ノート:ヲシテ/過去ログ2

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過去の議論

2009/12/22までの議論


文字と文献の区別、否定論の資料について

お疲れ様です。構成としては

  • 文字と文献を分けなければいけない

と思われますがいかがでしょうか? あと、肯定側の立場を書きましたが、

  • 否定側の立場にある文章や資料も中立性の観点から追記していかないといけない

と思われます。※否定と肯定で編集合戦になるといけませんので、節は分けたほうがいいと思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月14日 (月) 17:46 (UTC)

現在の議論を反映すると、『ヲシテ』『ヲシテ文献』『ヲシテ研究』と3つの説が混同されているため記事が混乱していると思われます。分割を提案します。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月20日 (日) 00:09 (UTC)
『ヲシテ』『ヲシテ文献』に2分割し、『ヲシテ研究』という項目はつくらないのがよいと思います。その上で、いずれかの項目に、学会がないので『ヲシテ研究』の全体像については言及しない、ということを記しておくのが生産的と思います。以前、「ホツマツタヱ」の項目で、研究としての見解に立ち入ったところ、編集が錯綜し、編集が事実上不可能になる事態になりました。『ヲシテ研究』という項目は、おそらく誰も制御不能な場になると思われます。少なくとも、私は、その項目をウオッチしません(^^; --うまやど 2009年12月20日 (日) 10:43 (UTC)
了解しました。項目としては「ヲシテ」という言葉自体が残念な事に現在聞き慣れない表現であり、その解釈は現在解釈を研究中であると思われますので、出版物などの出典に準じた形での解説をするにとどめます。というのは私の現在の個人的見解ですが、基本方針には外れていないと思います。研究が過去の経緯(w:ノートホツマツタヱ)により編集合戦の可能性を示すとのうまやどさんの意見がございますので、現在は『ヲシテ』と『ヲシテ文献』の2つに分割するのはどうか、という風に発言を修正します。で、研究は大変そうですね(^^;;;; お疲れ様でした。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月21日 (月) 11:39 (UTC)
では、2分割でいきましょう。「ヲシテ文献」の方に、ホツマツタヱの「この項目に掲載する情報」の内容を転記し、最後の部分に次の文言を追加してはどうかと思います。「なお、ヲシテ文献の研究(ヲシテ研究)に関する学会は未成立である。その為、ヲシテ研究の全貌を示すことは不可能である。本項目は、ヲシテ研究の全貌、ヲシテ研究に関する様々な見解を網羅することはしない。出版物などの出典に準じた形での解説に留める。この経緯については、ノート:・・・・を参照のこと」--うまやど 2009年12月22日 (火) 02:05 (UTC)
了解しました。えーと、他の方のご意見もあるかと思われますので、1週間ほど待って、他の意見がございましたら、それも解決し、合意を形成してからの分割としたほうが良いように思われます。ヲシテ、自体が色んな意味を複数含有している事もあり、分割に関してはヲシテ、で文字の説明をし、ヲシテ(文献)、というページを新たに作るかと思われます。まぁ、文献内での表現が良い気もします(ヲシテ文献、ではなんか違和感がありますゆえ)。他の見解はありますでしょうか? 文献の研究についてはその方針で良いかと。会話にも書いてますがうまやどさん、色々とフォローありがとうございます。お手数かけましてすみません。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月22日 (火) 14:56 (UTC)
項目数が10を越えますと、カテゴリーを作れるようになりますね。Wikipedia:カテゴリの方針。まだ、ホツマツタヱミカサフミフトマニヲシテだけです。すでにある研究者の項目が3人。「ヲシテ(文献)」で、8つ。あと2項目ですね。「日本ヲシテ研究所」で9つ。「トノヲシテ」で10かな。--うまやど 2009年12月23日 (水) 04:54 (UTC)
それはいいかもですね。和仁估安聡、溥泉などはどうでしょうか? 知らない人から見たら『誰!?』という感じなので。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月23日 (水) 15:01 (UTC)
その2名は必要です。あと、カグノフミ、朝日神紀、春日山紀、神代巻秀真伝くらいはいけますね。カグノフミは見つかっていない文書ということで。あとの3つは、公開されている江戸時代の古文書ということで。神代巻秀真伝に言及すると、小笠原通当さんの項目もつくることになります。その項目内で、長弘・長武のおふたりについても簡単に述べることにすればいいと思います。--うまやど 2009年12月24日 (木) 00:46 (UTC)
意見の採用ありがとうございます。異論なし。起草はユーザーのサブページでやったほうがいいかもしれませんね。今更ながら……。--基 建吉(MOTOI Kenkichi)
Wikipedia:コメント依頼#議_2009年12月で意見を募集しました。いや、2人だけでなんか話進めてるみたいなので……。合意形成について筋を通すべきかなぁ~と思われましたためです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月26日 (土) 10:59 (UTC)
Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2009年12月に「ヲシテ文献」→「ヲシテ」のリダイレクトの削除の依頼をしています。賛否の表明をお願いいたします。--うまやど 2009年12月29日 (火) 05:39 (UTC)
削除に賛成してきました。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月29日 (火) 10:54 (UTC)

Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2009年12月から来ました。この議論は、分割提案手続きにそって進めるべきです。--政治野球マニア 2009年12月30日 (水) 13:57 (UTC)

ありがとうございます。Wikipedia:分割提案‎に提案しておきました。--うまやど 2009年12月31日 (木) 11:25 (UTC)
了解しました。なかなか手続きになれずお見苦しい点をおかけいたしております。申し訳ありません。また、政治野球マニアさん、ご提案ありがとうございました。うまやどさん、早急な対応感謝いたします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月6日 (水) 13:10 (UTC)

分割の仕方

議論を読んでみると、どのように分割したいのかがいまいち見えません。まずは、記事を分割したいところと残すべきところで整理してみてはいかがでしょうか?--政治野球マニア 2010年1月11日 (月) 03:56 (UTC)


正確にいうと、ヲシテを分割するだけでなく、ホツマツタヱも合わせて分割したほうがいいんです。本来

  • 古文書群としての「ヲシテ文献
  • 「ヲシテ文献」を記述している文字であり、言語である「ヲシテ
  • 「ヲシテ文献」を構成している文書であるホツマツタヱミカサフミフトマニ、その他の引用文書(春日山紀など)・字形伝承文書(和字考など)
  • 「ヲシテ文献」と「ヲシテ」に関する研究「ヲシテ研究」
  • これらの関連情報(人物、概念)

という風になっています。「ヲシテ文献」の内、最も有名でかつ分量も多いのが「ホツマツタヱ」です。元々「ホツマツタヱ」しか項目がなかったこともあって、「ホツマツタヱ」の中で「ヲシテ文献」の説明や「ヲシテ研究」のことが述べられていました。その後、今あるように項目が増えていって、「ヲシテ文献」として項目を独立したほうが、記述のダブりが少なくなっていいか、という風に考えているところです。また「ヲシテ研究」というカテゴリーを追加しておいたほうがいいと考えたところです。

おそらく、そうしないと、項目すべてに偽書説への説明をつけたり、ヲシテ文献とは何かというような説明をつけたりしていくことになるように思います。--うまやど 2010年1月11日 (月) 04:37 (UTC)

僕が聞きたいのは、現在のヲシテの記述をどのようにヲシテ文献に分割するかです。そのために、例えば、現在のヲシテの中に、「ヲシテ文献」という節を作れば、どの部分を分割したいかが明確になりますから、分割しやすいのではないかと思います。--政治野球マニア 2010年1月11日 (月) 05:10 (UTC)
分割してから書こうと思っていましたが、わかりにくいとおもいますので、とりあえず「ヲシテ文献」の項目を内部に書き込んで見ました。本来は、こんな感じに「字」の説明と「文書」の説明が混在している項目になっております。--うまやど 2010年1月11日 (月) 05:48 (UTC)
概要から重複した記述を除去しました。僕として、分割先はヲシテ文献でいいと思います。--政治野球マニア 2010年1月11日 (月) 06:14 (UTC)

