フェルナンド・ムスレラ

ウルグアイのサッカー選手

ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル(Néstor Fernando Muslera Micol、1986年6月16日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身のサッカー選手スュペル・リグガラタサライ所属。ウルグアイ代表。ポジションはゴールキーパー

フェルナンド・ムスレラ
ウルグアイ代表でのムスレラ (2018年)
名前
本名 ネストル・フェルナンド・ムスレラ・ミコル
Néstor Fernando Muslera Micol
ラテン文字 Fernando MUSLERA
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
イタリアの旗 イタリア
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1986-06-16) 1986年6月16日(37歳)
出身地 モンテビデオ
身長 190cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 ガラタサライ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
ユース
2001-2004 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2006 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ 44 (0)
2006-2007 ウルグアイの旗 ナシオナル (loan) 5 (0)
2007-2011 イタリアの旗 ラツィオ 97 (0)
2011- トルコの旗 ガラタサライ 313 (1)
代表歴2
2009- ウルグアイの旗 ウルグアイ 133 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2021年6月14日現在。
2. 2022年6月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

なお、ルーツがリグーリア州サヴォーナにあるため、イタリアのパスポートも有するイタリア系ウルグアイ人である。 PKに滅法強く、よくストップしている[1]

経歴 編集

クラブ 編集

ウルグアイ時代 編集

モンテビデオ・ワンダラーズの下部組織で育ち、2004年にプロデビュー。2006年には同国の強豪クラブナシオナル期限付き移籍した。

ラツィオ 編集

2007年8月28日、SSラツィオへ移籍金300万ユーロで移籍。9月16日のカリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを飾るが、10月6日のACミラン戦で5失点を喫し、大ベテランのマルコ・バロッタに正GKの座を奪われる[2]

翌2008-09シーズンは、背番号を1番から自身の生年である86番に変更。シーズン後半にフアン・パブロ・カリーソに代わる守護神に昇格した。つづく2009-10シーズンと2010-11シーズンは年間を通じてゴールを守り、2009年にはコッパ・イタリア獲得に貢献。しかし、契約延長をめぐりクラブとの関係がこじれたため、2011年夏に移籍を決断する[3]

ガラタサライ 編集

2011年7月19日、トルコガラタサライSKへ5年契約・移籍金675万ユーロで移籍[4]。期待通り1年目から正GKを務め、2011-12シーズン最終戦のマニサスポル戦ではサポーターの後押しを受けて試合終了間際にPKキッカーを務め、見事プロ初ゴールを挙げた。

2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場。ガラタサライはすでに交代枠を使い切っていたため、ムスレラに代わって急きょキーパーを任されたMFのフェリペ・メロがPKを止め試合に勝利するという珍しい出来事があった[5]

代表 編集

2009年10月10日、エクアドル代表とのアウェーゲームでウルグアイ代表デビュー。同年11月のW杯南アフリカ大会大陸間プレーオフではコスタリカ代表相手に好セーブを連発し、2試合で1失点に抑え、本大会出場を決めた。

2010 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ3試合すべてで無失点。PK戦へともつれたガーナ代表との準々決勝では2本をスーパーセーブし、ベスト4進出に貢献した[6]

コパ・アメリカ2011でも正ゴールキーパーを務め、準々決勝のアルゼンチン代表戦ではPK戦でカルロス・テベスのシュートを阻止する活躍を見せるなど[7]、ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。

2022 FIFAワールドカップ・南米予選では18試合中10試合に出場したが、判断ミスによる失点に故障も重なり、ディエゴ・アロンソ監督就任以降は、セルヒオ・ロシェにポジションを譲った。

2022年11月10日、カタールW杯に向けたメンバーの1人に選ばれた[8]ものの、ロシェからポジションを奪い返すことができず、グループリーグ最終節のガーナ戦では、PKを与えられなかったことにより得失点差で決勝トーナメントに進出出来なかったことに腹を立て、試合後にも両チームの選手たちが揉める事件を起こし、チームはグループステージ敗退となった。

2023年1月27日、FIFAはこの事件の主犯とされるムスレラ、ホセ・ヒメネスに対し、4試合の出場停止処分と、奉仕活動、2万スイスフラン(約280万円)の罰金が課されることとなった[9]

タイトル 編集

クラブ 編集

ナシオナル[10]
  • プレーオフ:1回 (2007)
SSラツィオ[10]
ガラタサライSK[10]

代表 編集

ウルグアイ代表[10]

脚注 編集

  1. ^ Fernando Muslera: il colpaccio di LotitoTUTTOmercatoWEB.com 2007年9月2日
  2. ^ 44歳ラツィオGKバロッタ現役続行へ nikkansports.com 2008年4月12日
  3. ^ ムスレラ、ラツィオとは契約延長せず Goal.com 2011年6月3日
  4. ^ ガラタサライ、ムスレラ獲得を正式発表 Goal.com 2011年7月20日
  5. ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ Goal.com 2012年11月25日
  6. ^ あの手この手でウルグアイ4強/準々決勝 nikkansports.com 2010年7月4日
  7. ^ ウルグアイ代表GKムスレラ、ガラタサライへ”. UEFA.com (2011年7月20日). 2016年10月4日閲覧。
  8. ^ Se confirmó la lista de convocados para la Copa Mundial de Catar 2022”. AUF (2022年11月10日). 2022年11月11日閲覧。
  9. ^ カタールW杯での不適切行為でカバーニらウルグアイ代表4選手に出場停止と罰金処分…代表チームはホーム1試合でゴール裏閉鎖と罰金”. 超WORLDサッカー!. 2023年1月29日閲覧。
  10. ^ a b c d F. Muslera”. Soccerway. 2015年12月30日閲覧。

外部リンク 編集