かつて使われていた」ではなく、現在も使われていますので「大和朝廷とも呼ばれる」という記載法が正しいことは一目瞭然ではないでしょうかね。--220.147.34.22 2009年6月8日 (月) 07:21 (UTC)
中立的な観点に基づくならば、「ごく一部で大和朝廷とも呼ばれる」あたりが落としどころではないかと思います。近年発表された論文を数十本ほどお読みいただければ御理解いただけるでしょう。--shimoxx 2009年6月8日 (月) 14:41 (UTC)
「かつて~用いられた」の部分の訂正が必要ですよね。また、本文で「 1980年代以降はヤマト王権の呼称が一般的となっている。」とありますが、「一般的」とは広く認められ行き渡っていること[10]を言うようですが、ヤフーで「大和朝廷」を調べますと704,000件出てきます[11]。一方「大和王権」では約10分の1の72,500件です[12]。「一般的」を検索サイトで確かめることもできませんが、少なくとも広く使われ知れ渡っているのは「大和朝廷」と言わざるを得ないのではないでしょうか。違うと言うならば、「大和王権」が「一般的」とする出典を求めます。「一般的」などと記載せず、「大和王権は学者間で広く使用されるようになった」などと正確な記載が必要ではないでしょうかね?--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 14:45 (UTC)
>「かつて~用いられた」の部分の訂正が必要
これには同意です。
ただ、ウィキペディアでは、ヤフーの検索結果は信頼できる情報源と認められていません。ここウィキペディアは俗説を載せる場ではなく、信頼できる情報源(信頼しうる研究者=学者が書いた文献等)に基づいて記述すべき場です。信頼できる情報源では「大和朝廷」という用語の使用はごく一部にとどまっているという現状があります。信頼できる情報源をことさら軽視し、わざわざ「学者間で」と断ることは中立的な観点に抵触してしまいます。--shimoxx 2009年6月8日 (月) 14:59 (UTC)

(インデント戻す)なにも俗説を載せろと言ってないんですよ。言葉を濁すなと。「一般的」と書くならばどこで一般的なのか出典を出し、「学者間で一般的」などと正確に記載しなければなりませんよってことです。検索サイトは本文で出典にはできませんが、少なくとも「一般的」であるのはどちらかは一目瞭然ですよね?まあ、それはどうでもいいんです。「一般的」や「ごく一部で大和朝廷とも呼ばれる」と書くならばその出典を求め、かつ正確な記載をお願いします。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 15:11 (UTC)

そのことも既に書かれています。出典も書いています。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 15:18 (UTC)
ん?どこでですか?答えるならば詳細に。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 15:20 (UTC)
何度も繰り返しますが、この議論に関連する箇所を読んでから、分からないところを聞くべきでしょう。それが議論に参加する方の心得るべきことなのではないでしょうか。既に議論されたところも読まないで、いたずらに質問するような態度は、参加者が共同で作業するという百科事典作りには向いてないのではないでしょうか。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 15:48 (UTC)
一つもまともな答えができず、該当箇所を指摘することもなく「既出」だの「関連箇所を読め」などと同じことしか言えないのならば、議論にもならず、話が進みませんので出てこないほうがよろしいかと。はっきりいって議論の妨害ですよ。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 16:04 (UTC)

現在の「かつて~用いられていた」という記載は、現在も「大和朝廷」という用語が用いられていることから完全に間違えている記述であり、この部分はshimoxx氏の同意も得られたので訂正を期待します。また現在の「一般的」という記述は編集者が、「多くの学者が大和王権の用語を用いているから『一般的だ』」と判断しただけであり、これは「独自研究」となってしまっております。どこで一般的なのか、だれが一般的と言っているのか、出典と共に正確に記載しなければなりません。それができないのならば不正確な表現であり、除去すべきです。もし、どこかの学者が「大和王権が一般的となっている」と言っているのならば、その学者の主張としての書き方で記載しなければなりません。shimoxx氏が提案した「大和朝廷はごく一部」という表現も同じく、それを書くならば、どこで「ごく一部」なのか?誰がそう言っているのか?(もしかしたら社会では大和王権の方がごく一部かもしれないのです。)出典と共に正確に記載せねばなりません。「一般的」なという証明しにくい用語は除去し、「大和朝廷とも呼ばれる」という単純な書き方がもっとも中立的でミスのない方法に思われます。どうぞ、この記事に常駐されている方々の中立的観点と自浄行動に期待します(個人的には正直、王権だろうが朝廷だろうが、どっちでもいいんですよ。でもwikipediaの方針からして間違っている記載状態の記事だったので意見を挟みました)。以上、よろしくお願いします。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 16:04 (UTC)

何度も繰り返しますが、先行する議論を精読するならば、疑問は解決するでしょう。人に頼らず自分で見つけた方がいいのではないでしょうか。また先行する議論で収束しているにもかかわらず、蒸し返すことは、コミュニティを疲弊させる行為そのものですよ。--Godaigo 2009年6月8日 (月) 16:29 (UTC)
しつこいですね(笑)。上からすでに読んでいますが、どこにも「王権が一般的」「朝廷がごく一部」を証明できている説明はないじゃないですか。それもそのはず、本文に「どこで」が抜けているからですよ。「一般的」や「ごく一部」などという言葉だけでは「社会全体」を指してしまうものであり、その証明は大変に難しいですから(証明できると言うならば出典を)。私たちが王権を用いている学者の数や著書の数などを判断して、主語も設けずに「一般的」「ごく一部」などと説明する時点で独自研究ですし、読者に勘違いも与えてしまうものです。上にあるあなた方の記載を見ても「学者の間では一般的」とはナントカ言えそうですが、「学者の間では」という主語がない「一般的」だけの表現を可能とする説明は何もできていないことにお気づき願いたい。--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 17:12 (UTC)加筆--218.217.130.36 2009年6月8日 (月) 17:23 (UTC)

新書や文庫本 編集

しつこいのはIPさんのほうでしょう。先行する議論を読みさえすれば、その答えが見つかるはずです。それをしないで人の責任みたいに言うのは、IPさんの怠慢という外ないと思います。
既に出典を示しているにもかかわらずそれを見つけられないのは困った方ですねえ。「既に(または、かつて)使われていた出典」として、一般の読者向きに書かれていると考えられている新書や文庫を挙げてみます。つまり、新書や文庫本に書かれていることは「一般に通用している/する」ものだと思います。

  • 上田正昭『大和朝廷』角川新書(1967年)のなかで河内王朝、三輪王朝などの用語が使われています。
  • 江上波夫『騎馬民族国家』改版 中公新書(初版は1967年、改版は1991年、あとがきは1984年)少し目先の替わった書物を選んでみました。この本の「日本統一国家と大陸騎馬民族」の章(186ページ)には「大和朝廷の成立についての問題の解明に…」とあり、その後にもこの語が使用されていますが、この朝廷は騎馬民族の応神天皇から始まるという想定になっています。大和朝廷がますますややこしくなっています。
  • 井上光貞『飛鳥の朝廷』講談社学術文庫(2004年)(『日本歴史』第3巻小学館1974年を底本としている)で古墳時代後期の王権(中でも継体・欽明朝)に関する記述では「大和朝廷」を使いっています。しかし、允恭天皇の事績「くがたち」の説明では「王権から一定の資格を認められた集団」とか「王権が、それぞれの氏に対して」とかを使用しています。「王権」という用語が1974年ごろには既に学界でも広く使用されはじめたことを意味するのではないでしょうか。

つづいて、「王権」の使用が一般的になった頃の出典としては、次のような新書や文庫があります。

  • 岸俊男編『日本の古代6 王権をめぐる戦い』中公文庫(1996年)
  • 網野善彦著『日本社会の歴史(上)』岩波新書(1998年)には「首長連合」「大和政権」の用語を使用。
  • 森浩一『巨大古墳』講談社学術文庫(2000年)には「大和朝廷、大和(ヤマト)政権あるいは河内王権、河内王朝など名称はさまざまだが」と述べています。
  • 白石太一郎『古墳の語る古代史』岩波現代文庫(2000年)「卑弥呼の時代」節(17ページ)「政治連合が後のヤマト政権につながることを示す…」とあってそのあとは「ヤマト王権」と使われている。
  • 白石太一郎『古墳とヤマト政権』文春新書(2004年)、当然ながら「ヤマト王権」の用語を使用しています。
  • 寺沢薫『日本の歴史02 王権誕生』講談社学術文庫(2008年)では「ヤマト王権」が使われています。

ここまでで、先行する議論で提示していないのは『騎馬民族国家』『飛鳥の朝廷』、『古墳をを語る古代史』です。
因みに永原慶二監修『岩波 日本史辞典』(1999年)には「ヤマト王権」も「大和朝廷」も、どちらの項目もありません。しかし、「古墳時代」の項目説明に前・中・後期の時期区分や前期古墳の特徴などの説明の後に「畿内勢力を中心とした各地首長の政治的連合としてのヤマト王権の成立を認める説が有力」と記されています。

話題を変えます。「既に読んでいます」とは嘘ばっかり。わたしは、「かつて…」についても、既に触れています。なのに、誰々は、同意しました、とは精読していない証拠です。また、それにもかかわらず「既に出たのならば…」とか「意味不明なリンクを急に出されて…」とかの「頓珍漢な答え」をするなどは精読していない証拠です。精読をお願いしているにもかかわらず精読していない事がバレバレです。恥の上塗りがお好みの方のようですね。
次に、IPさんが「既に使われています」の出典として例示された著者・著書は、記事に関する三つの方針Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないのどれかに抵触するものばかりのようです。しかし、上田正昭氏は、既に提示していますように王朝交替説に関連して学界でも一つの見識として認められている方であることは知っております。と言うことで、既にIPさんが求める出典を提示しています。
ついでですが、IPさんが、このたびの議論で学ばねばならないことは、議論に参入するのであれば、その議論の先行議論を精読しておくことです。指摘させていただくとともに、今後の教訓としていただきたい。--Godaigo 2009年6月9日 (火) 12:51 (UTC)

繰り返しの説明、長々とありがとうございました。しかしすでに述べているように「一般的」という意味は「特殊な事物・場合についてでなく、広く認められ行き渡っていること」[13]を言うわけで、Godaigo氏の説明からすると「学者間では一般的」の説明としかなっていないのです。「新書や文庫本に書かれていることは「一般に通用している/する」ものだと思います。」と仰っていますが、編集者が「思います」と感想で判断し、編集した時点で独自研究に当たります。「新書や文庫本に書かれていれば一般的である」とする証拠を出さなければなりません(そもそも「大和朝廷」の呼称で現在でも新書・文庫は多く出されている)。Godaigo氏の説明を根拠に「一般的」を書きたいのであれば「学者間では王権呼称が一般的になりつつある」とナントカ書けるかどうかです。「学者間では」と主語をつけずに「王権呼称が一般的になっている」と記述したいのであれば、世間一般で「大和王権」という呼称が「一般的(広く知れ渡っている)」という根拠を提示しなければなりません。私の指摘の答えにもなっていない「頓珍漢」なお答えではなく、答えるならば明確な答えをお願いしたいところです。簡単なことです。「学者間では一般的」と主語をつけて訂正するか、主語を付けたくないならば、世間一般に「朝廷」よりも「王権」の呼称が知れ渡っているという証拠を出せば良いだけなのですから。--218.217.157.33 2009年6月9日 (火) 15:59 (UTC)加筆--218.217.157.33 2009年6月9日 (火) 16:35 (UTC)

事典や辞典 編集

既に「ヤマト王権」の用語が一般的に使われているという例証として、信頼できる著者や出版社の新書や文庫を挙げましたが、さらに2、3の事典・辞典類では「ヤマト王権」という用語の使用がどうなっているのか調べてみました。

  • 永原慶二監修『岩波 日本史辞典』岩波書店(1999年)には「ヤマト王権」も「大和朝廷」も、どちらの項目もありません。しかし、「古墳時代」の項目説明に前・中・後期の時期区分や前期古墳の特徴などの説明の後に「畿内勢力を中心とした各地首長の政治的連合としてのヤマト王権の成立を認める説が有力」と記されています。
  • 『国史大辞典』吉川弘文堂(2003年)では、14巻の182頁に「大和政権」という項目がありました。この項目の執筆者は上田正昭氏で、参考文献として江上波夫『騎馬民族国家』(中公新書)と井上光貞『日本国家の起源』(岩波新書)を挙げています。前者は、私も前回挙げています。
  • 『日本史大事典』平凡社(1997年)では、6巻の890頁に「大和朝廷」という項目がありました。そこには「大和における『王権』と『朝廷』の概念を区別する必要がある。」とあり、小見出し「ヤマト朝廷」には「ヤマト王権の成立を神武よりも………ヤマト王権は応神・仁徳において創始されたとする学説が多い。統治機構が発達していたわけではないこのような段階においてヤマトの王権とは称しても朝廷の語を用いるのはまだ適当ではない。」(平野邦雄)

このように事典・辞典類でも「ヤマト王権/政権」・「大和王権/政権」・「倭王権/政権」などが使用されていると言うことは、これらの用語が世間一般に広く浸透していっているということができます。--Godaigo 2009年6月10日 (水) 12:15 (UTC)

文献の提示ありがとうございます。「世間一般に広く浸透していっている」とGodaigo氏は正確な表現で仰っているじゃないですか。そのままの表現で本文にも記載すれば良いのでは?つまり「多くの辞典や研究者の書物に『大和王権/政権』の用語が多く使われ始めており、世間一般に広く浸透しつつある」と。これでとても正確に読者も現在の状況がつかめるのでは?「一般的」というのはすでに世の中に知れ渡っていることを表す言葉ですので[14]、現在の本文にある「大和朝廷が一般的となっている」という表現では「すでに一般的(世の中に広く知れ渡っている)のは朝廷ではなく王権である」という勘違いを与えてしまいます。そこらへんを正確に記載しなければならないのではないでしょうかね。現在のままにしたいのならば「著書出版などの世間一般に浸透するかもしれない一つの原因」ではなく「すでに世の中に広く知れ渡っている証拠」を出さなければならなくなります。以上から、単なる「一般的」のみの不正確な表現の訂正を求めるとともに、大和朝廷という言葉は現在も使われていることから早急に「かつて~用いられていた」という間違えている記述の訂正も求めます。どうぞ正確な記載をよろしくお願いいたします。--218.217.115.147 2009年6月10日 (水) 15:40 (UTC)修正--218.217.115.147 2009年6月10日 (水) 15:51 (UTC)