とりあえず、こんな感じなんで、分割しませんか。「ヲシテ文献」がいいか「ヲシテ(文献)」がいいかですが、「よみがえる日本語」では、ヲシテ=言語と定義しているので、前者のほうがいいかもしれません。--うまやど 2010年1月12日 (火) 01:26 (UTC)

ヲシテ文献本文ではヲシテ=文字形を指したり、文献をさしたりとひとつの言葉を複数の意味で使いますね。で、実際『ヲシテ_(文献)』を作った場合、『ヲシテ_(文字)』なんかも作るべきになりそうなので面倒ですね。現状記事(のリダイレクト)が存在する『ヲシテ文献』でいいんじゃないすかね? まぁ、それは実際どっちでもいいかとおもいます(どっちかはリダイレクトになるだけかと思われます)。でまぁ、確かに、『ホツマツタヱ』も言葉自体が有名なので本来なら分割すべき項目があるし、分割したら不要な記事がありますね。サブページ作って分割始めちゃってもいいんですが、意見の合意をまとうかと思っています。記事内で分割するという手はなかなかいいですね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月12日 (火) 10:31 (UTC)
原文では、文字をさす場合、言葉(例えば、名前。タマワルヲシテ・・・)を指す場合、そして、文書をさすと思われる場合(ヲシテソメケリなど)などあります。ただ、文書の場合は「フミ」が多いです(例えば、アメナルフミ、ミカサフミとは言っても、アメナルヲシテ、ミカサヲシテとは言わない)。すると、「ヲシテソメケリ」は、掛詞の可能性があるかな、と個人的には考えています。現代用語にする場合、ある程度の用語の割り切りは必要です。現代人にわからない用語なり、百科事典の意味をなさないので。そうなると、何を「ヲシテ」と呼べばいいかとなれば、文字と文字によって表されている言語。それぞれ「タミメ」「コトハ」という言葉もありますが、固有名詞ということになれば「ヲシテ」になります。ここから出発すれば、ヲシテのフミは、ヲシテ文献でいいんだと考えています。それと、「ホツマツタヱ」のノートにも、議論を提起したほうがいいかもしれません。合意をまつといっても、このままではいまのことろ実質3名しかいないようです。最初の提案が、2009年12月14日 (月) 17:46 (UTC)ですから、ほぼ1ヶ月たちました。--うまやど 2010年1月12日 (火) 11:24 (UTC)
提案は、分割提案に告知した時点ということになりますので、2009年12月31日 (木) 11:02 (UTC) ということになります。ただ、提案から1週間反対がなければ、合意できます。ヲシテ文献ということでよろしいですか?
基さん、「ヲシテ_(文献)」はリダイレクトにはできません。カッコ付きリダイレクトは禁止されています。
--政治野球マニア 2010年1月12日 (火) 12:52 (UTC)

分割先はヲシテ文献で合意ということでよろしいでしょうか?--政治野球マニア 2010年1月14日 (木) 05:39 (UTC)

(賛成)--うまやど 2010年1月14日 (木) 06:04 (UTC)

提案から1週間反対がありませんでしたので、Wikipedia:ページの分割と統合に沿って分割いたしました。--うまやど 2010年1月19日 (火) 14:07 (UTC)

(賛成)事後ですみません。確かにご指摘どおり「ミカサヲシテ」とか「カグノヲシテ」ってのもヘンですね。わかりやすい解説をありがとうございます→うまやどさん。現代というか、昨今ではまだ多分ホツマツタヱヲシテを示す文献が多いのですが、ホツマツタヱの記事中にアンカーを張ってますので大丈夫かと思います。政治野球マニアさん、カッコ付きリダイレクトは禁止されているのですか……知りませんでした。失礼しました。まぁ、現状でわざわざリダイレクトを増やす必要も無いのでその件は取り下げておきます(ヲシテ_(文献)の項目の件)。遅れ馳せながら、記事分割、お疲れ様でした。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月22日 (金) 00:33 (UTC)

細かい改善点

記述について、いくつか改善したほうがいいと思われることを述べます。ご参考までに。

  • 図表・標準文字
「ミツ(え)」の下向きの縦の部分(書き終わりの最後のストローク)の長さが長すぎるものと思われます。基本形は「丸いZ」型で、微妙に下につながっているという図です。下向きの縦の部分を短くし、その分「丸いZ」の部分を全体的に縦に伸ばすのがいいです。また、「る」の標準文字は、逆Yに点3つです。
  • 和字考
文字の字形を江戸時代に収録している文書のひとつに「和字考」がありますが、確か、ネットでデジタルアーカイブされていたのを見ることが出来たと思われます。(伊予文字)近代デジタルライブラリー を引用いただいているのですが、江戸時代のものの方がよいでしょう。
  • ヤストシ本
小笠原系の図版が多いのですが、古くかつ親本は、ヤストシ本なので、ヤストシ本の図版もあるといいのですが。
  • 否定派の引用論文
神代文字」の項目に挙げられている論文が代表的なものです。本文を修正しておきました。吾郷先生は、古史古伝業界では有名ですが、日本語学・歴史学の中ではとてもマイナーです。

--うまやど 2009年12月23日 (水) 02:20 (UTC)

  • 図版に関して
修正案承りました。更新に関してはフェアに行きましょうー、と考えてます。
  • 和字考
探してみます。
  • ヤストシ写本
現在取り寄せ中です。しかし高い……。廉価版というか文庫版のよみがえる日本語、があったらいいなぁ、と思います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月23日 (水) 15:11 (UTC)
「『和仁估安聡本 ホツマツタヱ 秀真政傳記』(和仁估安聰=写) 新人物往来社 1993 」は必須文献です。もう、ほとんど流通していません。私は図書館で借りて、前半の研究解説のところはコピーして手元においています。これを読まないと、解説もかけませんです。--うまやど 2009年12月24日 (木) 00:48 (UTC)
ですねぇ。本文はヲシテを中心に真名仮名ですね。一部仮名表記。ミカサフミ・フトマニの写真版は無いみたいですね。信頼出来得る出版社からの出版が期待されます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月25日 (金) 12:01 (UTC)
真名というのはねぇ。わざわざ訓読みを当てるのはおかしいんですよ。まして、あれが「真」で、ひらがななどが「仮」ですからね。すでに中華思想になっています。本来の真名は、ヲシテですのに。ヲシテの研究書は、いずれも高価なんですが、数が出ない割りに手がかかっているので、高価にせざるを得ないんですよねぇ。MOTOIさん、稼いでスポンサーになってくださいませ。(^^; --うまやど 2009年12月26日 (土) 00:26 (UTC)
真名は現状の日本語認識と、かなりの差がありますよね。確かに中華思想っぽいです。古文書も公文書では漢字が多い様に思うのですが……。つまり「日本語は以前からあったのだが、漢字勢力に侵略されたし、焚書があったので伝承の暗号化のために古代文字が発生し秘伝とされ各家に伝承されたのだが、やがて省みられることも無くなり今ある古代文字の古文書となった」という割と特別な経緯と、「江戸中期の皇室による儀式復興の資料として新たに取材された伝承をまとめて提示しもっともらしく箔をつけんがために謎の文字(ヲシテ)を利用した」との説が考えられます。要するに、出所がヤストシさん以外にあればうなづけるんですが発見されてないことが切ないですね。仮説を裏付ける根拠があればいいんですが…… 紀記原書ヲシテが一番安いのですが……スポンサーになりたいんですが、この件は商売ぬきです。でまぁ、現実として他の部分で稼げる算段がいまいちです。私は商売には多分向いていないんじゃないかなぁ、と最近思ってます……。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月26日 (土) 10:34 (UTC)
「古文書も公文書では漢字が多い様に思うのですが……」は、漢字を国字、公文書は漢文と決めたので当然です。明治時代にも、英語を公用語にとかフランス語をとか、ありました。幸いにもそうならなかったんですが、千数百年前にはやっちゃったんですよ。「日本語は以前からあったのだが、漢字勢力に侵略されたし、焚書があったので伝承の暗号化のために古代文字が発生し・・・」「江戸中期の皇室による儀式復興の資料として新たに取材された伝承をまとめて提示しもっともらしく箔をつけんがために謎の文字(ヲシテ)を利用した」については、それで「よみがえる日本語」に記したことを、説明可能なのか、いろいろお考え下さいませ。「よみがえる」では触れませんが、平安時代などの古文もヲシテで説明できることが分かっています。また、ヲシテの文字の形とヲシテ文献の中身の哲学が相通じています。しかも、ヲシテの文字の体系も、ヲシテの哲学も、そのものずばりを説明している文献は皆無です。そうすると、哲学体系を構想し、それに即した文字を創作し、それに即した単語を生み、それを踏まえた11万字の文書を創作する。しかもそれらは、後世の日本語を無理なく説明でき、各地の伝承も無理なく説明できる。後世の日本の文化も説明できる。こういう「創作」を江戸時代にやってのけたとしたら、ヤストシさんは、少なくとも、ニュートンやアインシュタインを超える大天才で、紫式部や吉田兼好を超える大文学者だということになります。--うまやど 2009年12月26日 (土) 10:53 (UTC)
その実証が『偽書である』の一言で正式な研究から外れているのは残念です。……最低限確定していると思われる、江戸時代の古文書としても、研究に値すると思うのになぁ。話題の『和字考』のデジタルデータが見当たらなかったため、コンバートをしておきました。本記事のほうのいくつかで使用しますか、と思っています。
 
