アソチアツィオーネ・カルチョ・ミランイタリア語:Associazione Calcio Milan s.p.a)は、1899年に設立されたイタリアミラノをホームタウンとする、イタリアプロサッカーリーグ(レガ・カルチョ)に加盟するプロサッカークラブ。一般にACミラン(エーシー・ミラン)または単にミランとも称される。

ACミラン
Logo of AC Milan.svg
原語表記 Associazione Calcio Milan s.p.a
愛称 I Rossoneri (赤と黒)
Il Diavolo (イル・ディアーボロ、悪魔)
Casciavit (カシャヴィット、ミラノ方言で「スクリュードライバー」、そして「工夫」)
クラブカラー     赤・   
創設年 1899年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部
ホームタウン ミラノ
ホームスタジアム 2009-08 Derby- AC Milan vs Inter at San Siro.jpgスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ(愛称:サン・シーロ)
収容人数 80,018
代表者 アメリカ合衆国の旗 Elliott Management Corporation
監督 イタリアの旗 ステファノ・ピオリ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要編集

インテルナツィオナーレ・ミラノ(以下本項目ではインテルと略称する)、ユヴェントスと並ぶイタリア、そして世界を代表するプロサッカークラブである。クラブカラーからロッソ・ネロ(Rosso Nero, イタリア語で「赤と黒」、複数形でロッソ・ネリ Rosso Neri)またはディアボロ(diavolo, イタリア語で「悪魔」)の愛称で呼ばれる。サポーターはミラニスタ(Milanista)といわれる。

セリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、ユヴェントス、ACミラン、インテルのビッグ3となっている。

UEFAチャンピオンズリーグでは過去7回の優勝を経験しており、レアル・マドリードの13回に次ぐ歴代2位の優勝回数を誇る。イタリア国内で同大会を制覇した経験のある他の2チームの優勝回数を大きく引き離しており(インテルは3回、ユヴェントスは2回)、イタリアセリエAで最も成功したクラブの一つであるとされている。同大会で5回の優勝、或いは3連覇を達成したクラブにはビッグイヤー(UEFAチャンピオンズリーグ優勝杯)の永久保持が認められる[1]とともに、ビッグイヤーのロゴと優勝回数が書かれたワッペンをユニフォーム左袖に付けることが許されているが、このワッペンをつけているのはACミランの他はレアル・マドリードアヤックス・アムステルダムバイエルン・ミュンヘンリヴァプールFCFCバルセロナの5クラブのみである。

ホームスタジアムはジュゼッペ・メアッツァ(愛称:サン・シーロ)であり、同じくミラノを本拠地とするビッグクラブであるインテルと共同使用している[2]。インテルとACミランは永遠のライバル関係にあり、両クラブの対戦はミラノダービーと呼ばれ、街を二分する盛り上がりを見せる。長年インテルのファンがブルジョワ層を中心とするのに対し、ACミランのファンは労働者階級を中心とするとされてきたが、現在では世界中にファンが拡大したこともあり、両クラブの支持層の間に特別な隔たりは無く、互いに広い層から支持を集めているとされる。

また、「ミラネッロ」と呼ばれる世界でも有数のスポーツセンター、及び、2014年に完成した新オフィス「カーサミラン」を所有しており、ミラネッロについては設備・環境が整っていることから、イタリア代表が合宿先として利用するほどである。

2014年1月、世界最大の会計事務所である『デロイト』が公表したデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、2012-13シーズンのクラブ収入は2億6350万ユーロであり、世界のサッカークラブの中で10位、イタリアではユヴェントスに次ぐ2位である[3]。また、イギリスメディアが2012年に公表した調査によると、ACミランの平均年俸は約610万ドルであり、世界で5番目、イタリアで最も平均年俸が高いクラブであることが明らかになった[4]

アカデミーは世界各国に存在し、日本国内では東京、千葉、愛知に拠点を置く。東京では、調布市アミノバイタルフィールドをメイングラウンドとして活動している[5]。千葉は社会人からジュニアユース、女子チームなどが日本サッカー協会にチーム登録し活動している[6]

名称編集

運営組織の公式な名称は、Associazione Calcio Milan s.p.a[7] (ミランサッカー団株式会社)である。

クラブ名のうち「アソチアツィオーネ」(Associazione)は、組合社団などといった団体を意味する単語であり[8]Associazione Calcio Milanとは、「ミランサッカー団」あるいは「ミランサッカー組合」などが訳語となる。

また、イタリア語では、「ミラノ」をMilanoと綴るが、もとはイギリス人を中心に組織された団体である経緯から、現在でもクラブの名称は、英語と同じMilanの語を用いている。

歴史編集

 
創始者のハーバート・キルピン
 
1901年のチーム。

1899年12月16日にミラノ在住のイギリス人アルフレッド・エドワーズが中心となって、「ミラン・クリケット・アンド・フットボール・クラブ」(Milan Cricket and Football Club)を創設し、その後上記の通り「ミラン・アッソチャツィオーネ・カルチョ」と名称は変更されたがMilanだけは英語のまま残った。Milanが英語であるため、ACの部分がAthletic Clubだと誤解される場合が多い[要出典]