出版社の叢書「各県の歴史」、マスコミも 編集

「ヤマト王権」という用語がどれほど一般的に使用されているのかを北海道から沖縄県までの各県の歴史(新版県史シリーズ 全47巻 山川出版社 2005年)の目次で調べてみました。

  • ヤマト王権/政権、大和王権/政権、倭王権の使用例………14県
    • 千葉県の歴史、1章の2節ヤマト王権と房総
    • 新潟県の歴史、2章コシの世界とヤマト政権、2節ヤマトと蝦夷のあいだ
    • 福島県の歴史、2章ヤマト政権と越前・若狭、2節ヤマト勢力の浸透
    • 静岡県の歴史、1章の2節静岡の古代氏族と倭王権
    • 兵庫県の歴史、2章大和王権の進出と展開
    • 奈良県の歴史、1章大和王権の成立2節大和王権の誕生、小見出しでは大和王権の成立・王権による玉づくり・王権の武器庫
    • 鳥取県の歴史、1章の2節ヤマト王権と因幡・伯耆
    • 島根県の歴史、2章3節の小見出しでは地方首長と大和政権
    • 広島県の歴史、1章の3節芸備地方と大和政権、小見出しでは古墳の登場と大和政権の浸透
    • 山口県の歴史、2章の2節古代国家形成への胎動、大和政権と在地首長、3章の1節大和政権の進出
    • 福岡県の歴史、1章の2節磐井の乱と大和政権
    • 長崎県の歴史、1章の2節首長の出現とヤマト王権
    • 大分県の歴史、1章の2節ヤマト王権と大分の首長たち
    • 鹿児島県の歴史、1章の3節ヤマト王権と南九州

王権・ヤマト勢力・地方王権・大王・王墓などの用語が使用されていたのは11県(福島県・茨城県・栃木県・埼玉県・神奈川県・石川県・岐阜県・三重県・滋賀県・大阪府・香川県)に上り、ヤマト王権などの件数と合わせると25県にもなり、過半数の県史で使用されていることが分かりました。
反対に、全然使われていないのは21県でした。
大和朝廷の用語を使用していたのは熊本県の1県だけでした。

ヤマト王権の用語が一般的に使用されているということができます。--Godaigo 2009年6月12日 (金) 12:02 (UTC)

その提示したものから正確に表現するならば、山川出版社が出している都道府県の歴史では、王権は何件、政権は何件である、という書き方になるでしょうね。その根拠では「大和王権が一般的」とは表現できませんよ。しかも2つほど例を挙げると、山川出版社では新潟県は「ヤマト政権」を使用しているとしていますが、新潟県が出している歴史紹介を見てみると「大和朝廷」が使われてますし[15][16]、「大和王権」を使用しているという兵庫県をみてみるとバリバリ「大和朝廷」が歴史説明に使われてます[17]。さて、どうしましょう。山川出版社の本ではなんとも言えないというところではないでしょうか。そもそもGodaigo氏の提示したものでは、繰り返しますが「世間一般に浸透しているかもしれない一つの原因」でしかなく、「世間一般に広く知れ渡っている」証拠にはなっておりません。言ってしまうと、学習指導要領から多くの教科書は「大和朝廷」を使用しているわけで、義務教育の教科書というものは、ほとんどの国民が目を通す著書なわけですから「大和朝廷」のほうが「一般的(世間に広く知れ渡っている)」とも言えてしまいます。「一般的」を示す証拠は難しいものです。単に「大和王権が一般的」などと勘違いを与える抽象的な表現で記載するのではなく、どこで一般的なのか?正確に詳細に書くようお願いいたします。--218.217.154.91 2009年6月12日 (金) 18:49 (UTC)

また、おかしな根拠を(w  各県のウェブページは、Wikipedia:検証可能性に耐えられるのでしょうか。信頼性に乏しいのではないでしょうか。歴史専門の職員が書いたものでは無さそうです。

  • は「大和朝廷の勢力が北上し、7世紀半ばに…」とあって、7世紀は飛鳥時代です。古墳時代ではありません。
  • は「私たちの職場のある佐渡は、古く大和朝廷の時代から、一国として国府が置かれ国司も派遣され…」は古墳時代に国府・国司が置かれていたのでしょうか。とんでもない間違いの歴史知識です。
  • 「かなり早くから大和朝廷の支配下にあったと見られ、平安時代の史書『延喜式』には、…」の『延喜式』って、「史書」でしたか?こんないい加減な知識の持ち主が書いた「かなり早くから大和朝廷の支配下にあった」などと、大和朝廷について碌な知識も持たないと思われる人の書いたものなど当てにする方が間違っています。

IPさんも、日本古代史に関してはいい加減な知識ですなあ。大和朝廷という用語が使われているからといって、内容も検討せずに、根拠にするのは止めましょう。
いい加減なものを根拠にするのもいい加減にしてください。洒落になっていますでしょうか。

世間一般に広がっている常識が間違っていることが多々あることは、既にご存じのことと思います。その間違っている常識の超ベストワンが、IPさんが命のように大切にし、最強の根拠にしている学習何とやらです。まったく迷惑千万な話です。既に、信頼できる新書や文庫、事典・辞典、専門家が書いた各県の県史を根拠に挙げました。

付け足して、桜井茶臼山古墳発掘のニュース(6/12)で、気づいたのですが、朝日・産経・毎日・読売各紙では、おおかたは大和政権で、ヤマト王権も使われています。マスコミも使っているのに。--Godaigo 2009年6月13日 (土) 09:47 (UTC)

新潟県などが「大和朝廷」の用語を使っている資料として十分に通用するものですが、意味不明な方針リンクはお止めになったほうがよろしいかと。現在の論点は、どちらの用語が正しいか?ではなく、「都道府県でどちらの用語が用いられているのか」であり、Godaigo氏が「新潟県などでは王権/政権が用いられている」と提示した山川出版社のものには矛盾が生じているという確実な証拠が出てしまったということです。加えて、新潟県の資料で言えば「7世紀が大和朝廷」とは言っていませんので、Godaigo氏の上記の突っ込みは、失礼ですが単にGodaigo氏の読解力のなさではないか、と思います。もう一度落ち着いてお読みになったほうがよろしいかと。
とにかく論点をつかんで反応していただきたい。あさってなことを語られても困ってしまいます。「世間一般に広がっている常識が間違っていることが多々あることは、既にご存じのことと思います」などと仰っていることが、論点を掴んでいない証拠です。王権を用いることが正しくても「一般的」でないならば、「一般的」とは書けないのです。今は用語が「正しいか、間違っているか」の論点ではなく(貴方はずっとコレを語っている)、「大和王権が一般的(広く知れ渡ってる)」と書くならば、その証拠を示せというものです。そしてその証拠としてGodaigo氏が出した山川出版社のものには矛盾があったということです。さあ、単に「ヤマト王権が一般的」と書きたいのならば、世間一般に広く知れ渡っている証拠を出してください。学習指導要領よりも読者が少ないような出版物を並べても、「世間一般に知れ渡っている証拠」にはなりませんから、出版物の羅列は意味がないことをお気づきになっていただきたい。
これまでの上記の、Godaigo氏の主張をもとに本文で書けることは、「学者間ではヤマト王権/政権が多く使われ始めている」という程度です。--61.210.229.136 2009年6月13日 (土) 15:32 (UTC)

「ヤマト王権」は教科書でも使用されている 編集

教科書展示場で中学校社会科教科書の歴史分野を何となく開くと「ヤマト王権」という文字が飛び込んできました。平成17年度検定済みで平成18年度用教科書です。小見出しを「ヤマト王権」としていたのは帝国書院だけでしたが、「大和政権」を使用してる出版社は、東京書籍清水書院大阪書籍教育出版日文などの五社ありました。「大和朝廷」を使っていたのは扶桑社日本書籍の二社でした。
今までに一般読者向きに書かれた新書・文庫、信頼できる辞典・事典類、歴史関係出版では名の通った山川出版社が出した叢書『各県の歴史』、朝日・毎日をはじめとする全国版新聞社の使用例などを列挙して、ヤマト王権/政権、大和王権/政権、倭王権/倭政権という用語が世間一般で使用されていることを強調してきました。さらに中学校社会科歴史分野の教科書でも広く使用されていることが分かりました。ここまで例を挙げたのですから「世間一般に広がっている」、または「世間一般で使用されている」と言えると思います。
私は、既に定義文の終いの方の「かつて以下を削除」と提案しています。この主張は変わりません。よって、IPさんの編集をリバーとします。
やはり、学界の通説・定説は、学校教育でも通用する関係が大事ではないかと愚考いたします。気分がスーとしたので、IPさんの直上の間違った認識によるコメントに、今回はコメントを付けないでおきます。--Godaigo 2009年6月20日 (土) 09:45 (UTC)
私も、先日中学の歴史教科書をあらためて調べていました。その結果は、大阪書籍が「大和王権」、東京書籍教育出版が「大和政権」、帝国書院が「ヤマト王権」でした。帝国書院に至っては、何故朝廷記述ではないのかの説明もありました。
因みに、山川出版社の高校教科書でも「ヤマト政権」ですね。--219.4.215.1 2009年6月22日 (月) 16:49 (UTC)

信頼できる情報源が公表している内容だけを書く 編集

Wikipediaでは、検証可能性独自研究を載せない中立的な観点などの方針に基づいて、信頼できる情報源に依拠して記述することが求められています。「ヤマト王権」ないし「大和朝廷」は歴史学上の概念ですので、当然のことながら、歴史学における「信頼できる情報源」=学者の書いた論文等に依拠して記述することになります。ですので「信頼できる情報源」に依拠している限り、「学者間では・・・」とわざわざ断る必要はありません。「世間一般」において一般的かどうかが重要なのではなく、「信頼できる情報源」の世界の中で一般的かどうかが重要だ、というのが、(上の諸方針を熟読すればわかるとおり)Wikipediaの基本方針なのです。このことは、Wikipedia:検証可能性の方針の第一に「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。」とあるのを見てもわかるとおりです。

学習指導要領より読者が少ないような出版物であっても、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価が示すような、信頼できて権威がある文献は多数あります。Godaigoさんが上で列挙されている文献群は「信頼できる情報源」と言えます。一方、218.217.154.91さんがお示しになったウェブ上のソースは「信頼できる情報源」とは言えません。正直申し上げて、このことに議論の余地はありません。誠に僭越ながら、さらに申し上げれば、Wikipediaの基本方針を軽視するような本議論をこれ以上続けることに意味が見出しがたいのですが、皆さまいかがでしょうか。--shimoxx 2009年6月29日 (月) 13:46 (UTC)

大和朝廷という名称が現在では使われていないかどうか 編集

まぁはっきり言ってしまえば右と左の言い合いなんだけどね、国や皇室は大和朝廷と言う言葉を使い、マスコミや出版社、左派系学者はヤマト王権と言う言葉を使う。上の教科書会社見ても一目瞭然。国土交通省、文部科学省、外務省、宮内庁あたりが使い始めるまで続けるしかしょうがないんじゃない?--125.172.243.104 2009年7月20日 (月) 18:11 (UTC) ノートで議論せず巻き戻しすな、各省庁は各HPで全文検索できるからしろ、大和朝廷を用いてヤマト王権は用いてない。皇室は世界水フォーラム開会式で記念講演を宮内庁から出して見ろ。--125.172.243.104 2009年7月20日 (月) 21:03 (UTC)

現在もうんぬん消したいなら政府刊行物に使われてる事例と皇室の講演で使われている事例を出せ。--125.172.243.104 2009年7月21日 (火) 08:04 (UTC)

国土交通省

http://search.mlit.go.jp/search?as_q=%91%E5%98a%92%A9%92%EC&oe=Shift_JIS&ie=Shift_JIS&site=default_collection&client=default_frontend&proxystylesheet=default_frontend&output=xml_no_dtd
http://search.mlit.go.jp/search?as_q=%83%84%83%7D%83g%89%A4%8C%A0&oe=Shift_JIS&ie=Shift_JIS&site=default_collection&client=default_frontend&proxystylesheet=default_frontend&output=xml_no_dtd

皇室

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/koen/koen-h19az-mizusummit.html

外務省

http://search.mofa.go.jp/mofaj/?q=%91%E5%98a%92%A9%92%EC
http://search.mofa.go.jp/mofaj/index.php?sort=weight%3Aa&q=%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9&site=

文部科学省

http://search.mext.go.jp/search?q=%E5%A4%A7%E5%92%8C%E6%9C%9D%E5%BB%B7
http://search.mext.go.jp/search?q=%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9&site=default_collection&entqr=0&ud=1&sort=date%3AD%3AL%3Ad1&output=xml_no_dtd&oe=UTF-8&ie=UTF-8&client=default_frontend&proxystylesheet=default_frontend

これ。--ささのは 2009年7月21日 (火) 09:51 (UTC)

誰でも検索できる出典においてはノート記載で十分と考える。--125.172.243.104 2009年7月22日 (水) 09:35 (UTC)

ささのはとIPがいいかってるように見えますがささのは=125.172.243.104です。議論しているのは要約欄の方とです。--ささのは 2009年7月22日 (水) 10:15 (UTC)

本文中に各省庁の公式HPの検索結果*2を出典として記載しろと仰せですがその必要性を感じません、ノート記載で十分であり貴方自身も出典の信用性を認めました。--ささのは 2009年7月23日 (木) 10:02 (UTC)

この二つの出典は、古墳時代の政権を指して「大和朝廷」といっていません。7世紀半ばのことを「大和朝廷」といっています。項目「ヤマト王権」は古墳時代の政権を言い表すのに使っていますから、時代違いです。よって、表の「現在でも云々」は出典を示すことができないと判断し除去しました。--Shishin 2009年7月24日 (金) 12:37 (UTC)