和字考
--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2009年12月28日 (月) 03:22 (UTC)
字形図版の更新をしました。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月10日 (日) 13:49 (UTC)
更新された図版ですが、「カセ」が馬蹄形になっているんですが、フトマニ図の「し・ひ・み」のように、オバQ型のほうがいいと思います。--うまやど 2010年1月24日 (日) 05:11 (UTC)
おつかれさまです。より古い資料に基づく図形と思われる、小笠原通當氏の図形を参考にしています。ヲシテ文献本文にもウツロイ馬の足型が神形であると表現されていますので、これで間違いございません。オバQ型のほうは典拠が無いので字形の理解としてはその解釈が分かれますし、なにしろ池田案の字形は商標登録されていますのでその権利を侵害する見解をwikipediaで示すことになりますので問題が多いと思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月4日 (木) 08:40 (UTC)
また根拠がぶれているような。「より古い資料に基づく図形と思われる、小笠原通當氏の図形を参考」は後付だと思われますが、これはおいておきます。小笠原通當の字体も、小笠原長弘の字体も、長武の字体も、ヤストシさんの第2写本に基づく字体です。ただ、第2写本は失われています。第2写本の字体は、小笠原通當・長弘・長武に共通するような要素ではないか、くらいの推測しかできません。同時に、ヤストシ写本の字体ももちろん「さらにより古い資料に基づく図形」にあたります。さらに写本上最も古いのはトシウチです。「より古い資料に基づく図形」なら、トシウチの写本ということなります。しかし、小笠原通當・長弘・長武は、同じ資料に基づいてあれだけ違います。すると、トシウチの字体を絶対視することも困難です。結局、小笠原通當・長弘・長武・ヤストシ・トシウチの字体を総合的に判断せざるをえなくなります。次に、ウツロイ馬の足型が神形、というのは漢字カナ混じり直訳理解ですが、それでいいんでしょうか。そのレベルでいいなら、カセ=風なんでしょうから、風を表している形であろうと推測すべきと思います。結局のところ、様々な総合判断で「よみがえる」の形になっています。その形をふまえつつ、権利を損なわないように工夫されればよろしいかと思います。基さんご自身が、漢字カナ混じりではなく、原字でちゃんと研究にとりくんでその成果としてここに書き込んでいただくことを希望いたします。--うまやど 2010年2月4日 (木) 10:54 (UTC)
重ねて言いますが、池田満氏の商標権を害さない形であることは必須と思われます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月4日 (木) 19:50 (UTC)
えーと、これは重要ですので。
より古い資料に基づく図形と思われる、小笠原通當氏の図形を参考

フトマニのモトアケにおける図案は異体字が多く、フトマニ字形で全編が記述されているヲシテ文献は見たことがありません。トシウチとは何でしょう? 出典を求めます。池田満派の研究姿勢には疑問が多いです。で、現物として二系統以上の原本がある事は序文の記述を見ると明らかであり(ウタタネコ系列とオホカシマ系列)漢字タイプ以外の字形で最も古い資料が小笠原通當氏書写分であり、これを参考に鳥居礼氏のヲシテが制作されています。私も池田満氏系列ではなく、鳥居礼氏系列のヲシテ字形のほうが正しいと思います。ウツロイ→ウツロヰ。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月6日 (土) 08:35 (UTC)

「より古い資料に基づく図形と思われる」の部分が検証不可能です。「フトマニ字形で全編が記述されているヲシテ文献は見たことがありません。」=「より古い資料に基づく図形」にはなりません。「現物として二系統以上の原本がある事は序文の記述を見ると明らか」から、伝承中の字形の変化の可能性を排除困難だ、が間に挟まっているので、推論に無理があります。--うまやど 2010年2月6日 (土) 16:02 (UTC)
そりゃ資料が未発見ですから検証しようがありません。馬蹄型は文献の記述に基づいた図形です。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 04:40 (UTC)
  コメントアマテルカミの部族はどうやら騎馬民族でもあったようだ、ということは本文記述で分かりますね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月6日 (土) 08:35 (UTC)
思考順序が逆です。基さんが趣味で作るならそれでいい。でも、百科事典の記述として作成するのであれば、研究成果を尊重してつくる必要があります。その上で、意匠権を損なわないように配慮する。基さんの書かれているのでは、「意匠権を損なわない」から議論が始まっているから、形が無茶苦茶になってしまう。その事を指摘しています。--うまやど 2010年2月5日 (金) 04:58 (UTC)
その主張の根拠となる文献提示をお願いします。独自研究に該当する記述は避けなければならないとの合意があるはずです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月5日 (金) 06:07 (UTC)
???。いまのままでは独自研究になりますよ、という指摘なんですが・・・。「よみがえる」には、写本系統図がのせてあります。ヤストシ本の陰影本の解説にもほぼ同様の系統図があります。これを解説すれば上の内容になります。写本系統図の意味がとれていれば、「より古い資料に基づく図形と思われる、小笠原通當氏の図形」とはなりません。カセ態の形については、「よみがえる」で示してあります。ちゃんと読んでいただいていないのでしょうか・・・。--うまやど 2010年2月5日 (金) 07:14 (UTC)
重ねて重ねて言いますが、池田満氏の商標権を害さない形であることは必須と思われ、独自研究に該当する記述は避けなければならないとの合意があるはずです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月5日 (金) 10:23 (UTC)

  コメント写本系統図については、池田説、鳥居説、吾郷説の3つを確認しています。字形の参考資料についてはコモンズのファイル説明を参照下さい。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月5日 (金) 10:42 (UTC)