 
グレ・ノ・リトリオ

1950年代〜1960年代編集

1907年のスクデット獲得以来目立ったタイトルを得ることができなかったミランであるが、1949年にロンドンオリンピック優勝メンバーであるグンナー・グレングンナー・ノルダールニルス・リードホルムを獲得。この3人はそれぞれの名前から「グレ・ノ・リ」トリオと称された。1950-51シーズンにスクデット、ラテン・カップで優勝すると、1954-55シーズン、1956-57シーズン、1958-59シーズンにもリーグ優勝し、1956年には再びラテンカップを獲得した。

1961-62シーズンにネレオ・ロッコが監督に就任すると、初シーズンからスクデットを獲得。ジャンニ・リベラジョゼ・アルタフィーニらを擁したチームを率いて1962-63シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ初優勝を果たした。しかし、エレニオ・エレーラ率いるインテルの好調などもあって、次にタイトルを獲得するのは1966-67シーズンのコッパ・イタリア初優勝まで待たなければならなかった。

低迷期編集

1979-80シーズンのホームでのラツィオ戦が八百長の疑いで調査が行われ、セリエBへ降格処分となった。当時クラブ会長であったフェリーチェ・コロンボは永久追放となった。この処分により1980-81シーズンはセリエBでのシーズンとなったが、優勝して1年でセリエAに復帰した。しかし、セリエAに復帰した翌1981-82シーズンはわずか7勝という成績で再びセリエBへ降格となった。再びセリエBでプレーすることとなったが、1982-83シーズンは優勝してまたも1年でセリエAに復帰した。

ベルルスコーニの登場と黄金期編集

その後、後にイタリア首相を務めるシルヴィオ・ベルルスコーニが1986年にクラブを買収して会長に就任した。ベルルスコーニは有力選手を大補強して、豊富な資金力で2チーム分の戦力を揃え、国内外のタイトな試合スケジュールを戦うというターンオーバー制を導入した。また、ミラネッロの改修など、低迷していたクラブを立て直した。

ベルルスコーニが会長に就任して2シーズン目の1987-88シーズンには、当時はほぼ無名だったが、後にこのチームでサッカーに革命を起こすことになるアリゴ・サッキパルマから監督として招き入れた。また、ベルルスコーニは当時の史上最高額移籍金でルート・フリットPSVから獲得、マルコ・ファン・バステンアヤックスから獲得した。サッキが採用した高い位置でプレッシャーをかけてボールを奪うというプレッシングサッカー戦術と、キャプテンのフランコ・バレージらを中心とした現有戦力と、ルート・フリットマルコ・ファン・バステンら新戦力の活躍によって、サッキが指揮を執って1シーズン目には僅か2敗という成績でスクデットを獲得した。

1988-89シーズンにはフランク・ライカールトサラゴサから獲得。フランコ・バレージらとルート・フリットマルコ・ファン・バステンフランク・ライカールトオランダトリオなどの選手の活躍もあり、1988-89シーズン、1989-90シーズンにかけてUEFAチャンピオンズカップを2連覇した。特に、ミランが強さを発揮したのは1988-89シーズンのUEFAチャンピオンズカップであり、準決勝ではレアル・マドリードに5-0で大勝し、決勝でもステアウア・ブカレストに4-0で大勝している。

1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ準々決勝のオリンピック・マルセイユ戦で、マルセイユが1-0でリードしていた88分にスタジアムの照明が消灯し、照明復帰後もACミランが試合の続行を拒否したため没収試合となった。この結果ACミランは1年間ヨーロッパの大会から締め出されることとなった。

1991-92シーズンから監督となったファビオ・カペッロのもとで、バレージの他にもパオロ・マルディーニアレッサンドロ・コスタクルタデメトリオ・アルベルティーニの3人が中心になり、1991-92シーズンにはセリエA初の無敗優勝を達成。バレージを含めたこの4人は、ミラン栄光のバンディエラ(イタリア語で「旗印」の意。そのクラブで長くキャリアを送ったシンボル的なプレーヤーを指す)ともいわれる。セリエAでは1993-94シーズンにかけて3連覇し、UEFAチャンピオンズリーグでは、1年間のヨーロッパ大会出場停止処分後の1992-93シーズンから1994-95シーズンにかけて3季連続決勝進出(1993-94シーズンは優勝)するなどの成績を残し、「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵のミラン)と呼ばれる黄金期を築いた。特に、1993-94シーズンのチャンピオンズリーグ決勝では、バレージとコスタクルタが出場停止だったにも関わらず、同じく黄金期を迎えていたヨハン・クライフ率いるバルセロナ相手に4-0で大勝し、クライフをして「あんな完璧なサッカーをされては勝てない」とまで言わしめた。この試合の3点目となったデヤン・サヴィチェヴィッチの芸術的なループシュートは、サッカー史に残るベストゴールの1つとなっている。

1994-95シーズンは、W杯での疲労による主力選手の怪我や不振によってセリエAでは優勝争いから離脱したが、それでもサビチェビッチ、マルコ・シモーネらの活躍によってUEFAチャンピオンズリーグでは3年連続で決勝進出した。