特に問題はないと思われますが出典を変更しました。--125.172.243.104 2009年7月24日 (金) 13:42 (UTC)
とりあえず合意できそうなところまで記載を下げました。7世紀半ばのことはここでは述べないとのご意見ですが、それでは本文に張られている画像もここではふさわしくないということでよろしいのでしょうか?--125.172.243.104 2009年7月24日 (金) 13:51 (UTC)
画像の件は、作成者に理由を説明し、勢力範囲と説明文の変更をお願いしました。
「国土交通省都市地域整備局 古都指定の概要」では、古墳時代をも含めて「大和朝廷」というとしていますが、省庁が使っているからといってWikipedia:信頼できる情報源ではありません。査読も受けていないでしょうし、省庁ですから政治的な色彩が濃くWikipedia:中立的な観点から問題があります。--Shishin 2009年7月25日 (土) 00:37 (UTC)
論点がずれています、私が記載したいのは省庁が大和朝廷と言う呼称を使用しているということで、大和朝廷という概念の話ではありません。省庁が使っているという事実は提示しました。あなたが反論すべきは事実を認めたうえでその記載は必要か不必要かということです。--ささのは 2009年7月26日 (日) 10:47 (UTC)
「論点がずれている」のは、ささのはさんの方でしょう。「あなたが反論すべきは事実を認めたうえでその記載は必要か不必要かということです。」の意味がよく分かりません。省庁が使うのは勝手です。Wikiepdiaには関係ありません。各省庁が使っているからといって、なぜ、この項目に書く必要があるのでしょうか。省庁が使っているのは7世紀半ばの出来事について使っているのですから、古墳時代の政権を表すヤマト王権の項目に大和朝廷の用語は要りません。蛇足ながらインデントの使い方などについても関連文書を熟読しましょう。--Shishin 2009年7月28日 (火) 00:22 (UTC)

「あなたが反論すべきは事実を認めたうえでその記載は必要か不必要かということです。」の意味はまさに省庁が使うのは勝手です。Wikiepdiaには関係ありません。各省庁が使っているからといって、なぜ、この項目に書く必要があるのでしょうか。と言うことです。しかしながらまだ現在記載の省庁の使っている事例を7世紀のことだと思われていることは残念です。もう一度よく読まれてください。それから上記のことについて議論しましょう。--ささのは 2009年7月28日 (火) 00:52 (UTC)

あれ前の意見では古墳時代の事象と認められているのですね、なんでまた主張をかえられたんですか?、まぁいいですけど。じゃ上記について話しますね、この文章を記載する前にかつては大和朝廷という呼称が用いられていたという主張が書き込まれておりました、これを間違いであると主張するには現在も使われている実例を挙げるのが一番早い方法なのでそうしました。私はこの記述は必要であると考えますが、削除なさいたい方がいれば素直に従います。--ささのは 2009年7月28日 (火) 02:49 (UTC)

「なんでまた主張をかえられたんですか?」ってどこですか。しっかり読んでから書いてくださいよ。現在は、ヤマト王権という呼称が一般的です。上の議論でそうなっています。--Shishin 2009年7月28日 (火) 11:40 (UTC)

いやいやそういう意味じゃなくて、現在提示中の省庁が使ってる事例を3つ前では古墳時代をも含めて「大和朝廷」というとしていますが、2つ前では省庁が使っているのは7世紀半ばの出来事について使っているっておっしゃってるのが変わっていると言っているのです。、あとここで議論してるのはどちらが一般的なのか?ではなくて、現在でも大和朝廷という呼称がつかわれているかどうかです。--ささのは 2009年7月28日 (火) 23:11 (UTC)

「3つ前では古墳時代をも含めて「大和朝廷」というとしていますが、2つ前では省庁が使っているのは7世紀半ばの出来事について使っているっておっしゃってるのが変わっていると言っているのです。」の「3つ前」とは「「国土交通省都市地域整備局 古都指定の概要」では、古墳時代をも含めて「大和朝廷」というとしていますが、」を指すのであれば、「国土交通省~古都使用の概要」がそういっているといっているのです。主語を抜かして適当に読むのは止めてください。私が言っているのではありません。また、私の主張は変わりません。
一般的に使われている用語であればこそ記事項目になる資格があるわけですから、一般的に使われていない大和朝廷を項目にすることはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかの方針にも反します。項目になる特筆性のない用語など再改名などと言うこと自体が間違っています。「現在でも大和朝廷という呼称がつかわれているかどうかです。」については既に答えたと思いますが、信頼できる情報源ではない省庁などが使っているとしても、何故、ヤマト王権と関係があるのでしょうか。関係のないものなど書き込まないでください。ヤマト王権と大和朝廷は、どう関係があるのでしょう。--Shishin 2009年7月29日 (水) 02:39 (UTC)

すごいこと言ってますね、ヤマト王権と大和朝廷は関係ないのですか?もしそれならそれこそ再改名して大和朝廷に戻さないとそれまで大和朝廷として記事編集してきた方に申し分が立ちませんね。あと貴方自身の考えが変わっていると言っているのではなく、省庁の使用した実例の貴方への理解がまた戻ったと言っているのですよ。 あと省庁が信用できる情報源ではないとの意見ですが、それには全く同意できません。--ささのは 2009年7月29日 (水) 11:14 (UTC)

まず基本的なことを述べますと、「ヤマト王権」ないし「大和朝廷」は歴史学上の概念です。ですので、ウィキペディアで「ヤマト王権」とか「大和朝廷」について執筆する際に一義的に重視されるべき信頼できる情報源とは、歴史学者の書いた論文になるわけです。このことについて、ご異議はないだろうと思います。
ちなみに日本史学の基礎的教科書と呼ばれ、最も信頼できる情報源とされている『岩波講座 日本通史』や『日本史講座(東大出版会)』では、いずれも「ヤマト王権」の語が採用されておりました。
一方、行政官庁は歴史学を研究する機関でも何でもありません。行政官庁のウェブサイト上で「ヤマト王権」なり「大和朝廷」なりについて論じられたとしても(それが信頼できる歴史学者の手によるモノであれば話は別ですが)「信頼できる情報源」にはなり得ません。ささのはさんが何をもって「省庁=信頼できる情報源」とされているのか、理解に苦しむところではありますが、その理由をご明示いただければ幸せます。
ただ、行政機関をはじめとして、歴史学研究とは離れた立場では、「大和朝廷」の語が多用されておりますし、上田正昭先生という古代史の超大物学者が10年以上前とは言え、「大和朝廷」の語を自著書名に採用していることを考え合わせますと、「『大和朝廷』は今では使われていない」と書くと誤解を生むであろうことは確かです。「歴史学では、かつて『大和朝廷』が主流だったが、今では『ヤマト王権』が主流となっている。一方、歴史学から離れた立場からは今でも『大和朝廷』が多用されている」という趣旨の記述をしてもよいのではないかという気が今はしています。
もちろん、歴史学においては「ヤマト王権か大和朝廷か」なんてことが議論に上ることはまずなく、「ヤマト王権と呼ぶべきか倭王権(又は倭政権)と呼ぶべきか」とか「欽明期以降の中央政治勢力は『朝廷』と呼びうるのではないか」「それは『ヤマト朝廷』と呼ぶべきなんだろうな」「それ以前は王権と呼ぶことでみんな一致してるよね」「いや、5世紀半ばに王権→政権へ移行したとオレは考えているよ」「確かに」「それを示すのが『人制』の導入だ」というような議論がメインに繰りひろげられてまして、本項でもそのような研究史をもっと記述すべきなのだろうと考えています。今いろいろ調べてる最中ですけれども。こういった建設的な議論をもっとしましょうよ!
また「左派系学者はヤマト王権と言う言葉を使う」と仰られていますが、70年代までならいざ知らず、今は歴史学に左右の対立なんてないでしょう(歴史学の外部では対立があるようですけども)。印象操作は感心できませんよ。山尾幸久、吉村武彦、白石太一郎、熊谷公男、仁藤敦史、舘野和己、小林敏男らのうち誰が左派系学者なのか、出典付きでお示しくださいませ。--shimoxx 2009年7月29日 (水) 15:14 (UTC)
(ささのはさんへ)すごいこと言っているのはあなたの方ではないですか。「ヤマト王権と大和朝廷は関係ないのですか?」って、どこで言っていますか。言っているのであれば指摘してください。それらしいところを探すと「信頼できる情報源ではない省庁などが使っているとしても、何故、ヤマト王権と関係があるのでしょうか。関係のないものなど書き込まないでください。ヤマト王権と大和朝廷は、どう関係があるのでしょう。」の文章の一部だけを切り取って注文を付けているわけですか。文章の流れから文の意味するところを読まず、文章の一部だけを問題にするのは、文章を読んだとは言えません。「省庁が大和朝廷という言葉を使っているということとヤマト王権とは関係ないと言っているのです。だから、「関係ないものなど書き込まないでください。」と書いているのです。よく分かるように説明すると「関係のないもの」とは「省庁が大和朝廷という言葉を使っていること」を指しています。文章の流れから読めばすぐ分かるはずです。どこをどう読めば「ヤマト王権と大和朝廷は関係ないのですか。」と読めるのでしょうか。--Shishin 2009年7月30日 (木) 01:01 (UTC)

Shimoxxさんへ、ここでの論点は大和朝廷が現在でも使われているかどうかなのでそれをお認めになれている方には私も「私はこの記述は必要であると考えますが、削除なさいたい方がいれば素直に従います」と言っているのであまり意味があるとは思えませんがまぁいいでしょう。次に歴史の記事の出典に歴史論文しか認めないというのはウィキペディアの公式指針ではありませんし、ここは学会でなく百科事典なので事実であれば記載できます、ただし記載が不要とする際はノートで議論したうえで削除も可能です。次に議論のことですが改名のほうで続けたいと思います。つぎに右派、左派の件ですが教科書作成者および教科書会社に対して使いました。御気分を悪くされたなら謝罪し取り消します。 Shishinさんへ、7世紀も大和朝廷にはいると考えているものがこれを読むとそう読めるのです、7世紀が入るかどうかが論点のようなので続きは下の改名でやりましょう。--ささのは 2009年7月30日 (木) 11:28 (UTC)

Shimoxxさんの議論に少々補足いたします。「「左派系学者はヤマト王権と言う言葉を使う」と仰られていますが、70年代までならいざ知らず、今は歴史学に左右の対立なんてないでしょう(歴史学の外部では対立があるようですけども)。」に関してです。「朝廷」というのは天子(始皇帝より前は王、始皇帝以降は皇帝)の政権機構のことですから、どうしてもこの名称には「政治的意図」が入ってきます。つまり、「この政権機構の首長は天下を統べる天子です」ということです。ですから実証的学問、つまり政治的にニュートラルなものとして史学研究をする立場として「いつから朝廷か」と看做すかという点に関しては、機構的にそこまで成熟しているかどうかに加えて、その政権が首長を「天下を統べる天子・皇帝」とみなしているか、それによって自らの政権機構を「朝廷」、あるいは「朝」と自称しているかどうかがポイントになってきます。また、実証史学とは別の立場で「朝廷」と看做しえない時期に敷衍して「大和朝廷」という用語を使う意思もまた、政治的な意思の表明にほかなりません。建国記念日を制定している日本国政府機関が「大和朝廷」の語を用いているのは、神話的君主の御世も含めて、神武天皇以来の正統性をもって、天子たる天皇を国民統合の象徴としているという政治的意思の表明を、それとなく出していると看做せます。ですから、左派系学者はヤマト王権を使い、保守系学者は大和朝廷を使うという図式ではなく、政治的主張を排した実証史学の立場に立つ表現としては、著者が左右の立場にかかわりなく「ヤマト王権」など「朝廷」の語を排した表現を用い、政治的主張を込めた立場では、史実では「朝廷」と看做せない時期に関してもあえて「朝廷」と呼ぶ。そういう性格の使い分けと考えればいいでしょう。ですから、実証史学の立場では「朝廷」の表現を排する方向に変化しており、政治的な立場からの表現では「大和朝廷」の表現も健在であるということを(もちろん客観的にそれを証明する著作を参考文献として挙げながら)、表記していくということでいいのではないでしょうか。--ウミユスリカ 2009年7月30日 (木) 12:15 (UTC)

大和朝廷への再改名 編集

ここで話を変えますが大和朝廷という呼称とヤマト王権と言う呼称は本当に同一の意味をなすものなのでしょうか?私にはまったく別の概念のように思われます。大和朝廷には7世紀後半までの朝廷も含まれますが、ヤマト王権とは朝廷ができるまでの政治体制を表す言葉のように感じます。 何が言いたいのかと言うと大和朝廷と言う古い概念はそのまま記事として残し、新しい概念としてヤマト王権を新たな記事として編集すべきだったのではないのですか?、呼称も意味も違うものを変名して編集することは不可能のように思われます。ここで言いたいのは大和朝廷が正しい、ヤマト王権が正しいと言った話ではなく大和朝廷という概念が存在したということです。 例えるならば天動説がもはや学会で認められていないという理由から独自研究と位置付け、天動説の記事を地動説に変名し不都合になった記載を削除し編集するといったやり方は非常に問題があるということです。これは上記記載の大和朝廷の呼称についての議論への意見です。--ささのは 2009年7月27日 (月) 06:34 (UTC)

ささのはさん、このノートのはじめから一読していただいたでしょうか。そうすれば、上の再改名提案は出てこないと思いますが、いかがでしょうか。--Shishin 2009年7月27日 (月) 23:40 (UTC)

よく読みました、そして貴方自身が大和朝廷とヤマト王権の意味に差があることを教えて下さったのです。--ささのは 2009年7月28日 (火) 00:54 (UTC)

私も「大和朝廷」への改名を支持します。現在の記事名はどちらかというと左派史観のイデオロギーを表しており、政治的にも中立とは思えません。--薔薇騎士団 2009年7月28日 (火) 03:06 (UTC)
「左派史観のイデオロギーを表しており」って、どういうことでしょうか。誰にでも分かるように説明願えませんか。それと「政治的にも中立とはおもえません」とヤマト王権の項目とどんな関係があるのでしょうか。それもよく分かるように説明してください。--Shishin 2009年7月28日 (火) 12:01 (UTC)
要するに、「ヤマト王権」支持派は、「大和朝廷」が「大和」=奈良、現皇室の祖先の根拠地、「朝廷」=現皇室の祖先の政権、というイメージを連想させるので、この表記にアレルギーを起こしているように思います。ノートでの議論を読んでも、支持派からはそのように感じます。これは私の意見だけではなく、上の議論ですでに述べられています。つまり、純粋に学問的な観点ではなく左翼イデオロギー史観が入り込んでいるので、議論が成り立ちにくいのです。もちろん左翼的な人はこうした指摘をあっさり認めはしないでしょうから、「誰にでも分かる」かどうかは、その人の政治的ポジションによると思います。--薔薇騎士団 2009年7月29日 (水) 00:28 (UTC)
ここは、ウィキペディア百科事典を創るところです。政治的なことをだべるところではありません。リソースの無駄です。--Shishin 2009年7月29日 (水) 02:59 (UTC)