で、日本ヲシテ研究所の方々の後進の研究者(私)に対する扱いには正直憤慨しており、やる気をなくします。正直精神的に非常に疲れましたので、こちらに関する記事の更新、議論への返答などは当分の間避けます。カセの字形のオバQ形に関してはリバートで対応できますので、どうぞ。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月5日 (金) 11:57 (UTC)
誤解しておられるようなので、表明しておきますが、基さんは、複数の説を合成した自説を展開しておられるので「独自研究」と申し上げているのです。この場で出来るのは、信頼される媒体で表明されている説を示すことです。「鳥居説にもとづいた形です」であれば、「そうですか」、ですみます。好き嫌いは別として、信頼される媒体で表明されている説ですから。文字の形で一番シンプルなのは、古文書の形をそのままフォントにすることで、「TCMホツマ文字」はそういうフォントだし、「超漢字ホツマ文字」は鳥居説のフォントで通当の字形に基づいています。--うまやど 2010年2月6日 (土) 15:53 (UTC)
なるほど。では、解説図形は鳥居説の方向で検討していくということでよろしくお願いします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 04:40 (UTC)
解説文面が池田説、青木・平岡説です。解説図形と齟齬をきたします。というか、そういうことくらい考えて書いてくださいよ。--うまやど 2010年2月7日 (日) 05:44 (UTC)
でしょ? 実質的に利害が関係する記述であるなら中立的に慎重に記述して欲しいです。解決方法としては池田案も併記すべきなのですが、こちらは商標の都合上併記できない矛盾があります。難しいですね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 08:45 (UTC)
:うまやどさんの編集方針は中立的な観点において非常に問題があり、「どうしようもなく偏った執筆者」のように見えます。また、自分自身の記事をつくらないの条件で、敵のために書く、という視点を欠いているように思われますため、編集方針の再考を提案いたします。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 09:52 (UTC)
?? オバQ型は別に商標どーのこーのをクリアし、このノートでも合意成立していたものです。それに対して、合意形成もなく編集を強行されているだけです。--うまやど 2010年2月7日 (日) 09:59 (UTC)
なるほど。基本48文字の図形は馬蹄形以前の段階で同意が形成なされている、という理解でよろしいですね。記事の削除の説明が無い点についてお伺いします。
  • ではなぜ表の図版自体を全部削除されたのですか? これに関しての合意は形成されていないように思うのですが……コメントのほうにも説明が無いようです。理由の説明を求めます。
  • ほかのヲシテ関連の記事についても同様の削除による編集を繰り返されるのはなぜですか?
  • この差分の「要出典範囲|ヲシテ言語|2010年2月6日 (土) 03:29 (UTC)」が編集削除されている件について。この『ヲシテ言語』という言葉はこちらのノートにおいて初出した言葉と記憶していますが、その出典は文献で確認できませんでしたのでこういう表記になっています。なぜ削除されているのでしょう?
以上3点。お手数ですが、ご返答をお願い下さいますよう申し上げます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 11:19 (UTC)
簡単に
  • 貴殿より、リバートしてくれていいとの話がありました。基本48文字の図について、リバートを試みましたが、Wikipediaの本体とは同じ方法ではできないようでした。そこで次善の作として、削除いたしました。図が戻れば、戻されればと思います。
  • この件には、以前に合意なされています。
  • 『ヲシテ言語』という名称は、信頼される文献にはありませんので、その名称を使わずとも意味の通る文面にしたものです。何か問題なのでしょうか?
しかし、基さんの独自解釈のヲシテ文字に、百科事典としての価値があるとは思えません。すでに、写本由来のものが掲示されています。必要であれば、通当本由来のものを並行して掲示されればいいだけです。--うまやど 2010年2月7日 (日) 11:37 (UTC)
イ、の図表についてはリバートしました。基本48図形についてはこちらにおいてリバート可能ですので、どうぞ。削除は問題があると思いますので宜しくお願いします。小笠原通當氏書写分の写真原版については入手困難で、私による掲載は現在不可能です。
  • 同様の削除による編集 のなされている合意 とは何でしょう?
  • その名称を使わずとも意味の通る文面にしたもの が私の言う『削除』です。文意がまったく異なります。文章として変なのに気づきませんか?
どっちにせよ、小笠原通當氏の系列の文字があることを示さないと池田満説のみの表記になり、中立性が保てないように思われますので前回の表記となりましたことをご了承願います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 12:03 (UTC)
くだらん会話ですね。
  • 基本48文字については、リバートの方法を知りません。
  • 「同様の削除による編集」については、過去ノートの「リバートと個人攻撃に関して」のところのことと理解しております。
  • 「が私の言う『削除』です」は、いっている意味がわかりません。「要出典範囲|ヲシテ言語|2010年2月6日 (土) 03:29 (UTC)」の「要出典」を消したのは、「ヲシテ言語」という表現がなくなった以上自動的に必要なくなるだけでしょう?? 会話の意味がわかりません。何が言いたいのですか?それとも、「ヲシテ言語」という固有名詞に出典がないとして、ない表現を残し続けるのがいいとでもおっしゃりたいのか。ちなみに「言語としてのヲシテ」は、「よみがえる」に散々書いてあります。しかしそれに固有名詞として「ヲシテ言語」とは命名していません。
「前回の表記」がさしているものがわかりません。最後の48音図のことでしょうか。現在の説明に示されているのは小笠原系写本に準拠したものひとつです。あなたの文脈でいうなら、ヤストシ写本に準拠したもの、フセン伝本に準拠したものを掲示するほうが、より中立だと思いますよ。これら2つは系統が異なります。しかし小笠原系は3つとも同系統です。小笠原系写本に準拠した文字表を掲載してありますが、あれは池田説ですらありません。大嫌いなイカの「リ」とか入っているし。--うまやど 2010年2月7日 (日) 13:25 (UTC)
  コメントイカの「ル」ではないんでしょうか?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月11日 (木) 17:49 (UTC)
Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいはご理解されてますか? まったくもって別の表現になっています。この表記ですと、イサナキ、イサナミのフタカミが言葉を直す旅を行った、という事が「ヲシテ文献」による記述、ではなく「歴史的事実」のような表記になっているものと、誤解を与えることになるので問題を感じています。直すのは簡単なのですが、このような恣意的な表記を繰り返す編集を行うのは編集者として問題だと感じます。その他に、言葉一つがそれぞれ昔のカミを示すという「トホカミヱヒタメ」などの表記も48音節の根拠として必要だと感じてはいるのですが、それも「文献が示す記述」でありますれば、この表記はおかしいと私は感じるのです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 13:56 (UTC)
 
ヲシテ基本48文字
リバートの方法が分からない、との事でしたので池田満説のバージョンまでリバートさせていただきました。写本の伝本系統はまだ定説が確認できない、という見解にとどめておいたほうが無難かと思われます。出来れば現存する全系統の写本のサンプルを載せるのが良いかとも思われます。誤伝の分については判断が難しいですね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月7日 (日) 13:56 (UTC)
署名のない文の途中に、文を挟み込むのはおやめください。どこからどこまでが誰の文なのか追えなくなります。「この表記ですと、イサナキ、イサナミのフタカミが言葉を直す旅を行った、という事が「ヲシテ文献」による記述、ではなく「歴史的事実」のような表記になっているものと、誤解を与えることになるので問題を感じています。」という読解が訳が分かりません。原文を引用します:
  • ホツマツタヱ・キツノナトホムシサルアヤ内他には、『アワウタ』という48音からなるウタが記述されている。イサナミ、イサナギにより、当時言語が乱れコミュニケーションに不都合を生じるだけなく人心も乱れたため、このウタが使われたという。ヲシテの基本文字が48種類である事の根拠のひとつである。
さらに、あなたが書かれた文:
  • ヲシテの基本文字・ヲシテ言語[要出典]の基本が48種類である事の根拠として有力なのは、ホツマツタヱ・キツノナトホムシサルアヤ内にある『アワウタ』の存在で、イサナミ、イサナギにより『乱れた言葉を直す』ため使われたという記述による。
この文章では、「根拠として有力なのは」という私見を述べられています。だれが、そんなことをいっているのでしょう。「有力」という根拠はなんでしょうか。また、この文章では『アワウタ』とそのウタが『乱れた言葉を直す』のに使われたことの2つが融合されています。「イサナミ、イサナギにより『乱れた言葉を直す』ため使われたという記述」については、必要がない踏み込みすぎの記述です。しかしながら「Wikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてください」という方針もあるので、極力イサナミ・イサナギ云々の記述を生かして修正したものです。
なるほど。有力じゃないのですか? 無力なのですか? 日本語48音の説として。誰が言ってるのか、については「文献情報」ではなく執筆者の私です。アワウタ48音が有力。ヲシテにおいては事実だと思いますが。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月8日 (月) 21:51 (UTC)
「有力」の出典をお願いします。--うまやど 2010年2月9日 (火) 00:45 (UTC)
根拠の出典:ホツマツタヱを読み解く23p・ほか、ヲシテ関連書籍。 基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月9日 (火) 13:42 (UTC)
修正後の文章については、『アワウタ』が記述されているという事実。そして、『アワウタ』が利用されたという文献内の事実を伝聞の形で記すに留めてあります。さらに、「根拠のひとつである」と「有力」という言葉を除去してあります。検証可能で、中立な表現になっています。--うまやど 2010年2月7日 (日) 14:37 (UTC)
なるほど。中立的な表現ですか。ではイザナミ・イザナギが日本語を直した歴史的事実誤認を与える畏れ、の件についてはどうですか? 一般的には歴史的遺物での証明が必須条件と私は考えますが、その根拠を示す必要があると考えますが。ちなみに極めて個人的には、イザナミ・イザナギが日本語を正した、という事実はあったと思いますので、反対派を説得する事実と根拠が発見されればいいと思いますが。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月8日 (月) 22:40 (UTC)
「歴史的事実誤認を与える畏れ」は、素直にあの文をよめば、「ホツマツタヱ・キツノナトホムシサルアヤ内他で~~いわれている」ですから、原文内の事実を指しているだけであって、歴史上の事実であるとは全く記述されていません。