1995-96シーズンは、ロベルト・バッジョジョージ・ウェアらFW陣を獲得。前年不振に陥ったバレージら主力選手が復調したことでスクデットを奪回した。

ベルルスコーニが会長に就任して以降導入されたターンオーバー制は、当時の監督だったサッキは当初乗り気ではなかったが、厳格なカペッロの指揮下になると、各国のスタープレーヤーでもベンチを温めるという状況がみられた。当時のターンオーバー制は、選手起用に対する監督との衝突等の問題を抱えていた。その影響で、ルート・フリットに至っては1993-94シーズンにサンプドリアにレンタル移籍し、1994-95シーズン途中にサンプドリアへ移籍している。

最強神話崩壊と過渡期編集

1996-97シーズンは、ファビオ・カペッロレアル・マドリードへ去ったことで守備基本からスペクタクル重視へ戦術が切替えられ、また、ボスマン判決によるEU圏内の外国人選手が大量加入したことでチームバランスが崩れ始めた。そこに、主力選手の高齢化、とりわけバレージらベテラン選手の衰えと後述のサッキやカペッロの監督復帰が追い打ちをかける形となった。序盤戦からリーグでは低迷し、UEFAチャンピオンズリーグでもウェアの暴力行為による退場処分と出場停止処分の影響で予選リーグ敗退した。その責任を取るかたちでオスカル・ワシントン・タバレスが解任され、かつて栄光を築いたアリゴ・サッキが監督に復帰したものの、チームの改善には至らなかった。1997-98シーズンには1年でレアル・マドリードの監督を解任されたカペッロを連れ戻すが、低迷脱却には至らなかった。

1998-99シーズンは、監督にウディネーゼで旋風を起こしたアルベルト・ザッケローニを招聘し、1997-98シーズンのセリエA得点王であるオリバー・ビアホフトーマス・ヘルヴェグをウディネーゼから獲得。序盤こそ苦戦していたが、アルベルティーニ、コスタクルタ、マルディーニ、ボバンら栄光を知る主力選手がチームを牽引、加えてマッシモ・アンブロジーニクリスティアン・アッビアーティら若手の台頭もあり、終盤に勝ち点でSSラツィオを逆転して悲願のスクデットを獲得した。

1999-00シーズンはアンドリー・シェフチェンコの獲得に成功したが、久しぶりに出場したUEFAチャンピオンズリーグでは、リーグ拡大による試合スケジュールの過密化によって、ターンオーバー制の導入が追いつかず、また、ウェアが1996-97シーズンに受けた出場停止処分を消化しなければならなかったことも影響して一次リーグ敗退。リーグでは3位で終了する。

2000-01シーズンは、リーグでは優勝争いから離脱、UEFAチャンピオンズリーグでも2次リーグ敗退によって、シーズン途中でザッケローニは解任された。後任にはチェーザレ・マルディーニが就任し、ミラノダービーでインテル相手に6-0で歴史的大勝したのが唯一の救いであった。

2000年代〜2010年代前半編集

2001-02シーズンは、フィリッポ・インザーギマヌエル・ルイ・コスタら大型補強を敢行して、ファティ・テリムが監督に就任するも中位に低迷。シーズン途中にカルロ・アンチェロッティが監督に就任してチームを立て直し、セリエAを4位で終了してUEFAチャンピオンズリーグ予備予選出場権を獲得。2002-03シーズンは、前年に続きリバウドアレッサンドロ・ネスタといった大物を獲得。アンドレア・ピルロレジスタに置くシステムが機能し、UEFAチャンピオンズリーグコッパ・イタリアにて優勝を達成。チャンピオンズリーグ決勝ではユヴェントスと対戦、スコアレスで迎えたPK戦でGKジダが3本をストップ、同国対決を制した。2003年夏の移籍市場ではカカカフーらを獲得。2003-04シーズンはUEFAスーパーカップセリエAにて優勝を達成した。

 
ミラノのドゥオーモ前広場でスクデット獲得を祝う人々(2004年)

2004-05シーズンはスーペルコッパ・イタリアーナにて優勝を達成したものの、セリエAでは2位に終わり、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝戦でリヴァプールFCと対戦し敗れた。この敗戦はイスタンブールの悲劇とも呼ばれる。2005-06シーズンは4季ぶりの無冠に終わり、シーズン終了後に発覚したカルチョ・スキャンダルによって、「2005-06シーズンのリーグ戦での勝ち点-44」、「2006-07シーズンのセリエAを勝ち点-15からの開始」という処分がイタリアサッカー連盟のスポーツ裁判所によって下された。控訴審では処分が軽減され、最終的に2005-06シーズンの勝ち点は58となり、3位扱いとしてUEFAチャンピオンズリーグ出場が決まったほか、2006-07シーズンのセリエAは勝ち点-8からの開始となった。

2007年冬の移籍市場ではロナウドを獲得し、2006-07シーズンはカカが大車輪の活躍を見せ、UEFAチャンピオンズリーグにて優勝を果たした。決勝は2年前と同一カードとなったが、フィリッポ・インザーギの2ゴールでリヴァプールFCを破り、見事に雪辱を果たした。2007-08シーズンはUEFAスーパーカップFIFAクラブワールドカップにて優勝を達成。カカはバロンドールFIFA最優秀選手賞といった個人タイトルを獲得した。しかし、リーグでは低迷しUEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した。