ひとつお聞きしたいのですがShishinさんは大和朝廷とヤマト王権は同一のものを指す言葉だと思ってらっしゃるのですか?もし違うものであるとするならば違う意味の言葉をウィキペディアで改名した事例を教えてくださいこの案件が初めての案件なら私は許すことができませんが他にあるならそれを考慮してみます。また同じであるとするならばなぜ7世紀が入るか入らないかで議論が生じるのか教えていただければ幸いです。--ささのは 2009年7月28日 (火) 01:30 (UTC)

上で議論されているshimoxxさんは7世紀もヤマト王権に入ると主張されていますね、これだと再改名は必要ないんですけどね、Shishinさんはどう考えてるのかな?--ささのは 2009年7月28日 (火) 03:03 (UTC)

上にも書きましたがヤマト王権が一般的に使われているという結論になっています。大和朝廷がほんの一部の省庁で使われようが、一般的に広がっているヤマト王権という呼称を使用するのが足り前でしょう。一般的に使われているものに対してほんの一部のところで使われていることは取るに足らない事例というべきでしょうから、改名は不可能です。上の方もしっかりと読んでからにしてください。
「shimoxxさんは7世紀もヤマト王権に入ると主張されていますね」ってどこですか。この人の署名のある書き込みを全て目を通しましたが、「7世紀云々」はありませんでしたよ。その箇所を指摘してください。--Shishin 2009年7月28日 (火) 11:55 (UTC)

なるほどShishinさんは大和朝廷=ヤマト王権と考え、その両方に7世紀は入らないとお考えなのですね?shimoxxさんの件は3世紀から6・7世紀にかけてで検索されてください。--ささのは 2009年7月28日 (火) 23:02 (UTC) あと私が議論したいのはヤマト王権が一般的、大和朝廷が一般的という議論でなく、本当に大和朝廷=ヤマト王権なのか?ですのでそこのところも間違わないようにしてください。--ささのは 2009年7月28日 (火) 23:06 (UTC)

「Shishinさんは大和朝廷=ヤマト王権と考え、その両方に7世紀は入らないとお考えなのですね?」というふうに、私が述べているのであればどこですか。その箇所を指摘してください。そんなこと言った覚えはありません。
上の方にも書きましたが、「ヤマト王権」が一般的な用語です(上の6月の議論を参照)。一般的でない用語「大和朝廷」を項目名にはできません。また、一般的でない用語がほんの一部で使われているとしても、ウィイペディアの記事に影響しませんし、関係ありません。--Shishin 2009年7月29日 (水) 02:59 (UTC)
「大和朝廷」が一般的な用語ではない、という主張は独自研究だと思いますので、タグを新たに追加しました。除去はノートでの議論合意後にお願いします。--薔薇騎士団 2009年7月29日 (水) 08:28 (UTC)

Shishinさんのはぶらかすような回答からそう推測しただけです、では改めてお聞きします。あなたは大和朝廷とヤマト王権が同一の意味を指すものとお考えですか?またそれらには7世紀の政治体制は含まれますか?--ささのは 2009年7月29日 (水) 10:46 (UTC)

本節で、ささのはさんが提起されたのは「『ヤマト王権』と『大和朝廷』は別概念だ。だから両概念は別々の記事として立項されるべきだ」ということであり、であれば本項の改名を主張されているワケではないですよね?このことをまず確認させてください。
2つ上の節にも書きましたが、欽明期前後に内廷・外廷が生じ、朝廷と呼びうる政治的実態が出現したとする説は、かなり有力視されています。しかし、それを「大和朝廷」と呼ぶコンセンサスは生まれてないようです。要するに6世紀後半~7世紀の中央政権をどう呼ぶかは定まってないのです。学者たちは「○○朝(推古朝など)」「倭国」「朝廷」などとまちまちに呼んでおります。ですので、「大和朝廷」の項目名で6世紀後半~7世紀の中央政権について述べるのは学問的に適切とは言えず、もし何とかして「大和朝廷」という項目を書くのであれば、語の意味的変遷といったメタ的情報を記述すべきなのだろうと思います。例えば次のように。

「大和朝廷」 - 歴史学では、古代国家形成期における倭国の中央政権を表す用語として、かつて主流的に使用されていたが……90年代以降はほとんど使用されていない。歴史学から離れた立場では、この語が非常に多用されている。歴史学においてこの語が使用されることがあるが、積極的な概念規定がなされているとは言い難い。(参照→ヤマト王権古墳時代飛鳥時代

あと気になったのですが、「『ヤマト王権』と『大和朝廷』は別概念だ」の根拠は何なのでしょう?まさか、Shinshinさんがそれっぽいことを言っていたから、ではないですよね?ここウィキペディアは百科事典なのですから、ちゃんと信頼できる情報源に基づいた問題提起を行っていただきたいと思います。Shinshinさんのお考えを糺すことに意味はありません。信頼できる情報源に何が書いてあるか、だけに依拠して議論をいたしましょう。--shimoxx 2009年7月29日 (水) 16:22 (UTC)

  • (薔薇騎士団さんへ)「「大和朝廷」が一般的な用語ではない、という主張は独自研究だと思いますので」といっていますが、独自研究であるという証拠を出してください。それとノートでの議論を根拠に本文へタグを貼るとは。あまりにも短絡じゃあありませんか。そのようなルールでもあるのでしょうか。ルールがあるのなら示してください。1週間以内に示さないときはタグを剥がします。--Shishin 2009年7月30日 (木) 02:12 (UTC)
すでに上で何度も紹介されてますが、学習指導要領、皇室、各種省庁等の公的機関で正式に使用されていますし、google検索で見ても「大和朝廷」のほうが「ヤマト王権」よりも圧倒的にヒット数が多く、むしろ「ヤマト王権」のほうが一般的ではありません。一般に浸透している用語を一般的でないと強弁し、一般に浸透していない用語を一般的と詐称するのは、どう考えても無理があります。「ヤマト王権」のほうが一般的だと証明できないのでしたら、一週間以内に当該文章を削除します。--薔薇騎士団 2009年7月30日 (木) 03:48 (UTC)
「学習指導要領、皇室、各種省庁等の公的機関で正式に使用されていますし、google検索で見ても「大和朝廷」のほうが「ヤマト王権」よりも圧倒的にヒット数が多く、むしろ「ヤマト王権」のほうが一般的ではありません。」については#ヤマト王権の呼称についてで既に論破されているのではありませんか。その証拠に「おおむねShimoxxさんの意見は理解できましたので、編集をお任せします。よろしくお願いします。--薔薇騎士団 2009年5月18日 (月) 13:20 (UTC) 」と言っているではありませんか。また、どちらが一般的であるかについては#ヤマト王権の呼称について 200906で決着がついています。とにかく、自分の考えが通らなければ何を言ってもいいのではありません。また、ここは、あなたが一人で編集しているのではなくて、みんなが共同して編集するところです。子供みたいにただを捏ねるのは止めてください。wikipedia:礼儀を忘れないwikipedia:エチケットを熟読することをお勧めします。--Shishin 2009年7月30日 (木) 04:46 (UTC)
論破などされていませんが。「ヤマト王権」派との堂々巡りの議論がいやになったので、適当に編集して後は任せます、ということだったに過ぎません。大体グーグル検索で「大和朝廷」のヒット数が多数なのですから、一般的でないという主張は無理があります。この点を指摘すると、そのたびに「一般的」の概念を恣意的にねじ曲げて、「学会では~」とか検証不可能な自説を展開して煙に巻こうとしているようですが、議論がかみ合っていないという自覚はないのでしょうか? まず論点をすり替えるのではなく、大和朝廷が一般的でないとか、過去の用語みたいな(現在でも依然として多数使われている事実は都合良く無視しして)偏った意見の証明を先にしてもらいたいものです。--薔薇騎士団 2009年7月30日 (木) 13:12 (UTC)
グーグル検索は一定の傾向を示すものであってもwikipedia:信頼できる情報源ではありません。また「検証不可能な自説」と仰っていますが、自説ではありません。Wikipedia:検証可能性は、ウィキペディアの三大編集方針の一つです。ウィキペディアの公式な方針にも従えない・認めないのなら、ウィキペディアから去るしか仕方がありません。メインページに「基本方針に賛同していただけるなら」とあります。ウィキペディアで活動するなら、ウィキペディアの方針を遵守しながら行動することが推奨されています。今後もウィキペディアで活動をお続けになりたいのなら、ウィキペディアの方針を遵守してください。--Shishin 2009年7月30日 (木) 21:47 (UTC)
グーグル検索は、貴殿の根拠のない「一般的」という用法より、よっぽど「信頼できる情報源」だと思います。それで、また論点を誤魔化していますが、大和朝廷が一般的でないという主張を学問的に実証してください。できないのなら、独自研究になります。あと、ウィキペディアから去りなさいとか脅迫していますが、ノートでの議論でこういう脅迫を受けたのは初めてです。こういうことが許されていいのでしょうか?対立する意見を認めないというのは、かつての左翼内部の内ゲバを彷彿とさせます。--薔薇騎士団 2009年7月31日 (金) 01:02 (UTC)
  • (ささのはさんへ)再びShimoxxさんの書き込みに目を通してみると、次の二つが見つかりました。
>「3~4世紀から7世紀頃までの期間に日本列島の主要部を支配していた政治勢力を「大和朝廷」という用語で現すことは、現時点では誤用であり独自研究になってしまいます。--shimoxx 2009年2月27日 (金) 13:44 (UTC)」
>「3世紀後半から6世紀までの政治権力を「朝廷」と呼ぶことは不適当とされ、「王権」と呼ぶのが妥当とされています。--shimoxx 2007年9月18日 (火) 15:22 (UTC) 」

改名を取り下げましたShimoxxさんの2009年5月14日 (木) 14:43 (UTC)の発言の提案とそれに続く薔薇騎士団さんの提案を加味した編集をして頂だければと思います。御3方どうでしょうか?--ささのは 2009年7月30日 (木) 11:47 (UTC)

「開いた口がふさがりません」という諺がありますが、まさにこのことですねえ。
ヤマト王権は、#大和朝廷の呼称について 200906の節で「一般的呼称である」ことが証明されています。そうでないものはWikipedia:特筆性Wikipedia:信頼できる情報源などのウィキペディアの各ルールに馴染みません。にもかかわらず改名提案は如何なものかと思われます。ウィキペディにはウィキペディアのルールがあります。ウィキペディアで活動を今後も続けようと思うなら、ウィキペディアのルールにしたがって行動することが最低限必要でしょう。ウィキペディアの各ルールを碌に解しない人が、さらなる提案を持ち出すのは、自分本位の考え方による議論の撹乱にすぎません。ウィキペディアのルールを遵守できない、認められないならばウィキペディアを自主的に去るべきでしょう。--Shishin 2009年7月30日 (木) 23:02 (UTC)

 大和朝廷の呼称について200907 編集

その二つの草案のどこが公式の方針か教えていただければ幸いです、Wikipedia:礼儀を忘れないについてはShishinさんが先に要約欄で議論をするという公式の方針とは違う行動をとられているので貴方に言われてもなぁ・・・って感じです。改名についてはshimoxxさんのおっしゃる通りだったので取り下げました。私はこれからWikipedia:中立的な観点においてより優れている、#大和朝廷の呼称についてのshimoxxさん薔薇騎士団さんの結論を強く支持したいと思います。--ささのは 2009年7月31日 (金) 00:46 (UTC)

支持ありがとうございます。ところで、Shinshinさんは私の投稿ブロック依頼をしているのに気づいてびっくりしました。私はあくまで大和朝廷が一般的でないとする主張の根拠を学術的に実証してください、と言っているにすぎないのに、それには一度もまともに答えずに投稿ブロック依頼をするとは……。こういう方と議論しても無駄だと思いますので、老婆心ながらお気をつけください。--薔薇騎士団 2009年8月1日 (土) 22:34 (UTC)

横槍失礼。ならば、「学問的に」という言葉を挟まなければならないでしょうね。現在の単に「一般的」という表現は不正確であり、その証明もできていません。--220.147.34.249 2009年8月4日 (火) 11:06 (UTC)

Shinshinは「学問的」にの挿入も削除しましたね。Googleの検索結果も無視して、自分の編集以外認めないというのは明らかに常軌を逸しています。--薔薇騎士団 2009年8月7日 (金) 02:02 (UTC)

ノートの合意を基に大幅に変更しました。巻き戻しなどをされる際はノートでの話し合いをお願いします。--ささのは 2009年8月7日 (金) 09:53 (UTC)

あと7世紀の議論についてですが、大和朝廷もヤマト王権記載の書籍も大化の改新までをこの項目に含むものが多く7世紀の事象についてもこの項目において記載することになんら問題はないと判断します。一様一個だけ出典記載、大和朝廷と東アジア著:鬼頭清明、出版社:吉川弘文館。--ささのは 2009年8月7日 (金) 10:20 (UTC)

#大和朝廷の呼称についてのshimoxxさん薔薇騎士団さんの結論を強く支持したいと思います」とのことですが、そのセクションでshimoxxさんが薔薇騎士団さんに何か賛同したようには全く見えません。また、「ノートの合意」とは具体的には何を意味しているんでしょうか。
率直に申し上げて、ありもしない「合意」をでっち上げているようにしか見えません。 -- NiKe 2009年8月8日 (土) 00:48 (UTC)

shimoxxさんの2009年5月22日(金)14:40 (UTC)の発言から上にさかのぼっていただくとよくわかると思います、この件についてshimoxxさんにコメント依頼しているのでコメントを頂けると思っています、日本語的には薔薇騎士団さんがshimoxxさんに賛同したという表現になると思います。あと私も勘違いしたのですがshimoxxさんとShinshinさんは名前の前の部分が同じですが違う方です、これは蛇足かな。--ささのは 2009年8月8日 (土) 05:18 (UTC)

管理者の方にお願いして保護していただきました、6か月の間に活発な話し合いを期待します。--ささのは 2009年8月9日 (日) 08:57 (UTC)