以上の署名の無いコメントは、うまやど さんが2010年2月9日 (火) 00:45 (UTC)に投稿したものです。

ホツマツタヱ・キツノナトホムシサルアヤ内他には、『アワウタ』という48音からなるウタが記述されている。イサナミイサナギにより、当時言語が乱れコミュニケーションに不都合を生じるだけなく人心も乱れたため、このウタが使われたという。

インデントを戻します。

素直に読めば、「ホツマツタヱ・キツノナトホムシサルアヤ内他で~~いわれている」

以上を引用しました。

ホツマツタヱ・キツノナトホムシサルアヤ内他には、『アワウタ』という48音からなるウタが記述されている。

部分と、

イサナミイサナギにより、当時言語が乱れコミュニケーションに不都合を生じるだけなく人心も乱れたため、このウタが使われたという。

部分が一つの文である、とのことですね。「~といわれている」と「~という」の違いはなんですか? 日本語研究者としての意見をお聞かせ願えれば幸いです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月9日 (火) 13:42 (UTC)

ちなみに、オバQ型だとトシウチニナスコトノアヤ内にある以下の部分で字形に無理が生じます。
ムママツリ ヨロキヒイツル カミカタチ

--基 建吉(MOTOI Kenkichi)  コメント署名が付加されてない自らの記述の部分で、IP部分に署名を付しました。-基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月9日 (火) 13:57 (UTC)

インデントが深くなりすぎますので、フォントの件は、インデントを戻します。基さんは「池田満説のバージョン」とお考えのようですが、私自身はそのように捉えたことはありません。池田説をかろうじてクリアしうる基独自バージョンと捉えております。編集されてわかられると思いますが、文字のデザインの解釈は多様となりえます。論争のモトにしかなりませんので、独自のフォントの提示は避けられるべきと判断します。「出来れば現存する全系統の写本のサンプルを載せるのが良いかとも思われます。」は百科事典として必要であればすればいいですが、そこまで踏み込めば、「ヲシテの自体の写本による違い」というかなり狭い道に入り込んでの記述になります。全体のバランスで適度なところで十分です。現時点では、いま掲示してあるもので十分なのでは? 48音図を戻すべきかどうかは、この対話の行き先によります。--うまやど 2010年2月7日 (日) 14:37 (UTC)

  反対 賛同しません。一度得た合意をひるがえすのはなぜですか。また、その理由としてはその根拠が薄いと考えます。かつ、実在する鳥居説の排除となり事実と異なります。ちなみに、池田満バージョン、とはファイルのバージョンを示し、ファイルの新規バージョンではミチマサ系列における現代解釈としての鳥居説の書体の一部も含んでいます。池田満氏提唱の概念を否定するわけではありません。一切鳥居説を書かないのは、偽書運動に繋がりヲシテ研究の将来に危険を含むモノと考えます。また、どっちの説を採用するかの判断は読者が下すもので記者としては中立の立場で書くべきであり、両説を併記するにとどめる、と考えます。また、先般のファイルのリバートをしたら記事に戻します、との約束が反故されています。承服できかねます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月8日 (月) 21:51 (UTC)  コメント理由について追記--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月8日 (月) 22:40 (UTC)
独自書体の掲示は、紛争のネタにしかならなかいことを、基建吉さんのその後の編集によって理解したからです。鳥居説を主張したければ、鳥居さんに許可をもらって鳥居さんの書体をそのまま掲載するか、次善の策として、通当さんの本あるいはその陰影本から文字を選んで配列すればできます。基フォント(48音図)は、基説でしかありません。ご自身でおっしゃっているように、いろんな説を基さんの基準でブレンドしたものです。--うまやど 2010年2月9日 (火) 00:45 (UTC)
ああ、svgファイルの構成について理解されてないようですね。新規更新分は池田説もちゃんと保存してあって、小笠原通當氏系列の分をアクティブにしているだけなので、池田説単体で表示することも可能です。リバートしたファイルバージョンのほうは、鳥居説が含まれていないものです。えー、ここで言い争っていても埒があかないので、コメント依頼をされたらどうでしょう?--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月9日 (火) 13:42 (UTC)

  コメント分割するにあたっていくつかの記述について説明と合意のないまま削除されている点についてもご説明下さい。どうも、うまやど さんは「私は本を出しているヲシテ研究の専門家だから私の意見が通らない限りWikipediaにおいてヲシテ関係の記述は絶対認めない」という編集方針のように思われます。偽書説云々よりも、この方針だとヲシテ偽書化してしまいますので非常に問題がある、と私は考えます。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月9日 (火) 14:44 (UTC)

有効な議論が無く反論も無いため、同意を得たバージョンの画像を復帰しました。あしからずご了承願います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年3月6日 (土) 12:37 (UTC)

この項目に掲載する情報の移転について

ガイドライン的なものを、本文に記述すべきではありません。--政治野球マニア 2010年1月12日 (火) 13:34 (UTC)

原理的は、それで正しいんだとおもいますけれど、こういうのを書いておかないと、ひどい状況になると思われます。マニアがたくさんおられますので・・・。私は何らかの形で、復帰しておくことをお勧めします。--うまやど 2010年1月12日 (火) 13:49 (UTC)
注意事項としてノートへのリンクをはってあります。--政治野球マニア 2010年1月12日 (火) 14:00 (UTC)
気がつきませんでした。失礼しました。しかし、気がついてくれるんでしょうか・・・。とにかく、訳の分からない編集が相次ぐ事態は避けたいです。時間が圧倒的にとられてしまいます。--うまやど 2010年1月12日 (火) 14:05 (UTC)
他の項目にも同様の注意を作られているようですが、それでしたら、Template:日本出身の人物の合意事項のようなテンプレートを作ってはいかがでしょうか?もうちょっと目立つようなものを作れるかもしれません。ちなみに、訳の分からない編集があった場合、差し戻せば時間はかかりません。詳しくはH:RVをご覧ください。--政治野球マニア 2010年1月20日 (水) 02:54 (UTC)
これいいですね。いいものを教えていただきまして、ありがとうございます。カテゴリー「ヲシテ研究」?をつくった時に一緒にテンプレートをつくって張ることにするのもいいかもしれません。--うまやど 2010年1月20日 (水) 12:38 (UTC)
テンプレート案に賛成します。確かにこれまでの経緯から、ガイドライン……ガイダンス的なものは多分必要でしょうね。もうちょっとヲシテ関連の記事が増えてからでもいいと思われますが……。早めに文案を作っておくのは悪くないかと思われますし、いいアイデアだと思います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月22日 (金) 00:52 (UTC)