2008-09シーズンは、ロナウジーニョら大型補強を敢行し、冬にはデビッド・ベッカムをレンタルで獲得するも無冠に終わり、シーズン終了後にアンチェロッティは監督を辞任した。

 
25年間ミランでプレーしたマルディーニは、902試合に出場して最多出場記録を更新した

2009-10シーズンはレオナルドが監督に就任し、長年チームの顔だったマルディーニが前シーズン限りで引退(マッシモ・アンブロジーニが後任の主将に任命された)、カカがレアル・マドリードへ移籍。下部組織出身のイニャツィオ・アバーテの台頭などがあり、リーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。

2010-11シーズンはマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任し、2010年夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチロビーニョらを獲得。2011年冬の移籍市場ではアントニオ・カッサーノファン・ボメルらを獲得し、同シーズンは7季振りとなるセリエA優勝を果たす。

2011-12シーズンは優勝したチームにおいて怪我の影響で出場機会が減少気味だったピルロをユヴェントスへ放出し、ステファン・エル・シャーラウィアルベルト・アクィラーニアントニオ・ノチェリーノフィリップ・メクセスタイエ・タイウォらを獲得した。チームは31節フィオレンティーナ戦で破れ首位から陥落、復活したピルロを中心としたユヴェントスに次ぐ2位に終わりシーズン無冠に終わった。

2012-13シーズンは、急激に悪化した財政事情の立て直しとPPP導入に伴う財政対策のため、イブラヒモビッチとチアゴ・シウバをPSGへ放出。また、チームの世代交代のためにジェンナーロ・ガットゥーゾアレッサンドロ・ネスタクラレンス・セードルフファン・ボメルフィリッポ・インザーギジャンルカ・ザンブロッタといったベテラン勢を一斉放出した。これにより、アントニオ・カッサーノとの交換トレードで獲得したジャンパオロ・パッツィーニを始めとし、ケヴィン・コンスタンナイジェル・デ・ヨングフランチェスコ・アチェルビクリスティアン・サパタリッカルド・モントリーヴォバカイェ・トラオレエムベイェ・ニアンディダク・ビラボージャン・クルキッチらの補強に留まった。序盤戦は選手の入れ替えによる不振が続いたが(11-12シーズンから先発級メンバーがパッツィーニエル・シャーラウィモントリーヴォデ・ヨングメクセスサパタコンスタンと実に7人が入れ替わる)、コンビネーションが安定してからは前半戦のエル・シャーラウィの活躍、冬の移籍市場で獲得したマリオ・バロテッリの後半戦での活躍もあってリーグを3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選の出場権を獲得した。

低迷、及び凋落編集

2013-14シーズンは、4年ぶりにカカがミランに復帰し、サパタとコンスタンを完全移籍で獲得し他にもアンドレア・ポーリヴァルテル・ビルサマティアス・シルベストレフェルディナンド・コッポラリッカルド・サポナーラ、ミランユース出身のアレッサンドロ・マトリを獲得し、プリマヴェーラからブライアン・クリスタンテアンドレア・ペターニャを昇格させた。一方でレンタル期間終了によりFWボージャン・クルキッチ(バルセロナ)が退団し、他にもDFルカ・アントニーニ(ジェノア)、MFマチュー・フラミニ(アーセナル)、DFマリオ・ジェペス(アタランタ)らが退団。さらにMFボアテング(シャルケ)、DFタイウォ(ブルサスポル)、MFシュトラッサー(ジェノア)らをそれぞれに売却した。主将だったMFアンブロジーニの退団を受け、モントリーヴォが新たな主将となった。昨シーズンのエースであったステファン・エル・シャーラウィが怪我で試合に出られないこともあり、シーズン序盤から負けや引き分けが多く勝ち点を重ねられず、年明けの2014年1月からクラブ初のアジア国籍選手である本田圭佑を筆頭に、マイケル・エッシェンアデル・ターラブトアディル・ラミを獲得したものの、1月13日にアウェーでのサッスオーロ戦で2点リードしながら4-3で敗れたことが引き金となり、監督のアッレグリが解任された。後任は助監督のマウロ・タソッティが一時的に務めたが、すぐにブラジルで現役選手であったクラレンス・セードルフを招聘。戦術変更をしても状況は好転せず、結局リーグ戦8位となり、15シーズンぶりにチャンピオンズリーグ及びヨーロッパリーグの出場を逃した。シーズン終了後、セードルフを解任した。また、2014年には新オフィスである「カーサミラン」が完成。