この辺で整理してみましょう 編集

今までの議論を整理してみます。

ヤマト王権は「一般的に広がっており、広く使われて」いる。
Godaigo氏は#大和朝廷の呼称について 200906の節で 「『世間一般に広がっている』、または『世間一般で使用されている』と言えると思います。--Godaigo 2009年6月20日 (土) 09:45 (UTC)」といろいろな例を引きながら、検証しています。いろいろな例とは新書や文庫本事典や辞典出版社の叢書「各県の歴史」、マスコミも「ヤマト王権」は教科書でも使用されているです。
この検証に対して、Shimoxx氏は、「上で列挙されている文献群はWikipedia:信頼できる情報源と言えます。」と同意しています[18]
反論として、薔薇騎士団氏は、「たとえばgoogle検索してみると、「大和朝廷」が112,000件、これに対して「ヤマト王権」が42,500件と半分以下のヒットです。 [19]。」と、ヒット数が多いと言っています。
この反論に対してShimoxx氏は、「 また、google検索は、「何らか」の傾向を掴むことはできますが、既にウィキペディアのあちこちで既に指摘され尽くしてきたようにWikipedia:信頼できる情報源たり得ません。本項の執筆の出典とはならないことをどうぞ御理解願います [20]。 といって、ウィキペディアの方針に合わないこと諭しています。
学習指導要領にも「大和朝廷」が使われている。
薔薇騎士団氏は、「学習指導要領では「大和朝廷」も用いられている[21]。」
shimoxx氏は「これは残念ながら特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に抵触してしまいます [22]。」これもまた、ウィキペディアの方針に相違することを示唆しています。
各官庁が「大和朝廷」を使用している。
ささのは氏は、「私が記載したいのは省庁が大和朝廷と言う呼称を使用していること[23]。」といっていますが、
Shimoxx氏は「一方、行政官庁は歴史学を研究する機関でも何でもありません。行政官庁のウェブサイト上で「ヤマト王権」なり「大和朝廷」なりについて論じられたとしても(それが信頼できる歴史学者の手によるモノであれば話は別ですが)Wikipedia:信頼できる情報源にはなり得ません。ささのはさんが何をもって「省庁=信頼できる情報源」とされているのか、理解に苦しむところではありますが、その理由をご明示いただければ幸せます[24]。」と、ここでもウィキペディアの方針に沿わないと言っています。

何度も繰り返しますが、ウィキペディアの方針に沿わないものは載せられないのです。ご理解いただきたいと思います。--Shishin 2009年8月11日 (火) 07:31 (UTC)

何度も繰り返しますが草案はウィキペディアの公式の方針とは全く違うものです。もし草案を公式の方針として扱いたいのであればShishinさんはここではなく草案のノートのほうで御活躍していただければと思います。公式の方針でないもの=Wikipedia:信頼できる情報源
また特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成のほうは立派な公式の方針ですが、各省庁が~、学習指導要領では~とまえがきを書けば立派な客観的事実となり記載しても何の問題のないものとなります。--ささのは 2009年8月11日 (火) 08:08 (UTC)

議論収束のための私案、既に提示しています 編集

新節を作成しました。議論収束のために私案(文末の三行)を提示し、ご検討くださいとお願いしているにもかかわらず、その後の言動は如何。--Shishin 2009年8月16日 (日) 07:36 (UTC)

Wikipedia:検証可能性#方針に次のように書かれています。
  • 記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです。
  • 記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです。(強調は、引用者)
Wikipedia:検証可能性での「信頼できる情報源」を詳細に分かりやすく説明しているのが、現段階ではまだ草案ですが、Wikipedia:信頼できる情報源と考えてよいでしょう。同時に、この草案に書かれていることは方針とおなじと捉えて良いと思います(ただ、草案ですから今後も変更される箇所が出てくるでしょうが)。
具体的に言えば、各省庁・学習指導要領に書かれていることやグーグル・ヤフー検索結果などは、「事実」であっても、「検証可能性」に抵触します。Wikipedia:検証可能性# 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」には「直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」と書かれていることに留意すべきです。「各省庁・学習指導要領に書かれていることやグーグル・ヤフー検索結果など」は「信頼できる情報源」ではありませんから、これらを出典とする書き込みは許容されません。ご理解いただきたいと思います。
ただ、「大和朝廷」という呼称が使われていた、ということは検証可能性を満たすますから、名称の節に書いてもいいでしょう。
私案ですが、項目「ヤマト王権」の「定義」や「名称」の節に「大和朝廷」のことを書くのではなく、新しく「大和朝廷」の節をつくり、そこに大和朝廷のことを書けばいいのではないでしょうか。ただし、「出典の明記」は必要です。ご検討ください。--Shishin 2009年8月12日 (水) 00:04 (UTC)

Wikipedia:検証可能性#方針についても誤解されているようですが学習指導要領は機密文書でなく一般人でも閲覧できる公的文書です。またグーグル・ヤフー検索も多くの方が使えるサービスであり特定の秘密結社が使うようなサービスでもありません、両方とも検証可能です。また貴方の言う「信頼できる情報源」の定義に各国政府や公的機関が含まれないことに違和感を感じざるを得ません、これが不可なら裁判関係の記事、政府調査の統計の記事、各法案の議事録の記事すべてが全滅してしまいます。後半についても繰り返しますが、もともとこの記事は大和朝廷として作成された記事であり大和朝廷=ヤマト王権であり名称が変更されたからと言って大和朝廷=ヤマト王権として編集するのに当たりなんら問題のないものと考えます。これも繰り返しになりますが、もし大和朝廷=ヤマト王権でないのなら名称変更自体が誤りであったと言わざるをえません。--ささのは 2009年8月12日 (水) 07:15 (UTC)

あまりにも理屈にならない理屈を繰り返すのにはうんざりしてしまい、返事しないでおこうと思っていましたが、もう一度返事します。
学習指導要領やグーグル・ヤフー検索については、以前から何度も「信頼できる情報源」ではない理由が述べられています。にもかかわらず、それを理解しようともしないで、自己流解釈を開陳するのは如何なものかと思います。
ここはウィキペディアです。ウィキペディアの方針の理解に努め、よく理解・認識し、その方針に従って編集することが推奨されています。ウィキペディアの方針に従えないのであれば、前にも申し上げましたが、再度、自主的に退去することをお勧めします。--Shishin 2009年8月14日 (金) 00:24 (UTC)
学習指導要領が「信頼できる情報源」にあたらない、というのは驚きですね。それはさておき、一般的に膾炙されているのは「大和朝廷」だと思います。逆に「ヤマト王権」は特定の方々が使用されている用語ですよね。我々がどちらが正しい、間違っているというのは独自研究、或いは、特定の立場の推進につながりますのでその判断はすべきでないでしょう。両論併記で一般的な「大和朝廷」を主、「ヤマト王権」を従で使用すべきかと。--Arstriker 2009年8月14日 (金) 06:03 (UTC)
(追記)ホホジロザメはカルカロドン・カルカリス(Carcharodon carcharias)ではなくやはりホホジロザメですよね。--Arstriker 2009年8月14日 (金) 06:41 (UTC)

信頼できる情報源とは公刊された情報源のことであり、しかも「そこに載っている」と書き、出典を学習指導要領や省庁の資料を提出することは十分に通用するものです。なにかShishin氏は勘違いなされていると思われます。--清涼里588 2009年8月14日 (金) 07:06 (UTC)

そもそもヤマト王権とやらは本人の自称なのか?ヤマト王権と大書された表札でも出土したのか?ネアンデルタール人のように子孫が死に絶えてるならともかく、後継者がいるものに無関係の他人の通称が正式名称の候補になるのか?当時の当人たちの自称か後世の後継者の称を正式名称とするのが当然では。--天狐 2009年11月12日 (木) 13:24 (UTC)
そもそも大和朝廷を朝廷と呼んじゃいけない理由がどこにあるというのか。冊封されていたらだめだというのなら李朝はどうなるのか。あれも李氏王権に改名するというのか。組織機構の未整備が問題だというが朝廷に必要な組織とはなんなのか。トルコ朝廷だのルイ十四世の朝廷だの遠く西洋の宮廷も朝廷というがそれはいいのか。そもそも何々朝という時の朝とはもちろん朝廷のことだが、あれは朝廷の資格があるから何々朝と呼んでもいいが、これは不合格だから何々王権でなきゃだめなんぞという珍説などそれこそ初耳なんだが。--天狐 2009年11月24日 (火) 14:57 (UTC)

編集提案 編集

(コメント)井戸端で両論併記する内容という意見を述べましたのでコメントします。現状のままタイトルは「ヤマト王権」リダイレクトに「大和王権」、「大和朝廷」を持ち、定義部は
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。主に奈良盆地を本拠とした。学校教育の場などでは「大和朝廷」と称されるが、現状では「ヤマト王権」を採用する研究者も大半なので本稿ではヤマト王権と称する(節 名称についてを参照)。
理由は次に述べます。
  • 「朝廷」は「天皇(天子)」の存在を暗に示すので、「天武天皇なり天武天皇」以前の政体が「天皇・天子」を称していたと確認できないためその点では不適当。
  • 「天皇」と称することで王権の政治形体が激変したわけでもないので、天皇が確認できるできないでヤマト王権と大和朝廷とで分割する話でもない。両者を一貫して説明するのが本稿の論旨であると考える。
  • (私見ですが)「ヤマト王権」として発生し「大和朝廷」として終末を迎える政権(私見オワリ)について本稿は説明しているので定義部は「ヤマト王権ないしは大和朝廷」と時系列順に両論併記し、「本稿ではヤマト王権と称する」と本稿の立場を明確にすることで「ヤマト王権」か「大和朝廷」かという問題については本稿を読者に解釈していただき判断材料を提供するまでにとどめる。
意見は以上です。--あら金 2009年8月16日 (日) 00:04 (UTC)
(コメント)同じく井戸端で意見を述べたのでコメントします。これまでのところ、学習指導要領に「大和朝廷」と記されている以上の事実を検証できないこと、したがって一般的に「大和朝廷」が使用されているということの典拠が示されていないこと、使用しているのが一部の研究者にとどまり、学会の大多数が「ヤマト王権」を使用しているという指摘があること。以上から
ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である〔注釈:一部の研究者は「大和朝廷」ということばを使用している。何年の学習指導要領も同様〕 主に奈良盆地を本拠とした。
という文章が適当かと思います。さらに言えば、「学習指導要領」について特に触れる「有用性」というものを納得できるだけの理由が提示されていないため、注釈で十分と考えます。以上。118.105.228.226こと--118.105.194.253 2009年8月16日 (日) 02:23 (UTC)
編集提案書いていくのがいいのかな、あら金さんの私見は私の考えとほぼ同様のものです。ヤマト王権が一般的なのか大和朝廷が一般的なのかそんなことが言いたいのではないのではなく大和朝廷=ヤマト王権ですよってことで
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。主に奈良盆地を本拠とした。現在は「ヤマト王権」を採用する研究者が多数を占め「大和朝廷」と称する研究者は少数である〔注釈:政府公刊物では大和朝廷を使用〕(節 名称についてを参照)。

きっとまぁ政府公刊物で言い争いになるんだろうけどこれは政府公刊物でひとつでもヤマト王権表記の物があればやめるから提示していただければ。--ささのは 2009年8月16日 (日) 02:53 (UTC)

横槍失礼します。3案出ていますけど、現状の記事の定義での修正いいんじゃないかと思います。ここの例でも示されている通り、冒頭ではほとんどの記事が「○○は~である」で始まると思いますが、○○の部分が複数あるという記事の書き方はあんまり見ないですし。
ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。 主に奈良盆地を本拠とした。大和朝廷(やまとちょうてい)とも呼ばれるが、近年の歴史学の研究によれば「ヤマト王権」を採用する研究者が大半なので本稿ではヤマト王権と称する(節 名称についてを参照)。
これも参照。名称の節についても、帝国書院なんかの記述を参考に、大和朝廷の呼称の使用を巡っては一定していないことを触れればいいんじゃないでしょうか?--TENDERAS 2009年8月16日 (日) 13:03 (UTC)
  コメント 井戸端の議論を見て来ました。「ヤマト王権」が学術的に正しいという認識が広まっているのなら、解説にはその語を主に称するのは理に適っていると考えますが、多くの利用者が同意している考慮すべきガイドラインとして位置付けられている「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」には、
> 主題の別名や、間違いやすい範囲外の内容なども、導入部に記してください。
> よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く。
> 特によく知られている別名は太字にし、導入部に記載します。第1段落中に記すのがよいでしょう。ただし、別名が多数あり、本文でまとめて記述する必要があるような場合はこの限りでありません。
とも書かれており、「大和朝廷」のようによく知られている別名を注釈に追いやったり、記事中から排除したりするのは、このガイドラインに反すると考えます。なお「大和朝廷という単語が『よく知られている』日本語であるか否かを詳細に調査し検証を行った、権威ある日本語学者による学術論文」などは必要ないと思いますが(ウィキペディアにおいては、専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できるような解説は、一次資料に基づいていても構いません)、例えばよく知られた権威ある国語辞典であれば、そのような学術論文に匹敵する価値はあると考えます。--Kanohara 2009年8月16日 (日) 19:30 (UTC)
(コメント)学術論文といわれている出典はここ数十年の先端研究であり、本稿が対象としている全べての時期というよりは、前半、とくに古文書ではなく出土資料に関する研究にバイアスしているのではないですか?既知の学説を追検証する学者は少数だと考えますが。--あら金 2009年8月17日 (月) 03:33 (UTC)

Kanoharaさんの論理は正しいと思います、あら金さんの意見にも大いに賛同いたします。--ささのは 2009年8月17日 (月) 06:33 (UTC)

本記事の現在の版に「各省庁は大和朝廷という呼称を用いている」とありますが、少なくとも、文化庁や文化審議会では文化財の説明に際し、「大和朝廷」ではなく「ヤマト政権」「大和政権」という呼称を用いています。捜してみたところ、「京都府椿井大塚山古墳出土品」が平成4年に国の重要文化財に指定された際の文化庁の説明(『月刊文化財』346号所収)には「ヤマト政権」という文言があり、平成16年に「奈良県黒塚古墳出土品」が国の重要文化財に指定された際の文化庁の説明(『月刊文化財』489号所収)には、同出土品が「古墳時代初頭の大和政権を考えるうえで」重要な遺物だと書かれています。『月刊文化財』が参照困難な場合は、文化庁が運営するポータルサイトである「文化遺産オンライン」に同文が再録されているのでご参照ください。(参照 -> [25][26])冒頭定義文については、「ヤマト王権」と「大和朝廷」を同等並列にするのではなく、TENDERAS氏の案のように「大和朝廷」については「尚書き」「但し書き」にした方がよいと思います。--Urania 2009年8月17日 (月) 07:42 (UTC)

私としてはあら金氏、ささのは氏の提案文ならば中立的と考え、賛成します。Kanohara氏の客観的意見にも賛同です。--清涼里588 2009年8月17日 (月) 11:30

文化庁は盲点でした、もし私の案が受け入れられるなら注釈:政府公刊物では大和朝廷を使用の文言は削除させていただきます。--ささのは 2009年8月17日 (月) 11:50 (UTC)

使用しているのは事実ですから「政府公刊物では大和朝廷の用語使用されている」とすれば正確な表現にはなります。--清涼里588 2009年8月17日 (月) 12:32 (UTC)