Template:ヲシテ関連項目に掲載する情報の合意事項について

を作成してみました。いかがでしょうか。よろしければ、具体的に合意事項の内容を詰めましょう。--政治野球マニア 2010年1月22日 (金) 02:57 (UTC)

いいテンプレートつくっていただき、ありがとうございます。合意事項について、「この項目に掲載する情報」に足し引きすべき事項はありませんでしょうか?個人的には「上代日本語、大和言葉、現代日本語のいずれとも異なる意味の語句が多く中には現在に伝わっていない意味の語句もあるため。 」という脚注はここだけ詳しすぎるので、過剰かなと思わぬでもありません。--うまやど 2010年1月22日 (金) 14:10 (UTC)
少しだけ補足します。「よみがえる日本語」で表明したことは、ヲシテという言語で記述されている文書を、ヲシテという言語で読み解かず、古文や現代文であるとみなして読み解いて読み解いたつもりになっているのは、学問として成り立たないということです。上に上げた脚注では、「異なる意味の語句」の問題に問題が矮小化されています。すなわち、ヲシテという言語は存在しておらず、意味のわからない古文または現代文であると、ヲシテ原文をみなしているということです。以前、文献批判が十分でないと表明されていたこともあったのですが、「言語」が分かっていないのに文献批判は不可能であるということを踏まえねばなりません。漢字仮名変換はダメだ、という表明がなされる根本的な理由は、漢字仮名変換というのは、古文・現代文の手法であって、もし、ヲシテという言語が存在しなければ、方法論のひとつといいえても、別言語にもとづくヲシテ原文である以上、適用可能であるのかどうの吟味が先ず必要であるし、適用せずにより適切な表現・解析方法はどんなものであるのかが議論されねばならないということです。そして吟味の結果、利点・利便よりも弊害の方が多いということです。漢字が来る前に言葉があった。その言葉は漢字に基づいて生み出された言葉ではない。その言葉を漢字に直して判った気になるというのは、根本的に矛盾しているということなのです。--うまやど 2010年1月22日 (金) 14:29 (UTC)
テンプレート作成お疲れ様です、政治野球マニア さん。うまやどさん、『弊害の方が多い』とありますので具体的に挙げてもらいますでしょうか? 「別概念の言語である」ということはつまり(意味的に)「外国語扱い」にしたほうが良いとの提案に見受けられました。難解語句として「サコクシロ」「カカンノンテン」があり、共通すると思われる概念として「ハナオシ」がありますね。ハナオシに関しては署名、だとおもわれますが花押にすると時代整合性の点で矛盾が生じている、と確か『危険な歴史書「古史古伝」』新人物往来社 に書いてありまして(百科事典の記事的には偽書派の参考資料として有効かと思われます)、その意味でも記述のガイドラインは必要かと思われます。-基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月22日 (金) 20:10 (UTC)
とても簡単な話です。まず、「外国語」かどうかですが、現代日本語と対比してということでいえば、古文は別言語です。語彙も文法も異なります。それを「外国語」といえないのは、自明ですが、古文がそのまま発展・変化して現代日本語になっているからです。共通語彙も共通文法も多いです。しかし、共通語彙が多く共通文法が多い=同じ言語ではありません。別言語であるからこそ、学校教育においても、古文は別扱いで教育しています。語彙を学び、文法を学び、その背景に流れているものの考え方もまた学んで、ようやく解釈に至ります。逆に、古文を現代文とみなして解釈しても正統にはなりえません。方法論が誤っています。古文を現代文とみなして解釈するのは『弊害の方が多い』ということになります。この文章の、「古文」のところを「ヲシテ原文」に「現代文」のところを「古文」にすれば、本来の議論になります。
国語学あるいは日本語学における知見に基づけば、大和言葉は2音語を基本とし1音語は例外あるいは外来の単語であると了解されています。2音語を組み合わせる・縮約するという形で造語するのが我々の言語習慣の特徴だと考えられています。これが「古文」における造語文法です。ヲシテにおいては、この造語文法が「古文」と異なっています。詳細は「よみがえる日本語」に述べました。1音語がどのように成立するのか、2音語はどうか、さらには、動詞・形容詞の活用、助詞がヲシテのイメージに拠った思考方法によって成り立っていることを示しました。基さんもおっしゃているように語彙が異なり、そして述べたように文法が異なります。それゆえに別言語であるということです。さらに背景にあるものの考え方も異なります。言語と同じように考え方も同じではありません。
語彙において『弊害の方が多い』の例は「タカマ」と「高天」の例で説明しました。漢字カナ変換というのは、ヤマトコトバのもつ様々な音義をどれかひとつに特定するという働きがあります。「タカマ」は「アワセマツレバ ナモタカマ」ですから、語義に忠実に漢字をあてれば「合祀」でしょうか。あるいは古文の訓読みを適用すれば「高天」でしょうか。「合祀」は、合わせて犠牲獣を供える、という意味になるでしょうし、「高天」は、高いところにある天ということになりますが、「アワセマツル」という本来の意味からいずれも外れてしまいました。これは一例ですが、「和歌」でも「花押」でも同様でこのようなものが大量にあります。漢字には意味を限定し、漢字のもっている意味を追加するという働きがあります。あるいは、古文における語彙の意味を追加するという働きもあります。結果として、掛詞がとれなくなりますし、漢字に引っ張られて、文脈が曲がってしまいます。何より、「古文」とヲシテが別言語であるということを隠蔽してします。これらを指して『弊害の方が多い』と結論づけているものです。
当時のことは当時のものの考え方に肉薄して解釈するというのが歴史的な事象に対する学問的な立場と理解しています。当時の人は漢字で単語を考えていたんでしょうか。答えは否ですよね。ですので、より正統な方法論を見出すより他にないのです。--うまやど 2010年1月23日 (土) 00:40 (UTC)
なるほど。2音語、というのが専門用語っぽく何を指すかちょっと分からなかったのですが母音と子音の組み合わせ2音、ヲシテ語、は子音単体で存在していない、の説明かなぁ。ま、そういうぬるい理解で申し訳ないのですが、争点は『漢字のあるなし』ではなく『漢字にするときの弊害』であって、この文言では不十分、と言うことですね。
意味の語句が多く中には現在に伝わっていない意味の語句もあるため。
を削って
上代日本語、大和言葉、現代日本語のいずれとも異なる。
を残し
上代日本語、大和言葉、現代日本語のいずれとも異なるため、ヲシテ原字での理解を推奨する。
となりましょうか? 他に良い案があればどうぞ。
  コメント──蛇足ですが、オシロワケスメラギ時代(景行朝)、日本に漢字があったのか? となると考古学的な検証が必要かと思われますが、あったと思います(朝廷で使われていたか、については分かりません)。推論で申し訳ないんで記事としては記述に値しないし、意見を述べる場でもないので悪いのですが、戦国時代_(中国)における難民が移民し、帰化した可能性は確率的に充分考えられます。まぁ、多分日本の歴史を追うだけでは説明がつかないでしょう。最低でも東アジアの近隣諸国における文献記録のすり合わせや、全世界的な歴史的観点が必要かと思われます……(もちろん、Wikipedia上でやるのは論外で不可かと。論文か出版で為すべきですな)。専門外というかあまりよく知らないので可能性を書くだけにとどめます。まぁ、ヲシテ文献成立時期、既に漢字があった、といってもヲシテ文献の漢訳はずっと下って江戸時代中期に成立したと思われますので、この点についての言及は避けましょう。ヤストシ本にカタカナ表記のみのアヤが存在する謎もおいておきます。ここいらを追及するのはまさに独自研究。時代性の配慮に関しては最低限の原則で同意します。まぁ、偽書派を論駁するのは出版などでやるべきですね……個人的には非常に難しい。コネもカネも知識もないと言う感じ。まぁ色々考えます。駄文失礼しました。
テンプレートの文章もなんかこう、スッキリしたいですね。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月23日 (土) 20:28 (UTC)
2音語というのは、「もの」とか「こと」とか「みや」とか「かみ」とかです。これを複合させれば「もの・ごと」とか、「かん・みや」「かみや」とかになります。2音語が基本で、逆に言えば1音には明確な意味はなくて、2音以上の基本語の組み合わせで言葉の体系ができていると解釈されているようです。
「上代日本語、大和言葉、現代日本語」ではなく、せいぜい「古典日本語、現代日本語」くらいがいいと思います。上代日本語を追加してもいいんですが、私は入れるべきといえるだけの見識がありません。上代日本語というのは、帰化人による記述および古典日本語の時代に往時を復元しようと試みたものによって成り立っているので、果たして本当に当時の日本語といいうるのか、あやしいとも思います。私見ですが。古典日本語は、まさに古典という典籍に基づく日本語です。ヲシテ文献は、古典以前の古古典ですから、ヲシテ日本語というのは「古古典日本語」にあたります。厳密にいえば、ヲシテ文献の前半部分はそこからさらに800年前のものです。「古古古典日本語」でしょうか。「古典日本語」というのは、概ね平安時代の日本語を規範としています。1000年前の日本語です。ヲシテ日本語は、そこからさらに1000年前と1800年前の日本語です。まぁ、1000年・2000年も違えば、訳が分からなく見えても当然です。平安文学ですら現代人には難解なのですから。
そもそも、私の問題提起は、「脚注はここだけ詳しすぎる」という問題提起なのです。ご提案のように追記するのであれば、「その言語と語句の独自性や背景となってる哲学の独自性」の「言語」「語句」「哲学」の3つくらいについて、簡単に補足しておくべきかと思われます。
例えば、「言語」・・・現代日本語とも古典日本語とも(上代日本語とも)異なる。「語句」・・・現代語彙とも中世・近世語彙とも漢文語彙とも上代語彙とも異なる。「哲学」・・・神道とも仏教とも儒教とも道教とも景教とも異なる。--うまやど 2010年1月24日 (日) 04:40 (UTC)
  コメントオシロワケスメラギ時代(景行朝)という表現が気になりますが、おいて置きます。景行天皇の御世に漢字が渡来していたかどうかですが、常識的に考えればあったと思われます。新羅を通じて来ていると考えるべきでしょう。また、おっしゃるように秦の成立と滅亡に伴い難民は発生していると思われます。「タミノコトハモ フツクモリ」なんですから。しかし、これがヲシテ日本語の成立にどのような影響をもっているか、などということは検証可能なのでしょうか。「あったと思われる」の上に「影響を与えたと思われる」のような推測を重ねたところで、肝心のヲシテ文献には、「あった」とは全く記述されていない。むしろアワウタを普及して言葉が回復する訳です。古古典であるヲシテ文献を忠実に読解し、その上で、どうにも矛盾があるということになったときに、おっしゃるような薄い可能性のものを考えればいいだけです。漢字の影響云々は、当面の仕事ではありえません。原文の読解が終わっていないのですから。むしろ、原ヲシテの成立は、クニトコタチの時代と思われます。そこから徐々に語彙にせよ文法にせよオノコロに成立していったと考えられます。漢字の影響はありえるとすれば、丁度安土桃山時代の渡来語のように、いくつかの単語に影響があったというようなもので、明治以降のように造語文法や音義に影響を与えるようなレベルのものではないと考えています。--うまやど 2010年1月24日 (日) 04:51 (UTC)
を--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月25日 (月) 16:08 (UTC)
  コメントオシロワケスメラギの頃、多分北海道にはウタリがいて、沖縄にはウミンチュがいたでしょう、ということです。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月25日 (月) 16:08 (UTC)
? 「日本に漢字があったかどうか」が論点だと思われます。ウタリとウミンチュは何の関係があるんですか?そもそも、記紀の大八洲にも、北海道と沖縄は含まれていません。ヲシテの中では、かすかに北海道に関する記述がありますが、沖縄はありません。トコヨのクニの当時は、版図に含まれていたかもしれませんが、景行天皇の時代の「ヒノモト・ヤマト」の版図ではないと思われます。--うまやど 2010年1月31日 (日) 02:12 (UTC)
  コメント時代認識と現代の領土感覚が違うものでありますから、オシロワケスメラギ朝、と書きました。その当時、北海道も琉球も含まれていませんから、現代の「日本国」の領土感覚とはズレがあります、と言いたかったわけで、この時たぶん沖縄、琉球王朝では漢字があったはずです。……それはまた別問題ですが。しかし、ここは本論とちがいますから、コメントにしています。--基 建吉(MOTOI Kenkichi)
時間がかかってすみません。ちょっと花を摘みにいってました。
古典日本語、現代日本語のいずれとも異なるため、ヲシテ原字での理解を推奨する。