2014-15シーズンはフィリッポ・インザーギが監督に就任した。移籍市場では、MFカカ(オーランド・シティSC)、FWバロテッリ(リヴァプールFC)、GKマルコ・アメリア(ロッカ・プリオーラ)、MFコンスタン(トラブゾンスポル)、MFウルビー・エマヌエルソン(ASローマ)、MFバカイェ・トラオレ(ブルサスポル)、クリスタンテ(SLベンフィカ)らを放出し、FWロビーニョ(サントスFC)、FWマトリ(ジェノア)、MFビルサ(キエーヴォ)、MFノチェリーノ(トリノFC)らをレンタルで放出。DFシルベストレ(インテル)、MFターラブト(QPR)はローンバックした。補強面ではフェルナンド・トーレスディエゴ・ロペスジェレミー・メネズアレックスミカエル・アガッツィジャコモ・ボナヴェントゥーラパブロ・アルメロマルコ・ファン・ヒンケルミケランジェロ・アルベルタッツィを獲得した。冬の移籍市場では、アレッシオ・チェルチルカ・アントネッリマッティア・デストロスソガブリエル・パレッタサルヴァトーレ・ボッケッティを獲得した。序盤は好調だったもの、徐々に引き分けや負けが込み、10位という成績に終わった。シーズン終了後、ベルルスコーニはタイの実業家、ビー・テチャウボンに株式の48%を譲ることを発表した。

2015-16シーズンはインザーギを解任し、新監督にはUCサンプドリアの監督であったシニシャ・ミハイロヴィチが就任した。移籍市場では、カルロス・バッカルイス・アドリアーノアレッシオ・ロマニョーリマリオ・バロテッリ(ローン)、アンドレア・ベルトラッチユライ・クツカホセ・マウリを獲得し、ダヴィデ・カラブリアジャンルイジ・ドンナルンマをプリマヴェーラから昇格させた。一方でDFラミ(セビージャ)、MFサポナーラ(エンポリ)、MFビルサ(キエーヴォ)を売却し、FWロビーニョ(広州恒大)、DFダニエレ・ボネーラ(ビジャレアルCF)、MFサリー・ムンタリ(アル・イデハド)、MFマイケル・エッシェン(パナシナイコスFC)、FWジャンパオロ・パッツィーニ(エラス・ヴェローナ)、DFザッカルド(カルピFC)らがフリーで退団。FWエル・シャーラウィ(ASモナコ)、DFパレッタ(アタランタ)、DFベルガラ(リヴォルノ)、FWマトリ(SSラツィオ)、FWマストゥール(マラガCF)らをレンタルで放出し、FWデストロ(ASローマ)、MFファン・ヒンケル(チェルシー)、ボッケッティ(FCスパルタク・モスクワ)はローンバックした。シーズン開幕当初はベルルスコーニ会長が好む[4-3-1-2]を用いていたが、10月の時点で3勝4敗の11位になったことを受けシステムを[4-3-3]に変更し、さらに本田圭佑とボナヴェントゥーラを両翼に起き、バッカとニアンを前線に並べる[4-4-2]のスタイルに変更するとこれがハマり7戦無敗とし6位まで浮上する。このシステム変更により出場機会を失ったMFスソとMFチェルチをジェノアにレンタルで放出し、代わりにフリーのケヴィン=プリンス・ボアテングを獲得しプリマヴェーラからマヌエル・ロカテッリを昇格させた。しかしニアンが交通事故により、本田が代表戦によりそれぞれ負傷し、控えであったメネズやバロテッリ、ボアテングが期待に応えられなかったこともあり大きく調子を落とした。これを受けもともとミハイロヴィッチのスタイルに批判的であり、なおかつロカテッリら若手イタリア人の起用を望むベルルスコーニ会長がミハイロヴィッチの解任を決断[9]。2016年4月12日にミハイロヴィッチの解任とプリマヴェーラを率いていたクリスティアン・ブロッキの監督就任を発表した[10]。しかし事態は好転せず、再び欧州カップ戦の出場権を逃した[11]

昨シーズン途中に就任したブロッキが退任し、2016-17シーズンの新監督に、元フィオレンティーナ監督のヴィンチェンツォ・モンテッラが就任。移籍市場ではスソ、パレッタをレンタルバックによりチームに復帰させ、ジャンルカ・ラパドゥーラレオネル・バンジョーニグスタボ・ゴメスホセ・ソサマリオ・パシャリッチマティアス・フェルナンデスを獲得した。一方でFWエル・シャーラウィをASローマに完全移籍で売却し、DFメクセス、DFアレックス、MFボアテング(UDラス・パルマス)、FWメネズ(FCジロンダン・ボルドー)、FWマトリ(USサッスオーロ・カルチョ)らが退団し、GKディエゴ・ロペス(RCDエスパニョール)やDFベルガラ(FCアルセナル・トゥーラ)、MFホセ・マウリ(エンポリFC)をレンタルで放出した。FWバロテッリはリヴァプールへローンバックした。2016年8月5日、同クラブの親会社「フィニンヴェスト」がミランを中国企業のコンソーシアムへ売却することを発表した[12]。中国資本がミランの株式の99.93パーセントを7億4000万ユーロ(約832億円)で買収することで合意。スソやニアンらのスピードや突破力を生かす[4-3-3]のシステムを採り、序盤はユヴェントスFCに勝つなど躍進を見せ、ロカテッリやドンナルンマといった若手イタリア人プレーヤーの活躍も光った。冬の移籍市場では、マルコ・ストラーリルーカス・オカンポスジェラール・デウロフェウを獲得し、戦力維持に努めた。シーズン後半になっていくにつれ、スソが相手DFに攻略されはじめ、バッカも試合ごとに波のあるプレーに終始し、前半ほどの勢いは見せられなかったが、最終的には6位に落ち着きUEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得し、3年ぶりに欧州カップ戦に復帰することが決まった。2017年4月13日、ベルルスコーニは中国資本へのACミランの売却を完了して「私はACミランの一番のファンを続けるだろう。新しいオーナー陣の成功を願う」と述べた[13]