(コメント)まず「朝廷」の語が不適切な理由は「天皇号」ではなく「中央集権機構」の有無です。ですから「天皇」が存在するかではなく、十七条憲法などの成立をもって「これによりヤマト王権という政治形態は解消され、古代ヤマト国家が形成されていくこととなる」のがこの項目であり、「律令制度の施行でその制度は一つの到達点をむかえました。そのため、私どもでは、この時期から『朝廷』という語を使用するようにしています。 」とするのが帝国書院です。ですのでこの項目では中央集権機構成立以後の「『朝廷』で現すことが可能な政権」に付いては取り扱っていないのです。
二に、ヤマト王権≠大和朝廷です。帝国書院のHPに「この豪族の連合勢力に『朝廷』を使用することには、学界でも疑問がもたれるようになりました」とあるように「朝廷」の語を使うのは問題があると考える研究者が多数になったからこそこの語の変換が行われるようになったのです。ですのでヤマト王権と大和朝廷を並列にするのはこれは誤りです。ヤマト王権と大和政権・倭王権などなら並列はありかもしれませんが。上にある「古代ヤマト国家」なら大和朝廷と=で結んでも誤りはないでしょうけどね。
三に上でUraniaさんが各省庁で大和朝廷の語が使われているとするのは誤りとされていますが、それと同じく教育の場では大和朝廷の語が使われているというのも誤りです。#「ヤマト王権」は教科書でも使用されているに書いてあるとおり、教科書でもヤマト王権の語は使われています。むしろ教育の場で「大和朝廷」を使う方が少数派のようです。まあ、この調査自体が独自研究になるかもしれないのですが、少なくとも「教育の場で『大和朝廷』を使う方が多数派」というのは誤りというのは確実であると言えるでしょう。
四に、「一般社会で『ヤマト王権』が使われておらず、歴史学限定の用法である」というのはこれは完全に誤りです。これとかこれを見ても明らかでしょう。
以上のようなことからTENDERASさん、Uraniaさんと同じく「ヤマト王権と大和朝廷の並列表記は不可、大和朝廷は但し書きにとどめる」とするべきと考えます。219.66.72.141 2009年8月17日 (月) 12:10 (UTC)

そもそも、ささのは氏が分割の必要性を訴えてましたよね。定義が違うと。そこらへんはどうなんでしょうね。でも教科書については、どれが多く使われているのかIP氏は出典を出されてないのでなんとも言えませんが、朝廷が使用されている事実はありますので、「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」から併記が中立的と思われます。--清涼里588 2009年8月17日 (月) 12:32 (UTC)
この問題、実は多分皆さんが考えておられるのよりも根深い問題を孕んでいて、厄介な問題である上に現状ではまとめるのが難しいのであえて静観していましたが、ようやくある程度まとまった論議が進みそうな雰囲気が出来てきたので、一応私なりの見解を述べさせていただきます。
まず、「ヤマト王権」という言葉が学術的に正しいとされてきている事実はありません。実際「王権」という言葉にもアレルギーを感じている専門家もいるのです。例えば古墳時代のことを「前方後円墳国家」と表現した広瀬和雄氏(国立歴史民俗学博物館・総合大学院大学)は、当時の政治状況を表現する言葉として「王権」は不適切との意見を唱えています。(角川選書 前方後円墳国家 ISBN 4-04-703355-3)。実際、ヤマト王権以外にも大和政権、首長連合等々、学者によって様々に呼ばれているのが現状です。
つまり古墳時代の政治体制をどう呼ぶのかについては、現在のところ定説がない状況なのです。ちなみに先述した広瀬和雄氏は、古墳時代の「前方後円墳国家」とその次の政治体制(天智天皇や天武天皇の体制)との連続性は強くないとの説で、こうなると古墳時代の政治体制と飛鳥時代以降の政治体制は別のもの、つまり大和朝廷=ヤマト王権とは言い切れない可能性も出てくると考えられます。(念のために、私は広瀬説が定説であると主張するつもりはありません)。
とにかく研究者によってもまだバラバラな概念を説明しなければならないのですから、これは難問です。ですから現状をまとめるしかないわけですが、少なくとも大和朝廷という言葉は最近の研究書や発掘調査報告書では全く用いられているのを見たことがないので、考古学や大学等の古代史教育の現場ではほとんど使われなくなった言葉と考えられます。そこでタイトルはやはり「ヤマト王権」(ヤマト王権が多数であるのかどうかは疑わしいのですが…)、しかし現実に大和朝廷という言葉は使用されていますので(私見としては学習指導要領は信頼できる情報源の一つと考えます)、TENDERAS氏の案が一番良いかと思いますが、あら金氏の案でも私としては受け入れ可です。
繰り返しますが「ヤマト王権」という言葉が学術的に正しいとされてきている事実はありません。まだどのような表現が適切なのか研究者内でも意見が分かれているのが現状です。ですから暫定的にまとめる案としては、TENDERAS氏の案、あら金氏の案ともに受け入れ可能と考えています。--のりまき 2009年8月17日 (月) 12:45 (UTC)
Kanoharaさんや清涼里588さんやIPさんに私の記事の書き方について、私の意図が伝わっていないように思え、解釈が相違していますので言及しときます。WP:LSで言うところの別名については、私は無視している訳ではなく、「大和朝廷」という言葉を別名扱いとし、わざわざ太字で表記しています。並列(但し書き)と考えていますが、表現方法の違いです。記事名と主語が一致しないことに疑問を呈しているだけです。一般的に認知されている別名を注釈に追いやったり、記事中から排除したりする意図はありません。
あと王権と朝廷が別物であるかのような議論がありますが、これは出典ないですよね?あら金さんも「私見」と表明なされていますし。
あと何かしら、これらの論争が「大和朝廷」か「ヤマト王権」かの択一あるいは並列の議論になっていますが、教科書の記述にもあるように「大和政権」という呼称も用いられています。これも但し書きで並べた方がよいように思います。ここも参照。教科書がどう書いているかが大事だと思います。--TENDERAS 2009年8月17日 (月) 13:04 (UTC)
この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなはご覧頂いているのでしょうか?
引用すると
「ですが、ウィキペディアの中立性のポリシーについて、それは事実だけを記述し意見は控えるというものだと言うだけでは不十分です。ある意見についての事実を述べる時には、その意見に対立する意見についての事実を述べ、かつ、それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せずにおくことも重要です。一般的に、それら対立する意見の背後にある考え方や、誰がそうした意見を支持しているかについての事実を提供することも重要です。(その意見を代表するような人物を引用することが、しばしば最適の方法です。)」
と定められています。つまり「帝国書院の見解が正しい」あるいは「特定の研究者やグループの見解が正しい」という主張を反映するために他の見解を排除することは「それらの意見のどれか一つが正しいと示唆せず」というガイドラインに抵触します。--あら金 2009年8月17日 (月) 13:11 (UTC)
上記、のりまき氏、TENDERAS氏、あら金氏、の意見は正論であり、賛同を表明しておきます。抜けていましたがTENDERAS氏の提案文でも私は異論はありません。--清涼里588 2009年8月17日 (月) 13:26 (UTC)
同じくWikipedia:中立的な観点#疑似科学と科学を対等に扱うのかには「その疑似科学が科学的な見方とあたかも平等に張り合うような説であるがごとく紹介するという何かインチキな『フェア』の概念に基づいて論争をフェアに描写することではありません。」とあります。疑似科学といってしまっては言いすぎですが、学界の動向と一般社会のそれとを並列に書き表すのは上の条項に該当すると思います。
帝国書院のHPは「成立当初、まだ『朝廷』という語にふさわしい政治制度をもっていなかった、この豪族の連合勢力に『朝廷』を使用することには、学界でも疑問がもたれるようになりました。」ということへの担保です。もしこの帝国書院の「学界に対する解釈」が誤りであるとするならば他の出典を出す必要があると思います。
のりまきさんのおっしゃるように別段「ヤマト王権が正しい」と主張しているつもりはありません。ただ「『朝廷』の語は相応しくないとするのが学界の大勢である」と考えており、その出典としては上の帝国書院のそれが該当すると思われます。上にも書いたとおり、大和政権や倭王権などの語ならば並列もありかと。
ヤマト王権(やまとおうけん)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。 主に奈良盆地を本拠とした。この政権の呼び名には他にも大和朝廷(やまとちょうてい)・大和政権・倭王権など多数の呼び名があるが、この項目では代表させてヤマト王権とする(これについての詳細は節 名称についてを参照)。
などではどうですか。219.66.72.141 2009年8月17日 (月) 13:45 (UTC)
(蛇足ながら)「化学と疑似科学との対立」は「学会と一般との観点の対立ではなく、実験結果の検証についての方法論の違いの対立です(実証主義と原理主義との違い)」なので、このケースのような「同じ方法論を採用する、見解の異なる論説」の場合はとでは、同一のケースと視ることはできないと考えます。--あら金 2009年8月23日 (日) 01:49 (UTC)
(一応返答を)「学会と一般との観点の対立ではなく、実験結果の検証についての方法論の違いの対立です」というのはあたらないと思います。「実験結果の検証」をした結果、「かつては大和朝廷」だったのが「検証しなおした」結果「朝廷を使うのは不適切」となったのです。これに対して一般社会は「検証をそもそもしていない」のであって科学的手続きを踏んでおらず、「方法論の違い」とはいえないと思います。これ以上は控えます。219.66.72.141 2009年8月23日 (日) 12:00 (UTC)

もし本当にIP氏のおっしゃる通りヤマト王権≠大和朝廷ならば、私は上の改名案の話を蒸し返さなければなりません。理由は改名案1個目の発言です。--ささのは 2009年8月17日 (月) 13:55 (UTC)

個人的にはヤマト王権≠大和朝廷という説は出典が示されておらず、独自研究に思えます。また逆に大和朝廷=ヤマト王権ですが、YAHOOの辞書では次のとおりです。大和政権。諸説があることは記事の内容で補えばよいかと。--TENDERAS 2009年8月17日 (月) 14:11 (UTC)
えっとですね。確かにヤマト王権≠大和朝廷についての出典はないと思います。しかし大和朝廷=ヤマト王権についても専門書から出典を見つけ出すのは困難かも知れません。古墳時代の政治体制を表す言葉として「大和朝廷」が使用されなくなってきて、「ヤマト王権」などの用語が用いられるようになったことについての出典を見つけだすことは可能でしょうが、用語の変化の背景には、古墳時代の政治体制についての捉え方が変わってきたことに原因があるわけで、これが大和朝廷=ヤマト王権の根拠になるのかどうか?単に用語が変わっただけと見なすのは難しいと考えます。
ただ、現状ではヤマト王権≠大和朝廷、大和朝廷=ヤマト王権について確認する材料も充分ではないので、大和朝廷=ヤマト王権を前提に記事を組み立てていくことに私としては異議はありません。
諸説の扱い方についてですが、実はこちらの方がやっかいかと(苦笑)。どうも大きく分けてヤマト王権、大和政権、首長連合のようなのですが(これも全ての専門書を当たれているわけではありませんので、私が今の段階で把握している現状です)専門家の皆さんはそれぞれに根拠を持って説を唱えられていて、本当ならば冒頭部分で説明をするのが良いのかもしれませんが、収拾がつかなくなりそうなので、記事の中で説明する方向が良いかと思います。
色々と書きましたが、結論から言えば上記のTENDERAS氏の意見と同じ内容です。--のりまき 2009年8月17日 (月) 14:41 (UTC)
すいません。しばらく議論を追えていませんでしたが、本議論の当事者として意見を表明しときます。TENDERASさんの2009年8月16日 (日) 13:03 (UTC)の御提案を最適案として支持しますが、あら金さんの2009年8月16日 (日) 00:04 (UTC)の御提案も十分支持できるものと思います。ヤマト王権、大和政権、倭王権、倭政権、首長連合などの諸説については、のりまきさんと同様、記事中で説明すればOKだと考えています。(例えば、ヤマト王権説と倭王権説とでは、割と大きな対立があるようです。)--shimoxx 2009年8月18日 (火) 15:22 (UTC)

えと残念なことになってますが、ブロックが確定するか意見が確認され次第、保護解除の申請をしTENDERASさんの案で編集させていただきたいと思いますがいいでしょうか?。--ささのは 2009年8月19日 (水) 07:11 (UTC)

私は、ささのは氏の両論併記的な記事が好ましいと思います。私は現在の学会の通説とか多数意見というものがどこまで信頼できるのか?という疑念をもっています。それにブロックされたShinshin氏が主張していた「学会の通説」みたいな意見も、本当に客観的なものか、いまとなっては疑問に思います。例えば、いままだ学会で力をもっているのは、戦後左翼運動に身を投じた団塊の世代の左派系学者でしょうが、あと10年もすれば彼らは完全に引退して、いま30代、40代の人たちが学会の主流になってくるでしょう。そうすれば、学会での通説とか多数意見というのも、今とはまた違った形になるでしょう。一般の認知度では依然として「大和朝廷」が多数派なのですし、学問的に好ましいか好ましくないかも現在でも意見が分かれいるわけですから、両論併記がいいと思います。ごく少数意見として、上で紹介されている「前方後円墳国家」も本文で紹介してもいいでしょう。とにかくこの名称問題は政治的なからみがあることを読者に注意喚起するような文章なり記事の体裁法がいいと思います。--薔薇騎士団 2009年8月19日 (水) 08:53 (UTC)
実は調停案の中で一番問題になりそうなのは、「主に奈良盆地を本拠とした」のくだりです。いわゆる「ヤマト王権」「大和朝廷」は、日本書紀などの文献資料や前方後円墳の分布などから、河内に本拠地をおいていた時期も長いと考えられています。また継体天皇は山城に本拠を置いたこともあると考えられています。これは比較的コンセンサスを得られている見解なので、『主に奈良盆地を中心とした』というくだりは少し手を入れたほうが良いかと考えました。下記はあら金さんの案を私なりに訂正した版です。
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された倭国王といくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。学校教育の場などでは「大和朝廷」と称されるが、現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が大半なので本稿ではヤマト王権と称する(節 名称についてを参照)。
薔薇騎士団さんのご意見の中で、学会の通説がどのように今後変わっていくのかどうかわからないという部分には同意します。ただし、私が参考にした専門書の多くは40代の研究者が執筆したもので、その中ではほとんど「大和朝廷」は用いられていません。現在の一番の意見対立は、当時ヤマトをはじめとする畿内の力量がどれだけ卓越していたかをめぐるもので、いわゆる右派、左派にからみそうな部分にについてはあまり問題になっていないようです。--のりまき 2009年8月19日 (水) 10:10 (UTC)
(賛成)のりまき氏の提案文に賛成します。--清涼里588 2009年8月19日 (水) 10:39 (UTC)
同意します。219.66.72.141 2009年8月19日 (水) 12:33 (UTC)
40代だと、自分たちの指導教授が60代、70代でまだ学会の編集委員とか大御所として君臨しているので、彼らに逆らうような学説は主張しにくいと思います。さて、ご提案の文章ですが、「採用する研究者が大半なので」の「大半なので」を、「多いので」とか「増えてきているので」にしてはどうでしょうか。学会での意見の「割合」というのは、通常アンケート調査とか取りませんから客観的な把握は難しいですし、古代史のような史料が乏しく推論の割合が多い史学分野では、5年、10年単位でころころ潮流が変わるので、少しぼかして表記したほうがいいと思います。--薔薇騎士団 2009年8月19日 (水) 12:46 (UTC)
並列的な書き方はどうにも賛同しにくいところがありますが、大勢がそうであるとするのなら反対はしません。ただ、のりまきさん・あら金さんの案にある「学校教育の場」という表現は反対します。先の議論でも出ていますが、教科書表記が統一されていないので、未だ学校教育全体でそのような指導されているかのような表現は疑問視します。--TENDERAS 2009年8月19日 (水) 13:58 (UTC)