こうですかね? なかなか難しいですねぇ。

「言語」・・・現代日本語とも古典日本語とも(上代日本語とも)異なる。「語句」・・・現代語彙とも中世・近世語彙とも漢文語彙とも上代語彙とも異なる。「哲学」・・・神道とも仏教とも儒教とも道教とも景教とも修験道とも異なる。--うまやど 2010年1月31日 (日) 02:12 (UTC)
  コメント現行のヲシテ江戸中期バージョン@修験道 には欺瞞が多いので偽書扱いされて当然かなぁ、とも考えますが伝承自体が信憑性を含むため(真実ではない)研究価値はあるかと。昨日現物を拝見しましたが、確かにアナログコピーかつ文書では伝わらない「墨の匂いの再現」は難しいかと思われます。
「欺瞞」の定義と根拠は明示できるのですか?--うまやど 2010年1月31日 (日) 02:12 (UTC)
漢訳と振り仮名。個人的解釈が含まれておりますね。原文原字が正しいと思います。で、僕はこの漢訳部分に江戸時代の「ある日本人」の考え方が含まれているのでこれはこれで貴重だと思います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月5日 (金) 11:18 (UTC)
肝心のヲシテ文献には、「あった」とは全く記述されていない。
  コメントボクはヲシテ(文字)が江戸以前になければおかしい、と考えますがそこの検証は個人の財力では厳しいです。現物でもあればいいんですが(わらい--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年1月31日 (日) 00:34 (UTC)
緻密に研究を積み上げるしかありません。--うまやど 2010年1月31日 (日) 02:12 (UTC)
そうですね。できれば文献で。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月4日 (木) 08:42 (UTC)

結局、文案は決まったのですか?--政治野球マニア 2010年2月9日 (火) 13:46 (UTC)

決まってませんね。たぶんどの文案を持ってきても今までのように論理をすり替えたり無理を言ってきて却下されます。確実です。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月9日 (火) 13:59 (UTC)

それならば、現在、#この項目に掲載する情報に記載されてる内容をそのまま使えばいいのではないでしょうか?--政治野球マニア 2010年2月10日 (水) 04:46 (UTC)

こちらのほうが主題なのに、わけの分らない議論になってすんません。冒頭の部分については、議論がありましたので、それを統合します。さらに、文字も入れるべきなんでしょうか。文字だけでこれだけ紛糾していますので。とりあえず入れたものを示します。
  • 今日ヲシテ文献を真書であるとする立場から、多数の書籍や記事が発行されるに至っている。各文書の現代語訳は試行されているものの、その言語の独自性[1]、文字の独自性[2]、語句の独自性[3]や背景となってる哲学の独自性[4]等から発展途上かつ未完成であり、信頼に足る現代語全訳はまだ確立していない。また、多くの書籍や記事は、(以下同じ)
  1. ^ 現代日本語とも古典日本語(古文)とも上代日本語とも異なるとされる。
  2. ^ カナとも漢字ともハングルともアルファベットとも異なるとされる。
  3. ^ 現代語彙とも近世・中世語彙とも漢文語彙とも上代語彙とも異なるとされる。
  4. ^ 神道とも修験道とも仏教とも儒教とも道教とも景教とも異なるとされる。
議論をまとめたものが、上のものです。これでいかがですか。--うまやど 2010年2月10日 (水) 05:12 (UTC)
つまり下記のような文案になるわけですね。1週間異論がなければ、合意としましょう。--政治野球マニア 2010年2月10日 (水) 05:50 (UTC)
脚注はテンプレートでは節にしたほうがいいと思います。--政治野球マニア 2010年2月10日 (水) 05:53 (UTC)
なるほど。基本テンプレートには同意します。でも一部圧縮可能かと思います。
その言語・文字・語句・哲学の独自性