莫大な資金を得たクラブは17-18シーズンの移籍市場において、CEOであるマルコ・ファッソーネが"300億円投じた"と話すように大型補強を展開した[14]レオナルド・ボヌッチを筆頭にマテオ・ムサッキオフランク・ケシエリカルド・ロドリゲスアンドレ・シウヴァファビオ・ボリーニハカン・チャルハノールアンドレア・コンティアントニオ・ドンナルンマルーカス・ビリアニコラ・カリニッチと計11人を獲得した。これに伴いユライ・クツカマッティア・デ・シリオカルロス・バッカジャンルカ・ラパドゥーラアンドレア・ベルトラッチロドリゴ・エリーレオネル・バンジョーニディエゴ・ロペスエムベイェ・ニアン本田圭佑アンドレア・ポーリが退団することになり、チームの顔ぶれを大きく変えることとなった。しかし、第14節時点でリーグ7位と低迷し、モンテッラを解任し、クラブOBのジェンナーロ・ガットゥーゾを招聘した[15]。最終的には6位でリーグを終えたにも関わらず、中国系資本のオーナーが債務不履行に陥ったために損益分岐点の必要条件を満たさないとされ、FFP違反で来季ELの出場権を剥奪された[16]。その後、アメリカのヘッジファンドであるエリオット・マネジメントがミランの新オーナーとなることが発表され[17]、財政状況が改善されたと見なされてスポーツ仲裁裁判所が処分を覆し、EL出場権を獲得した[18][19]

18-19シーズン、レオナルド・ボヌッチがユヴェントスへと1年で復帰した他、ニコラ・カリニッチカルロス・バッカエムベイェ・ニアンジャンルカ・ラパドゥーラルカ・アントネッリらが移籍した一方で、マッティア・カルダラゴンサロ・イグアインサム・カスティジェホホセ・マヌエル・レイナディエゴ・ラクサールらを獲得した。ヨーロッパリーグでは、レアル・ベティスオリンピアコスデュドランジュと同グループとなったが、グループリーグで敗退した。冬の移籍市場で、ジェノアよりクシシュトフ・ピョンテクCRフラメンゴよりルーカス・パケタを獲得した。一方でユヴェントスからレンタルで加入していたイグアインが退団した。リーグ戦では前シーズンより順位を1つ上げて5位となり、ヨーロッパリーグ出場権を獲得した。しかし、FFP違反によって出場権を剥奪され、CASもUEFAのこの決定を支持したためクラブは処分を受け入れた[20]。シーズン終了後、ガットゥーゾ監督とスポーツ・ディレクターのレオナルドが退任した[21][22]。後任の監督として、サンプドリアよりマルコ・ジャンパオロを招聘した[23]

ユニフォーム編集

ホームユニフォームは赤黒の縦じま。ただしUEFAチャンピオンズリーグインターコンチネンタルカップ等の決勝では上下白のセカンドを希望して着用することが多い。チャンピオンズリーグ7回の優勝のうち6回を白のセカンドユニフォームで勝ち取っている。また、選手支給スーツはドルチェ&ガッバーナから提供される。

胸スポンサー編集

  • メディオラヌム(〜1991年)- イタリアの生命保険会社。フィニンヴェストSpAの関連 世界最強時代のスポンサーであった。
  • モタ(1992〜94年) - イタリアの製菓メーカー。
  • オペル (1994年〜2005年)- ドイツの自動車メーカー。ユニフォーム表記は「OPEL」。
  • オペル・ザフィーラ(2005年〜2006年)- オペル社の車名。ユニフォーム表記は「オペル社のロゴの下にZAFIRA」
  • Bwin (2006年〜2010年)- オーストリアのオンラインサービス提供企業。
  • エミレーツ航空(2010年〜)- アラブ首長国連邦の航空会社。契約金は5年総額約6000万ユーロ[24]。ユニフォーム表記は「Fly Emirates」
年度 メーカー 胸スポンサー
1987–90 Kappa Mediolanum
1990–92 adidas
1992–93 Motta
1993–94 Lotto
1994–98 OPEL
1998–06 adidas
2006–10 Bwin
2010–18 Fly Emirates
2018- Puma

タイトル編集

 
トロフィールーム

国内タイトル編集

  • セリエA:18回          
    • 1901, 1906, 1907, 1950-51, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1967-68, 1978-79, 1987-88, 1991-92, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1998-99, 2003-04, 2010-11

