パレ・シャンブルグ[1]Palais Schaumburg)は、ドイツハンブルク出身のドイツ・ニュー・ウェイヴ・バンドである[2]。スタイルはノイエ・ドイチェ・ヴェレに分類され、アヴァンギャルドな音楽とダダイスム的な態度を強く特徴としていた。

パレ・シャンブルグ
Palais Schaumburg
出身地 ドイツの旗 ドイツ ハンブルク
ジャンル ノイエ・ドイチェ・ヴェレポストパンク
活動期間 1980年 - 1984年2011年 -
レーベル フォノグラム
共同作業者 デヴィッド・カニンガムアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンジ・オーブサン・エレクトリックベーシック・チャンネル、マウリツィオ、ディー・ツィマーメナー
メンバー ホルガー・ヒラー
トーマス・フェルマン
ティモ・ブルンク
ラルフ・ヘルトヴィヒ
旧メンバー モーリッツ・フォン・オズワルド
F.M.アインハイト
ヴァルテル・ティールシュ
クリス・ランチ
ステファン・バウアー

1980年にティモ・ブルンク、ホルガー・ヒラートーマス・フェルマン、パーカッションのF.M.アインハイトの4人で結成された[2]。グループ名は冷戦時代のドイツ首相官邸であったボンにあるシャウムブルク宮殿に由来する。

後にアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンに参加することとなるアインハイトがグループを脱退。デヴィッド・カニンガムのプロデュースにより1981年にリリースされたパレ・シャンブルグのファースト・アルバム『パレ・シャンブルク』[2]の発表を前に、ラルフ・ヘルトヴィヒに交代した。このアルバムがリリースされた直後には、ヒラーがバンドを脱退してソロ活動を開始[2]。ヒラーの代わりに、モーリッツ・フォン・オズワルドとボーカリストのヴァルテル・ティールシュが参加した。

1980年代前半にはシングルやアルバムを発表し、特にアルバム『Lupa』や『Parlez-Vous Schaumburg?』では、彼らのアヴァンギャルドなサウンドが、さらにファンクの影響を強く受けるようになっていった。

結局、1984年に解散。その後、メンバー全員がソロ活動を行っている[3][4]

2011年になってオリジナル・メンバー(ドラム、パーカッションはラルフ・ヘルトヴィヒ)で再結成。2012年7月には来日公演が実現している[5]

2013年11月21日、スイスのベルンで開催された「サン・ゲットー・フェスティバル (Saint Ghetto Festival)」にパレ・シャンブルグが出演した[6]

ディスコグラフィ 編集

スタジオ・アルバム 編集

  • 『パレ・シャンブルク』 - Palais Schaumburg (1981年)
  • Lupa (1982年)
  • Parlez-Vous Schaumburg? (1984年)[7]

コンピレーション・アルバム 編集

  • Das Single Kabinett (1981年)

シングル 編集

  • "Rote Lichter" (1981年)
  • "Telefon" (1981年)
  • "Wir bauen eine neue Stadt" (1981年)
  • "Hockey" (1983年)[2]

脚注 編集

  1. ^ パレ・シャンブルク」の表記もある。
  2. ^ a b c d e Colin Larkin, ed (1999). The Virgin Encyclopedia of Heavy Rock (First ed.). Virgin Books. p. 337. ISBN 0-7535-0257-7 
  3. ^ Palais Schaumburg - Discogs
  4. ^ Kellman, Andy. Palais Schaumburg - オールミュージック
  5. ^ ele-king.net - Live Reviews > Palais Schaumburg- @代官山 UNIT
  6. ^ Saint Ghetto Festival 2013 at Dampfzentrale (Bern) on 21 Nov 2013”. Last.fm. 2018年1月29日閲覧。
  7. ^ Palais Schaumburg | Album Discography”. AllMusic. 2021年7月20日閲覧。

外部リンク 編集