この部分ですが、さらに圧縮して

その独自性

とし、箇条書き部分で 言語・現代日本語とも古典日本語(古文)とも上代日本語とも異なる。 文字・カナとも漢字ともハングルともアルファベットとも異なる。 としたほうがよろしいかと思います。詳しすぎる、の部分がこの事でしょう。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月10日 (水) 15:32 (UTC)

今日ヲシテ文献を真書であるとする立場から、多数の書籍や記事が発行されるに至っている。各文書の現代語訳は試行されているものの、その独自性(脚注部分)から発展途上かつ未完成であり、信頼に足る現代語全訳はまだ確立していない。

となり、独自性についての詳細については

言語≠現代日本語・古典日本語(古文)・上代日本語
文字≠カナ・漢字・ハングル・アルファベット
語句≠現代語彙・近世・中世語彙・漢文語彙・上代語彙
哲学≠神道・修験道・仏教・儒教・道教・景教

とされるわけですね。確かに、詳しく書きすぎというかこれだけでは多分説明が足りませんね。簡潔にまとめるならば、その独自性、だけですべてを網羅するわけですから、細かい脚注は不要じゃないんでしょうか? これはうまやどさんが提唱してましたが、議論が脱線しすぎました。「その独自性」で後は省略でよいかと思います。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月10日 (水) 15:49 (UTC)

合意事項ですから、無理に簡潔する必要はないと思いますよ。テンプレートのノートページ書くものなので。--政治野球マニア 2010年2月11日 (木) 04:31 (UTC)
了承しました。予想通りの言葉でホッとしています。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月11日 (木) 16:32 (UTC)
「独自性」という言葉ですけれど、2つ考えねばなりません。Wikipediaの項目はそれぞれ「独自」なので、項目を別々につくっています。「独自である」ということは自明なので、「独自である」というだけでは、情報量がないということです。次に、では「何が」独自なのか例示することで「独自」の内容を具体化します。ここでは(少なくとも)言語・文字・語彙・哲学が独自であることをとりあげました。さらに、ではそれぞれが「どう」独自なのかですが、残念ながら研究途上ですので、「このようなものである」と簡潔に述べることはできません。しかしながら、「何とは違う・何とは同一ではない」という程度のことは、今でもすでに言うことができますし、すでにそう主張されています。そこで、
言語≠現代日本語・古典日本語(古文)・上代日本語
文字≠カナ・漢字・ハングル・アルファベット
語句≠現代語彙・近世・中世語彙・漢文語彙・上代語彙
哲学≠神道・修験道・仏教・儒教・道教・景教
と「だけは」言いうる、と述べているものです。--うまやど 2010年2月11日 (木) 16:01 (UTC)
なるほど。つまり、現代のどの日本語と文化にも一切影響を与えていない、という事でよろしいですね。ではその記述で合意します。--基 建吉(MOTOI Kenkichi)
?? だれが「現代のどの日本語と文化にも一切影響を与えていない」などということを上の文で表現しているのでしょうか? 明確に”「何とは違う・何とは同一ではない」とだけは言える”と書いてあります。あなたのように読むのが正当であるのかどうかは、他の方の受け取り方をおききすることで答えに代えます。--うまやど 2010年2月11日 (木) 16:51 (UTC)
」--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月11日 (木) 17:52 (UTC)
  コメントつまり、まったく同じの意味をもつ日本語は存在しない。例えば「マル」に関しては天然のゆらぎが必要で、明確に見えやすい形で自然観を示さないといけないとかそういう話であると理解しています。タラチネは古典日本語でよく出てくる言葉ですが、より深い意味が込められており、古典日本語の理解でヲシテを読むとその深いところまでは判らず、発音においてはYEでありWEでないとかそういう理解だと思ったのですが。≠とは完全否定ですから、その言語の意味がまったく同じものは無く全く別の意味を示す、ということです。≒ではありません。ボク的には現代日本語にも「=」の意味を持つ、殆ど内容が変わっていない、たとえばメとヲなどの、共有する概念のヲシテ言語は存在すると思うのですが、この記述だとそれは一切無い、となるわけです。極論過ぎて理解されづらいですが、こういう影響を与える文章であるから、文章が変だといいたかったのです。あと明らかにコピペで手抜き。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月11日 (木) 18:04 (UTC)
随分時間が経ちましたので結論を。私は一部条件付での合意をします。うまやどさんの、返答が無い部分は非常に不愉快で無視されていると思います。この件に関しては腹立ちを隠せません。誠意が無いと受け取りました。以上です。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年2月28日 (日) 01:44 (UTC)

議論がとまってますので、とりあえず、下記の案で合意とさせていただきます。--政治野球マニア 2010年3月15日 (月) 12:47 (UTC)

  賛成 異議なしです。お疲れ様でした。--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年3月18日 (木) 12:30 (UTC)

文案

今日ヲシテ文献を真書であるとする立場から、多数の書籍や記事が発行されるに至っている。各文書の現代語訳は試行されているものの、その言語の独自性[1]、文字の独自性[2]、語句の独自性[3]や背景となってる哲学の独自性[4]等から発展途上かつ未完成であり、信頼に足る現代語全訳はまだ確立していない。また、多くの書籍や記事は、

  • 客観的な立場で記述されていない
  • 根拠となる資料の吟味が十分でない、信頼性の低い資料に基づいている
  • 根拠となる資料の組み合わせに無理がある、論理の飛躍がある
  • 根拠となる資料を示さず検証できない
  • 方法論が明確でないまたは検証が十分でないまたは検証不可能な方法論である

等の問題を抱えている(参照:疑似科学)。この為、真書であるとする立場においても、ヲシテ文献に対しては様々な解釈や主張がある。一方、江戸時代の創作であるにしても、江戸時代に創られた長編の叙事詩ということになり、宝永安永年間の文化と文学を知る上でも学術的に貴重な史料である。

これらのことから、この項目では、Wikipediaは百科事典であり独自の意見を発表する場ではないとの趣旨(参照:Wikipedia:独自の調査)に基づき、またヲシテ文献を偽書とみなす人にとっても納得可能な、ヲシテ文献について第3者が検証可能な事柄についてのみ記述する。

なお、ヲシテ文献の研究(ヲシテ研究)に関する学会は未成立である。その為、ヲシテ研究の全貌を示すことは不可能である。本項目は、ヲシテ研究の全貌、ヲシテ研究に関する様々な見解を網羅することはしない。出版物などの出典に準じた形での解説に留める。

これらの経緯については、ノート:ホツマツタヱノート:ヲシテを参照のこと。

  1. ^ 現代日本語とも古典日本語(古文)とも上代日本語とも異なるとされる。
  2. ^ カナとも漢字ともハングルともアルファベットとも異なるとされる。
  3. ^ 現代語彙とも近世・中世語彙とも漢文語彙とも上代語彙とも異なるとされる。
  4. ^ 神道とも修験道とも仏教とも儒教とも道教とも景教とも異なるとされる。

--政治野球マニア 2010年2月10日 (水) 05:50 (UTC)

図版について

現在、Wikipedia:投稿ブロック依頼/MOTOI Kenkichiが提出されており、動向しだいでは今後の図版についてのサポートが出来なくなる可能性があるため、掲載を自粛しています。あらかじめご了承くださいませ。

  • 公開自粛中の図版
 
 
 
 
 
 
ヲシテ基本48文字

--基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年6月28日 (月) 16:35 (UTC)

テンプレートの移動

「ノートページに貼るべきテンプレート」と注意表示が出ていたものを、記事からこちらへ移動しました。--超プロ住民 2011年2月17日 (木) 06:09 (UTC)

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