国際タイトル編集

過去の成績編集

シーズン セリエA コッパ・イタリア UEFACL UEFAEL CWC
(旧トヨタカップ
1987-88 優勝 30 17 11 2 43 14 45 ベスト16 UC 2回戦敗退
1988-89 3位 34 16 14 4 61 25 46 ベスト16 EC 優勝
1989-90 2位 34 22 5 7 56 27 49 準優勝 EC 優勝 優勝
1990-91 2位 34 18 10 6 46 19 46 準々決勝敗退 EC ベスト8 優勝
1991-92 優勝 34 22 12 0 74 21 56 準決勝敗退
1992-93 優勝 34 18 14 2 65 32 50 準決勝敗退 UCL 準優勝
1993-94 優勝 34 19 12 3 36 15 50 ベスト16 UCL 優勝 準優勝
1994-95 4位 34 17 9 8 53 32 60 ベスト16 UCL 準優勝 準優勝
1995-96 優勝 34 21 10 3 60 24 73 準々決勝敗退 UC ベスト8
1996-97 11位 34 11 10 13 43 45 43 準々決勝敗退 UCL GL敗退
1997-98 10位 34 11 11 12 37 43 44 準優勝
1998-99 優勝 34 20 10 4 59 34 70 ベスト16
1999-00 3位 34 16 13 5 65 40 61 準々決勝敗退 UCL 1次L敗退
2000-01 6位 34 12 13 9 56 46 49 準決勝敗退 UCL 2次L敗退
2001-02 4位 34 14 13 7 47 33 55 準決勝敗退 UC ベスト4
2002-03 3位 34 18 7 9 55 30 61 優勝 UCL 優勝
2003-04 優勝 34 25 7 2 65 24 82 準決勝敗退 UCL ベスト8 準優勝
2004-05 2位 38 23 10 5 63 28 79 準々決勝敗退 UCL 準優勝
2005-06 2位→3位[25] 38 28 4 6 81 31 58 準々決勝敗退 UCL ベスト4
2006-07 4位 38 19 12 7 57 36 61 準決勝敗退 UCL 優勝
2007-08 5位 38 18 10 10 66 38 64 ベスト16 UCL ベスト16 優勝
2008-09 3位 38 22 8 8 70 35 74 ベスト16 UC ベスト32
2009-10 3位 38 20 10 8 60 39 70 準々決勝敗退 UCL ベスト16
2010-11 優勝 38 24 10 4 65 24 82 準決勝敗退 UCL ベスト16
2011-12 2位 38 24 8 6 74 33 80 準決勝敗退 UCL ベスト8
2012-13 3位 38 21 9 8 67 39 72 準々決勝敗退 UCL ベスト16
2013-14 8位 38 16 9 13 57 49 57 準々決勝敗退 UCL ベスト16
2014-15 10位 38 13 13 12 56 50 52 準々決勝敗退
2015-16 7位 38 15 12 11 49 43 57 準優勝
2016-17 6位 38 18 9 11 57 45 63 準々決勝敗退
2017-18 6位 38 18 10 10 56 42 64 準優勝 UEL ベスト16
2018-19 5位 38 19 11 8 55 36 68 準決勝敗退 UEL GS敗退
2019-20 38

現所属メンバー編集

2019-20シーズン 基本フォーメーション
2020年1月15日現在
No. Pos. 選手名
1   GK アスミル・ベゴヴィッチ ( )
2   DF ダヴィデ・カラブリア
4   MF イスマエル・ベナセル ( )
5   MF ジャコモ・ボナヴェントゥーラ
7   FW サムエル・カスティジェホ
8   FW スソ
9   FW クシシュトフ・ピョンテク
10   MF ハカン・チャルハノール ( )
12   DF アンドレア・コンティ
13   DF アレッシオ・ロマニョーリ  
17   FW ラファエル・レオン ( )
18   FW アンテ・レビッチ
19   DF テオ・エルナンデス ( )
No. Pos. 選手名
20   MF ルーカス・ビリア ( )
21   FW ズラタン・イブラヒモビッチ ( ) ( )
22   DF マテオ・ムサッキオ ( )
24   DF シモン・ケアー
33   MF ラデ・クルニッチ
39   MF ルーカス・パケタ ( )
43   DF レオ・ドゥアルチ
46   DF マッテオ・ガッビア
68   DF リカルド・ロドリゲス ( )( )
79   MF フランク・ケシエ
90   GK アントニオ・ドンナルンマ
99   GK ジャンルイジ・ドンナルンマ

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

※3番はパオロ・マルディーニ 長男クリスティアン・マルディーニ、又は次男ダニエル・マルディーニが引き継がない限り、永久欠番[26]

※6番はフランコ・バレージ 永久欠番。

監督

ローン移籍編集

in
No. Pos. 選手名
1   GK アスミル・ベゴヴィッチ (ボーンマス)
24   DF シモン・ケアー (セビージャ)
No. Pos. 選手名
18   FW アンテ・レビッチ (フランクフルト)
out
No. Pos. 選手名
--   GK アレッサンドロ・プリッツァーリ (リヴォルノ)
--   GK ホセ・マヌエル・レイナ (アストン・ヴィラ)
--   DF マッティア・カルダラ (アタランタ)
--   MF ディエゴ・ラクサール (トリノ)
--   MF エミル・ムラティ (レンデ)
--   MF トンマーゾ・ポベガ (ポンデノーネ)
No. Pos. 選手名
--   FW ガブリエーレ・カパーニ (ノヴァーラ)
--   FW リッカルド・フォルテ (レッコ1912)
--   FW アレン・ハリロヴィッチ (ヘーレンフェーン)
--   FW イスメット・シナニ (シクラ・レオンツィオ)
--   FW フランク・ツァジュート (シャルルロワ)
--   FW アンドレ・シウヴァ (フランクフルト)