TENDERASさんのでもいいと思ったのですがより私の意見に近いのりまきさんの提案が支持されるならそちらを優先させていただきます。なのですが学校教育の場という表現は私も違和感を感じるので学校教育の場を学習指導要領に変えてはどうですか?--ささのは 2009年8月20日 (木) 10:33 (UTC)

皆様のご意見を参考にして、私が提案した2009年8月19日 (水) 10:10 (UTC)の、訂正案を作らせていただきました。
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(節 名称についてを参照)。
まずTENDERASさんのご意見にあった「学校教育の場」との表現が不適切なのではとのご意見は、確かに教科書上の表記が統一されていないのは明らかなので、ここはささのはさんのご提案通り「学習指導要領」と書き換えてみました。
引き続き小さな訂正なのですが…私がどうしても気になっていた部分が、古墳時代に「大王」(おおきみ)と呼称された…の部分です。大王(おおきみ)の称号が確認できるのは471年と考えられている稲荷山古墳出土の鉄剣銘文が最も古く、それ以前は大王と呼ばれていた確証がないのです。(大王 (ヤマト王権)も参照してみてください)。そこでやはり断定を避け、「大王(おおきみ)などと呼ばれていた」との表現にしてみました。
「研究者の大半が」のくだりは、確かに薔薇騎士団さんのおっしゃるとおり、現状で大半とはいい難いので、「多いので」にしてみました。しっかりした統計を取ってみたわけではありませんが、「ヤマト王権」を使う研究者が多いのは事実ですのでこの表現で問題ないと考えます。--のりまき 2009年8月20日 (木) 12:11 (UTC)

冒頭提案文、まとめ 編集

保護解除後に荒れるのも本意ではないので、細かい部分もできるだけ拘りたいと思います。先の議論でも言いましたが、Yahooの国語辞書では「大和政権」という言葉が代表的な言葉として紹介されていることと複数の教科書に「大和政権」として紹介されている事実、そしてかつてほとんどの人が「大和朝廷」と言う言葉を使用していたことを考慮して、のりまきさんの案に加筆修正して提案したいと思います。
ヤマト王権(やまとおうけん)ないしは大和朝廷(やまとちょうてい)とは、古墳時代に「大王」(おおきみ)などと呼称された倭国王と、いくつかの有力氏族が中心となって成立した王権・政権である。大和政権(やまとせいけん)とも呼ばれる。主に奈良盆地を中心とした近畿地方を本拠地としていた。かつては「大和朝廷」という呼称が広く認知され、現在でも学習指導要領などでは「大和朝廷」と称されるが、「大和」の表記や「朝廷」の成立時期を巡って学会の中では見解が分かれており、一定していない。現状では「ヤマト王権」を採用する研究者が多いので、本稿ではヤマト王権と称する(呼称に関しては名称についてを参照)。
並列にするという前提があるのであれば、冒頭の説明は少し長めにして誤解を招かないようにすべきと思いますが、どうでしょうか?--TENDERAS 2009年8月20日 (木) 14:33 (UTC)
それで特に問題ないと思います。--薔薇騎士団 2009年8月20日 (木) 23:13 (UTC)
私もそれに賛成します。--ささのは 2009年8月21日 (金) 10:46 (UTC)
問題点は無いと存じます。--あら金 2009年8月22日 (土) 17:52 (UTC)
同意します。219.66.72.141 2009年8月23日 (日) 12:00 (UTC)
提案文に同意。--清涼里588 2009年8月24日 (月) 13:39 (UTC)
提案から1週間が経ちました。特に異論がないようなので、冒頭案についてはまとまったものとしたいと思います。--TENDERAS 2009年8月27日 (木) 11:59 (UTC)

「大和朝廷」を避けるのは左翼史観なのか? 編集

ちょっと議論を方向付ける上で、気になったポイントがあったので新しい節を立てます。どうも、「大和朝廷」以外の「ヤマト王権」などの表現を用いる向きが、偏った左翼史観なのではという疑念が、「大和朝廷」表現を重視する方の根底にあるように見受けられます。このあたりの情報の整理が必要なのではないでしょうか。私が見るところ、むしろマルキシズムに基づいた「発展段階史観」「階級闘争史観」バリバリの歴史学が主流だった1960年代以前の学者の論文で、古墳時代の政体に普通に「大和朝廷」が用いられているような気がします。「気がします」というのは、当時の専門的歴史書が今手元に置いていないから今すぐに確認できないからなのですが。むしろ、歴史学の現場では1970年代以降、急速にマルキシズム的「発展段階史観」「階級闘争史観」の影響力が後退して歴史観のパラダイムシフトが進み、それ以前の歴史書とそれ以降の歴史書の歴史著述の枠組みの格差は驚くばかりです。そして、古墳時代のヤマトを拠点として次第に日本列島全体に支配権を広げていった政体、特にその前~中期を未だ朝廷と呼ぶべき状態に達していないとして「ヤマト王権」など「大和朝廷」以外の多様な呼称が提案されていったのは、この新しい歴史学の潮流の中からなんですよ。この辺り、情報量の多い方に情報提供をしていただいて、議論しておく必要があるのではないでしょうか。--ウミユスリカ 2009年8月21日 (金) 16:35 (UTC)

左翼史観と「発展段階史観」「階級闘争史観」は、同義ではありません。例えば、網野善彦は元共産党員ですが、バリバリのマルクス主義史観かというと違和感があります。しかし、「網野」「左翼」とgoogle検索すれば、網野史観を左翼史観と見なす人はたくさんいます。ヤマト王権説も、河内や難波に都があったことがあるのだから「大和」はダメだと言いますが、そんなことを言い出せれば、安土桃山時代だって大阪が政治の中心の時期がありましたし、江戸時代だって江戸と駿河の二元体制だった時期はあるわけです。しかし、「エド時代」に表記を改めよという話は聞いたことがありません。古墳時代には「大和」という表記はなかったという話も、じゃあカタカナは奈良・平安以降ではないかとつっこめるわけです。「大和」がダメだというのは、それが現・皇室の祖先と繋がってくるからでしょう。--薔薇騎士団 2009年8月21日 (金) 22:23 (UTC)
弁解の機会があるようなので言わせていただきます、最初のほう私がIPで編集してる時に右、左と記載しておりますが、それはそのそれまでの薔薇騎士団さんとGodaigoさんのやりとりへの感想でして、私自身は全くそんなのは気にしておりません。私がこの記事に手を出したのは「かつては大和朝廷と言う呼称が使われていた」という誤った記載があったためこれを正したいと思ったからです。私自身が編集させて頂いている項目は学会でも論文でも語られないようなオーパーツなんて物ですから少数派や異端の論をないがしろにされる傾向を防ぎたかっただけです。shishinさんと議論してるうちにshishinさんの考えが移りヤマト王権≠大和朝廷なんだと思い改名提案なんか出したりしてますが、これはshimoxxさんの忠告ですぐに取り下げておりますし、改名理由も右左に関したことではありません。私に政治的な思惑がないことを理解していただければ嬉しく思います。--ささのは 2009年8月22日 (土) 00:25 (UTC)
私自身は、歴史観として、何が左で何が右であるとかそういった観念を持ち合わせていません。また何となくですが、大和朝廷を支持する人を右で、ヤマト王権を支持する人を左とかに分類したがるようですが、必ずしもそのような色分けが出きませんし、そのような研究もなされていないのではないかと思います。冒頭の議論でもありますが、何でかつては大半が「大和朝廷」だったのに、今「ヤマト王権」「大和政権」と言った呼称が出てきているのかを説明すればいいだけで、その理由に「右とか左の歴史観の学会の闘争」みたいな記述は必要ないと思います。それぞれの名称の理由を粛々と書けばいいだけで、歴史観の違いは必要であれば別記事でやればよいと思います。--TENDERAS 2009年8月22日 (土) 00:52 (UTC)
薔薇騎士団様。網野善彦は、若い頃にバリバリに「発展段階史観」「階級闘争史観」の論文を書いていて、歴史学の研究を進めてそういう史観がまったくもって歴史の実情に合わないことに気がついて、マルキシズム的な歴史観から離脱していくとともに、若い頃の論文を「一生の恥」と公言するようになりました。同世代の学者からは「まだまだ現代的な価値が十分ある論文なのにもったいない。」などと言われていたにもかかわらずです。右翼から見れば日本の国号や天皇の存在の相対化を主張していることから敵方認定されて左翼呼ばわりされているのでしょうが、真正の左翼からはむしろ裏切り者的存在でしょう。彼は左翼・右翼的な枠組みからはかなり異端なのですよ。彼が非定住民の呪術的権能を重視したところなどは、やはり古代社会の呪術要素を重視して異端的に見られがちな白川静などに近い要素もある。もちろん左翼的な残渣を必ずしも否定するものではありませんが。「大和」ではなく「ヤマト」表記するのは、この政権の初期~中期には「大和」という漢字表記は定まっていない時代だったからですよ。「倭」を「和」で代えるようになったのはもっと後の時代ですし、そもそも「倭・和」に「ヤマト」という地名の語源的意味はなく、漢字導入以前から「ヤマト」と呼ばれていた土地(大和郷・おおやまとごう~天の香具山東麓)に、広域連合政権の中枢たる王権が発生し、後に「倭・和・日本」全体にも意味が拡大してから「倭・和」さらには「日本」の訓読としての地位を与えていったわけです。あくまでも実証史学の立場からの相対化からに過ぎません。仮名を使っているのはあくまで日本語としての表音文字が仮名であるからです。その時代からすでに存在した表音文字を使うのでしたら「Yamato王権」とでもしますか?日本語で日本の地名を漢字導入以前の状態で相対化して表記するには「ヤマト」か「やまと」しかないでしょう。片仮名表記は民俗学などでも、方言語彙・民俗語彙記述などで広く使われている方式です。むしろ、政府機関・学習指導要領などが「大和朝廷」を実証史学で朝廷の状態にまで達していない時期にまで敷衍するのは、国民統合の象徴たる天皇の正統性と不可分の政府としては、王権の発生期から朝廷であったとそれとなく主張しておきたい政治的意図がうかがわれます。これは実証史学的立場とはまた別の立脚点で、立場によって呼称が割れる要因として注目すべきポイントです。この辺りを分析している文献があれば、表記のゆれの原因として記述する価値は十分あるでしょう。実証史学による相対化というのは、どうしても伝統的な世界観に改変の揺さぶりをかけてくるものであり、そこから左翼的と誤解されやすい部分もあるわけですが、そういう改変の揺さぶりを否定したら、そもそも実証的学問というものの存在そのものの否定につながってしまいます。
大和という表記が奈良時代に定まったというのは知っていますが、だからといって古墳時代などの歴史記述にこの漢字を使ってはいけない、というのはおかしいと思います。そういうことを言い出したら、漢字が伝来する以前の日本史は全部アルファベッドやカナで表記しないといけないですね。王権派はそういう極端な原理主義を主張しているのでしょうか。あと、王権と朝廷の差は何でしょうか? 大王(天皇)への権限集中の度合いですか? それなら、天皇は院政以降、特に武士に権力を奪われてからはほとんど政治権力はなかったわけですから、それ以降は朝廷とは呼べなくなりますね。「江戸時代の朝廷は……」なんて言うと、クレームが付くのでしょうか。あと、「連合政権説」も、別にはっきりそういう証拠があるわけではなく、古墳の大きさとか、そういう状況証拠からの推測であって、それは「実証史学」ではありません。古代史に実証史学を求めるのははなから無理です。それと、戦後史学に左翼史観の影響がなかったと否定するのは無理ですよ。いまでも大学には左翼はたくさんいますし、「左翼にあらずんば学者にあらず」という風潮は戦後ずっとありましたから。--薔薇騎士団 2009年8月23日 (日) 11:10 (UTC)
ささのは様、TENDERAS様。現在でも右とか左とかいう枠組みではなく、政府機関が「大和朝廷」を用いるというような政治的(もちろん左右という意味ではなく)意図からの用法というのは生きているわけですし、実証史学とは別の枠組みで生きている用法だということを粛々と記せばよいと考えております。--ウミユスリカ 2009年8月22日 (土) 01:16 (UTC)
(インデント戻す)政府機関がなぜ「大和朝廷」を用いている理由については、出典があれば記述を妨げません。できうれば何か出典を示して頂ければと思います。--TENDERAS 2009年8月22日 (土) 01:52 (UTC)
過去の学習指導要領は文部科学省サイトのここにあるのですが用語「大和朝廷」の初出は高等学校学習指導要領平成元年3月版第2節 地理歴史>第4日本史B>(2)古代国家と古代文化の形成に「大和朝廷による統一,律令に基づく古代国家の成立と推移及び文化の形成について,東アジア世界の動きとも関連付けて理解させる。」って、これだけです(初出以来改定なし)。「大和朝廷」という言葉が平成元年版から盛り込まれたということは、改定ルール上はその時の中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会(現在の呼称で過去は別の部会名でしょう)の答申に基づいて文部省が改定したと推定されます。さすがに20年前の答申は文部科学省サイトにはなく(最近10年分の答申はここ)、国立公文書館にでも請求しないと平成元年当時の答申は出てこないと考えます。あるいは学習指導要領に基づいて教科用図書検定調査審議会が教科書検定結果を裁定するわけですが、平成元年当時の教科書検定でのデファクトスタンダード化していた用例を引用した可能性はあります。が、文書として検証できる類の話ではないです(教科用図書検定調査審議会は非公開ですし)。消去法で可能性があるのは初等中等教育分科会教育課程部会の答申くらいです。--あら金 2009年8月22日 (土) 19:35 (UTC)
この手の論議は正直苦手なのですが(苦笑)、この場の論議に参加している者として意見を表明しないのもどうかと考え、私見を述べさせていただきます。私自身、古墳に最も興味関心があるため、どうしても考古学系の現状を中心とした意見となってしまうことをまず最初にお断りしておきます。
まず第一に、古墳時代の政治状況についての研究自体が進んでいない(というよりも深化していない)点に注意を向ける必要があると考えます。先にも紹介した広瀬和雄氏の著書(角川選書 前方後円墳国家 ISBN 4-04-703355-3)では「国家成立史は歴史学としての考古学の最重要課題だと思うのだが、さほど議論という議論がない」現状であると書かれています。これには色々な理由があると思われますが、広瀬氏はかつて学会を席巻したマルクス主義イデオロギーの影響をその原因の一つとして挙げており、そうだとすれば薔薇騎士団さんのご意見のように「左派と右派の争い」のような見解も誤っているとはいえない面があります。いずれにしても現在、古墳時代の政治状況についての研究が深まっていないため、なかなか今回の問題を解決するのに参考となる文献を見つけ出すのが難しいという事実にぶつかってしまうのです。
具体的な呼称問題としては、「大和」「ヤマト」いずれが正しいのか、「王権」なのか「朝廷」なのかというよりも、そもそも大和(ヤマト)そして王権(朝廷)という言葉自体を使うのが妥当かどうかというところからして問題になっています。つまり本当に古墳時代の大和を中心とした畿内の勢力が、王権などと呼べるほどの実を備えていたのかどうかが焦点になっているのです。一例を挙げれば、古墳時代の首長権の強さは何といっても造営した前方後円墳の規模に現れると考えられていますが、5世紀前半~半ば頃、吉備に全国4位の墳丘長の造山古墳が造営されています。そして造山古墳は全国3位の大きさである、現在履中天皇陵に指定されている上石津ミサンザイ古墳と同時期ないしかなり近い時期に造営されたと考えられています。造山古墳は全長約350メートル、上石津ミサンザイ古墳は全長約360メートルとされ、このわずかな大きさの差異から見て、研究者から「吉備の大首長は畿内の倭国王に服属する地方豪族などではなく、同盟者に他ならなかった」(白石太一郎 青木書店 考古学から見た倭国 ISBN 978-4-250-20912-3)という意見も出されています。そうなると当時の政治体制の呼称に「大和」(カタカナでも同じことです)を入れること自体を問題視する意見や、「王権」と呼ぶにふさわしい権力を保持してたのか疑問とする見解が出されることも理解していただけるかと思います。
前方後円墳の規模的には、6世紀後半の見瀬丸山古墳が造営された頃には大和の勢力が他の地方を圧倒するようになる点については、研究者の中でかなりコンセンサスが取れているようです。しかしここにも難問が残っていて、見瀬丸山古墳については果たして本当に大王の墓かどうかに論争があるのです。現在、見瀬丸山古墳は欽明天皇が葬られているとの説が有力なのですが、日本書紀の記述からは見瀬丸山古墳よりも、現在欽明天皇陵に指定されている梅山古墳の方が妥当性が高く、見瀬丸山古墳は大王が葬られていないとの説もあります。もし墳丘長300メートルを越える前方後円墳終末期で圧倒的な規模を誇る見瀬丸山古墳が大王陵でないとすると、「ヤマト王権」「大和朝廷」とはいうものの、いったいどこまで実があったものなのだろう?ということになりかねません。
以上長々と書きましたが、まず現状では古墳時代の政治状況の研究が進んでいない上に、文献資料が極めて少ない古墳時代、考古学的に見ても様々な疑問や矛盾が未解決のままであることがおわかり戴けたらと思います。このような現状ではどのような案でも暫定的な記述とならざるを得ず、現在提案されている調停案は決して悪い案ではないと考えています。--のりまき 2009年8月23日 (日) 04:43 (UTC)
(蛇足)考古学については「状況証拠」なのは仕方がなく、(状況証拠の否定材料となる文書や銘入り遺物が出土すれば別ですが)そういう意味では永遠に総論併記なのかもしれません。血統についてはDNA鑑定でもできなければ物的証拠にはならないでしょうから。--あら金 2009年8月23日 (日) 05:20 (UTC)
う~ん…実は私の先の見解で書こうかどうか迷っていたのですが…やっぱり書いておいた方が良かったようですね。古墳時代については同時代の文献資料が極めて少ないことなどから、文献史学の力が及ばない部分が大きく、必然的に考古学にかかる比重が極めて重くなります。その上、例えば古墳時代最良の文献資料の一つとされる稲荷山古墳の鉄剣銘文の発見は、まさに考古学の成果そのものです。ですから“状況証拠”の考古学に頼らざるを得ないのが実情だと思います。そのような中で、調査研究が強く望まれる古墳の多くが天皇陵陵墓参考地に指定されており、調査研究が困難であるのも現状の不透明な状況に拍車をかけていますしね。--のりまき 2009年8月23日 (日) 05:42 (UTC)

ウィキペディアは学説の妥当性を考える場ではなく、学界の動向をそのまま写し取るべき場です。ウィキペディアンがおかしいとかおかしくないとかを述べるのではなく、この専門家はこういった。それに対してこの専門家はこういった。ということを出典付きで記述するべきです。のりまきさんに質問なのですが専門家による研究史のまとめというのは何かありませんか?それがあればそれにそって編集するのがよいと思うのですが。219.66.72.141 2009年8月23日 (日) 11:55 (UTC)

私の知る限り研究史のまとめ的な文献はないです。もちろん古墳時代の政治史について書かれた本などはあるのですが…よく探していけば見つかるのかもしれませんが、専門家が「議論という議論になっていない」と言っているくらいですから、かなり難しそうな印象です。--のりまき 2009年8月24日 (月) 12:45 (UTC)

お知らせ 編集

既にお気づきの方もおられると思いますが、本ノートで意見を述べられていた利用者:Shishin会話 / 投稿記録さん及び利用者:Godaigo‎会話 / 投稿記録さんが、昨晩多重アカウントの疑いで海獺さんによりブロックされております。参考までに。--TENDERAS 2009年8月18日 (火) 22:13 (UTC)

ブロック 編集

(ちょっとしたお願い)海獺です。今回、このノートページの議論を含む理由で、私はいくつかのアカウントをブロックしました。しかしながら私の誤解の可能性、現状わからない事情などを鑑み、記事への反映についてはもう少しお時間をいただけないでしょうか? このお話し合いは見たところ非常に長い時間に渡ってお話がされていることですので、あとしばらく、せめてブロック対処から1週間経過するあたりまでご猶予をいただけないでしょうか。それまで活動していたユーザーさんが何らかの事情で気づいていないかもしれない、という期間としてみていただければと思います。特に利用者:Shishinさんは一番最近までアクティヴでしたので、その期間中に何らかのお話が聞けるといいと思っております。もちろん、私の勝手なお願いですので皆さんが同意いただけない場合は提案を引っ込めます。--海獺 2009年8月21日 (金) 11:05 (UTC)

誤解のある可能性のあるブロックであるのなら、素早く解除してあげればどうでしょうか?突然、本記事とは関係のない特定ユーザの議論を持ち出されても困惑するだけです。--TENDERAS 2009年8月21日 (金) 11:32 (UTC)
まずTENDERASさんのご提案ですが、現状をまとめる案として受け入れたいと考えます。海獺さんのお話ですが、ブロックの経緯と妥当性について判断する材料が不足しているので、正直返事に困りますね(苦笑)。ブロックされた利用者さんが不正な方法で議論を進めていたことが明らかならば、たとえこの問題で一番アクティブな利用者であったとしても改めて意見を聞く必要性はないでしょうし(そもそも正当な理由に基づくブロックなので、ブロックは解除されるべきではありません)。もし誤解に基づくブロックならばTENDERASさんのご意見のように早急にブロック解除するべきです。現状ではなんともお答えしかねます。--のりまき 2009年8月21日 (金) 11:46 (UTC)
のりまきさんに同じく。正当なブロックであったなら議論の展開に関係なくブロック継続すべきですし、不適当なブロックであったと思うならばブロック解除すべき。それは管理者たる責任をもって海獺さんが判断すべきことであり、私らが口を出すことではないでしょう。219.66.72.141 2009年8月21日 (金) 11:53 (UTC)

多重アカウントの不正使用によるブロックは、私なりの確信を持って対処をしています。しかし誤認の可能性が0%ということはありえません。(本記事とは関係のない特定ユーザーとはどなたのことでしょうか?) ブロックの経緯と妥当性をご判断いただく材料の提供については、先ほど利用者:Call Tenderasさんの質問に利用者‐会話:海獺で回答した範囲が現状では適切ではないかという判断をしております。いろいろな可能性を鑑みてのことですので、こちらも責任を持ってブロック当事者からのお話を待ちたいと思っております。--海獺 2009年8月21日 (金) 12:16 (UTC)

驚きましたが、私は待ちたいです。上の方々の意見は正論なのですが、shishinさんが戻ってこられた時、この議論に納得されていなかったらまた最初からになります。それは勘弁願いたい。--ささのは 2009年8月21日 (金) 12:27 (UTC)
確信はあるが、こちらで反対者であった者のため、本人の説明を一定期間まって、こちらの話を進めるというのは、とても公平なやり方だと思い、海獺さんの提案を支持します。ほとんど提案文もまとまりつつあるとようですし、一定期間後、shinshin氏から回答なりがないのならば、話がまとまったとして保護解除依頼、および提案文の本文への反映をすれば良いと考えます。--清涼里588 2009年8月21日 (金) 12:29 (UTC)
補足だけします。連続したブロック者の中にはこのノートで発言をしていない者もいるということと、かのユーザのブロックの有無に関わらず、本ノートでは保護を機会に複数のユーザの方から意見があり、議論が進んでいたという意味です。--TENDERAS 2009年8月21日 (金) 12:30 (UTC)
なるほど。私の書きかたで誤解を生んでしまったようです。ShishinさんもしくはGodiagoさんがこの記事のノートでの対象になっていることは明らかですが、今回ブロックしたアカウントのうち、最近まで一番アクティヴだったのがShishinさんなので、その方は個人的な事情があっても1週間の間に事態に気づいていただけるのではないかという意味です。ブロックされていることに気づかない場合もあるのではないかという場合の、対外的に納得できる範囲の猶予期間という意味合いで捉えて下さい。たまたまブロック対処がこの項目の重要な議論に影響を与えてしまっていることから、ノートでの議論が水泡に帰さないように出来うる公平な配慮を考えているということです。(既に三日間が経過していますので、このままお話がない可能性も高いですが)--海獺 2009年8月21日 (金) 12:44 (UTC)
利用者‐会話:海獺を拝見しましたが、なんだか禅問答のようですね(苦笑)。ご提案に賛成できる判断材料が揃ったわけでないので積極的には賛成しませんが、1週間待てないお話ではないので特に反対もしません。--のりまき 2009年8月21日 (金) 13:40 (UTC)
私はこのノートでShinshin氏の二つのアカウントと議論しましたが、彼は私のノートにも絡んできて、ほかの記事も含めると、4つのアカウントで私を攻撃してきています。複数アカウントは別にいいと思いますが、4つも駆使して一人の人間を攻撃してくるのはあまりにもひどい話です。彼がノートでの議論に復帰するのは反対です。--薔薇騎士団 2009年8月21日 (金) 22:27 (UTC)
薔薇騎士団さんの言うことはよくわかりますが、4つのアカウントのうちShishinさんだけ違う人だった可能性があると海獺さんが言ってるのではないでしょうか?いや私もよくわかんないんですけどね。--ささのは 2009年8月22日 (土) 00:39 (UTC)
結局のところ、「多重アカウントの疑い」と言うことと、海獺さんが連続して4人をブロックしたこと以外は、何を言っても推測でしかないのです。ひょっとしたら他の問題あるアカウントがあるのではないかとの疑念もあります。私は今回のブロックそのものに懐疑的(越権行為じゃないの?)なのですが、記事の編集とは関係ないのでやめておきます。また、海獺さんの進言がなくても、1週間程度は議論の終着する為の期間が必要だと思いますし、早急な保護解除には反対ですので、待てないというわけではないことだけは言っておきます。--TENDERAS 2009年8月22日 (土) 01:22 (UTC)

(インデント戻す)ブロックから約1週間が経過し、ここまで対象となったアカウントからはブロックに対する異議などが出ていないことを鑑み、さきほど今回ブロックとなったユーザーの会話ページに今回の対処に関する追記をしました[27][28][29][30]。、先だって書きましたように、また清涼里588さんがおっしゃるように、「本人の説明を一定期間まっ」てくださったこと、また、ぶしつけなお願いを聞いてくださったことを、審議参加者の方々に改めて感謝いたします。ありがとうございました。--海獺 2009年8月25日 (火) 13:08 (UTC)

保護解除の提案 編集

編集合戦の元となった、「ヤマト王権」か「大和朝廷」かでは並列表記ということで合意されたのではないかと思います。また、上記の節で「~左翼史観か」は結論付けられる状況にはありませんが、現在のところ本文への記載への具体的提案ではないことから、保護解除しても影響しないと考えます。また個人的には「名称の節について」は先の議論等も踏まえて編集する必要性もあると思いますが(例えば「~間違っているというわけではない」という表現は百科事典的でない)が、先の議論の深まりから考えるに、ユーザ間による考えについてはそれほど大差ないと思われることから、保護解除できる状況下にあるように思います。異論等がなければ、保護解除申請を致したいと思います。--TENDERAS 2009年8月27日 (木) 12:10 (UTC)

現在でも大和朝廷は使われている、ヤマト王権=大和朝廷である、7世紀も含まれる、学習指導要領は信用できる情報源である。が認められているので私はこれでいいです。あとForestfarmer氏の画像の件も元の7世紀のヤマト王権の勢力図として残すのであれば言うことは何もありません。--ささのは 2009年8月27日 (木) 18:02 (UTC)
異論なし。--清涼里588 2009年8月28日 (金) 11:04 (UTC)
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