プリマヴェーラ編集

歴代監督編集

永久欠番編集

歴代所属選手編集

脚注編集

  1. ^ 現在、永久保持が認められたビッグイヤーの複製版がカーザ・ミランイタリア語版のモンド・ミラン博物館のトロフィールームにて一般公開されている。
  2. ^ なお日本では、ACミランが同スタジアムを使用する場合はスタジアムの呼称が「サン・シーロ」となり、インテルが使用する際は「スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァ」と呼称されるとの通念が一部で見られるが、実際にはACミランが同スタジアムを使用する場合でも正式名称は「ジュゼッペ・メアッツァ」である。ミラニスタが同スタジアムを「サン・シーロ」と好んで呼称する理由は、ジュゼッペ・メアッツァの偉業を称えて1980年にスタジアムが改称される前は「サン・シーロ」が正式名称であったこと、「サン・シーロ」の名がスタジアムの立地する土地の名前に由来するために地元の市民に馴染み深いものであること、1926年のグラウンド建設から1945年まではACミランが単独でホームスタジアムとして使用していたことなどが関係している
  3. ^ Deloitte Football Money League 2014(2014年1月に国際監査法人『デロイト』が公表した2012-2013シーズンの欧州サッカーのクラブ収入ランキング)
  4. ^ 2012年にイギリスメディア『sportingintelligence.com』が調査した、世界のスポーツチームの平均年俸ランキング
  5. ^ ACミランアカデミー東京 オフィシャルサイト
  6. ^ ACミランアカデミー千葉オフィシャルサイト
  7. ^ Organisational chart”. acmilan.com. Associazione Calcio Milan. 2010年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月24日閲覧。
  8. ^ イタリア法で associazioneとは、2名以上の自然人により同一の目的のために組成される団体をいう。例えば、結社の自由を保証するイタリア憲法18条では、 associazione の用語をこのような団体の意味で用いている。
  9. ^ 【3分で分かる】“迷走”ミランの今季流れ。本田、ミハイロビッチ監督の苦悩の経緯 footballchannel 2016年4月13日
  10. ^ ミランが監督交代を正式発表 ミハイロビッチ解任決定で後任はブロッキ Goal.com 2016年4月12日
  11. ^ ユベントスが2年連続国内2冠、ミランはEL出場権逃す AFP BBNEWS 2016年5月22日
  12. ^ http://this.kiji.is/134412833990082563?c=39550187727945729
  13. ^ “ベルルスコーニ氏「ミランの成功を願っている」、中国グループへの売却が完了”. AFPBB. (2017年4月14日). http://www.afpbb.com/articles/-/3125083 2018年3月7日閲覧。 
  14. ^ 「300億円使った」ミランCEOが告白 Qoly (2017/09/02)
  15. ^ ACMilan (2017年11月27日). “[https://www.acmilan.com/en/news/official-statement/2017-11-27/official-statement-vincenzo-montella OFFICIAL STATEMENT: VINCENZO MONTELLA AC Milan announce to have parted ways with Mr. Vincenzo Montella. Management of the first team is entrusted to Gennaro Gattuso]”. 2017年11月27日閲覧。
  16. ^ co.,Ltd, FromOne. “ミラン、FFP違反により来季のEL出場権剥奪…UEFAが発表 | サッカーキング” (日本語). サッカーキング. https://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20180628/785293.html 2018年7月1日閲覧。 
  17. ^ ミランが米国資本に、ヘッジファンドが買収を発表 - AFPBB News、2018年7月21日閲覧
  18. ^ ミラン、逆転で新シーズンのEL出場権獲得!1年間の出場停止処分が覆る - Goal.com、2018年7月21日閲覧
  19. ^ ACミランのEL出場禁止処分は差し戻し、CASがUEFAの判断覆す - AFPBB、2018年7月30日閲覧
  20. ^ ミラン、FFP違反により来季EL出場停止が決定…トリノが繰り上げで欧州の舞台へ”. Goal.com (2019年6月29日). 2019年12月29日閲覧。
  21. ^ CHANGE OF MANAGER FOR THE NEW SEASON” (英語). AC Milan (2019年5月28日). 2019年12月29日閲覧。
  22. ^ AC MILAN CONFIRMS DEPARTURE OF SPORTING DIRECTOR” (英語). AC Milan (2019年5月28日). 2019年12月29日閲覧。
  23. ^ GIAMPAOLO APPOINTED AS AC MILAN'S NEW COACH” (英語). AC Milan (2019年6月19日). 2019年12月29日閲覧。
  24. ^ - スポーツマネジメント
  25. ^ 審判指名操作の不正行為により勝点を30減点されたため、最終順位が変更されている。カルチョ・スキャンダルを参照。
  26. ^ Milan Legend Paolo Maldini: Number Three Jersey Only To My Children” (英語). Goal.com (2011年3月18日). 2020年1月6日閲覧。

外部リンク編集